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2話
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アオが家に帰ると、ベッドで寝ているはずのリコが、キッチンで湯を沸かしていた。
「アオ、お帰り。遅くまでお仕事おつかれさま。きょうは寒かったでしょう?」
「リコ、お前具合は? 寝てなくていいのか?」
「うん。さっきまでずっと寝ていたんだけど、だいぶよくなったから。お茶でも入れようかなと思って」
「お茶なら俺が入れる」
アオは、「このぐらい大丈夫なのに……」と渋るリコをベッドへ追い立てた。
沸騰した湯をマグカップにそそいで、ティーバッグを入れた。残り少なくなった紅茶を見て、次の給料が出たら買わなければと、アオは頭の隅に書き留めた。
リコは枕を背もたれにして、ベッドで本を読んでいた。アオを見て、開いていた本の背を伏せる。リコの肌は抜けるように白く、顔立ちもアオとは似ていない。
「きょうはどうだった?」
ベッドの端に腰を下ろして訊ねたアオの言葉に、リコはマグカップを受け取りながら、ふふっと笑った。
ーーきょうはどうだった?
それは、アオたち兄弟の合い言葉だ。
アオとリコは、実は血がつながっていない。おそらくはオメガとして生まれた子どもに絶望して、親から捨てられた赤ん坊ーーそれがリコだ。アオの両親がその赤ん坊を拾ったとき、リコは御包みさえ着せられていなかった。生まれたままの姿で寒さに震え、声を上げて泣く元気さえなかった。きっと見つけたのがあとほんの少しでも遅かったなら、いまごろリコはここにいなかっただろう。
リコ、という名前はアオの両親がつけた。
決して裕福な家庭ではなかったが、アオの両親は幼いふたりの子どもを、分け隔てなく育てた。
そんな生まれのせいか、リコは幼いときから身体が弱く、よく熱を出した。
ーーアオ、きょうは何をしたの? 学校でどうだった? 何をしてあそんだ?
アオが学校から帰ってくるたびに、幼いリコは熱でその顔を真っ赤にさせながらも、瞳をキラキラとさせて、兄の話を聞きたがった。
ーーリコは? リコはどんな一日だった?
同じくまだ子どもだったアオが訊ねると、リコは少しだけ恥ずかしそうにして、けれど弾けるような笑い声をあげた。
愛情あふれる家庭だったと思う。
両親が亡くなったのはいまから四年前、アオがいまのリコの歳のころのことだ。交通事故で、相手は酔っぱらいの居眠り運転だった。
警察から連絡があったとき、アオは病院の霊安室で、変わり果てた姿の両親と対面した。
ーーアオ?
指でアオのシャツの裾をつんつんと引っ張り、不安そうな声で自分の名前を呼ぶリコを、アオはぎゅっと抱きしめた。
自分がこの小さな弟を守らなければ……。
両親を亡くしたことへの悲しさや寂しさは、いきなり押し寄せてきたさまざまな現実問題によって、感じている余裕はアオにはなかった。必死だったのだ。幼い弟を抱えて、まだ学生にすぎなかったアオは一足飛びに大人になるしか方法はなかった。
両親はふたりの息子にいくばくかの金を残してくれたが、計算すると大して持たないことがわかった。
まずアオは学校を辞め、両親との思い出が残る家を出ると、安いアパートを借りた。リコを施設に預けるという選択肢は最初からなかった。たとえ血なんか繋がっていなくても、アオにとってリコは掛け替えのない兄弟であり、唯一残された大切な家族だった。生活は苦しいながらも、ふたりだけの生活は順調にいっているように思えた。翌年、アオが初めての発情期を迎えるまではーー。
