上 下
4 / 64
前編

第二章 行き着いた世界-2

しおりを挟む
 
 彼女はぽんっと手を打ち、今度は一枚の大きな紙を持ってきた。
 そこに書かれているのは何かの図形と記号、それに等高線だろうか。
 少年はそれが何かに気づくと、奪い取るようにその紙ーー地図を取り凝視した。

「な……っ!?」

 慌てて口を噤む。

(な……んじゃ、これはぁぁああああ!! 地図!? これ、地図なのか……っ!?)

 マリエルはそんな彼とその地図を覗き込むと、右下の一点を指差して説明した。

「ここ、ここが今いるクアラル・シティ。クアラル・シティ」

 下を指差し、名前を二度復唱する。

「クアラル・シティ……」

 彼女のおかげで地名だということはわかる。しかし見たことのない文字に、聞いたことのない地名。
 ディルクはくらくらと眩暈を感じた。
 なんということだろう、本当にここは全く未知の別世界なのだと。

「で、ディルクは何処から来たの?」

 くいっと少年に指を向ける。ディルクは困惑した。
 質問がわからなかったからではない。彼の国がこの地図に対し、何処に位置するのかわからないからだ。
 海の向こうなのか、空の上や地の反対側か、それとも時間や次元が違うのだろうか。

(俺、確か長距離移動の魔法に失敗して、どでかい結界にぶつかったんだよな……)

 実はあの世ってやつなんじゃーーと、ディルクは思考を巡らせる。いやいや、それにしては傷が痛すぎる。そもそも、あの巨大な結界は何だったのかーーと。

(結界の構成的に次元や時空の作りではなかったから、単に弾かれて場所を移動してしまっただけな気がするけど
……ん、待てよ、どでかい結界ってまさか……!)

 小さい頃から師に叩き込まれた知識の中から、ディルクは、ラクニアの更に西の荒野の果てに、世界の終わりの壁が存在することを思い出した。
 それは遠目にもひたすらに大きくて頑丈な結界と、見えない壁。
 そしてその先には、人々が立ち入ってはならない、残忍で凶暴で冷酷な科学の化け物が住む、暗黒の死の世界が広がっているという言い伝えがあった。
 これは誰もが子供の頃に聞く話だ。
 荒野にむやみに立ち入らないよう大人達が作った話かと思っていたが。

(残忍で凶暴、冷酷な科学の化け物……暗黒の死の世界……?)

 助けてくれたと思われる中年の男もマリエルも、死の世界どころか普通に皆生き生きとしており、化け物などとは程遠い、見ず知らずの少年を慮ってくれる心優しい人達だ。

 しかし科学ーーーーそれはディルクにとって全く未知の分野だった。
 そもそも何が科学なのかがわからない。
 とにかくこの言葉は不吉を意味しており、ラクニアでは犯罪者のことを言う。

(困ったな、本当に。せめて言葉がわかればいいんだけど……)

 魔法で何かなかっただろうか考える。意思疎通をはかれるような魔法が。
 そして動物との意思疎通なら、テレパシーの応用で出来た筈だと思い出す。

(試しにやってみるか……)

 マリエルが少し困ったように席を外した隙に、少年はそっと呪文を唱えてみた。

「我が前にあるもの、言の葉の規制を外しその意通い合わせんーーーー通信感応デクリプト



「言葉がわからないだけ?」
「うん、そんな感じよ、叔父さん。でも自分の出身地もよくわからないみたい。孤児なのかしら?」

 再び部屋に入ってきた二人の会話に耳を傾け集中すると、そんな意味がディルクの頭に入ってきた。
 どうやら成功したようだ。

(動物だけじゃなく人間にも効くんだ、この魔法)

 もっと研究の余地ありかもしれないなどと考えながら、大きく息を吸う。

「まさか、売られて来たとか……」
「いやいやマリエル、流石にそれは……」
「ち、違いますっ!」

 突然の声に、二人は同時に少年の方を振り向いた。

 ディルクは呼吸を整える。
 この魔法は聞く方と伝える方で操る魔力の流れが違う。会話中は一瞬も気を抜けない。

「助けてくれてありがとう。俺はディルク。王都から来た」
「「王都?」」

 少年の言葉もきちんと通じているようだ。
 その事実にまずディルクはほっとした。そして同時に目の前の二人も話が出来そうで安心したのか、明らかに空気が柔らかくなっていく。
 マリエルが続けた。

