君との約束

ホタル

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4話

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 「はいっ、今日もごちそうさまでした」
 私は口から彼女の指を離して、手を合わせながらそう言った。その後すぐにポケットから絆創膏を取り出し、止血をする。彼女ももう慣れたものなのか、動じることなく空いている右手で私の髪を撫でていた。その慈しむような手つきが心地よく、もうちょっと撫でられていたいがために私はわざと絆創膏をゆっくり巻いた。
 少し前屈みだった姿勢を正す。背中をグッーと伸ばすと、ポキポキと骨が鳴る。その小気味よい音に、思いの外長時間指を舐めていたのだなと実感した。
 いつの間にか私にとっての吸血は、食事以上の意味を帯びていた。
 それは愛撫のようなものだった。
 内から溢れる彼女への愛情を表現するための手段。
 そして大切な彼女を味わえるという喜びを伝達するための行為。
 私にとって吸血鬼であることを隠さなくていい、吸血衝動を我慢しなくていい彼女は、紛れもなく「特別」な存在だった。そしてそれは食料という意味合いにおいての話だけではなかった。
 彼女と唇を触れ合わせたい。
 いつの日からか、私はそう思うようになっていた。この気持ちが何であるかぐらいは私にも見当はつく。認めるのだって別に怖くはなかった。でも、踏み込めない。
 彼女には好きな人がいる。同じクラスの男子だそうだ。今だって
 「もう十二月かあ。彼とは何か進展あったの?」
 私が話を振ると、どうでもいいですって顔で、
 「先輩、何度も言っているじゃないですか。私が誰かを好きになることはあっても、私が誰かに好かれることはありませんよ。だから、進展なんかないです」
なんて、澄まして言うのだ。言葉の端々に甘酸っぱさをふんだんに詰め込んでおきながら、自分とは無関係な話題ですとでも主張するように、彼女はぶっきらぼうに回答する。そういう彼女を愛おしいと思った。
 風が吹く。冬本番と思わせるような、さっきよりも冷たい風。身体から熱が奪われて、身を縮こまらせる。
 もっと、熱が欲しい。彼女の方を見ながら、そう思う。
 「私は君のこと、好きだよ…」
 やや熱っぽい口調で、そう呟いた。「えっ?」とこっちを見てきた彼女の顔に私もまた顔をゆっくりと近づける。いつもよりも彼女の瞳が大きく映る。
 「今日は特別寒いから、ちょっとデザートが欲しい」
 彼女の顎に右手を添えて固定し、私は更に彼女との距離を縮める。左手で彼女の右手に触れ、その熱を感じる。温かくて、気持ちいい。胸の中のモヤッとした感情がスルスルとほどけていく。
 「先……輩?」
 「ちょっとだけ、オマケをもらうね」
 「えっ、えっ?!」
 何をしようとしているのか、ようやく彼女も理解したようだがすでに遅い。階段の幅はそう広くないので、彼女には退路なんてない。身を仰け反らせるもすぐに壁に背中をくっつけた彼女を見下ろすようにしながら、私は彼女と口づけを交わそうとする。
 濡れた瞳が写る。その美しさに、激しく胸を打たれた。綺麗だと、一言そう思う。夜の海のような魅力だった。深く、深く取り込まれていくのを自覚する。
 その潤んだ瞳で上目遣いなどするので、彼女の目は上から注ぐ日の光を反射してわずかに輝きを帯びる。今度はその光が夜空に瞬く星々に見えた。白く煌めくその様子に、綺麗だなと、また思う。
 海と星。
 彼女の瞳は、夜の浜辺を体現したような美しさだった。暗い世界を輝かせる明かりと、それを受けて静かにたゆたう波打ち際を凝縮した美麗。一つの世界を内包したその美しさに、私はほんの少しの間だけ見惚れていた。
 いよいよ唇がぶつかるなというところでまで接近して、そこで彼女は目をギュッと瞑った。初めて私が彼女の血を舐めた時と同じような、得体のしれないものを必死に受け入れようとするような健気な姿勢に、私は更に愛らしさを感じる。
 あと数センチ足らずで彼女に、その熱と柔らかさに届く。その事実を今更ながらに実感する。
 だとしたら、私は……。
 私もまた目を瞑り、そして彼女の唇に私の唇をゆっくりと近づけた。

 唇が何かに触れる感触を味わって、彼女は驚いたように目をパチクリとさせた。それもまあそうだろう。触れたものは大して柔らかくないし、フニフニもしていない。むしろ少し、骨のような硬質さを帯びていた。
 「えっと、これは一体……」
 「…今更ながらの誓いの印だよ。私と君の、私たちだけの秘密の関係を守り続けるっていう、そういう証」
 彼女はもう一度瞼をパチクリと動かして、今唇に触れているものを見つめた。それは私の人差し指だった。端的に状況を説明すると、私と彼女の二人が私の人差し指に口づけしているわけだ。
 「まさか、本当にキスして吸血すると思った?そんなことしないよ。いつも貰っている方法と量で十分満足だから」
 「ア…ハハハ。ですよね。あんまりにも真剣な顔つきだったもので、ちょっとびっくりしちゃいました」
 彼女と距離を取ってから、からかうような口調で言うと彼女はやや戸惑いながらも笑って言葉を返した。戻した身体の位置は、いつもより遠い気がした。距離感が、掴めない。
 「でも、あんまり自分を卑下しすぎない方がいいよ。少なくとも私は、君がいてくれて良かったと思っているからね」
 私は彼女と顔を合わせないために、立ち上がりながらそう言った。これなら多少声が震えても、運動のせいだと言い訳が出来る。
 「私は、先輩のことを利用しているだけですよ…。皆が知らない先輩を私だけが知っているっていう優越感を味わうために、先輩の隣にいるんです」
 彼女の声が聞こえる。でも遠い。それもただ遠いんじゃない。住まう世界がそもそもとして違うような、私と彼女の間に薄い膜の仕切りがあって、それが境界線の役割を果たしているような、そんな遠さ。手を伸ばせば届く位置にいるはずなのに、私にはまるで触れられる気がしない。
 「たとえそうだとしても、それは君の都合。私には私の都合があるんだよ」
 とりあえず、それだけ伝えた。本音だったはずなのに、不明瞭だ。朧気で、曖昧で、見えているはずなのに、分からない。
 今はただ、この場から離れたかった。
 「私はちょっと、自販機に行ってくるね。もうお昼も終わるから、君は先に戻っていていいよ」
 弁当箱を持って、返事を待たずに私は階段をおり始めた。急く足で踏み外しそうになりながら、速度を落とさないように気を付ける。おり切って、そのままの勢いで地面を蹴った。
 「また来週!」
 背中から、彼女の声が聞こえた。だけど私には、それに返す言葉は見当たらなかった。
 また来週、か。
 果たして私にまた来週、彼女と会う資格があるのだろうか。
 今の私がそんなモノを、持ち合わせているのだろうか。
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