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第一章 少女と男
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白木はじっと祐樹を観察していた。顔が赤い。興奮しているのがわかるのか、祐樹は静かに首を振った。
「武藤。これはよくない」
ヒュッと祐樹が息を飲んだ。武藤の背後には白木がいつの間にかいたのだ。祐樹は震えていた。異形のものへの恐怖か、それとも白木に対する恐怖なのか、それはわからないが、祐樹は黙った。
「白木。やめろ」
白木は武藤の横に座る。武藤は無表情である。怯えていた祐樹とは違って落ち着いた声色だった。武藤はお茶を白木に出した。白木はにやにやしながらお茶を飲んで消えた。
「白木って、いうのか。本当の名前か」
「そんなことより」
腹減ったと武藤が言った。カッと更に赤くなった祐樹がいた。
「心配しているんだ。これでも、おまえは俺をうっとしい奴って思っているかもしれないけど」
「本当にそう思っているのは」
どっちだろうなと武藤がつぶやいた。祐樹は黙ったまま部屋から出た。武藤は「やっぱりな」とつぶやいた。なんとなくだが、祐樹が武藤を遠ざけたかったのはわかった。それはあの出来事に関わっているせいで、いやいやという自覚もなく付き合っていたと祐樹は気がついていない。醜悪な自己の精神を覆い隠そうとしている。それは武藤にも言える。
「かわいそうなことを言ったな」
「白木も」
「図々しくて何もできないくせにピーチクパーチクうるさいからさ。鳥の方がましさ」
「そうか」
武藤は黙っていた。そろそろ解放したいという気持ちのようなものが、武藤の中に生まれていた。武藤には到底できないことだが。
「白木。で、彼女の家はどう」
「なんていうか。変わったな。見てくるか」
「えっ」
いきなり、武藤の体は宙に浮いた。ふよふよと風船のように重みがなく、風で吹き飛ばされそうな頼りなさがあった。武藤は天井に浮かんでいると、倒れている武藤の体が見える。ふわふわとした方の武藤の体をつかんだ白木が楽しそうな顔でこっちと言った。
麻奈美は天井を見つめていた。父親と呼べと言った男はカップ麺を用意していた。狭い室内である。麻奈美はカップ麺ができるまで、テレビを見ていた。かわいらしい女の子が出ているアニメだ。小さなキャラクターと楽しげに話すさまは現実にはありえないからこそ楽しげに見える。
父親はとある一室を覗いてはいけないと麻奈美に注意した。麻奈美は見ないことをしている。父親の命令だからではなく、本能的なものだ。だから、武藤と白木が現れたとき、とある細工をした。あえて麻奈美の力を使った。それでも人の家に無断に入るのはそれ相応のリスクがあることを知ってほしいのだ。
「麻奈美。できたよ」
カップ麺の匂いに誘われるように、麻奈美はテレビからテーブルに視点を変える。ぐるりとした眼がじっと箸を見つめていた。箸を持つと、慣れた様子で食べていく。
「麻奈美、野菜の方が好きかな」
「どっちでもいい」
そうかと父親は笑った。もっとも美味しそうに見えるのはと問われなくてよかったと麻奈美は思う。麻奈美はラーメンをすすっていく。熱いラーメンのしょっぱい味に慣れてしまいそうになる麻奈美がいた。麻奈美の食べている様子をニコニコと父親は見ていた。
麻奈美の家の中に入った。といっても、武藤は通り抜けるだけである。麻奈美もその父親らしき人間はいない。キッチンがあり、居間があり、部屋が二つある。キッチンはさっきまで食べただろう、カップ麺が流しに置いてある。武藤はじっと見ていた。白木はいつの間にかいない。
キッチンのテーブルには本がある。近所の本屋のブックカーバーがかけてある。めくろうと触ってみるが通り抜けてしまう。透明な体には、何も触れないようだ。いつも触るドアではなく、壁を通り抜ける。何もない。居間にはテレビがあり、居間のテレビには子供向け番組が流れている。武藤は見つめる。
誰もいない。何もいない。というより、物だけ残して、人はいなくなったというのが正しい。武藤は他の部屋に入ってみるが、何も見つからない。他の部屋には神棚があるだけで、たいしたものはない。じっとしていると「武藤、ごめん。ごめん。起きてくれ」と言われた。誰の声だろう。聞いたことがある声なのに思い出せない。気がつけば草原に来ていた。草原は、青臭さがたちこめ、裸足の武藤に痛みをあえた。それでようやく武藤は我に返っていた。
消毒液の匂いがするベッドに武藤は横になっていた。
