青春を終えた夏

ホタル

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 「……って、佐藤さん大丈夫?」
 虚ろな思考に身を投じていたら、隣から不意に声が聞こえた。気遣わし気なその声音に引かれて意識は上昇し、水面からしぶきを上げて顔を出す。泡が弾けたような感覚を伴って、私はゆっくりと自分の立ち位置を確認した。
 場所は自宅から四駅分離れた地下鉄の駅で、時刻は夕暮れ時の一八時過ぎ。着ている服は白地のTシャツと短めのジーンズで、他に持ち物は貴重品やら化粧品やらを詰めたポーチだけ。気合を入れない普段着を着た私の隣にいるのは、
 「大丈夫?もしかして、具合悪いとか?夏風邪か、あるいは熱中症かも?」
 「……大丈夫だよ、山本君。ただちょっと眠いだけだから」
 そう断った今現在私の隣にいる男性は、大学の知り合いである山本君だった。私の返事に「それならいいけど」と呟く声は幼さを残していて少し高い。童顔な上に背も私より数センチ高い程度なので、少し背の高い中学生ぐらいの印象だ。
 「僕、ミンティア持ってるんだけど、一粒食べる?」
 そういう山本君の右手には、青いパッケージが握られている。ありがたく頂戴することにして、一粒口に含んだ。清涼感と痛覚が舌の上で踊って、眠気が徐々に晴れていく。ついでに息を吸うたびに口内が冷えていく感じが心地よかった。
 「ありがとね山本君。おかげで目、覚めて来た」
 私のお礼に彼は照れたように笑う。
 「シンジでいいよ。それにミンティアに関しても。むしろ今日はわざわざありがとうね」
 浮かんだ微笑は無邪気な少年と柔和な青年のちょうど中間。彼が纏う空気は良い意味であまり「男」を感じさせない。荒々しさや雄々しさとはかけ離れた流線形だ。触れても痛くないから、近くにいるのに抵抗を感じない。
 山本君との出会いは今から遡ること四ヵ月、年度の始まり春うらら、私が大学に入学した四月の事だ。といっても別に特別なモノではない。サークルの新歓でよく顔を合わせたというだけの平凡でありきたりな結びつき。同じ学部だったから話下手な私でも話題に事欠かなかったというのも大きいかもしれない。
 いずれにせよ、特筆すべきこともない平々凡々な関係性。
 会えば話すけど、話すために会おうとはしない薄っぺらな友情。
 顔と名前とちょっとの趣味しか知らないような生産性微弱な付き合い。
 それでも穏やかにつつがなく、滞りもなく結んだ縁は続いていく。わざわざ絶つのもめんどくさいし、楽であるのもまた事実だ。お互いを必要条件にせず、あくまで余剰の部分として付き合いを楽しむ。そういう距離感は私としても嫌いじゃなかった。
 舌先でタブレット菓子を弄びながら、私は隣に佇む彼を盗み見る。スマホで例の人からの連絡を確認しているようだった。その顔には、クゥンとか鳴いていそうな子犬の表情があった。
 「……連絡、まだ取れてないの?」
 「うん……ホントごめんね、佐藤さん。ミサト姉、いつもはここまでルーズじゃないんだけど」
 「私は別にいいんだけど…こうなってくるとむしろ事故事件の可能性が不安じゃない?」
 私がそう答えると、彼は「うーんそれは大丈夫だと思うんだけど」と思案顔。どうやら美里さん自体に対してはさして心配していないらしい。それが果たして信頼なのか、それとも呆れのようなものなのか、私にはイマイチ判断できなかった。
 「ミサト姉ってば、一方的に案内頼むわ無茶振りするわでやりたい放題やっておきながら、その上遅刻するとか……ちょっと立派な大人としてどうかと思うんだけど」
 山本君が愚痴るように呟き、ため息を漏らした。彼にしては珍しくその言葉に微かな怒気が含まれている。遅刻はよくないよなあとしみじみ思いながら時計を確認すると、長針は四の字を指していた。待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。
 「でも美里さんって人、かなりの変わり者だよね。何だって山本君にあんなことお願いしたんだか……」
