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前編

第六章 壊れた憧れ-3

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 ディルクは彼女の言葉と、いつもより強い抱擁に動揺しながら、天にも昇る気持ちだった。
 彼女の笑顔が嬉しくて、大好きという気持ちが溢れてくる。

(隠したいわけじゃないし、ナリィが見たいのなら、大好きって言ってくれるならいくらでも)

 ナリィは腕から少年を解放すると、一歩下がってワクワクと心を踊らせて待った。
 それを確認したディルクは、ひとつ大きく深呼吸をして額に手をかける。ナリィはそんなに意を決するようなことなのだろうかと思いながらも、期待を込めた目で彼を待つ。
 ナリィの胸が跳ね上がった。小さい頃はよくわからなかったが、未来とは言え宮廷魔法使いのオーラを見られるのだと。

 しかし、あと少しというところで、突如ディルクの手が止まる。

「どうしたの?」
「あの、やっぱりやめない? なんかこれヤバイ気が……」
「何言ってるの、ここまで来て!」

 言うと戸惑う彼の手に自分の手をかけ、ナリィは一気にその輪を解き放った。


 幼い頃見た祖母のオーラは光に包まれていた。
 その光でほぼ詳細がわからなかった。
 なんてことはない、目が良すぎる彼女が見えすぎないよう、シオネがぼかしていたのだ。

 晴れていたはずの空はいつの間にか暗雲に包まれ、稲妻が激しい音と共に訪れる。
 えもいわれぬ寒気と恐怖が王都中を包み込み始めた。

 それは、その眼球だけでもナリィの全身を軽く越える大きさだった。
 真正面から、眼の奥まで、その姿を彼女の目は容赦なくその瞳に、心に焼き付ける。
 巨大な龍が華奢な彼女をギロリと鋭く睨みつけた。
 その鋭い眼光に耐えられる者などいない。
 なすすべもなく立ち尽くす彼女の前で、オーラの龍が容赦なくその大きな口を開ける。
 彼女の目の前いっぱいに広がる、生々しい口の中。燃えるような赤い舌。

 ディルクが咄嗟に額に輪を付け直したときには遅かった。

「イャアアアアァァアアーーーー!!」

 彼女の鋭い断末魔が、王宮の敷地全てに響き渡った。


「ナリィ!」

 ディルクは崩れる彼女の身体を咄嗟に抱きとめた。そのままそっと草の上に腰を下ろす。
 王都を包んでいた暗雲は、オーラを抑制した瞬間消え失せたが、彼女の大きく美しい瞳は宙を彷徨い、光を失い、涙が大量に流れ続けていた。
 少年の顔からすうっと血の気が失せ、冷や汗が全身を覆う。

「う、嘘……ナリィ! ナリィ、しっかりして! ごめん、ごめん、おれ……っ!」

 ぎゅうっと抱きしめ、涙を浮かべながら懸命に謝罪の言葉を繰り返すが、それでも全く反応がない。

 迂闊だった。全く予想すらできなかった。
 自分のオーラでこんなことになるなんてーーーー。


「ディルク! ナリィ!!」

 彼女を抱き抱えパニックに陥るディルクの元、真っ先に駆けつけたのはシオネだった。

「ばあ、ちゃん……!」

 師の姿を認めた瞬間、少年の瞳から涙が滝のように溢れかえった。
 普段滅多に見ないその愛弟子の涙に、シオネはそれ相応の大変なことだと気を引き締め、腕の中の最愛の孫に向き直る。

「ナリィ!」

 頬を包み込み、まっすぐに彼女の目を見て呼びかける。しかしその瞳にその姿は映らない。
 シオネは最悪の予感を振り払う様に、その頬を軽く叩きながら名前を何度も呼び続けた。

「ナリィ、ナリィ! しっかりおし!」

 すると、ピクッとナリィの口が僅かに動いたので、ディルクは慌ててその耳を近づける。

「……け、もの……ば、けも……の……、ばけ……」

 ーーーー化け物ーーーー

 壊れたラジオのように繰り返された、その途切れ途切れの言葉は、一瞬にして少年の純粋な心に、深く刻まれた。

「ディルク! 何があったんだい? ナリィは」

 師の鋭い質問に、グラグラに揺れていた少年の意識が一気に引き戻される。
 全身に残る震えを抑えながらディルクは辛うじて口を開いた。

「……額のサークレット……とって……ほんの、少しだけ……」
「サークレット? お前、その輪を外したのかい!?」

 シオネが思わず張り上げてしまった声に、少年は身体を震わせ、両手で頭を抱えて叫んだ。

「ご、ごめんなさい! 途中で……やめようとしたんだ! けど、けど……っ!」

 見ると、ナリィの手にはディルクの輪の宝石が一部握られている。

(ディルクの輪を外してみたかったのは……ナリィかい!!)

 ナリィを見返すと、突然彼女は痙攣を始め、その口から大量の泡が溢れ出した。
 シオネが慌てて気分を鎮める魔法など数種の術を試みるが、効果は感じられない。
 ディルクはもうなす術もなく、ただただ青ざめ、その場に立ち尽くしているしかなかった。


  ◇◆◇◆◇


 王都の医療施設に運ばれ、ナリィが目を覚ましたのはそれから三日後だった。
 ディルクは知らせを聞くや否や屋敷を飛び出し、全速力で施設へ向かう。

「ナリィ!」

 ノックも忘れて病室に飛び込むと、真っ直ぐ彼女に駆け寄った。
 瞳を開け、ベットに静かに座るその姿に、少年の瞳からまたもや涙が溢れそうになる。

「よかった、気がついて! 俺本当心配して……ナリィ?」

 ゾクッーー突如感じた途方もない違和感に、ディルクは背筋を凍らせた。
 目は開いているが、その視線は彼を見ていない。どこにも合っていない。
 薔薇色だった頬は青白く痩せこけ、生気が感じられず、その姿は幽霊のように透き通っていた。

「ナリィ、どう……したの?」

 そっとその頬に震える手を伸ばした。向こう側が透けて見える程オーラは弱々しいが、実体はあるしきちんと触れることも出来る。しかし反応はない。

 大好きだと、言って笑ってくれていたのはほんの三日前だ。
 今も息はしているし、脈も打っている。それなのに、あの優しい眼差しだけがどこにもない。

 ノックの音が聞こえた。
 扉が開き、シオネの姿がなければ、ディルクは自我を見失っていたかもしれない。

「ナリィ、目が覚めたって聞いたよ。具合はどうーーディルク?」

 真っ先に目に入った愛弟子の泣きそうな顔に、シオネは再び気を引き締めた。

「ばあちゃん……ナリィが……変だ……」

 彼女の目が平凡なら、ディルクのオーラが将軍くらいなら、そしてここまで身近でなければ起こらなかっただろう悲劇。

 彼女の心も精神も、あの日龍に喰われ跡形もなく崩壊し、二度と戻ることはなかった。
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