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前編
第八章 禁断の出会い-1
しおりを挟む彼がいたところに落ちていたそれは、まだ新しい血の痕だった。
「これ、血? ディルシャルクの? 一体何があったんだ?」
あんなに取り乱すなんて。自分の顔を見て逃げ出すなんてーー。
王子は咄嗟に追いかけたが、追いつくことが出来ず森の中で見失ってしまった。
巨大な転移魔法を展開させ、移動した後だったのだ。
「な……これ、転移魔法? すごい……!」
王子は長距離転移魔法にそんなに詳しくないが、見たこともないような魔法構成だ。その跡からは何処に向かったのか見当もつかない。
これを自分が追いつくものの数秒で作成し、転移して行ったというのか。あれだけの宝石で魔力を抑えたままーーーー王子は思わず目を覆う。
「なんでこんな……僕がどう頑張っても得られない力を……君は……」
誰よりも東聖に相応しいその力を持ちながら、それを抑え込み、怯え続けている。
東聖の内定も、全てを放棄するようにーー。
「絶対許さない。東聖を降りるなんてさせない!」
王子は転移の魔法跡を見据えて言った。
誰が何と言おうと、この強大な可能性をここで見失うわけにはいかない。
「僕は君を諦めないよ、ディルシャルク」
懐から小さな玉を取り出す。
それをぎゅっと掴むと、王子は迷いなくその魔力を発動させた。
小さな玉ーー国宝『竜の瞳』。それは魔法の痕跡から同じ魔法を今一度発動させる国宝である。
つまり王子はこの日、ディルクの転移魔法の痕跡を使い、本来なら使えない筈のその魔法で、そうとは知らずに足を踏み入れてしまったのだ。
禁断の地、隣国、科学世界へとーー。
◇◆◇◆◇
「ええっ、もういないとか! 行動早過ぎだよ、ディルシャルク」
そんな世界とはつゆ知らず、王子は転移先で即座に友人の姿を捜すが、その姿を見つけることはできなかった。
ため息をつきながら、とりあえず竜の瞳を懐にしまう。
「あれ?」
ふと、首から常にかけているペンダントの真珠様の珠が、一つなくなっていることに気がついた。
国宝『竜の魂』。持ち主の命を珠の数、即ち今手持ちの三回まで守護する効力がある。
つまり珠が一つないということは、一度命を落とし生き返ったということである。
境界の壁を越えた時、ディルクは全治一月の怪我を負ったが、そもそも命を取り留めたこと自体が奇跡だったとも言える。
「う、うわ、なんで!? 何処で死んだんだ? あーもう、怒られるなー父上に」
そしてここは何処、と王子はあらためてキョロキョロしながら頭を抱えた。
国宝のおかげで気づかなかったが、王子は結界に弾かれ、ディルクが転移した荒野とは異なる位置、すなわちクアラル・シティの街中に転移してしまっていた。
「それに夜? ラクニアも王都も日は昇ってるはずなのに。意識失った覚えとかないのに?」
見たことのない街だった。建物から雰囲気から全く心当たりがない。
少なくとも、訪れたことのある四大都市のどれでもない。
「とすると、本土じゃなくて島の方……カタート地方とか?」
そういえば十五の誕生日に賜ったものの、あまり訪れていないなと考えながら歩き出す。
しかし、それにしては大きな街だ。四大都市に匹敵する程の大きさではなかろうか。
いっそのこと誰かに聞いてみればいいのだが、夜で人通りは殆どない。
どうしたものかと考えていると、向こうの方からようやく一人、男性が近づいて来たので、王子は咄嗟に呼び止めた。
「あの……」
「ん? 俺か? なんだ坊主?」
サラリーマン風のその男性は立ち止まったが、声をかけてきた当人から他に何の反応もなかったので、「夜遊びは程々にしろよ」と言いながら去って行った。