「また、遠くから来たのね。貴方は大怪我して、この診療所の前に倒れていたの。車にでも轢かれた? その時のことは覚えている?」

 一拍。魔法の切り替え。このタイムラグをなるべく減らしたい。

「それがあんまり。気がついたら全身痛くてここに寝てた」
「衝撃ですぐに気を失ったのかもしれないな。一応警察に届けておこうかね」
「警察……?」

 知らない言葉が混じり、ディルクは首を傾げた。
 彼の国に警察はない。警備隊や守備隊の兵士のことだろうかと考える。
 ディルクはさりげなく、新しい言葉と意味を心に留めた。


 叔父が部屋を出て行くと、マリエルは少年の方を振り向き、にこりと笑った。

「保護者の方が見つかるまで、ゆっくりしていいよ。何か飲む? ココアでも入れようか」

 一対一なら通信魔法も使いやすい。

「あ、ありがとうマリエル。ついでにいろいろ聞いていい? 今いつなのかな?」
「今日? 二の月十日よ。メルレーン暦三五一年」
「め……!」

(メルレーン……暦!?)

 ディルクが王都にいた最後の記憶は、オスフォード暦二九〇年二の月八日。
 拾われたのは昨日。
 年はともかく、日付は合っている気がする。

(やっぱりここはラクニアの西の境界の向こう側……隣国……幻の、科学世界ってやつ、なのか?)

 そして先ほどマリエルが持ってきた地図に目を落とす。
 このクアラル・シティは地図の中でも隅の方に位置する。
 左ーー西の方には様々な都市と思われる名前。そして右ーー東側はたった一文字と壁のような印。

「これ、この印、何?」

 マリエルからココアのカップを受け取り礼を言うと、ディルクは地図を指差した。

「えっと……ああ、壁よ、世界の終わりの壁。聞いたことない?」

 マリエルは自分用に淹れたお茶を一口飲むと、続けた。

「街の東の荒野の先に、この世界の終わりの壁があり、そこを越えると世にも恐ろしい悪魔や魔物の住む魔界が広がっている」

 ぶふっと、ディルクは飲みかけたココアを吹き出しそうになった。

「は? 魔界? 悪魔??」
「ま、子供たちが勝手に行かないよう、大人達が作った与太話だと思うけど。不思議と皆その話を聞きつつ大人になるのよねー」

 文化は興味深いわと、彼女はため息を吐く。
 そして、その後の言葉が決定的だった。

「だって、悪魔とか魔物とか。そもそも魔法なんて存在する訳ないじゃない」

 ドクンとディルク心臓が鳴る。鷲掴みにされたように、キュッと心が引き締まるのを少年は感じた。

 科学世界ーーーーその意味するものを。
 それは魔法の完全否定ーーーーここに魔法は存在しない。
 ここは魔法を扱う彼の国ではない。自分はここにいるべき人間ではないのだーーと。



 はるか昔、人々は皆共存して暮らしていました。
 ところがいつしか、魔法を使う部族と科学を使う部族とで集まり、軍が出来、その文化や考え方の違いから、互いに領土を争うようになりました。
 魔法を使う者達は魔法で、科学を使う者達はその科学技術でもってそれに対抗し、両者ともたくさんの犠牲をだしていきました。
 戦いは長いこと続きましたが、なかなか決着がつきません。
 追い詰められた両国の国王は土地をきっかり半分に分け、その境界に結界や壁を幾重にも張り、休戦条約を結びました。
 それから数百年の時が経ちーーーー。



(本当に、あったんだ……そんな国が……世界が。こんな近くに!)

 思えば境界の壁を隔てただけだ。ただの隣国なのだ。
 そのたった数キロの差で、こんな全く人種や文化の異なった世界が存在したのだ。

 ディルクは再びぶるっとその身体を震わせた。
 鼓動がどんどん速くなる。気分が高潮していく。
 彼の知らない世界。魔法が、常識が、全く通用しない、ここは別の世界ーー。

(面白いじゃないかーー!!)

 少年は拳を握りしめ、叫びそうになる心を必死に抑えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結

処理中です...