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或る老人のはなし。
しおりを挟む"自身が死ぬとき、何を思いながら死ぬのだろうか"
そんなことを思ったのは、私の病が発覚した10年前のことだった。
私はそれなりに裕福な暮らしをしていた。
仕事も自分なりに真面目に働き、妻と結婚し、子供にも恵まれた。自分でもそれなりに順風満帆な人生だった。
だから、きっと家族に想いを馳せながら命を終えるのだろうと思っていた。
今この瞬間想うのは、もうずっと会っていない"彼女"のことだった。
******
私は今の妻と一緒になる前は、別の女性を想っていた。
道に迷っていた彼女を案内する間に、互いの趣味があい、何より心地よく感じていた。それを彼女も同様に考えていたらしく、自然と次に会う約束を取り付けていた。
そうして何回かの会瀬を重ねるうちに、いつしか私達の関係は、赤の他人から恋人へと変わっていった。
恋人となり、いくつかの季節が巡った頃、私は彼女に結婚を申し込み、両親に紹介することとなった。
それが、彼女との別れの始まりであった。
彼女は早くに父親を亡くしており、母親と二人で暮らしていた。傍目から見ても裕福とはいえない暮らしだったそうだが、彼女はいつも朗らかに笑っていた。
私はそんな彼女に好感を持てていたのだが、両親は違ったらしい。
両親は「家格が違うからやめておきなさい」という旨のことを毎日言葉を変えて言うようになった。
それでも私は彼女と別れる気はなかった。
私は彼女とどうしたら結婚できるのかばかり考えた。肝心の彼女のことは何も見えていなかった。
そして、彼女は突然、私の目の前からいなくなったのだ。
理由はわからなかった。ある日突然、彼女の家はもぬけの殻で、どこを探しても彼女を見つけることはできなかった。彼女がいなくなってからしばらくは、私は生きる気力を失くした。部屋に引きこもり、ただ月日が流れるのを見送るばかりだった。
彼女と見た美しい夕日も、美しい華も。
一人だと何も感じることができなかった。
それでも時間というものは、いつしか私の中の"彼女"という偶像を薄れさせてくれた。徐々に私は外に出かけるようになり、彼女と行った場所に赴いても、心が痛むことはなくなっていた。
彼女が思い出になっていったとき、両親が私に婚約者を用意した。その婚約者は控えめな性格で、気遣いができ、何より家格があっていた。思うところが何もないわけではなかったが、今さら思っても仕方ないし、今では断る理由がない。
私は婚約者を受け入れ、結婚した。
大きな衝突もなく、子宝にも恵まれたのだから、順風満帆であった。
そんな中、思いがけないところで、私は"彼女"がいなくなった理由を知った。
私が結婚後、両親は他界した。
遺品の整理をしていたら、母親の日記を見つけた。そして、私は知ってしまったのだ。彼女がいなくなったのは、私の両親のせいだということに。
彼女の家柄を気に入らなかった両親は、彼女に大金を渡し、「息子とは縁を切ってほしい」と頼んだ。彼女は最初は断ったものの、「うちは名家で、息子はゆくゆくは当主になる。貴方は気立てはいいが、それだけでは息子を支えることはできない」と父が告げると、彼女は「わかりました」と了承を示したそうだ。
日記には彼女に対する懺悔の言葉が続いていたが、私は何ともいえない気持ちになった。
怒りをぶつけたくても、両親はもういない。
子供がいるのに、今さら妻と別れるなんてできない。何より妻には何も非がない。
私は机を叩きつけ、項垂れることしかできなかった。
******
結局日記は見なかったことにした。
妻にも日記のことを告げることはしなかった。
私が病に患ってからも、献身的に支えてくれた妻。妻には感謝しかない。
でも今になって、どうしても彼女のことばかり思い出してしまう。そこで私は気づいた。
ああ、私は今でも彼女のことを愛しているのだな――――。
こんな感情は尽くしてくれた妻への裏切りだ。
でも心はいうことを聞かない。
私は枕元にいるだろう妻に顔を向ける。今はもう何も見えない。言葉にしようとしても、今では口を動かすのも難しい。
察した妻が私の口元に耳を寄せた。
「ぁ、りが、とう…。めん、な…」
不甲斐ない私に尽くしてくれて、ありがとう。
愛することができなくて、ごめんな。
ぽたぽたと、自分の顔に雫が落ちるのを感じる。
妻は今、何を思っているだろうか。
…最期に一度だけでも、彼女に会いたかったな。
私の意識は、どんどん遠ざかっていった。
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