「貧血ですね」
後になって医者に言われた。栄養が行き渡らなくて倒れていた。
「気持ち悪くても何か食べないと」
はいと武藤は言われたことを反芻していた。祐樹の声が聞こえたが、祐樹の姿はない。どういうことだろうか。そんなことを武藤は考えている内に祐樹は現れた。なぜかあめ玉を武藤に渡してきた。
「ほれ」
「ありがとう」
武藤は黙っている。横になったまま点滴をしてもらっている。固いベッドは寝心地はよくない。毛布も薄い。武藤はじっと天井を見つめていた。怒られると思ったからだ。
「俺は倒れていたのか」
「真っ青な顔で、な」
「救急車を呼んだのか」
「だろうな」
「世話をかけた。現金は俺が払う」
「貸しだな」
えっと武藤が言った。祐樹は固い表情からようやく笑った。貸しだからとそれきり言わなかった。武藤にはわけのわからないことを言われただけのような気がした。武藤はしばらく頭を振った。
半日で病院は退院して、金は後からということになった。祐樹はその頃になるとまた来て、現金を渡してきた。
「貸しだ。貧乏な作家の投資だから気にするな」
「払える」
「現金だぞ」
「わかった」
相当高い金額である。だから、武藤は余計に苦々しい気持ちになっているのは確かである。ひさしぶりに感じた苦々しい気持ちは武藤にはありがたいような、迷惑のような不思議な気持ちにしたのは確かだ。そんな感情は波打つように簡単に消えていた。
「焼き肉おごれよ」
「貧乏作家には無理だ」
「一発売れてさ」
武藤は家に戻る。白木がいない。そうして、白木を探すことも武藤はしなかった。武藤はあめ玉を一つなめた。あれはと武藤は考える。拒絶だとようやく武藤は気がついた。ますます武藤にはあの麻奈美が気になって仕方がない。
武藤はどうして自分が気になるのか改めて考えてみた。そうして、またあの穴に行かなければならないと気がついた。あの穴は、きっと。
武藤は一昨日の残り物を食べていた。暖かい食事に武藤は淡々と片付けていた。白木が現れたのはそんな頃だ。白木は悪ぶれることもせずに「生きていたか」とあっけらかんと言った。武藤は頷くと白木は何も言わない。弁明もせず、白木は「生きていたのか」と悔しそうな顔もせず、再び言った。
「悪運が強いな」
「そりゃあ、どうも」
「お守りをしているが、まあ、そんなことはどうでもいいか」
武藤は怒りもせず白木を無視して、食事の後片付けをする。後片付けが終わると猛烈な勢いで昨日書けなかった短編を仕上げていく。他の短編も着手していく。白木は横になって武藤を見つめていた。ニヤニヤとした笑いで見つめていた。
武藤はひたすら言葉を量産していた。そうしてファックスから、会社に送る。締め切りは過ぎたものには、事情を話した。苦言を言われた。武藤は謝った。そうして、原稿を送った。白木は消えていた。
「結局、仕事をしていたか」
武藤は疲れて横になったが、ふらふらと浴室に入って、シャワーを浴びる。風呂に入る元気はさすがになったようだ。タイルにシャワーが当たる。シャワーのお湯が排水溝に入っていく。長い髪を武藤は櫛を入れてからシャンプーをする。長い髪にはシャンプーがたくさん必要になる。慣れた様子で洗っている。
視線のようなものを感じたが、武藤は無視した。それが誰であるとかわからない。ただ、白木に探せるのは面倒である。
「白木、見ているのか」
「見ていない。そんなあからさまなことをするか」
風呂から上がって白木に問いかける。白木は暇なのか、武藤が買った雑誌を読んでいるようだ。武藤は髪を乾かす作業に入った。これはなかなか骨が折れる。手櫛で整えながらあらかたを乾かすのだ。頭皮から乾かして、髪先にというのが武藤のやり方だ。櫛で髪を整える。
「一本ちょうだい」
武藤に向かって白木が言った。白木の顔をうかがいながら「やらない」と武藤は言った。
「お使いもうまくできないおまえにやるものはない」
「俺は使い魔じゃないんだ。おまえのお守りだからな。そこを忘れるな」
白木はそう言ってケラケラと笑い始めた。白木らしいと武藤は思った。白木に対して怒りもわかずに、武藤は茶を飲んでいた。
「あれはきっと、麻奈美という奴なんじゃないか」
白木が急に言った。
「あれとは」
「あれはあれ」
白木はそう言ったが、それ以上答えるつもりはないのだろう。何も言わず消えていた。武藤は髪を乾かす作業に戻っていた。ドライヤーの轟音と共に武藤は何かを考えている様子だった。武藤は髪をかわかすとまたパソコンの前に座った。小説を書きつづけていた。
