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前編
第八章 禁断の出会い-2
しおりを挟む「何者だ!?」
うとうとしかけた王子は、衛兵の鋭い声に慌てて顔を上げた。
「この敷地が何か知っての狼藉か、坊主! その塀から離れろ!」
「え……と……」
言葉がわからない。何やら怒っているようだが、原因がわからない。
王子が息を飲み込み硬直していると、その衛兵は王子のすぐ脇へ発砲した。
ガーーーーン!
それが何かはわからないが、王子は身の危険を感じて発砲と逆の方へ咄嗟に飛び退く。
衛兵はその動きに合わせて三発、四発と次々に撃ち、その銃の音に気付いた他の衛兵が更に集まってきた。
王子は塀から離れ、道路へと躍り出た。
言葉もわからない上に、銃の文化もない彼には、降参のポーズすらとれない。
そもそも銃の姿が見えず攻撃の予測すら出来ない。心臓ばかりが早鐘を鳴らし続ける。
(まずい、どうする、魔法を使うか!?)
しかし王子は友人と違って、殆どの魔法に詠唱が必要である。
そんな魔法みたいなことをこの世界の衛兵の前で堂々とやったらーーしかもそれが敵国の王子で、この世界に犠牲者まで出てしまったらと考えると、最悪の事態しか想像できない。
戦争に、なり得るのではないかーーーーと。
(駄目だ使えない、一言も発せられないし、逃げるしかない!)
王子は衛兵に背を向け、塀のすぐ横の道を民家の建物に向かって力の限り走った。走りながらぶつぶつと呪文を詠唱する。
衛兵は声をあげ、遂に威嚇射撃でない本気の発砲を始めた。
ガーンと音が鳴り響くと同時に、一瞬王子の意識が飛ぶ。だが、すぐに戻って走り続ける。
今の攻撃をしたと思われる衛兵が僅かに首を傾げるが、仲間に喝を入れられ、すぐまた狙いを定めた。
(まずいまずい……! 今また死んでた!)
ギュッと王子は胸元のペンダントを握りしめる。
竜の魂はあと一つ。これが尽きたら自分は本当に死ぬ。この、訳も分からない隣国で。
(でも成る程、そういう武器なのか)
王子は走りながら胸元に手を当て、魔力を込め気を引き締めた。格闘時によく使う簡単な防御呪文で、身体の硬度が一瞬だけ上がる。
そして再び先程途中だった呪文の詠唱を続けた。
数発の流れ弾を、なんとか硬度を上げた身体で弾いて防御呪文が消える。更に銃弾が腕、足元を掠った。
王子は痛みに顔を顰めながら、命からがら民家の陰へ走り込む。そして、
「転移!」
衛兵から身が隠れたと同時に、唱えていた呪文を発動させた。
王女は塀の外の騒ぎに意識を戻した。強固な塀に囲まれ外は見えないが、緊張感のある声やバタバタと走り回る音が、収まることなく聞こえてくる。
「どうしたのかしら?」
首を傾げながら塀の天辺を眺めていると、突然すぐ横に人の気配を感じる。
王女が慌ててそちらを向くと、先程まで無人だったその庭園に、花の妖精とも言わんばかりの美しい少年の姿が出現した。
転移魔法はそもそも、目的地を正確にイメージしないと使うことができない。
目視できる所や人物の元、訪れたことのある場所へしか行けない。
王子は咄嗟に傍の塀の内側へ移動することを選んだ。内側の隅の方なら見つからないのではないかと。
「……っ!!?」
王女が悲鳴をあげる前に、王子は慌てて彼女の口を塞ぎ、動きを封じた。
いくら戦闘が得意でないといっても、自分より年下であろう少女一人くらいなら何とでもなる。
相手が一人、これは今の王子にとって有難い状況だった。
呼吸を整え、相手に意識を向ける。そして身につけていたピアスに手を触れ、その魔力を発動させた。
国宝『竜の雫』。それは言葉の通じない相手と話をする時に使う国宝だ。
「……驚かせてしまってすみません。声をあげないでもらえませんか?」
王女が戸惑いながら首肯すると、王子はほっと息をつき、彼女を解放した。
(よかった通じている)