 「あの人の考えることなんて僕らには分かんないって……。無軌道なんだから、予想しようとすること自体が筋違いなんだよ」
 山本君はそう言ってからもう一回ため息をつく。他人の私には図りえないことだが、何となくそれだけではないような気がした。まあ、だからと言って何を考えているかなんて、私に分かるはずもないんだけど。
 考えながら、彼から数日前に持ちかけられた話を思い返す。それは少し不可思議な、イマイチ要領を得ない話だった。
 前述の通り、私と山本君との関係性は基本的に非常に薄い。薄く淡く、ともすれば一瞬で空中分解して全て無かったことになりそうな結びつきだ。
 そんな私に彼から連絡が入ったのが三日前、大学の長い長い夏休みに入って数日経ってからのこと。送られてきたメッセージの内容はそこはかとない遠慮と申し訳なさに彩られ随分と長くなっていたが、ざっくり要約すると、
 一、美里さんという年上の従妹が現在遊びに来ている。
 二、その美里さんと言う人に今度近所で催される祭りの案内を頼まれてしまった。
 三、美里さんは山本君に女子の友達一名をその祭りに誘うことを強要してきた。
 ……こうして纏めてみるとやはり三だけ際立って異質な気がするが、実際に送られてきた文面から察するにこういうことらしい。そしてその女子一名の枠に私がお呼ばれしたというわけである。
 正直なところ「何故に私?」という疑問はある。けれど断る理由もなかった。と言うか、文面からひしひしと伝わる「こんな面倒なことに巻き込もうとしてしまって申し訳ございません」感があまりに悲壮で、同情してしまった。ヤンキーだって雨に濡れる子犬を助けるのだ。況や情人たる私をや、と言う話である。
 了承の返事を送った時、具体的な予定と共に彼が見せた反応もまたすごかったので、一体どんな強者と相まみえるのやらと思っていたわけだが……なるほど、まさか顔すら見せないとは。彼が腰を低くしてお願いしてくるのにも合点がいった。
 まあそんなわけで、こんな風に、私と山本君は未だ姿の片鱗さえ見せようとしない美里さんの到来を待ってこの寂れた駅にいるわけである。
 改めて整理して、ふぅと息を吐いた。眠気故か、こうして意識的に思い返さないとどんどん記憶がぼやけていく。昨日の晩ご飯や今日の朝ご飯を思い出せなくなるのに感覚的には似ていた。風景は浮かぶのに、輪郭が上手く定まらない。寝ぼけ眼で眺めた世界のような、奇妙な曖昧さがそこにはあった。
 「佐藤さんは?夏休み、どんな感じで過ごしてるの?」
 山本君が不意に訊いてくる。問われて思い返して、ここ最近の行動をそのまま話した。
 「普通だよ。起きて本読んでマンガ読んでゲームして映画見てお風呂浴びて寝て…みたいな。今日はお呼ばれしたからこうして外に出てるけど」
 あっけらかんと話す私に、少々戸惑った様子を見せる彼。引いているというより、単純に疑問に思っているという感じだ。
 「えっ…と……それって普通?」
 「私の中では、まあわりと」
 言いながら、これはどうだろうかと私も思った。流石に自分のライフスタイルが他の人と乖離していることぐらいは認知している。ついでにその異常性がちょっと周囲の人に心配されるレベルであるということも。
 世界が閉じているというか、内向きであるというか。
 いずれにせよ、狭い。
 心の器が狭量だから、他人との関わりがなくても娯楽を味わえば十分満たされる。
 直接誰かと関わらなくても、その残滓に触れれば満足してしまうのだった。
 私の答えを聞いた山本君は未だ黙している。生み出してしまった沈黙がいたたまれず、足元を見つめた。失敗したかなと少し後悔する。もっと無難で適当なことを言って、会話を回すために上手く誤魔化すべきだった。真実と嘘を織り交ぜて話すことの意味と意義を知っていながらそれをしないのは怠慢だ。その罪から逃げるように、苦笑交じりに呟いた。
 「あぁ……なんかごめん。リアクション取りづらかったね」
