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前編
第二章 行き着いた世界-2
しおりを挟む彼女はぽんっと手を打ち、今度は一枚の大きな紙を持ってきた。
そこに書かれているのは何かの図形と記号、それに等高線だろうか。
少年はそれが何かに気づくと、奪い取るようにその紙ーー地図を取り凝視した。
「な……っ!?」
慌てて口を噤む。
(な……んじゃ、これはぁぁああああ!! 地図!? これ、地図なのか……っ!?)
マリエルはそんな彼とその地図を覗き込むと、右下の一点を指差して説明した。
「ここ、ここが今いるクアラル・シティ。クアラル・シティ」
下を指差し、名前を二度復唱する。
「クアラル・シティ……」
彼女のおかげで地名だということはわかる。しかし見たことのない文字に、聞いたことのない地名。
ディルクはくらくらと眩暈を感じた。
なんということだろう、本当にここは全く未知の別世界なのだと。
「で、ディルクは何処から来たの?」
くいっと少年に指を向ける。ディルクは困惑した。
質問がわからなかったからではない。彼の国がこの地図に対し、何処に位置するのかわからないからだ。
海の向こうなのか、空の上や地の反対側か、それとも時間や次元が違うのだろうか。
(俺、確か長距離移動の魔法に失敗して、どでかい結界にぶつかったんだよな……)
実はあの世ってやつなんじゃーーと、ディルクは思考を巡らせる。いやいや、それにしては傷が痛すぎる。そもそも、あの巨大な結界は何だったのかーーと。
(結界の構成的に次元や時空の作りではなかったから、単に弾かれて場所を移動してしまっただけな気がするけど
……ん、待てよ、どでかい結界ってまさか……!)
小さい頃から師に叩き込まれた知識の中から、ディルクは、ラクニアの更に西の荒野の果てに、世界の終わりの壁が存在することを思い出した。
それは遠目にもひたすらに大きくて頑丈な結界と、見えない壁。
そしてその先には、人々が立ち入ってはならない、残忍で凶暴で冷酷な科学の化け物が住む、暗黒の死の世界が広がっているという言い伝えがあった。
これは誰もが子供の頃に聞く話だ。
荒野にむやみに立ち入らないよう大人達が作った話かと思っていたが。
(残忍で凶暴、冷酷な科学の化け物……暗黒の死の世界……?)
助けてくれたと思われる中年の男もマリエルも、死の世界どころか普通に皆生き生きとしており、化け物などとは程遠い、見ず知らずの少年を慮ってくれる心優しい人達だ。
しかし科学ーーーーそれはディルクにとって全く未知の分野だった。
そもそも何が科学なのかがわからない。
とにかくこの言葉は不吉を意味しており、ラクニアでは犯罪者のことを言う。
(困ったな、本当に。せめて言葉がわかればいいんだけど……)
魔法で何かなかっただろうか考える。意思疎通をはかれるような魔法が。
そして動物との意思疎通なら、テレパシーの応用で出来た筈だと思い出す。
(試しにやってみるか……)
マリエルが少し困ったように席を外した隙に、少年はそっと呪文を唱えてみた。
「我が前にあるもの、言の葉の規制を外しその意通い合わせんーーーー通信感応」
「言葉がわからないだけ?」
「うん、そんな感じよ、叔父さん。でも自分の出身地もよくわからないみたい。孤児なのかしら?」
再び部屋に入ってきた二人の会話に耳を傾け集中すると、そんな意味がディルクの頭に入ってきた。
どうやら成功したようだ。
(動物だけじゃなく人間にも効くんだ、この魔法)
もっと研究の余地ありかもしれないなどと考えながら、大きく息を吸う。
「まさか、売られて来たとか……」
「いやいやマリエル、流石にそれは……」
「ち、違いますっ!」
突然の声に、二人は同時に少年の方を振り向いた。
ディルクは呼吸を整える。
この魔法は聞く方と伝える方で操る魔力の流れが違う。会話中は一瞬も気を抜けない。
「助けてくれてありがとう。俺はディルク。王都から来た」
「「王都?」」
少年の言葉もきちんと通じているようだ。
その事実にまずディルクはほっとした。そして同時に目の前の二人も話が出来そうで安心したのか、明らかに空気が柔らかくなっていく。
マリエルが続けた。
「また、遠くから来たのね。貴方は大怪我して、この診療所の前に倒れていたの。車にでも轢かれた? その時のことは覚えている?」
一拍。魔法の切り替え。このタイムラグをなるべく減らしたい。
「それがあんまり。気がついたら全身痛くてここに寝てた」
「衝撃ですぐに気を失ったのかもしれないな。一応警察に届けておこうかね」
「警察……?」
知らない言葉が混じり、ディルクは首を傾げた。
彼の国に警察はない。警備隊や守備隊の兵士のことだろうかと考える。
ディルクはさりげなく、新しい言葉と意味を心に留めた。
叔父が部屋を出て行くと、マリエルは少年の方を振り向き、にこりと笑った。
「保護者の方が見つかるまで、ゆっくりしていいよ。何か飲む? ココアでも入れようか」
一対一なら通信魔法も使いやすい。
「あ、ありがとうマリエル。ついでにいろいろ聞いていい? 今いつなのかな?」
「今日? 二の月十日よ。メルレーン暦三五一年」
「め……!」
(メルレーン……暦!?)