アオは鶏のガラで出汁をとると、スープを作った。少ない具は、なるべくリコの皿に入れてやる。リコはそれを見ると、首をかしげた。自分の皿からじゃがいもをスプーンですくいとって、アオの皿に入れた。
「あっ、こら!」
アオが咎めると、リコはまるでイタズラが見つかった子どものように肩をすくめ、ふふっと笑った。
「だってアオのほうが働いて疲れてるもの」
「俺はいーんだよ。そんなに腹は空いてない」
嘘だった。本当は、腹の虫がぐうぐう鳴くほど、お腹がすいていた。アオは自分の皿からジャガイモをすくいとると、リコの皿に戻した。
「あー、もう……」
「いいからしっかり食べな」
手を伸ばし、テーブル越しに弟の髪をくしゃっとかき混ぜると、リコは諦めたように素直にスープを口へ運んだ。
夕食を食べ終え、アオがキッチンで後片付けをしていると、とっくにベッドで休んだはずのリコが立っていた。
「どうした?」
洗い物の手を止め、布巾で濡れた手を拭きながら、振り向こうとしたそのとき、背後からきゅっと抱きしめられた。
「……眠れないか?」
アオは顔だけを後ろにいるリコのほうに向けると、腰にまわされた手をぽんぽん、と軽くたたいた。そうしていると、小さかったころのリコの姿が思い出された。
ーーねえ、アオ。ぼくたち、血が繋がってないって、ほんとうの家族じゃないってほんと?
ーーねえ、アオ。お父さんたちが死んじゃったってほんと? ぼくたち、もう一緒に暮らせないんだって。どうして? どうしてこれから先もずっとアオと一緒にいられないの?
ーーぼくね、ぼく、アオがこの世でいちばん大好きだよ。ずっとずっと大好きだよ。
リコはアオの背中に顔を埋めるようにして甘えると、ふるふるっと頭を振った。
「ねえ、アオ? 俺もね、アオが一番大事だよ。だからアオにばかりつらい思いはさせたくない。俺だってアオのことが守りたい」
何かに感づいているのか、声に不安を滲ませるリコに、アオはそうと気づかれないようそっと息を吐き出した。
後ろ暗いことならたくさんある。リコにだけは知られたくないと思っていることも、たくさん。血が繋がっていなくたって、そんなことは関係なかった。リコは、アオにとって唯一の宝物だから。大切な家族だから。たとえ何をしてでも自分がこの幼い弟を守ると、アオは心に誓ったーー。
「だったらリコ、頼みがある」
アオはリコの身体をそっと離すと、まだ幾分あどけなさの残る弟の顔をじっと見つめる。
「はい」
アオの真剣な表情に、リコがわずかに緊張した。
「いいからさっさとベッドで休め! ちょっと具合がよくなったからって、調子に乗ってると、また熱を出すぞ!」
「えええ~っ」
真面目に言っているのにと、ぶつぶつ文句を言いながらも、大人しく言いつけを守るリコに、アオはふっと笑みを漏らした。リコの姿が見えなくなってから、アオは表情を消した。
アオが初めての発情期を迎えたのは、ちょうどいまのリコと同じ歳だ。人によって個体差があるとはいえ、いつリコにもその時期がくるとは限らない。
オメガは三ヶ月に一度、発情期を迎える。発情抑制剤や抑制器で多少抑えることもでき、緊急用に特効薬がある。薬はすべて配給制だが、副作用があった。悪寒や発熱、頭痛、吐き気などその症状は個体差があるが、発情期の間は基本何もできなくなるため、働くことはできなくなる。
また金か……。
アオは、暗い笑みを浮かべた。のし掛かってくる重圧に、アオはどうしようもなく押しつぶされそうになるときがあった。
ーーアオ、大好き! ぼくは、世界で一番アオのことが大好き!