 申し訳ないことをしたなと素直に反省。もっともそれをほとんど活かせていないからこうなっているのだと思うと、自分の無能さにホトホト呆れた。そこでさらに嫌気がささない辺り、なんだかなという感じだ。
 目線を上げて、山本君を見る。あの子犬のような困った顔でもしているのだろうと思っていると、
 「ああいや、リアクション取りづらかったとかじゃないんだ。単純に齟齬って言うか、違和感があったから。それがちょっと気になって」
 彼は右手を横に振りながら、曇りのない笑顔で言った。その反応に、今度は私が言葉を失う。確かに彼とはお互いの趣味の話も多少しているが、こうもあっさりと受け入れられると逆に身体に漲らせていた力が行き場を失ってむず痒い。独り相撲に羞恥が沸いて、また顔を逸らしたくなった。黙っていたくなくて、勢い任せに言葉を重ねる。
 「違和感が気になったって言ってたけど、それ何?私インドア派だって言ってなかった?」
 私の言葉に山本君は首肯する。その上で、真面目な顔をして話し始める。
 「佐藤さん、中高はテニス部だったって言ってたよね。幽霊部員ってわけでもなさそうだったから、てっきり身体動かすのも好きなインドア派なのかと思ってたんだ。でも今の話からは全然そういう気配が感じられなかった。そこが、ちょっとね……」
 歯切れ悪く、彼はそこで言葉を区切る。さっきより、今の方が困った子犬の顔をしていた。その理由を知りながら、しかし私は彼への回答よりも過去の回想に惹かれていく。
 響くのは、快活な声。
 レイ!手を抜いちゃダーメ!
 私を引っ張る白い手と、短めに整えられた黒い髪と、そして太陽のように眩しい笑み。
 いい加減にやったり、中途半端になったりするのが、一番格好悪いんだから!
 夏の日差し、澄み渡る青空、風に舞う砂埃、野球部の雄叫び、木々のざわめき、汚れたボール、数滴分濡れた地面、ぐしょぐしょのウェア、張り付く質感。
 懐かしいものが、ありありと現実に浮かぶ。
 目を閉じずとも、やすやすと世界に現れる。
 触れられないのに、どうしてこんなに近くにあるのだろう。
 もう動かないのに、どうしてこんなに生き生きとしているのだろう。
 その答えが分からないから、あるいは分かり切っているから、自然気持ちは沈みゆく。体温さえも一瞬で奪われて、発した声は自分でもびっくりするほど生気がなかった。
 「……別に、身体を動かすのは好きでも嫌いでもないよ。自分からはわざわざしないけどね」
 言ってすぐにやらかしたなと後悔する。そこから遅れて、大学に入ってからの数少ない友人を一人失ってしまったのだと漠然と理解した。
 今度こそ、紛れもない失敗。
 取り返しのつかない、リカバリーの利かない失態。
 いつまで経っても中身はお子ちゃまで、そういう自分を見るとひどく憂鬱になる。
 視界の隅に山本君を捉えると、ひどく申し訳なさそうにしている顔が写る。その顔を見て、私も罪悪感に囚われる。悪循環だ。抜け出せないのに、廻れば廻るほど空気は粘度と重度を増していく。空気が読めないから、こういう結果ばかりを招く。
 きっと、それすらも怠け者の言い訳に過ぎないのだけど。
 「……そういう山本君は、どういう夏休みを過ごしてるの?サークル?バイト?それとも、私が前に話した映画でも見てる?」
 とりあえず、差し当たって、今日一日ぐらいは円満でありたい。そう思って、私は無理に気持ちを一段階押し上げて山本君に訊いた。彼はその質問を予想していなかったのか、ひどく慌てた素振りで「えっと、それは」とまごつく。そのあたふた具合に冷めた心がさらに温度を失って、間違えたなと心でため息をついた。「間違えたな」は、「面倒だな」だったかもしれない。
 もう、いいだろうか。
 このままいても、このまま続けても、少なくとも今日はどちらも幸せにならない。
 前言撤回、意志薄弱。
 無理をして勝ち取るモノは、きっと本物の幸福ではないからと。
 そう、誰かに言い訳して。
 「…山本君、私やっぱり今日体調悪

 「シンジはねー、基本家に引きこもってエロ漫画読んでるんだよー」

 遮るように後ろから届いたのは高らかな声、と手。左肩に腕がニョキッと回されて、温かな重みが少し寄りかかる。
