零れる

午後野つばな

文字の大きさ
上 下
13 / 30

13話

しおりを挟む
 シオンの屋敷に滞在して数日経過したころには、アオは落ち着かない気持ちになっていた。ただの客人であるという立場に、甘えていていいのだろうか。
 リコは、たまっていた感情を吐き出した後は、まるで憑き物が落ちたようにすっきりとした顔をしていた。ときおりカイルとふたりでいるところを見かけることがあった。そんなとき、リコがすっかりカイルに心を許しているのがアオにはわかった。
「アオ! 見て、これ、カイルがくれたんだ!」
 扉が勢いよく開く音がして、リコとカイルが部屋に入ってくる。少し前からその姿が見えないな、と思っていたリコが手にしているのは、何かの書物のようだ。
「カイルがね、昔使っていた教科書だって。時間があるときに、俺に勉強を教えてくれるって」
 瞳をきらきらさせ、無邪気に笑うリコは本当にうれしそうで、アオは温かい気持ちになった。
「そうか、よかったな」
 くしゃりと弟の髪をかき混ぜてやると、リコがアオの腰にしがみついてきた。
「……リコ?」
 ぎゅうぎゅうとしがみついてくるリコを不思議に思いながら、アオは少し離れた場所から自分たちのようすを見守っている背の高い男を見上げた。
「カイル。リコによくしてくれて本当に感謝している。ありがとう」
「いえ」
 カイルがほほ笑む。リコはアオから身体を離すと、照れたようにえへへと笑った。それからカイルを振り向き、
「カイル、いまからでもいい? 忙しい?」
 と訊ねた。
「大丈夫ですよ。それでは温室へ移動しましょうか。いまの時間は過ごしやすいはずですよ。ついでに調理場へ寄って、こないだリコがおいしいと言っていた焼き菓子をいただいてきましょうか」
「やったあ! それじゃあアオ、ちょっといってくるね」
「ああ」
 再びアオがひとりになると、急に部屋の中はがらんと広くなった気がした。
 リコとカイルの仲がいいのは喜ばしいことだ。会ってまだ間もないふたりだけれど、互いに心を許し合っているのがわかる。よかった、と思うのはアオの本心だ。リコが幸せになれて、本当によかった。
 それなのになぜだろう、ほんの少しだけ寂しさを感じる。リコの幸せはアオにとって一番の願いであったはずなのに、まるで自分の役割は終わったのだと告げられるような、取り残されたような気持ちになった。
 アオは頭を振った。これもきっと部屋に閉じこもっているせいだ。
 カイルがちゃんと言い含めてくれているのか、以前のときのように使用人たちから露骨な嫌がらせをされることはなかった。けれど、アオたちが招かれざる客であることには変わりない。まるで腫れ物に触るように遠巻きにされるだけで、必要がない限りはただ空気のように扱われる。それは、この屋敷の当主、シオンの意志であることに他ならない。
「よしっ」
 アオは部屋を出ると、各部屋のタオルやシーツなどを交換しているメイドに声をかけた。何か自分にもできることはないかと訊ねたが、メイドは困惑した顔をするだけで、逃げるようにアオの前から立ち去ってしまった。
 次にアオが顔を出したのは、調理場だ。ここではコックたちが忙しそうに立ち働いていて、声をかける隙さえなかった。どこへいっても、使用人たちは皆アオが声をかける前に、逃げるようにいなくなってしまう。
 やっぱり一度シオンとちゃんと話さなきゃだめだ。
 アオは、カイルにシオンと会うことができないかを訊ねた。最初は玄関ホールなどで待ち伏せをすることも考えたのだが、すぐにそれが簡単でないことに気がついた。ただでさえ多忙なシオンはつかまえることが難しい上、彼のほうは反対にアオを避けている節さえあったからだ。
「シオンにですか? それはあまりよい考えだとは思えませんが……」
 案の定、アオの言葉にカイルはよい顔をしなかった。それでもアオがしつこく粘ると、渋々とその日のシオンのスケジュールを教えてくれた。
 その夜。アオは念のためカイルに教えてもらった時間よりも早く、玄関ホールのソファに陣取ってシオンの帰りを待った。途中、通りがかりの使用人に不審そうにされたけれど、アオは気にしなかった。
 玄関の前に、黒塗りの高級車がすっと止まる。運転手が下りてきて後ろに回ったら、後部ドアからシオンが出てきた。
「シオン!」
 シオンはアオに気がつくと、明らかに嫌そうな顔になった。そのまま無視してアオの横を通り過ぎようとする。アオはシオンの腕をつかんだ。
「シオン! 待てよ! 俺、あんたに話があるんだ」
 シオンが足を止める。射るような青い瞳に見据えられて、胸がツキン、と痛んだ。それでも負けまいとアオが視線をそらさずにいると、シオンは諦めたようにため息を吐いた。
「何の用だ」
 アオは、ぱっと目を瞠った。シオンが話を聞いてくれる。そのことが無性にうれしかった。
「あの、俺、ここで世話になっている間、何か仕事がしたいんだ。あんたたちに助けてもらったのは感謝している。リコがカイルのつがいの相手だっていうのも、正直びっくりした。でもさ、それだけじゃ俺たちがここにいていい理由にならないだろ?」
 いつシオンの気が変わっていってしまうかわからない。勢い込んで告げるアオに、シオンは怪訝な顔をした。
「どういう意味だ」
 気のせいか、さっきよりもシオンの表情に不機嫌さが増している気がする。
 アオはどきどきした。アオは普段、自分の気持ちを伝えることに慣れてはいない。リコ以外、これまで自分の話を聞いてくれる人などいなかったからだ。なんて説明したら伝わるだろう。焦れば焦るほど頭の中は真っ白になり、じっと見つめられて、顔がかあっと熱くなった。
「ほんとになんでもいいんだよ。俺、学歴もないし、頭もあんまよくないからさ、言ってもできることなんて限られてるかもしれない。でも、汚れ仕事なら慣れてる。俺が言ってもきっとだめだ。できればあんたから言ってもらえないかな……?」
 アオは、さっきから無言でいるシオンが気になった。アオが顔色を窺うようにちらっと見ると、じっと何かを考えていたらしいシオンは小さく呼吸を吐いた。
「仕事がないと居づらいというわけか」
「う、うん。そうなんだよ!」
 自分の言っていることがシオンに伝わって、アオはほっとした。
 だけど、わかった、とシオンから短い返答が返ってきたとき、アオはきょとんとした。
「えっ?」
 いま何て……?
 すでに歩き始めていたシオンが足を止め、振り返る。
「だからわかったと言ったんだ。お前に何か仕事を与えるよう、カイルに言っておく」
 まだ何か? というシオンの瞳に、アオはぶんぶんと頭を振った。
「あっ、ありがとう!」
 すでに歩き始めているシオンの背中を眺めながら、アオは胸が沸き立つような、切ないような、自分でもどうしていいかわからない気持ちになった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