ふいに、子どものころのリコの声が聞こえた。
弱音なんて吐いている余裕はない。そんな暇があったら、考えろ。どうしたらこの地獄から抜け出すことができるのか。リコを自分と同じ目に遭わさずにすむのか。
アオは唇を噛みしめた。それから残っている後片付けを済ませるため、疲れて重たい身体を無理矢理動かした。
「アオ、お帰り。遅くまでお仕事おつかれさま。きょうは寒かったでしょう?」
「リコ、お前具合は? 寝てなくていいのか?」
「うん。さっきまでずっと寝ていたんだけど、だいぶよくなったから。お茶でも入れようかなと思って」
「お茶なら俺が入れる」
アオは、「このぐらい大丈夫なのに……」と渋るリコをベッドへ追い立てた。
沸騰した湯をマグカップにそそいで、ティーバッグを入れた。残り少なくなった紅茶を見て、次の給料が出たら買わなければと、アオは頭の隅に書き留めた。
リコは枕を背もたれにして、ベッドで本を読んでいた。アオを見て、開いていた本の背を伏せる。リコの肌は抜けるように白く、顔立ちもアオとは似ていない。
「きょうはどうだった?」
ベッドの端に腰を下ろして訊ねたアオの言葉に、リコはマグカップを受け取りながら、ふふっと笑った。
ーーきょうはどうだった?
それは、アオたち兄弟の合い言葉だ。
アオとリコは、実は血がつながっていない。おそらくはオメガとして生まれた子どもに絶望して、親から捨てられた赤ん坊ーーそれがリコだ。アオの両親がその赤ん坊を拾ったとき、リコは御包みさえ着せられていなかった。生まれたままの姿で寒さに震え、声を上げて泣く元気さえなかった。きっと見つけたのがあとほんの少しでも遅かったなら、いまごろリコはここにいなかっただろう。
リコ、という名前はアオの両親がつけた。
決して裕福な家庭ではなかったが、アオの両親は幼いふたりの子どもを、分け隔てなく育てた。
そんな生まれのせいか、リコは幼いときから身体が弱く、よく熱を出した。
ーーアオ、きょうは何をしたの? 学校でどうだった? 何をしてあそんだ?
アオが学校から帰ってくるたびに、幼いリコは熱でその顔を真っ赤にさせながらも、瞳をキラキラとさせて、兄の話を聞きたがった。
ーーリコは? リコはどんな一日だった?
同じくまだ子どもだったアオが訊ねると、リコは少しだけ恥ずかしそうにして、けれど弾けるような笑い声をあげた。
愛情あふれる家庭だったと思う。
両親が亡くなったのはいまから四年前、アオがいまのリコの歳のころのことだ。交通事故で、相手は酔っぱらいの居眠り運転だった。
警察から連絡があったとき、アオは病院の霊安室で、変わり果てた姿の両親と対面した。
ーーアオ?
指でアオのシャツの裾をつんつんと引っ張り、不安そうな声で自分の名前を呼ぶリコを、アオはぎゅっと抱きしめた。
自分がこの小さな弟を守らなければ……。
両親を亡くしたことへの悲しさや寂しさは、いきなり押し寄せてきたさまざまな現実問題によって、感じている余裕はアオにはなかった。必死だったのだ。幼い弟を抱えて、まだ学生にすぎなかったアオは一足飛びに大人になるしか方法はなかった。
両親はふたりの息子にいくばくかの金を残してくれたが、計算すると大して持たないことがわかった。
まずアオは学校を辞め、両親との思い出が残る家を出ると、安いアパートを借りた。リコを施設に預けるという選択肢は最初からなかった。たとえ血なんか繋がっていなくても、アオにとってリコは掛け替えのない兄弟であり、唯一残された大切な家族だった。生活は苦しいながらも、ふたりだけの生活は順調にいっているように思えた。翌年、アオが初めての発情期を迎えるまではーー。
アオは鶏のガラで出汁をとると、スープを作った。少ない具は、なるべくリコの皿に入れてやる。リコはそれを見ると、首をかしげた。自分の皿からじゃがいもをスプーンですくいとって、アオの皿に入れた。