 怪訝に思って首を振ると、美人の顔。
 目と鼻の距離と言うか、目と目が合う距離に。
 快活な、奔放そうな、けれどビューティーと言う呼称が相応しい、眼鏡をかけた美人の顔が。
 「ちゃろー。君がシンジのお友達?どもども。いやーやっぱ十代って素晴らしいね。たった数歳とは言え大きな、絶対に踏み越えられない隔たりを感じるよ、しみじみと。身に沁みるな、しみじみだけに。しかしこうなってくると若さを武器に出来るのがあと何年なのか、真剣に本格的に考え始めないといけないねえ。あぁやだやだ、大人になんてなりたくない!けど子供にだって戻りたくない!大人も子供もそれなりに制限や制約があって、その中で生きていくしかないって考えると、人生ってどうあっても生きづらいなとしみじみ思っちゃうよね。骨身に沁みるよ。あ、これもう言ったな。というか、そんな話題はどうでもいいな。いやどうでもよくはないけど、初対面の初会話には相応しくないもんね。うん、よし。切り替えろ私。ちゃんとエンジンを入れて、最初からフルスロットルだ。キレのいいトークと、いい味のツッコみでシャイなガールのハートをサクッと鷲掴みだ。イェイイェイ初めましてー。どうも私は」
 機関銃のように喋り始めた。と言うか、まくし立て始めた。
 あまりの出来事に茫然として、思考が全然働かない。何言ってるのとか全然上手い事言えてないなとかその気持ちちょっと分かるかもしれないとか色々と質問感想のお便りがどしどし脳内に届くわけだが、しかし、それら全てよりも強烈な存在感を誇る問いが一つ。
 まず、この人、誰?
 「ちょっ、ミサト姉!佐藤さんビックリしてるから。一旦離れて離れて」
 山本君の慌てふためく声がする。そこでようやく理解した。
 「何だよシンジー。女の子相手に性癖バレて恥ずかしいのかー?安心しろ、私はエロ漫画嫌いじゃないぞ」
 「誰もそこの心配してないから!それから僕、普段ちゃんとバイトとサークルに行ってるから!」
 あぁ、山本君。君はちゃんと対外的な活動を行っているんだ。
 と言うのはまあ、冗談として。
 遅まきながら、思考と理解が重なり合って。
 「ちぇっ、つまんねーの。童貞のくせに」
 そう言いながら私から離れて、正面に回り込んだ人が誰であるのかを飲み込んだ。
 「改めまして、私は山本美里。こっちのシンジの従妹で、今年二十二歳。来年の春から大学院生なの。兎にも角にも、今日はよろしくね、えっと……」
 視線を向けられて意図を察する。つっかえそうになりながらも、言葉を押し出した。
 「佐藤礼です。山本君と同い年で、学部も同じです。ああその…こちらこそ、今日はよろしくお願いします」
 ぺこりと軽めに頭を下げる。戻しながら改めて全身を見回すと、その美しさに不覚にも感動してしまった。
 女性にしては長身で、身体つきもほっそりとしているためやや縦に長い印象を受ける。けれど決して針金体型ではなく、均整の取れた美しいバランスだ。スラッと長い美脚を惜しげもなく炎天下に晒し、上もパンクなへそ出しスタイルで肌色が眩しい。適度に引き締まった腹筋と、対照的な胸の隆起。曲線美を十分すぎるほどに描いて、ついに美貌に到達する。整った目鼻立ちは適切な三角形を作り、フレームが薄めの眼鏡が全体の理知的な印象を強める。髪は肩口にも届かない程度のショートで、茶髪がかっているのかよく光に映えていた。
 一言で表せば、キレイな人。修飾語は無限に付けられそうだが、第一印象は結局そこに収まってしまうのだった。
 「へえー礼ちゃんね。うん!よろしく。私のことは気軽に、お姉ちゃんとかミサチンと呼んでくれていいから」
 「は、はあ」
 見た目の美麗さと中身の軽薄さがどうにも釣り合わない。瑕ではないが、果たしてこれは美点なのだろうか。
 疑問に思っていたら、その美里さんにジロジロと見つめられていることに気づく。隠すつもりもないように私の顔をしげしげと眺めていて、当たり前のように当惑した。今更ながら色々な感覚が戻ってきて、現実の熱が私を焼く。その温度を感じながら見つめ返すと、
