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普段源が家から庭に出入りしているときに使っている縁側の窓ガラスに手をかけた。鍵はかかっておらず、窓は簡単に開いた。さすがに不法侵入ということはわかっていて、緊張で心臓がドキドキする。ひどく怒られたらどうしよう。
源は、一階の奥の二部屋をアトリエとして使用している。手前の部屋の棚にはガラス瓶に入った色とりどりの岩絵の具が並べられていて、晴れた日は差し込む光に反射してきらきらと輝いてとてもきれいだ。
「……源?」
アトリエの中は薄暗かった。やっぱりいないのだろうかと篤郎が思ったとき、その声が聞こえた。
「ーー……アッ! ああ!」
篤郎はぎくりとした。反射的にあたりを見回すが、その場に篤郎を咎める者はいない。
「ああ……っ!」
声はアトリエの奥から聞こえてくる。まるで何かを堪えるような辛そうな声に、篤郎の心臓は不安と緊張でばくばく鳴った。
「源……?」
奥の部屋でふたりの人間が重なり合うように蠢いていた。相手に覆いかぶさる源は上半身裸で、ゆるく穿いたデニムを腰の下まで下ろしている。一部だけ覗く臀部が、源の動きに合わせて生き物のように妖しく動いた。
獣のような荒い息づかいが恐ろしかった。源が誰かとケンカをしているなら止めてあげなきゃと思うのに、未知の感覚が篤郎をその場に踏み止ませる。ここはお前がいていい場所じゃないと警告する。
「源……?」
何してるの……?
篤郎は紫陽花を握りしめる手にぎゅっと力を込めた。心臓はあり得ないくらいにドキドキ鳴っている。足の裏が床にぴたりと貼りついたみたいに動かすことができなかった。源の手が、下にいる人の足を左右に大きく割った。
「ーー……っ!」
そのとき、鋭い悲鳴のような声とともに、源の下にいた人が身体をのけぞらせた。ほっそりとした首が鮮やかに目に焼き付く。まるで鈍器で殴られたようなショックに、篤郎は大きく目を瞠った。
「ふぅ、ああーー……んっ!」
その場にいてはいけないことも忘れて、一体自分が何を目にしているのかさえわからずに、篤郎は声を上げて泣いた。そのくせ、普段おしっこをするときにしか使わない部位が、張りつめたように痛むのも怖かった。
ぎょっとしたのは、奥の部屋にいたふたりだった。
「あつ!? お前なんで……っ!?」
源が飛び退くように下にいる男の身体から離れると、部屋の前で泣いている篤郎を抱き上げた。
「なんだ、お前なんで泣いている?」
珍しく焦ったような声を上げる源の腕の中で、篤郎は瞼を擦りながら、もうひとりの男がシャツを羽織るのを眺めた。シャツの裾からのぞく太股がやけに白くて艶めかしくて、見てはいけないものを目にしてしまった気がする。
「篤郎? おいどうした、篤郎?」
源に理由を訊ねられても、篤郎はどうして自分がこんなにショックを受けているのかわからなかった。ただぐずぐずと洟をすすり、源の胸元へと額を押しつける。
「ショックを受けさせちゃったのでしょうか?」
素早く身なりを整えた男が源に話しかける。それは、以前からときどき源の家ですれ違うことのある男だった。花園画廊の源の担当者ーー確か名前は日下という男だ。間近で見て初めて、篤郎は男がひどくきれいな顔をしていることに気がついた。邪魔をしたのは篤郎のほうなのに、日下は怒っているようには見えなかった。彼は篤郎を見て微笑むと、ごめんね、と囁いた。篤郎はふいっと反対側を向いた。そのくせ気になって、再度ちらっと日下を見た。
源が舌打ちをした。
「悪い、日下。きょうは……」
「ええ。失礼しますね」
男の長い睫毛がそっと伏せられる。肌理の細かい陶器のような肌に淡い影が落ちて、幼い篤郎の目にも美しく映った。
そのとき、男のすらりとした指が、篤郎を腕に抱く源の後頭部に触れた。引き寄せるようにそっと源に口づける。源はそれを避けるでもなく、男の好きにさせていた。
どくん、と篤郎の胸が鳴った。荒い波が立つように、ざわざわした不安が篤郎の胸を騒がせる。
源に触らないで。