書きつづけて、時間が経つように、武藤の精神もまたすり減っていくことに武藤は気がついているのだろうか。白木はそんな武藤を見ず、天井にぶら下がっていた。
「武藤。これはよくない」
ヒュッと祐樹が息を飲んだ。武藤の背後には白木がいつの間にかいたのだ。祐樹は震えていた。異形のものへの恐怖か、それとも白木に対する恐怖なのか、それはわからないが、祐樹は黙った。
「白木。やめろ」
白木は武藤の横に座る。武藤は無表情である。怯えていた祐樹とは違って落ち着いた声色だった。武藤はお茶を白木に出した。白木はにやにやしながらお茶を飲んで消えた。
「白木って、いうのか。本当の名前か」
「そんなことより」
腹減ったと武藤が言った。カッと更に赤くなった祐樹がいた。
「心配しているんだ。これでも、おまえは俺をうっとしい奴って思っているかもしれないけど」
「本当にそう思っているのは」
どっちだろうなと武藤がつぶやいた。祐樹は黙ったまま部屋から出た。武藤は「やっぱりな」とつぶやいた。なんとなくだが、祐樹が武藤を遠ざけたかったのはわかった。それはあの出来事に関わっているせいで、いやいやという自覚もなく付き合っていたと祐樹は気がついていない。醜悪な自己の精神を覆い隠そうとしている。それは武藤にも言える。
「かわいそうなことを言ったな」
「白木も」
「図々しくて何もできないくせにピーチクパーチクうるさいからさ。鳥の方がましさ」
「そうか」
武藤は黙っていた。そろそろ解放したいという気持ちのようなものが、武藤の中に生まれていた。武藤には到底できないことだが。
「白木。で、彼女の家はどう」
「なんていうか。変わったな。見てくるか」
「えっ」
いきなり、武藤の体は宙に浮いた。ふよふよと風船のように重みがなく、風で吹き飛ばされそうな頼りなさがあった。武藤は天井に浮かんでいると、倒れている武藤の体が見える。ふわふわとした方の武藤の体をつかんだ白木が楽しそうな顔でこっちと言った。
麻奈美は天井を見つめていた。父親と呼べと言った男はカップ麺を用意していた。狭い室内である。麻奈美はカップ麺ができるまで、テレビを見ていた。かわいらしい女の子が出ているアニメだ。小さなキャラクターと楽しげに話すさまは現実にはありえないからこそ楽しげに見える。
父親はとある一室を覗いてはいけないと麻奈美に注意した。麻奈美は見ないことをしている。父親の命令だからではなく、本能的なものだ。だから、武藤と白木が現れたとき、とある細工をした。あえて麻奈美の力を使った。それでも人の家に無断に入るのはそれ相応のリスクがあることを知ってほしいのだ。
「麻奈美。できたよ」
カップ麺の匂いに誘われるように、麻奈美はテレビからテーブルに視点を変える。ぐるりとした眼がじっと箸を見つめていた。箸を持つと、慣れた様子で食べていく。
「麻奈美、野菜の方が好きかな」
「どっちでもいい」
そうかと父親は笑った。もっとも美味しそうに見えるのはと問われなくてよかったと麻奈美は思う。麻奈美はラーメンをすすっていく。熱いラーメンのしょっぱい味に慣れてしまいそうになる麻奈美がいた。麻奈美の食べている様子をニコニコと父親は見ていた。
麻奈美の家の中に入った。といっても、武藤は通り抜けるだけである。麻奈美もその父親らしき人間はいない。キッチンがあり、居間があり、部屋が二つある。キッチンはさっきまで食べただろう、カップ麺が流しに置いてある。武藤はじっと見ていた。白木はいつの間にかいない。
キッチンのテーブルには本がある。近所の本屋のブックカーバーがかけてある。めくろうと触ってみるが通り抜けてしまう。透明な体には、何も触れないようだ。いつも触るドアではなく、壁を通り抜ける。何もない。居間にはテレビがあり、居間のテレビには子供向け番組が流れている。武藤は見つめる。
誰もいない。何もいない。というより、物だけ残して、人はいなくなったというのが正しい。武藤は他の部屋に入ってみるが、何も見つからない。他の部屋には神棚があるだけで、たいしたものはない。じっとしていると「武藤、ごめん。ごめん。起きてくれ」と言われた。誰の声だろう。聞いたことがある声なのに思い出せない。気がつけば草原に来ていた。草原は、青臭さがたちこめ、裸足の武藤に痛みをあえた。それでようやく武藤は我に返っていた。
消毒液の匂いがするベッドに武藤は横になっていた。
「貧血ですね」
後になって医者に言われた。栄養が行き渡らなくて倒れていた。
「気持ち悪くても何か食べないと」
はいと武藤は言われたことを反芻していた。祐樹の声が聞こえたが、祐樹の姿はない。どういうことだろうか。そんなことを武藤は考えている内に祐樹は現れた。なぜかあめ玉を武藤に渡してきた。
