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隣人を回避せよ(2)
しおりを挟む千秋はバイトの帰り、これからどうしようか考えていた。
あの人が隣に住んでるなんて、耐えられるわけがない。先月引っ越したばかりなのに、すぐ引っ越しを検討することになるとは思いもしなかった。
アパートに着くと、すでに日は落ちかけていた。
周囲にあの男がいないか確認しつつ、エレベーターに乗り込む。まさか運悪く鉢合わせるなんてないよな。毎日真夜中に帰宅してくる隣人は、そもそも千秋と随分生活スタイルが違うようだから、今日昼に出てきたのは本当にたまたまだったんだ。
エレベーターが目的の階に止まると、例の曲がり角で左右を確認した。よし、廊下には誰もいないな。
部屋にたどり着くにはあの男の部屋の前を通らないといけないが、そこはまあ大した問題じゃない。
部屋の前を通り過ぎようというところで、ふと部屋の表札が目に入った。
『柳瀬』
そうだ。千秋が今の今までなんの違和感も持たなかったのは、これが原因なのだ。
苗字が昔と違う。
引っ越しの際に表札は確認済みだったし、もし前の苗字のままだったならば、例え別人だろうと速攻あの人のことを連想してしまっていたことだろう。
となれば、現在の彼の本名は、柳瀬英司。
でも、なんで苗字が変わってるんだ……?思いつく理由を色々考えてみたが自分の記憶の中に思い当たることはなく、どっちにしろ俺には関係ないかと部屋の鍵を開けて入ろうとした、その時。
ガチャリ。
まさかの隣室の扉が開く音がして、千秋は反射的にパッとそちらを見る。バカ俺、早く入ればよかったのに!
左開きの玄関ドアが開く様子がスローモーションのようだと思った頃にはもう遅く、その隣人がやがて姿を現す。
今度は、顔全体がはっきり見えた。菊池……いや、柳瀬英司。やっぱり、あの人だ。
でも今すぐ逃げたいのに、なんで動かないんだ俺!
さすがに千秋の存在に気づいたらしい、英司は玄関から出てきかけた状態でこちらを見た。
「……あれ、えっと」
目が合うと、心臓がどきりと鳴る。その眼差しを向けられると、より鮮明に昔の記憶だけでなく、雰囲気をも思い出させる。
久しぶりに声、聞いた……。昔よりだいぶ低くなったけど、落ち着いていて、どこか澄んだ声はやっぱり心地いい。
──いつか、あの声で囁かれながら、軽く頭を撫でられたことがある。
ふと思い出すにしても、あんな些細で一瞬のこと……。
やばい、何か言われたとして、なんて答えればいいんだろう。お久しぶりです?元気そうですね?そこまで考えて、ハッとする。いやこいつは今でもたまに夢にまで出てくる最低男だぞ。この際会ってしまったのは仕方ない、罵倒の一つでもしてやればいい。
と、一瞬で結論に辿り着いて臨戦態勢をとった千秋だったが、
「新しい人ですか?」
という言葉に、脳内で用意していた罵倒の言葉の数々は出番なく散っていった。
「あ、……そうです」
その代わり、馬鹿正直に、ごく普通の返事をしてしまった。
千秋の返答に「そっか」と呟いた英司は何を考えているのかわからない顔で、先に玄関の鍵を閉める。
新しい人ですか?って。俺のこと、バカにしてんのか?
しかし目の前の男の様子を見るに、からかっているわけではなく、本当に千秋を今日初めて会った人だと思っているらしい。
「俺、柳瀬と言います。すいません、今頃気づいて」
たしかに昔とは見た目も多少は変わっただろうけど、俺はすぐ…気づいたのに。そもそも俺のこと忘れたのか?
「あー……すみません、ちょっとあの、用事があるのでっ」
千秋は言いながら玄関のドアを開けると「え?」と驚いてる英司をよそに、ガチャン!とドアを思い切り閉じた。
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