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前編
第九章 夢の終わり-3
しおりを挟むディルクは少し席を外した。この世界を去るにあたり、片をつけると言って出て行った。
王女と二人きりになった王子は、最後に心の底からの感謝の意を述べる。
「姫といた七日間は楽しかったし、すごく貴重な時間でした。本当に感謝しています」
王女は動かない。
「僕も……基本王城では缶詰だからね」
彼の言葉に彼女ははっとした。国は違えど立場は同じなのだと。
「魔法使いは……僕は、怖いですか?」
「……はい……」
ようやく発された小さな肯定の言葉に、王子は哀しみを覚えながらも納得する。
「怖いです……もう、これで二度と会うこともないのに、そうあらねばならないのに……」
僅かに震えながら言うと、王女は泣きそうな顔を上げた。
「また、お会いしたくなりそうで、怖いです!」
その言葉を聞いた瞬間、王子は彼女を抱きしめていた。
自分の正体を知り、敵であるとわかってもまた会いたいと言ってくれる王女に、急激に愛おしさが湧いてくる。
「……キスを……してもいいですか?」
友人と言ってくれた彼女に、王子は応えたいと思った。
そして王女が頷くと、王子はその薔薇色の頬にそっと口付けをする。
友情のキス。たとえ世界が異なり離れ離れでも、この繋がりは大切にするのだと。
しかし、王女はそうじゃないと言わんばかりに王子に飛びついた。
彼が慌てて彼女を抱きとめると、王女はそのまま躊躇いもせず、その薄紅色の唇と彼の唇を重ねる。
「!?」
王子は驚き目を見開くが、そのままゆっくりと目を閉じた。
友情ではない、友情よりももっと尊い、大切な、特別な想いを確かに感じる。
そしてしばしの後、王女は彼から離れると、涙を拭きながら「ありがとう」と告げた。
「もう、ここに来てはいけません」
ディルクが戻ると、二人の異国人に王女はきっぱりと言った。
「そうですね、軽率でした、気をつけます」
ディルクは頭を下げるが、王子は何かに堪えるように無言だった。
結局別れだけを告げ、記憶操作もしないまま、二人は隣国を後にした。
境界を目の前にして、ようやく王子が口を開く。
「ディルシャルクは……どうしたんだい? こっちの友達」
きちんとお別れしてきたのかーー王子の質問に、ディルクは俯き、「いや」と小さく呟いた。
「消したよ。俺に関する記憶は全部」
「え……」
ディルクにとって、それは当然のことだった。
これは彼個人の不祥事なのだ。挨拶だの卒業だの言っていられない。
一国の王子をこの敵国に、七日間も気づかず振り回してしまっていた、そのけじめをつけねばならなかった。
しかしそれは口には出さない。
王子のせいではないのに、きっと自分が悪いと思わせてしまうから。
「いい機会だったんだよ。いつまでもこうしていられる訳でもなかったし」
自分に言い聞かせながら、ディルクはまだ僅かに震える手をギュッと握る。
魔法世界の最高峰を目指すのだ。トラウマなんかで立ち止まっていられない。
ディルクは振り向き顔を上げ、王子にはっきりと言った。
「俺はもう、居場所のないこの国に、逃げて来たりしないからな」
王子はゴクリと息を飲み込んだ。
何かを決意した言葉の陰に、僅かに見える哀しみの表情。
いとも簡単にやってのけているが、記憶消去が彼の本意でないことくらい十分にわかる。
王子は友人の額に目を向けた。
ターバンの下に小さいながらも宝石の埋め込まれたサークレットをしているのでそこまで目立たないが、オーラは僅かに感じられる。
確かに強大すぎる力かもしれない。しかし恐怖とは微塵も思わなかった。
ディルクが王子の視線に気づき、慌てて額を抑える。
「わ、悪いな、こっちじゃ宝石つけてる方が目立つから」
言って懐から宝石と鎖を取り出す。彼は再びいくつもの宝石を枷のように、顔を隠すように巻きつけた。
途端に僅かに見えていたオーラも完全に見えなくなる。
「転移魔法で戻らないといけないのに、つけすぎだよ。もうちょっと宝石外してもいいんじゃないの?」
残念そうに王子は言うが、ディルクは取り合わず前に出ると、呪文もなしに魔法世界へ長距離転移魔法を紡ぎ出した。
王子は言葉も出ない。
これだけの宝石をつけつつ、こんな魔法をいともあっさりと操るなんて。一体彼はどれだけの魔法力を秘めているのだろうかと。
ディルクは続けて結界魔法を二人分の身体にかける。これがないと転移したときには重体か死亡だ。
「そっか、転移魔法だけじゃ駄目だったんだね」
納得する王子に、来た時はどうしたのかを尋ねると、王子は苦笑した。
「ば、ばっ、馬鹿か! 本当にお前はああぁぁあああ!!」
しかも二度も死んでいただとーーと、友人は絶叫し、青い顔をして頭を抱えだす。
ここまでの反応を見たのは初めてかもしれないと、王子は妙に感心した。
「まぁだから、ちょっとそっちも怒られるかもしれない」
申し訳ないと言うと、
「お、怒られるくらいで済むなら、いくらでも怒られてやるわ!」
だからもう危険な冒険とかしないでくれーーと、王子は珍しく友人に力一杯懇願された。
王宮に無事に転移すると、ディルクは王子の手を引き、国王陛下の元へ迷わず向かう。
王子はそんな彼の顔を見るが、その表情は宝石に隠れてわからない。
「ディルシャルク、ま、待って」
「なんだよ、今更怒られないで済むとか思ってんじゃ」
「これ」
王子は彼の額の宝石を見ながら、懐にずっと持っていたサークレットを渡した。
「国宝『竜の髭』。もしかしたら強力すぎて使い物にならないかもしれないけど」
でも、その顔が隠れんばかりの宝石いっぱいの鎖を外してほしいと伝える。
また前のように堂々と、顔を上げて外を見てほしいのだと。
ディルクはそのサークレットを無言で受け取ると、迷わず額のそれと付け替えた。
ガクンと一気に魔力が抑制されたのがわかる。
「うっわ、これ、ヤバイな、まじで」
そこそこ使えていた魔法が、基本魔法の初歩の初歩くらいしか使えなくなっているのを確認した。
(それでも、まだそれだけ使えるんだ……)
感心しつつも、それで東聖の仕事などできるのだろうかと王子は心配になってくる。
しかし別の物にしてはと言おうとした時、ディルクがすっと顔を上げ、その目をまっすぐ王子に向けた。
「ありがとな、シルヴァレン。これ大事にするわ」
そう言って見せた彼の数ヶ月ぶりの屈託ない笑顔に、王子は何も言えなくなってしまった。
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