羅針盤の向こう

一条 しいな

文字の大きさ
上 下
21 / 83

21

しおりを挟む
 喜一さんは車を止めた。駐車場だ。広いとは言えないが、ビルが囲むようにある。砂利がしいていた。こうして下りると僕はここがどこにいるのかわからなかった。
「不安がるならついてくるなよ」
 喜一さんに言われてしまった。その通りだ。喜一さんは車のキーを持って僕についてこいとも言わずにひとりで歩いていく。僕は慌てて歩いた。
 街は静かだった。時折忘れたように人が歩いている。会社勤めの人だろう。僕をちらりと見たがそのまま歩いていく。
 アパートはすぐにあった。小綺麗である。新築だというのがわかり、郵便受けがずらりと並んでいる。
「入れよ」
 そういわれておずおずと入っていく。そんな僕に喜一さんは気にしなかった。青い壁に、青いドア。角部屋に喜一さんの部屋があった。鍵を開けて電気がつく。おじゃましますと言う。フローリングに敷物がしいてある。畳のような風合い。そこだけ夏みたいたなと僕は思った。テレビがあり、ワンルームマンションよりか広い。バスや台所もある。意外である。忙しいはずが、整頓されている。僕が入ると鍵を閉められた。
「飯はどうする」
「あっちで済ましたので」
「あっそう。ベッドに横になれ」
「えっ」
「おまえそっちか」
「違います。わかりました」
 ベッドに横になる。布団をどかして、意外としっかりとしたベッドは僕の重みを受け止めた。
「肩バリバリだな」
 暖かい手が背中を触る。暖かくてほっとしていきなり、シャツをあげられた。びっくりしている僕に喜一さんは暖房をつける。
「そっちか」
「違いますから」
 背中にオイルをつけられ、ヒヤリとするので思わず声を上げた。それ以外は至って普通のマッサージだ。
 腰も肩もバリバリだと言われた。
「整体に行けよ。整形外科でもいいから」
 マッサージが終わってぼんやりしている僕に喜一さんは言った。マッサージを終えて疲れているのか、眉間にシワが寄っている。
「ありがとうございます。行きます」
「なんか」
「はい」
「危ない奴だな」
「はあ」
 送ると言って立ち上がり、駅前でいいですと断った。僕はぼんやりしていた。気持ちよさのためで腰が軽いのは久しぶりだったためである。喜一さんは機嫌が悪いのか何も言わない。
「おまえさ。もうちょっと警戒した方がいいぞ」
「はあ」
「わからねえならいいよ」
 喜一さんの言葉はなんとなくわかった。多分喜一さんがゲイならば、襲われたかもしれない。いや違うかもしれないが。僕はうなずいた。
「それじゃあ」
「おう」
 頭を下げた僕に車が去っていく。僕は帰ろうとすると「拓磨」と呼ぶ声がした。
「やっぱり拓磨じゃん。なに帰り」
 夜がいた。夜はギターケースを担いでいる。そうして、少し痩せたように僕には見えた。明るい光の下で見る夜はやっぱりきれいで僕は見とれた。
「うん。まあ」
「送ってもらったのか。大丈夫か。ぼーっとして」
「大丈夫だからさ。ただマッサージしてもらって血行がよくなったせいかぼーっとするんだ」
「なにそれ、いやらしい」
「からかうなよ。ただのマッサージだ」
 そう言って別れようとする夜に寂しさを感じてしまうが、今日の夜はおかしかった。
「送る」
「いや、家がわからないだろう」
「近くまで」
「えっいいから」
「気になる」
 そんな押し問答をしていた。つい僕が折れると夜は隣を歩いた。


 夜は何も言わなかった。僕達は歩いていた。商店街を通らず、夜は僕の後をついていく。いきなり夜が「おまえさ。なんか疲れている」と言い出す。
「いやいや、なんだよ。いきなり」
「まあ。いいけどさ。忠告。判断力が鈍っているな。お互いに」
「なんでそんな話になるんだよ」
「いや。なんか俺も焼きが回ったなって」
 なんだよ、それと僕は言った。夜の言いたいことを考えてみるが、今こうしていることに後悔しているのかもしれない。僕はぎゅっと胸を掴まれたような気持ちになった。僕はそれを隠すように「あっ、パン屋でさ」とバイトと社員が抜けたことをようやく夜に話せた。
「酒、飲める?」
「飲めない」
「わかった」
 コンビニに入っていく夜がいた。そうして温かい飲み物、コーヒーではなくココアを二つ買ってきた。僕はあとについていき、雑誌を読んでいた。
「ほれ、外に出るぞ」
「ありがとう。金入ったの?」
「まあ。そんなところ」
「悪いな。なんか買うべき」
「学生にもらうほど落ちぶれていない」
「仕事しているのか」
「フリーター」
「よく体がもつな」
「体力勝負だからなんでも」
「整体に行けって言われた」
「ふうん。腰ガチガチなんだ。ドラマーがよく行くな」
「ああやっぱり」
「俺も手で整形外科に行ったことがある」
「マジ」
「ピアノを弾きすぎて腱鞘炎コース」
 金大丈夫かと僕はいうと夜は笑った。あの僕を魅力する笑顔で。
「親持ち。ガキだったら泣いた」
「痛くて」
「まあ、そんなところかな」
 夜は立ち止まった。僕は振り返った。マンションが見えてきた。夜は僕を見た。夜の目はキラキラと光っているように見えた。まるでたくさんの光を集めたようだった。僕は初めて夜の目に何か欲情のようなものがあることに発見した。
「夜」
「上がっていく」
「彼女が待っているから」
「うん。わかった」
 僕の気持ちは簡単に、あっさりと看破されたようだ。自分の浅はかさに笑うように「またな」と言った。明るく言えた。夜は何か言いそうだった。
 でも聞かないことにした僕はさっさとその場を去った。彼女がいるのに僕が勘違いをしただけなのだ。そう気がついて赤面するような思いがあった。夜は警戒したのだろう。
「バカだな」
 そればかり繰り返して僕は階段を登っていた。僕は素直になれなかった。夜は僕を心配しているのに。なんで素直になるんだ。
 ココアの缶は温かく、そうして遠いもののように僕は思えた。そんな僕をよそに缶は冷えていくようだった。