「あっ、こら!」
アオが咎めると、リコはまるでイタズラが見つかった子どものように肩をすくめ、ふふっと笑った。
「だってアオのほうが働いて疲れてるもの」
「俺はいーんだよ。そんなに腹は空いてない」
嘘だった。本当は、腹の虫がぐうぐう鳴くほど、お腹がすいていた。アオは自分の皿からジャガイモをすくいとると、リコの皿に戻した。
「あー、もう……」
「いいからしっかり食べな」
手を伸ばし、テーブル越しに弟の髪をくしゃっとかき混ぜると、リコは諦めたように素直にスープを口へ運んだ。
夕食を食べ終え、アオがキッチンで後片付けをしていると、とっくにベッドで休んだはずのリコが立っていた。
「どうした?」
洗い物の手を止め、布巾で濡れた手を拭きながら、振り向こうとしたそのとき、背後からきゅっと抱きしめられた。
「……眠れないか?」
アオは顔だけを後ろにいるリコのほうに向けると、腰にまわされた手をぽんぽん、と軽くたたいた。そうしていると、小さかったころのリコの姿が思い出された。
ーーねえ、アオ。ぼくたち、血が繋がってないって、ほんとうの家族じゃないってほんと?
ーーねえ、アオ。お父さんたちが死んじゃったってほんと? ぼくたち、もう一緒に暮らせないんだって。どうして? どうしてこれから先もずっとアオと一緒にいられないの?
ーーぼくね、ぼく、アオがこの世でいちばん大好きだよ。ずっとずっと大好きだよ。
リコはアオの背中に顔を埋めるようにして甘えると、ふるふるっと頭を振った。
「ねえ、アオ? 俺もね、アオが一番大事だよ。だからアオにばかりつらい思いはさせたくない。俺だってアオのことが守りたい」
何かに感づいているのか、声に不安を滲ませるリコに、アオはそうと気づかれないようそっと息を吐き出した。
後ろ暗いことならたくさんある。リコにだけは知られたくないと思っていることも、たくさん。血が繋がっていなくたって、そんなことは関係なかった。リコは、アオにとって唯一の宝物だから。大切な家族だから。たとえ何をしてでも自分がこの幼い弟を守ると、アオは心に誓ったーー。
「だったらリコ、頼みがある」
アオはリコの身体をそっと離すと、まだ幾分あどけなさの残る弟の顔をじっと見つめる。
「はい」
アオの真剣な表情に、リコがわずかに緊張した。
「いいからさっさとベッドで休め! ちょっと具合がよくなったからって、調子に乗ってると、また熱を出すぞ!」
「えええ~っ」
真面目に言っているのにと、ぶつぶつ文句を言いながらも、大人しく言いつけを守るリコに、アオはふっと笑みを漏らした。リコの姿が見えなくなってから、アオは表情を消した。
アオが初めての発情期を迎えたのは、ちょうどいまのリコと同じ歳だ。人によって個体差があるとはいえ、いつリコにもその時期がくるとは限らない。
オメガは三ヶ月に一度、発情期を迎える。発情抑制剤や抑制器で多少抑えることもでき、緊急用に特効薬がある。薬はすべて配給制だが、副作用があった。悪寒や発熱、頭痛、吐き気などその症状は個体差があるが、発情期の間は基本何もできなくなるため、働くことはできなくなる。
また金か……。
アオは、暗い笑みを浮かべた。のし掛かってくる重圧に、アオはどうしようもなく押しつぶされそうになるときがあった。
ーーアオ、大好き! ぼくは、世界で一番アオのことが大好き!
ふいに、子どものころのリコの声が聞こえた。
弱音なんて吐いている余裕はない。そんな暇があったら、考えろ。どうしたらこの地獄から抜け出すことができるのか。リコを自分と同じ目に遭わさずにすむのか。
アオは唇を噛みしめた。それから残っている後片付けを済ませるため、疲れて重たい身体を無理矢理動かした。
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