「ほれ」
「ありがとう」
武藤は黙っている。横になったまま点滴をしてもらっている。固いベッドは寝心地はよくない。毛布も薄い。武藤はじっと天井を見つめていた。怒られると思ったからだ。
「俺は倒れていたのか」
「真っ青な顔で、な」
「救急車を呼んだのか」
「だろうな」
「世話をかけた。現金は俺が払う」
「貸しだな」
えっと武藤が言った。祐樹は固い表情からようやく笑った。貸しだからとそれきり言わなかった。武藤にはわけのわからないことを言われただけのような気がした。武藤はしばらく頭を振った。
半日で病院は退院して、金は後からということになった。祐樹はその頃になるとまた来て、現金を渡してきた。
「貸しだ。貧乏な作家の投資だから気にするな」
「払える」
「現金だぞ」
「わかった」
相当高い金額である。だから、武藤は余計に苦々しい気持ちになっているのは確かである。ひさしぶりに感じた苦々しい気持ちは武藤にはありがたいような、迷惑のような不思議な気持ちにしたのは確かだ。そんな感情は波打つように簡単に消えていた。
「焼き肉おごれよ」
「貧乏作家には無理だ」
「一発売れてさ」
武藤は家に戻る。白木がいない。そうして、白木を探すことも武藤はしなかった。武藤はあめ玉を一つなめた。あれはと武藤は考える。拒絶だとようやく武藤は気がついた。ますます武藤にはあの麻奈美が気になって仕方がない。
武藤はどうして自分が気になるのか改めて考えてみた。そうして、またあの穴に行かなければならないと気がついた。あの穴は、きっと。
武藤は一昨日の残り物を食べていた。暖かい食事に武藤は淡々と片付けていた。白木が現れたのはそんな頃だ。白木は悪ぶれることもせずに「生きていたか」とあっけらかんと言った。武藤は頷くと白木は何も言わない。弁明もせず、白木は「生きていたのか」と悔しそうな顔もせず、再び言った。
「悪運が強いな」
「そりゃあ、どうも」
「お守りをしているが、まあ、そんなことはどうでもいいか」
武藤は怒りもせず白木を無視して、食事の後片付けをする。後片付けが終わると猛烈な勢いで昨日書けなかった短編を仕上げていく。他の短編も着手していく。白木は横になって武藤を見つめていた。ニヤニヤとした笑いで見つめていた。
武藤はひたすら言葉を量産していた。そうしてファックスから、会社に送る。締め切りは過ぎたものには、事情を話した。苦言を言われた。武藤は謝った。そうして、原稿を送った。白木は消えていた。
「結局、仕事をしていたか」
武藤は疲れて横になったが、ふらふらと浴室に入って、シャワーを浴びる。風呂に入る元気はさすがになったようだ。タイルにシャワーが当たる。シャワーのお湯が排水溝に入っていく。長い髪を武藤は櫛を入れてからシャンプーをする。長い髪にはシャンプーがたくさん必要になる。慣れた様子で洗っている。
視線のようなものを感じたが、武藤は無視した。それが誰であるとかわからない。ただ、白木に探せるのは面倒である。
「白木、見ているのか」
「見ていない。そんなあからさまなことをするか」
風呂から上がって白木に問いかける。白木は暇なのか、武藤が買った雑誌を読んでいるようだ。武藤は髪を乾かす作業に入った。これはなかなか骨が折れる。手櫛で整えながらあらかたを乾かすのだ。頭皮から乾かして、髪先にというのが武藤のやり方だ。櫛で髪を整える。
「一本ちょうだい」
武藤に向かって白木が言った。白木の顔をうかがいながら「やらない」と武藤は言った。
「お使いもうまくできないおまえにやるものはない」
「俺は使い魔じゃないんだ。おまえのお守りだからな。そこを忘れるな」
白木はそう言ってケラケラと笑い始めた。白木らしいと武藤は思った。白木に対して怒りもわかずに、武藤は茶を飲んでいた。
「あれはきっと、麻奈美という奴なんじゃないか」
白木が急に言った。
「あれとは」
「あれはあれ」
白木はそう言ったが、それ以上答えるつもりはないのだろう。何も言わず消えていた。武藤は髪を乾かす作業に戻っていた。ドライヤーの轟音と共に武藤は何かを考えている様子だった。武藤は髪をかわかすとまたパソコンの前に座った。小説を書きつづけていた。
書きつづけて、時間が経つように、武藤の精神もまたすり減っていくことに武藤は気がついているのだろうか。白木はそんな武藤を見ず、天井にぶら下がっていた。
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