A町日進月歩(BL)

一条 しいな

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第六章 祐樹

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 ポケットの中にいつの間にか名刺があった。永野の車にわざと置いていたはずの名刺だ。永野の名前が書かれ、メールアドレスと電話番号が書かれている。車のダッシュボードに入れた祐樹は暗い道を走らせていた。明菜のアパートが見える。駐車場に停める。SNSでメッセージを送る。慌てた様子で明菜が出てきた。
「ごめんな。いきなり」
「なに、祐樹らしくないよ。うちに来る」
 こくりと祐樹はうなずいた。祐樹は歩き出した。雨はまだ降っていないが、冷たい北風が夜になって吹くのかカラカラとした風である。祐樹は身を縮ませて明菜の隣に歩く。明菜は化粧を施し、可愛らしい柔らかそうな格好をしている。
 祐樹はそれを見るとキュンと胸を鷲掴みされたような気持ちになる。武藤とは違う。なぜそこで武藤が出てくるのか祐樹にはわからなかった。
「寒かったでしょう」
 ワンルームの部屋に通される。彼女の香水がふわりと部屋に薫る。祐樹は泥だらけの自分とは違うなと思った。
 座ると明菜はくっつくように座る。
「風邪は」
「治った」
「良かった。いつもの祐樹だね」
「?」
 自覚がなかったわけではないが、そんなことを言われると祐樹の気分は少し悪くなった。明菜に指摘されたくなかった。
「別にいいじゃん」
「そうかな。祐樹は怒っていたよ。私の勘違いかな」
 優しい言い方、まるであまえるような言い方。それが相手を落ち着かせる。守ってあげたいと祐樹は思う。
「怒っていた?」
「だって。お友達が急に行方不明だったって聞いたからさ。なんか、うーん。ちょっと喧嘩したかなって疑った」
 祐樹は黙っていた。一番踏み込まれたくなかったことだ、祐樹にとって自分だけが生きている罪悪感を囚われるからかだ。
「多分さ。俺が一度死んでいたらどうする」
「やだ。祐樹は生きているよ。怖いよ」
 不安がる明菜に気がついた祐樹はため息をついた。
「そうだよな」
 ごめんと祐樹は苦笑いをしてから明菜を抱きしめた。明菜もただならぬ祐樹に気がついたのか、抱かれたままだった。祐樹には明菜は柔らかい。いい匂いがする。
 明菜は鋭い。ようやく気がついた、と祐樹は思った。自分が後ろめたいということに。自分だけがあの場にいたことになにもなく。祐樹を生かすために武藤が犠牲になったとは認めたくなかった。
 祐樹は目を閉じた。明菜の髪にキスを落とす。これが最後かもしれない。
「ラブホに行く」
「えっ」
「なっ」
「もう」
 そうして二人は車を出していた。車を見送る人間がいるなど祐樹は気がつかなかった。ただ、その人物は麻奈美だったとは知らなかった。祐樹を見つめる麻奈美は無表情だった。