幼馴染から離れたい。

June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。 だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。 βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。 誤字脱字あるかも。 最後らへんグダグダ。下手だ。 ちんぷんかんぷんかも。 パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・ すいません。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

【続篇完結】第四皇子のつがい婚―年下皇子は白百合の香に惑う―

熾月あおい
BL
嶌国の第四皇子・朱燎琉(α)は、貴族の令嬢との婚約を前に、とんでもない事故を起こしてしまう。発情して我を失くし、国府に勤める官吏・郭瓔偲(Ω)を無理矢理つがいにしてしまったのだ。 その後、Ωの地位向上政策を掲げる父皇帝から命じられたのは、郭瓔偲との婚姻だった。 納得いかないながらも瓔偲に会いに行った燎琉は、そこで、凛とした空気を纏う、うつくしい官吏に引き合わされる。漂うのは、甘く高貴な白百合の香り――……それが燎琉のつがい、瓔偲だった。 戸惑いながらも瓔偲を殿舎に迎えた燎琉だったが、瓔偲の口から思ってもみなかったことを聞かされることになる。 「私たちがつがってしまったのは、もしかすると、皇太子位に絡んだ陰謀かもしれない。誰かの陰謀だとわかれば、婚約解消を皇帝に願い出ることもできるのではないか」 ふたりは調査を開始するが、ともに過ごすうちに燎琉は次第に瓔偲に惹かれていって――……? ※「*」のついた話はR指定です、ご注意ください。 ※第11回BL小説大賞エントリー中。応援いただけると嬉しいです!

オメガ嫌いなアルファ公爵は、執事の僕だけはお気に入りのオメガらしい。

天災
BL
 僕だけはお気に入りらしい。

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

花いちもんめ

月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。 ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。 大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。 涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。 「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。

完結⭐︎キツネの嫁入り

66
BL
後宮もの、18禁、オメガバース、ヤンデレ 扉絵はなつさ様Twitter(@reona0598)にかいていただきました♡あちは様@gwvjjjtありがとうございます♡

処理中です...