 「ふむ、礼ちゃんはあれだね。ふわふわした子だね」
 と、美里さんがサラッと話した。けれど言われた私はその感想が把握できず、どう対応すればいいか分からない。
 「何言ってんだか。ふわふわしてるのはミサト姉の方でしょ。佐藤さんはしっかりしてるし、立派な大人だよ」
 代弁をするように山本君が言い放つ。流石にそれは言い過ぎだろうと思いつつ、けれど美里さんの言葉よりは賛同できた。自己分析において、私は自分がふわふわしていると判断したことはないし、それは他者評価においてもそうだ。しっかりはしていなくとも、いわゆる不思議ちゃんとは違うと思う。
 「そうかなー。いや、ふわふわしたオーラを纏ってる気がするけど……」
 「あのー」
 声を挟み、確認するためおずおずと手を上げる。
 「もしかして、ウキウキしている、って言いたいんですか?」
 私の言葉に美里さんは目をパチクリと瞬かせる。それからぷっと吹き出して、
 「ハハハハ!それは上手い!浮き浮きしてれば、確かにふわふわしているのも道理だわ。うん、そうかもしれない。いや、きっとそうに違いない!」
 上機嫌で笑い飛ばして、うんうんと頷き始めた。理知的な顔も破顔一笑、少年のような無邪気な笑みだ。さっきも少し思ったけど、この人情緒不安定なのだろうか。基本的にテンションが高いうえに、そこにも起伏があるから全然読めない。
 けれどその無軌道さは、どこか私の懐古をくすぐる。全然違うのに、似ても似つかないのに、その佇まいが彼女の姿とどうしてもだぶる。気づけば目が離せなくて、つい眺めてしまう。
 「……ん」
 そんな私を見て、美里さんは一度顎を下げてから柔らかく微笑む。優しさと意地悪さが同居した表情。笑顔のレパートリーが多い人だ。レンズの奥に秘められた瞳が一体何を捉えているのか。こちらからは窺えず、一方的に覗かれているような居心地の悪さが拭えない。指の先から汗の雫が一滴離れていくのをぼんやりと感じた。
 「さて!自己紹介も済んだし、そろそろ移動しましょうか。祭りの温度(ダブルミーニング)が私たちを待っているわ。シンジ、案内よろしく!」
 「……ミサト姉、ホントよくそんなんで生きてこれたよね……」
 「何だよ急に褒めるなよー。かき氷奢ってほしいからって、卑しいヤツめ!」
 「…もういい。もう僕は何も言わない」
 美里さんの自己中心ぶりに呆れ過ぎたのか、山本君はため息をついてから「こっちだよ」と言って歩き出す。その猫背になった背中に体当たりして「拗ねるなよー。女の子の前で格好悪いぞー」と絡んでいく美里さん。二人のそんなやり取りは暖かく、温いぬくい。私に対しては何処か余所余所しい山本君が、あそこまで本音で誰かと接しているという事実にも、胸がくすぐられるような気持ちになる。
 「私も、私にも、ああいう時間があったはずなんだけどね……」
 呟く言葉は、空気に埋もれて。
 続く言葉も、見つからないまま。
 先を行く二人の背中だけが写る世界で、私は独り立ち止まる。また体から熱が引いていく感覚がして、途端足元もぐらついた。基盤の揺らぎ。私のベースの損壊。耳鳴りがやけに響く中、輪郭は徐々にぼやけていく。
 それは躍動故か、それとも停滞故か。
 「礼ちゃーん!早くしないと置いてっちゃうよー!」
 振り返って私を呼ぶ美里さんの声。その後ろでは、山本君が気遣うような目をしている。
 まだ何も、私は約束を果たしていない。
 その事実から目を逸らしたくなくて、私は足を送る。前に、前に。少しずつ進んでいく。
 けれど思考は相反するように逆の道を辿ってしまう。
 将来ではない、まだ今が未来だったころのこと。
 「……「はやいね」なんてのは、私の台詞だよ、アスカ…」
 ここにはいない彼女に語り掛ける声は、一体誰に届くのだろう。
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 音を立てて、ざっぱんと。
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