 麻奈美はスマホに永野に電話をかけていた。麻奈美は何回かコールを聞いていた。
『麻奈美』
「祐樹さんの車に名刺を置きました。これで動くといいですけど」
『多分、今回は解決しないわ』
「なんで。なぜですか」
『それはね』
 永野はなにか説明しているようだった。麻奈美の顔は青ざめていた。
 麻奈美は顔を歪めながらとぼとぼと自宅に帰ろうとした。麻奈美は重い足取りだった。今度は武藤の力になりたかったからだ。
 一人で夜道を歩く。祐樹が元の世界に戻れば解決して、武藤と新たな生活が送れると麻奈美は信じていた。でも違っていた。
 麻奈美は暗闇の中歩いていた。A町の道路だ。霧が立ちこめていた。麻奈美はじっとその境が現れるのを待っていた。境はなかなか現れなかった。まるで麻奈美を拒んでいるようにも、麻奈美は思えた。そうして、麻奈美はとぼとぼと自宅に戻って行った。
 麻奈美の自宅は小さなアパートだった。人間だった頃に住んでいた場所から離れていた。麻奈美は階段を上り、鍵を開けた。そうして明かりを手探りでつける。
 そこにいたのは、白木だった。小さな居間に立っている。白木は麻奈美を迎えるように笑った。
「なんの用」
 麻奈美は怒ったように白木に言った。麻奈美は鍵を閉めて、白木を閉じ込めようとした。
「武藤さんをどうしているの」
「武藤は元気さ」
「どうして武藤さんなの」
 麻奈美はにらみつけるように白木を見つめた。白木は受け止めるように、麻奈美を見つめ、それから視界を外に向けた。
「おまえは武藤のなにを知っている」
「なにって」
「ちょっと一緒にいただけだろう」
 麻奈美は顔が膨れていく、肉が盛り上がる。じっと白木をにらみつけている。
「おまえはただ、俺が武藤を独り占めしているのが気に入らないだけだ」
「違う」
「じゃあなんだ」
「私は武藤さんを愛玩にしない。私達は恋人になるの」
「下らねえな。相変わらず」
「なにが言いたいの」
「詰め将棋って知っているか」
「?」
「答えが最初から決まっている。駒の動きをちゃんとしないと詰みができない」
「あんたは」
「俺はそれをしただけだ」
「怖いのね、私達が。だから警告に来たのね」
「違うさ。武藤に見せているんだ。おまえがどんなに望んでも、俺から逃れる術はない。だからあきらめろ」
 最初から祐樹なんて見捨てればいいものをと言葉をつづける白木をみつめている武藤がいた。武藤に麻奈美が、気がついた。麻奈美が武藤をつかもうとした。麻奈美が触れる前に武藤は消えた。
「なにするのよ。武藤さんを返して」
「俺は武藤のためにやっているんだ。諦めが肝心」
 そっと白木が消えていく。麻奈美は悔しそうに見つめていた。
 イライラしたのか麻奈美はジュースを飲んだあと、永野に電話した。
『白木が出たの』
「腹立ちませんか。私をあざ笑っているようで」
『詰め将棋ね』
「あいつ、初めから計画していたみたいです」
『そういう異界の住人もいるわ。実際いく人か消えている』
「えっ。でも戻ってきた」
『いいえ。帰ってこない』
 麻奈美は急に黙っていた。しゃがんだ麻奈美は力が抜けたように見える。
『じゃあ武藤さんは』
「帰って来ない」
『ある人も言っていた。一度愛玩になったら逃れることはできない。住人が飽きたら捨てるけど。住人に飽きることはない』
「そんなのいや」
 武藤のためか、自分自身の涙か麻奈美にはわからなかったのか、急に泣き始めている自分に麻奈美は驚いた。
『あきらめましょう』
「でも」
『祐樹さんが生きる。それが彼の望み』
「そんなことは間違っている」
『麻奈美。聞いて』
 麻奈美はスマホの電話を切れなかった。永野がなにか言っていたが麻奈美には聞こえなかった。


『永野です。どちら様でしょうか』
「祐樹です。永野さん。お願いがあります」
『武藤さんのことですよね。彼のことはあきらめてください』
「ふざけないでください。武藤は自分から望んで来たわけではない」
『そうね。あなたがいるから生きてこられたかもね』
 祐樹は一瞬言葉を失った。思ってもいない言葉だったからだ。白木が武藤に恋愛感情を抱いているように、武藤も祐樹に恋愛感情を抱いているとは知らなかった。
『あなたが生きているから武藤は生きて行けた。それはあちらの住人が見えることにより、薬を飲んでいたから』
「そんなことは」
『精神科にも通っていたそうよ。今は通っていない』
「どういうことですか」
『異界の住人がいても無視した。だから、彼はなるべく多くの人とは付き合わないようにしていた。そうすることで人間と異界の住人を区別していた』
「俺のせいで」
『あなたのせいではない。武藤さんが一人だったらきっと生きていけない』
「それは」
『気が狂った人と思われて生活するのはつらいことよ』
 あっ、と祐樹はつぶやいた。もしかしたら永野も経験があることなのかもしれない。だから、わかるのだ。祐樹にはけしてわからない気持ちが。
「俺と武藤は付き合いが長くなかったから」
『でも、武藤さんには嬉しい時間じゃなかったかしら』
「何でもいい方にとらえるんですね」
『そうね。お時間ある』
 ええと祐樹は言った。最初からそのつもりだろう。町の喫茶店に待ち合わせを祐樹はした。それから一眠りをする。明菜と寝た、その幸福感がまだ漂っている。祐樹はなにかいい方につながっていけばいいと思った。
 白木がまた現れたら殴ってやると心にきめて、眠りについた。白木は夢に現れなかった。代わりに武藤の夢を見ていた。
 武藤は大きな部屋にいて、ひらひらした袖の服を着ていた。ひらひらした袖は女子がするような長い袖で邪魔そうな顔をしていた武藤にぷっと祐樹は笑った。
 武藤はぼんやりしていたが、本を開いた。することがないから退屈そうだ。白木が現れた。いきなりだ。白木は武藤に近づいて唇を顔に落とす。武藤は目をつぶる。武藤の唇に白木は唇を落とす。二人とも慣れている様子だった。
「やめろ、白木」
「いやがらないのか」
 祐樹の言葉を無視するように白木がいうと、武藤は首を振った。
「なに、おまえ、本気か」
 祐樹は武藤に向かって叫んでいた。白木はもう一度武藤に口づけをした。それは見ていられなかった。まるでそれは。祐樹は目を覚ました。スマホが鳴っている。
 外は雨だった。祐樹はムスッとした顔だった。あれは夢だとわかっていても気持ちのよいものではない。あれは人形のような武藤だと祐樹は気がついた。
 以前の武藤ならなんというだろうか。意外と受け入れてしまうと考えると祐樹は腹立たしくなった。
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