ディルクが王都にいた最後の記憶は、オスフォード暦二九〇年二の月八日。
拾われたのは昨日。
年はともかく、日付は合っている気がする。
(やっぱりここはラクニアの西の境界の向こう側……隣国……幻の、科学世界ってやつ、なのか?)
そして先ほどマリエルが持ってきた地図に目を落とす。
このクアラル・シティは地図の中でも隅の方に位置する。
左ーー西の方には様々な都市と思われる名前。そして右ーー東側はたった一文字と壁のような印。
「これ、この印、何?」
マリエルからココアのカップを受け取り礼を言うと、ディルクは地図を指差した。
「えっと……ああ、壁よ、世界の終わりの壁。聞いたことない?」
マリエルは自分用に淹れたお茶を一口飲むと、続けた。
「街の東の荒野の先に、この世界の終わりの壁があり、そこを越えると世にも恐ろしい悪魔や魔物の住む魔界が広がっている」
ぶふっと、ディルクは飲みかけたココアを吹き出しそうになった。
「は? 魔界? 悪魔??」
「ま、子供たちが勝手に行かないよう、大人達が作った与太話だと思うけど。不思議と皆その話を聞きつつ大人になるのよねー」
文化は興味深いわと、彼女はため息を吐く。
そして、その後の言葉が決定的だった。
「だって、悪魔とか魔物とか。そもそも魔法なんて存在する訳ないじゃない」
ドクンとディルク心臓が鳴る。鷲掴みにされたように、キュッと心が引き締まるのを少年は感じた。
科学世界ーーーーその意味するものを。
それは魔法の完全否定ーーーーここに魔法は存在しない。
ここは魔法を扱う彼の国ではない。自分はここにいるべき人間ではないのだーーと。
はるか昔、人々は皆共存して暮らしていました。
ところがいつしか、魔法を使う部族と科学を使う部族とで集まり、軍が出来、その文化や考え方の違いから、互いに領土を争うようになりました。
魔法を使う者達は魔法で、科学を使う者達はその科学技術でもってそれに対抗し、両者ともたくさんの犠牲をだしていきました。
戦いは長いこと続きましたが、なかなか決着がつきません。
追い詰められた両国の国王は土地をきっかり半分に分け、その境界に結界や壁を幾重にも張り、休戦条約を結びました。
それから数百年の時が経ちーーーー。
(本当に、あったんだ……そんな国が……世界が。こんな近くに!)
思えば境界の壁を隔てただけだ。ただの隣国なのだ。
そのたった数キロの差で、こんな全く人種や文化の異なった世界が存在したのだ。
ディルクは再びぶるっとその身体を震わせた。
鼓動がどんどん速くなる。気分が高潮していく。
彼の知らない世界。魔法が、常識が、全く通用しない、ここは別の世界ーー。
(面白いじゃないかーー!!)
少年は拳を握りしめ、叫びそうになる心を必死に抑えた。
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