王子も通訳魔法が使えない訳ではないが、それは聞くだけ、もしくは伝えるだけの魔法だ。
ディルクのように両方を即座に切り替えられるならともかく、普通は会話になど使えない。
国宝がなければ、今回は竜の雫がなければ、王子はまた詰んでいたところだった。
「怪我を、しているんですか?」
彼女が初めて発したこの言葉に、王子はまず驚いた。
明らかに不審者だというのに、人を呼ばないでくれたどころか、その第一声が彼の怪我の心配だったからだ。
王子が何も言えず硬直していると、彼女はそっとハンカチを取り出し腕の血を拭き、足首の傷に巻いていく。
「あ、ありがとう……お嬢さん」
「いいえ、外で追われていたのは貴方? 何をしたのです?」
責めているというよりは興味本位だろうか、彼女は遠慮なく聞いてきた。
王子は少し戸惑ったものの正直に答える。
「塀の外側にもたれて休んでいました。そうしたら突然攻撃を受け、追われてしまって……」
「あら、知らずに迷い込んでしまったの? それは災難でしたね」
言って彼女は苦笑した。
王子は意味がわからず口を開きかけるが、突然頭を押さえられ、草の陰に伏せられる。
遠くで女児の声が聞こえた。
「姫様! どちらですかー?」
「ここよ、ライサ! どうしたのー?」
伏せた格好で王子は我が耳を疑う。姫様ーーと。
「いらっしゃるならいいんですー! まもなくご昼食ですので!」
「わかった、もう少ししたら行くわねー」
手伝いでもあるのか、ライサと呼ばれた子供はささっと屋敷に入って行く。
彼女はようやく王子の頭から手を離した。
「ひめ……さま……?」
「私はシャザーナ・アリサ・メルレーン。この国の第一王女です。貴方はこの国の王族の別荘の塀にもたれてしまっていたのね」
「な……っ」
思ってもみなかった彼女の正体に、王子はくらくらと目眩を感じて黙り込んだ。
成る程、それは有無を言わさず襲われてもおかしくないと。
むしろ今こそ、ばれたらどうなることかと冷や汗を垂らす。
彼が顔を青くし絶句していると、王女はふとため息をつき言葉を続けた。
「別にそのくらいいいじゃないとも思うのだけれど。今度から気をつけたらいいわ」
「そ、そうですね、気をつけることにします……ありがとう、シャザーナ姫」
青い顔はそのままに、さりげなく王子は立ち居振る舞いを直す。
そんな彼に王女はおや、と思った。
王女と名乗って返ってくる反応は大体皆変わらない。驚くなり感心するなりした後、謙られ、心にもないだろうお世辞やアピールが繰り返されるのである。
この一歩置いた特別扱いが王女は好きではない。
しかし、彼は驚き礼をとるものの、王族への独特な特別扱いなど感じず、お世辞もアピールもなかった。
そして直した立ち居振る舞いが、見慣れている筈の王女ですら優雅と思う程完璧であった。
「貴方、お名前は?」
「あ、これは失礼を。私のことはシルヴァレンとお呼びください」
聞いたことのない名だと王女は思った。
フルネームではないのでなんとも言えないが、ここが王族の所有地とも知らなかったし、要人ではなさそうだ。
だからこそ、あまり気兼ねせずに彼に興味が湧いたのかもしれない。
「シルヴァレン様、またお会いできるかしら。昼食に行かないといけないのだけれど」
「そうですね、できれば少しここで休ませてもらえれば……」
「え?」
言うやいなや、彼は手近な木の幹にもたれ、崩れるように眠りに落ちていった。
ここではまだ昼だが、王子にとっては本来、寝ている時間だった。追手の緊張からも解放され、疲労が一気にきたのだろう。
(庭師さんは早朝来て帰ったばかりだし……もうここに人は来ないわよね)
草木や花に囲まれ姿も目立たず、天気も快晴だ。
王女は少年の寝息を確認すると、羽織っていたショールを彼にかけ、誰にも伝えることなく昼食と午後の職務に向かった。
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