A町日進月歩(BL)

一条 しいな

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第三章 輿

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 霧が出る。朝からというのもこの町には川があるからだ。この季節には雲海とは言い難いが、霧がこの町を覆う。武藤は目覚まし時計を止めて、頭がぼんやりする中、長い髪をかきあげた。雨戸を開ける。朝日がまだ出ていない。ほのかに薄暗い。空は薄く、紺色である。そろそろ日が差し込むだろう。武藤は洗面台で顔を洗うことにした。
 髪の毛を丁寧にとかす。白木は現れない。洗面台には、少し疲れた顔をした男がいる。ニヤリと自分の意思とは反して、笑う鏡越しの自分がいた。
「白木」
 注意する武藤に白木は鏡から、水飴を伸ばしたように体を這い出ていく。水飴と違って、白い服で、よく覚えがある服である。それは武藤が通った中学の服である。白いシャツに黒いパンツ。ただ、それだけである。武藤と同じくらいの身長で洗面台から這い出たのだ。頭上にふわふわと漂っている。ニヤニヤしながら。
「で、用は何だ」
「用はない。ついていく」
 武藤はじっと白木を見た。白木はわかっているのだろうか。この服を見ると武藤の胸はざわめきを覚えることに。それもわざとだ。武藤は静かに息を吐いた。
 鏡を見ると、嫌そうな顔をした男がいた。髪の毛を結うと、男の髪は揺れていた。白木が触っているのだろう。
「なあ、一本くれよ。そうしたら助けてやるよ」
「やったら忘れるんだろう」
 はははと白木は声を出して笑っている。それをとがめるつもりなど武藤にはなかった。白木だってあちらの世界の住人なのだ。だから、どうするつもりもない。楽しそうだから、武藤をからかうことと何か新しいことがしたいから武藤に言う。
「本当に危なくなったらする」
「ははは。そりゃあ楽しみだ」
 白木は楽しければいいのだろう。武藤にはわかっていた。怖いものを見ていると不思議と生を感じると同時に死も感じる。どちらも不思議な感覚がする。どちらも濃厚に香るとき白木はどうするんだろうか。
「白木。今回は助けてくれないのか」
「……」
 白木は黙っていた。そうして白木は武藤の顔をのぞきこんだ。その目は好奇心で光って、まるで小さい子が見せる表情だ。
「祐樹だけでも助けてくれ」
 とたんその輝きは薄れた。その代わり、疲れたような顔をした。あきれていると言った方が正しいのかもしれない。祐樹のことはなんとしても武藤は言いたかった。
「あいつは、巻き込まれただけだ。だから」
 武藤は頭を下げた。頼むと武藤は言った。白木がどんな表情か武藤にはわからなかった。武藤にはただ、白木が武藤の助けになればいいと思った。
「いやだ」
「なっ」
「どうして俺があいつを助けなければならない。俺にどんな得がある」
「おまえ。それでも契約者に言えるのか」
「契約者。ここに存在させるのもやっとなのにさ。自分の身を削って。わかるだろう、あんな奴は救うなんて馬鹿馬鹿しいって」
 武藤は髪を見つめた。白木はゆっくりと武藤に近づいてきた。
「俺の友達はいい奴だ」
「馬鹿だな。そう思っていると結局自分が損しているのに。俺だったらあいつを生贄にしている」
 白木の言葉に武藤は見つめる。怒っているのかと思えば、武藤は大きなため息をついた。顔を両手で覆う。
「今日は中止だ。やめよう」