なぜそんなことを思ったのか、そのときの篤郎にはわからない。すぐ近くにいるのに、源をどこか見知らぬ遠い場所へさらわれてしまうような気がした。篤郎は唇を噛みしめると、源の胸に顔を押し当てた。
源は、一階の奥の二部屋をアトリエとして使用している。手前の部屋の棚にはガラス瓶に入った色とりどりの岩絵の具が並べられていて、晴れた日は差し込む光に反射してきらきらと輝いてとてもきれいだ。
「……源?」
アトリエの中は薄暗かった。やっぱりいないのだろうかと篤郎が思ったとき、その声が聞こえた。
「ーー……アッ! ああ!」
篤郎はぎくりとした。反射的にあたりを見回すが、その場に篤郎を咎める者はいない。
「ああ……っ!」
声はアトリエの奥から聞こえてくる。まるで何かを堪えるような辛そうな声に、篤郎の心臓は不安と緊張でばくばく鳴った。
「源……?」
奥の部屋でふたりの人間が重なり合うように蠢いていた。相手に覆いかぶさる源は上半身裸で、ゆるく穿いたデニムを腰の下まで下ろしている。一部だけ覗く臀部が、源の動きに合わせて生き物のように妖しく動いた。
獣のような荒い息づかいが恐ろしかった。源が誰かとケンカをしているなら止めてあげなきゃと思うのに、未知の感覚が篤郎をその場に踏み止ませる。ここはお前がいていい場所じゃないと警告する。
「源……?」
何してるの……?
篤郎は紫陽花を握りしめる手にぎゅっと力を込めた。心臓はあり得ないくらいにドキドキ鳴っている。足の裏が床にぴたりと貼りついたみたいに動かすことができなかった。源の手が、下にいる人の足を左右に大きく割った。
「ーー……っ!」
そのとき、鋭い悲鳴のような声とともに、源の下にいた人が身体をのけぞらせた。ほっそりとした首が鮮やかに目に焼き付く。まるで鈍器で殴られたようなショックに、篤郎は大きく目を瞠った。
「ふぅ、ああーー……んっ!」
その場にいてはいけないことも忘れて、一体自分が何を目にしているのかさえわからずに、篤郎は声を上げて泣いた。そのくせ、普段おしっこをするときにしか使わない部位が、張りつめたように痛むのも怖かった。
ぎょっとしたのは、奥の部屋にいたふたりだった。
「あつ!? お前なんで……っ!?」
源が飛び退くように下にいる男の身体から離れると、部屋の前で泣いている篤郎を抱き上げた。
「なんだ、お前なんで泣いている?」
珍しく焦ったような声を上げる源の腕の中で、篤郎は瞼を擦りながら、もうひとりの男がシャツを羽織るのを眺めた。シャツの裾からのぞく太股がやけに白くて艶めかしくて、見てはいけないものを目にしてしまった気がする。
「篤郎? おいどうした、篤郎?」
源に理由を訊ねられても、篤郎はどうして自分がこんなにショックを受けているのかわからなかった。ただぐずぐずと洟をすすり、源の胸元へと額を押しつける。
「ショックを受けさせちゃったのでしょうか?」
素早く身なりを整えた男が源に話しかける。それは、以前からときどき源の家ですれ違うことのある男だった。花園画廊の源の担当者ーー確か名前は日下という男だ。間近で見て初めて、篤郎は男がひどくきれいな顔をしていることに気がついた。邪魔をしたのは篤郎のほうなのに、日下は怒っているようには見えなかった。彼は篤郎を見て微笑むと、ごめんね、と囁いた。篤郎はふいっと反対側を向いた。そのくせ気になって、再度ちらっと日下を見た。
源が舌打ちをした。
「悪い、日下。きょうは……」
「ええ。失礼しますね」
男の長い睫毛がそっと伏せられる。肌理の細かい陶器のような肌に淡い影が落ちて、幼い篤郎の目にも美しく映った。
そのとき、男のすらりとした指が、篤郎を腕に抱く源の後頭部に触れた。引き寄せるようにそっと源に口づける。源はそれを避けるでもなく、男の好きにさせていた。
どくん、と篤郎の胸が鳴った。荒い波が立つように、ざわざわした不安が篤郎の胸を騒がせる。
源に触らないで。
なぜそんなことを思ったのか、そのときの篤郎にはわからない。すぐ近くにいるのに、源をどこか見知らぬ遠い場所へさらわれてしまうような気がした。篤郎は唇を噛みしめると、源の胸に顔を押し当てた。
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