女性ならばもう少し気を止められたかもしれないが、王子にとってはかえって好都合だったと言える。
男性は、この身なりのよい高校生くらいの少年が解する言葉に、疑問を持たないまま去ってくれたからだ。
地方による方言や発音に違いがあっても、オスフォード王国内において、言葉自体が通じないことなどない。
とすると、心当たりは一つしかない。
王子の心臓がドクンと跳ねた。全身が緊張し、冷や汗が流れる。
「もしかして隣国……科学世界……メルレーン王国……?」
何百年も休戦し国交がないため、国民の間では幻の存在と化して久しいのだが、将来国王となる王子は、敵であるこの隣国の知識もきちんと教えられていた。
それは決して夢でも幻でもないことを。
「嘘だろ……なんて所に来るんだよ、ディルシャルク……」
そうまでして魔法から、王国から力の限り逃避したかったのかと悲しくなる。助けてあげられなかった自分に嫌気がさす。
でもーーと王子は顔を上げた。だから迎えに来たんだ、一緒に帰るのだと。
一つ深呼吸をし、改めてこの未知なる世界を見据える。
彼は初めて、自分の常識や権力の通じないこの世界に身震いした。
◇◆◇◆◇
「いいですか、姫様、お昼までにきちんとこの課題を終わらせてくださいね」
自分より三つも下のお目付役、もとい友人はそう言って部屋を退出して行った。
姫と呼ばれた今年十三歳になったばかりの王女シャザーナは、扉が閉まる音を聞くと盛大にため息をつく。
「なんで同じ量の課題出されて、もう終わってるのよ、あの子は」
先日王宮のアカデミーから友人として迎えた彼女だが、まだ日が浅いからか、なかなかに主従関係が消えてくれない。もう少し気を抜いてくれてもいいのにと肩を落とす。
学校が近いのだろうか、窓の外からは子供達の楽しそうな声が聞こえてきた。
午後からはこのクアラル・シティの児童施設をいくつか訪問することになっている。いつもいる王城と違った行事は楽しみではあるのだが。
目の前には、今朝教師から渡された課題がまだ山積みになっていた。
「ちょっと……気分転換」
少女は椅子から立ち上がると、唯一単身で自由に出入りできるこの別荘の庭園へと向かった。
そこそこ広い庭園には、花壇を始め、ちょっとした池や木陰の出来る木に芝生、薔薇のアーチなどがあり、周りは頑丈な塀で囲まれている。
その塀も乗り越えようとすれば警報が鳴り、警備員がとんでくる筈だ。
そんな所だからこそ、王女も好きに出入り出来るのである。
「ふー」
木の麓のベンチに座り、葉の間から覗く空を見上げる。心地よい風だ。
木漏れ日を浴び小鳥の囀を聞きながら、王女はうとうとと目を閉じた。
◇◆◇◆◇
王子は一晩中ふらふらと歩きながら、街の郊外へ出ていた。
気づけば夜が明け、太陽は眩しく、街に人が戻っている。
友人を捜さなければと思ったのだが、考えてみたら、境界の結界に阻まれて魔法世界への通信は出来ないものの、こちら側にいる彼だけは、いつでも呼びかけることが可能なのだと気づく。
逃避しに来た以上、そう早く戻ってしまうとは考えにくい。
王子がここまで追ってきたことを知れば、責任感の強い彼のことだ、きちんと気分転換すら十分出来ないまま、王子を連れて魔法世界へ帰ろうとするだろう。
「もう少し、そっとしておいた方がいいのかな」
道路から外れ木々の生い茂る中、煉瓦造の立派な塀を確認すると、王子はよいしょとその塀にもたれかかった。
(君は化け物なんかじゃないよ。その力はみんなを守る為にあるんだろ。すごく、心強いじゃないか)
だから戻っておいでよ、ディルシャルクーーーー。
目を閉じると、以前の明るい笑顔の友人の顔が思い浮かんだ。
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