 祐樹にメールを送ろうとする前に祐樹からメッセージが届いていた。スマホを見るなり、武藤はじっとしていた。
『抜け出せない。悪い。中止』と書かれている。武藤は思わずため息をついた。安堵のためかは本人しかわからない。武藤はしばらくしてから朝食を作る。目玉焼きにベーコンをカリカリに焼く。そうして漬け物を用意して、味噌汁を作る。純和風なのか洋風なのかわからない。しかし、楽に作れるから一向にまったく武藤は気にしない。
 白木はいつものようにふわふわと浮いている。武藤がなにをしようと気にしていないようだった。武藤は一回だけ白木を見た。白木は武藤の視線に気がついていなかった。
 しかし、武藤はすぐに白木から視線を外した。それは白木があまり、祐樹に対していい感情を抱いていないのがわかっていたからだ。武藤はしばらくなぜ佑樹を嫌うのか考えていたが、やめた。味噌汁が沸いていたからだ。そうして、熱々で風味が失った味噌汁を武藤は碗によそった。
「武藤はさ。なんで、あいつらが気になるんだ」
「あいつって」
 白木の問いに武藤がいう。まあわからないかと白木が言った。武藤にはさっぱりだ。白木が甘えるように武藤の近くに寄る。横になりながら、両手で両頬に当てる。女がやれば魅力的だが、白木がやるとどうも胡散臭い。
「俺にも食事を作って」
「自分で作れ」
「人に作ってもらうからいいんだ」
「それは」
 とんとんと扉を叩く音がした。一体なんだろうか。白木はきょとんとした。武藤はじっとしていた。
「こちらに白木殿がいませんか」
 大声ではないがよく響く声がドア越しから聞こえた。武藤は白木を見たが、白木は顔色も変えず、いるよと答えた。いつの間にか、台所に男が現れた。男は人間の姿をしていた。が、武藤には異界の人間だとわかった。
「白木殿。すまぬが、ついていってほしい。そこの人間も連れて」
「なぜ私も」
 ちらりと感情のない目で男は武藤を見つめていた。武藤は黙っていた。黙った武藤に、男は「それでいい。我々は白木殿にお話がある。けして、人間に用があるわけではない。言葉を慎むように」と静かに言った。高くもなく低くもない。オールバックした髪が堅気にはみえない。
「白木殿」
「まあいいよ。喧嘩は好きじゃない。人間も連れて行くならばなおいい」
「では。車に」
 武藤は立ち上がった、自分の意思とは関係なかった。まるで操られたように外へと行く。裸足の足に砂利道が痛いが、そこには、一般車がある。黒いそれは、朝の日に黒光りしていた。そうして乗り込む。白木はいつの間にか、武藤の隣に座っていた。
「これから参るところは異界。異界は久方ぶりでしょうか。あまり変化はありません」
「だろうな。で、俺に用なのは誰だ」
「お忘れになりましたか。私の言葉で姫を汚すのはよろしくありません」
「なんだ。あいつか。チビだったはずではないか」
「いえ。美しく成長なされました。本当に美しく。服から美しい光が漏れるような、その容は……」
 男はくどくどと姫の容姿を褒めていた。しかし、武藤には到底信じられなかった。美しいと言われても異界と人間界の価値観は相違があるのだ。車は静かに滑るような速さで人間界から異界に行く。
 武藤は窓を見たくても見られなかった。武藤の視界に入るのは運転席と少しだけ見える空だけだ。空は変化などない。青いままである。異界だから暗いわけではないようだ。気がつけば隣で白木が眠っている。白木が眠っているところを武藤は初めて見たと気がついた。白木の薄く開いた口は歯が見える。人間みたいに白い歯だ。武藤はまじまじと見つめていた。白木に変化などなかった。
「人間。足を拭け。それとこれだ」
 靴だろうか。ブーツのようだ。しかもなぜかマントがある。隠れろということかと思うと「姫の賓客に人間がまざるというのは外聞に悪い」と言われた。武藤は気分を悪くすることもなく、足を拭いてマントを着てブーツを履いた。
「車はいいんですか」
 にらみつけるように男が武藤を見つめた。武藤は黙って頭を下げた。それで男の視線が柔らかくなるわけではないが、一応礼をする武藤に男は「おまえはしゃべるな」と言われた。
 えっと言おうとした声が出なかった。武藤は戸惑ったまま、男を見た。男はそれ以上何も言わなかった。


 車は止まった。建物は古い屋敷。平屋建て一軒家についた。姫と聞いた武藤には意外な気分になった。しきし、家は広いようだ。屋敷と言っても過言でもない。塀に囲まれ、ゆっくりと歩けば門に突き当たり、男が開ける。白木と武藤と入ればそこは違った。
 緑あふれる、庭に入る。剪定をする化け物に混じって女がいた。
「姫。そのようなことをなさらず」
 男が慌てたように言ったが、姫と呼ばれる女は長い緑の黒髪を太陽に反射させて、軽装のまま笑った。パンツに長袖、長いつばの帽子をかぶっている。キラキラと光る目は、好奇心で輝いている。美しい顔と言われれば納得してしまう。高い鼻、目は大きく、唇は健康そうに赤い。可憐な女性であるのだろう。表面上は。
「いいじゃない。あなたがいないから私は羽を伸ばせたわ」
「何を言いますのやら。私は姫のために思ってこうして諫言を」
「あっ、白木」
 ちらりと女は武藤を見た。白木は何も言わず、入るぞというだけだった。不機嫌な態度に男が何か言おうとする前に、白木が言った。
「こっちは朝食をしたんだ。文句はそっちにだって言えないだろう」
 初めて白木がまともなことを言ったと武藤が思っている。白木はスタスタと玄関の引き戸を開けた。引き戸は鍵がかかっていなかったのか開けられた。白木は武藤を玄関に入れた。玄関は広かった。両手を広げでもってまだまだ余裕がある。たたきは白い石を使っている。大理石ではないのは確かだ。普通一般的な古い家ならば、玄関のあがるとき段差が高い場合があるが、こちらは低い。そこは現代風に作られていることに感心している武藤がいた。
「白木、待って」
「なんだよ」
「案内するから。家の内部を知らないでしょ」
 呆れたように武藤は見た。それは事実なのか、白木はわかったと言って素直に女の後を追った。
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