 バスが学区内に入っていく。僕はとぼとぼと大学校内に入っていく。夜のことを思い出して後悔しているのだ。浅ましい自分にイライラさせられている。
 空は秋晴れ。澄んだ空に飛行機雲がまっすぐきれいに飛んでいる。あっ、飛行機雲とスマホで写真を撮っている人がいた。
「拓磨ちゃん」
 ものすごい形相で真澄ちゃんは手を振っている。隣に梨田さんがいた。
 梨田さんは明後日の方向を見ていた。それはなんだか背を向けられたときと同じ気持ちになった。
「私さ。思うんだけど」
 いきなり真澄ちゃんが言った。真澄ちゃんは髪を直しながら梨田さんを見た。
「そういう反応が余計に尾を引くのよね」
「悪かったって。どんな顔をして会えばいいのかわからなくて」
「まあね」
「……」
 僕が黙っているとちらりと梨田さんが見つめてきた。正直困った顔をしている。それはお互い様だ。
「梨田さん。気にしてくださいね」
 僕は笑っていった。梨田さんは変な顔をした。そうして頭を掻いた。わからないといいたげなのかわからないが。
「そりゃあ、どうも。気をつけるよ」
 梨田さんはにっこと笑った。苦笑に近いものだった。梨田さんはそういうとはあとため息をついた。
「悪かった」
「本当に」
「本当よね。あんな騒ぎを起こして」
「真澄ちゃんはどうしてあんなところにいたんだ」
「そういえば」
 真澄ちゃんに注目が集まる。真澄ちゃんは平然として「静かな場所で執筆活動をするため。ほら、あんたが余計なことを言ったからよ」と言い出す。
 やぶ蛇だったと僕はようやく気がついた。梨田さんはそうかなと考えているようだった。偶然に感謝しなきゃいけないと僕は考えていた。
 本当に偶然なのかわからない。わからないけどあのままだったら危なかったのは確かだ。
「真澄ちゃん、ありがとう」
「圭介ちゃんもありがとうは」
「はいはい。ありがとう」
 ムッとしている真澄ちゃんをよそに僕達は歩き出した。秋晴れの中、冷たい風が吹いている。ニットの長袖を着た真澄ちゃんは皮の上着を着ている。
「暑くない」
「女は体を冷やしちゃだめなの」
「男だろう」
「なんですって」
 そんな二人の会話に自然と僕は笑っていた。いきなり真澄ちゃんは僕のお尻を叩く。
「ようやく笑った」
「笑っちゃだめなのかよ」
「いいのよ。いいの」
 なぜか僕は胸が暖かくなった。真澄ちゃんのせいかわからないけど、僕達の頭上にはヒイラギの葉が生い茂っていた。そうしてキラキラと太陽が葉に反射していた。
「行くわよ。拓磨ちゃん」
「えーっ」
「がんばれよ」
「あの梨田さん」
「なんだよ」
「仲直りの握手」
 手を広げて差し出すと、梨田さんはくすぐったいのか笑って、僕の手をつかんだ。
「変な二人」
 真澄ちゃんが言った。真澄ちゃんらしい物言いに僕達は笑った。
「拓磨」
 戸井田の声が聞こえる。梨田さんはじゃあと言った。
「もしかしたら圭介ちゃん、あんたに惚れていたりして」
「そんなわけないよ。気の迷いがそうしただけだ」
「あら。そうかもね」
 真澄ちゃんはそう言って梨田さんの背中を見つめていた。
「ラブの方はどうなのよ」
「さあ」
 肩をすくめる僕に戸井田がなんの話と尋ねてきた。
「あら、気になるの。それは」
「行くぞ。戸井田」
 そう言って僕は戸井田を引っ張る。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司と俺のSM関係

雫@更新不定期です
BL
タイトルの通りです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

催眠アプリ(???)

あずき
BL
俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

処理中です...