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徹の引っ越しの日は、空がきりりと澄み渡る秋晴れの日だった。
徹とそういうことになった後、ふたりでよく話し合ってそう決めた。この先もつき合っていくのなら、これまでのような曖昧な関係はよくない、けじめが必要だという日下の言葉に、徹も同意したからだ。新居が見つかるまでの一ヶ月ほど、日下と徹はこれまで通りの日常を過ごし、夜は愛を交わした。
荷物がなくなり、がらんとした徹の部屋の中で、日下は佇んでいた。開いた窓からフローリングの床に、白い光が差し込んでいる。甘く清冽な匂いがした。庭に植えてある金木犀の香りだろう。
「衛さん、ここにいた」
部屋の入口に手をかけるようにして、徹が顔をのぞかせた。
「もう時間か」
「うん。そろそろ出るって」
引っ越しは専門の業者に頼んだ。これから徹は大学近くのアパートで一人暮らしをする。新居に着いたら大学の友人が引っ越し作業を手伝ってくれるらしい。日下がすることは何もない。
「衛さん」
部屋の真ん中に立ったまま、一歩も動こうとしない日下に、徹が近づく。
「どうした、急に寂しくなった?」
腰に腕を回すように、抱きしめられる。こめかみにキスを落とされて、日下は息を吐くと、徹の胸にこてんと頭を寄せた。
「……ああ、寂しい。この家からお前がいなくなるんだな」
当然わかっていたことだが、こんなに寂しい気持ちになるとは思わなかった。
沈黙が落ちて、怪訝に思った日下が顔を上げると、ぎゅうぎゅうと徹に抱きしめられた。
「……ああ、もう」
呆れたように呟く徹の顔は、なぜだか困ったような、何かを堪えるような複雑な表情を浮かべていた。明るく輝いた瞳が日下を見て微笑む。
「衛さん」
何だと眉を顰めた日下の頬に、徹の手が触れた。聡明さが滲む瞳が、まっすぐに日下を見る。普段日下が好ましく感じている徹の瞳だ。
「週末には戻ってくるよ。衛さんが寂しいときは、いつだって飛んでくる。だから我慢しないで。衛さんが思っていること、全部俺に話して」
「……わかっている」
いま、自分たちが離れるのは将来のためだ。ふたりがこれから先も、一緒に生きていこうと決めたからだ。これまでの日下だったらそんなことは絵空事だと、信じることはできなかっただろう。
目を閉じて、口づけを交わす。愛おしむように、互いの身体を抱きしめる。
窓の外からクラクションが聞こえた。引っ越しのトラックが出発する時間だ。
日下は徹の胸に手をつくと、思い切ったように彼から離れた。
「ほら、もういけ」
数歩後ろに下がり、柔らかな光の中に佇む徹を眺める。あの小さな子どもが立派な大人になった。日下にとっては自慢の甥で、かけがえのない大切な恋人。
不安がまったくないと言ったら嘘になる。だけどきっと大丈夫だ。たとえ一時的に離れたとしても、徹とふたり、この先もやっていける。日下はそう信じることができた。
いつの間にか自分が微笑んでいたことに、日下は気づかなかった。徹がはっと見とれたような表情を浮かべた後、照れたように微笑み、数歩で日下に近づいた。その手を握り、そっとキスをした。
「いってきます」
やがてはにかむような笑みを浮かべた後、身を翻すように部屋から出ていった。玄関が閉まる音が聞こえ、徹が乗った引っ越しのトラックが私道から遠ざかるのを、日下は窓辺に佇んだまま見送る。
「さあ仕事だ」
窓を閉め、空っぽになった徹の部屋から出る。玄関の鍵を閉め、金木犀の木の下に止めてあった花園画廊のバンに乗り込み、車のキーを回した。パワーウィンドウを下ろし、バックで私道を出る。遠くの空で、トンビの鳴き声が聞こえた。
了
徹とそういうことになった後、ふたりでよく話し合ってそう決めた。この先もつき合っていくのなら、これまでのような曖昧な関係はよくない、けじめが必要だという日下の言葉に、徹も同意したからだ。新居が見つかるまでの一ヶ月ほど、日下と徹はこれまで通りの日常を過ごし、夜は愛を交わした。
荷物がなくなり、がらんとした徹の部屋の中で、日下は佇んでいた。開いた窓からフローリングの床に、白い光が差し込んでいる。甘く清冽な匂いがした。庭に植えてある金木犀の香りだろう。
「衛さん、ここにいた」
部屋の入口に手をかけるようにして、徹が顔をのぞかせた。
「もう時間か」
「うん。そろそろ出るって」
引っ越しは専門の業者に頼んだ。これから徹は大学近くのアパートで一人暮らしをする。新居に着いたら大学の友人が引っ越し作業を手伝ってくれるらしい。日下がすることは何もない。
「衛さん」
部屋の真ん中に立ったまま、一歩も動こうとしない日下に、徹が近づく。
「どうした、急に寂しくなった?」
腰に腕を回すように、抱きしめられる。こめかみにキスを落とされて、日下は息を吐くと、徹の胸にこてんと頭を寄せた。
「……ああ、寂しい。この家からお前がいなくなるんだな」
当然わかっていたことだが、こんなに寂しい気持ちになるとは思わなかった。
沈黙が落ちて、怪訝に思った日下が顔を上げると、ぎゅうぎゅうと徹に抱きしめられた。
「……ああ、もう」
呆れたように呟く徹の顔は、なぜだか困ったような、何かを堪えるような複雑な表情を浮かべていた。明るく輝いた瞳が日下を見て微笑む。
「衛さん」
何だと眉を顰めた日下の頬に、徹の手が触れた。聡明さが滲む瞳が、まっすぐに日下を見る。普段日下が好ましく感じている徹の瞳だ。
「週末には戻ってくるよ。衛さんが寂しいときは、いつだって飛んでくる。だから我慢しないで。衛さんが思っていること、全部俺に話して」
「……わかっている」
いま、自分たちが離れるのは将来のためだ。ふたりがこれから先も、一緒に生きていこうと決めたからだ。これまでの日下だったらそんなことは絵空事だと、信じることはできなかっただろう。
目を閉じて、口づけを交わす。愛おしむように、互いの身体を抱きしめる。
窓の外からクラクションが聞こえた。引っ越しのトラックが出発する時間だ。
日下は徹の胸に手をつくと、思い切ったように彼から離れた。
「ほら、もういけ」
数歩後ろに下がり、柔らかな光の中に佇む徹を眺める。あの小さな子どもが立派な大人になった。日下にとっては自慢の甥で、かけがえのない大切な恋人。
不安がまったくないと言ったら嘘になる。だけどきっと大丈夫だ。たとえ一時的に離れたとしても、徹とふたり、この先もやっていける。日下はそう信じることができた。
いつの間にか自分が微笑んでいたことに、日下は気づかなかった。徹がはっと見とれたような表情を浮かべた後、照れたように微笑み、数歩で日下に近づいた。その手を握り、そっとキスをした。
「いってきます」
やがてはにかむような笑みを浮かべた後、身を翻すように部屋から出ていった。玄関が閉まる音が聞こえ、徹が乗った引っ越しのトラックが私道から遠ざかるのを、日下は窓辺に佇んだまま見送る。
「さあ仕事だ」
窓を閉め、空っぽになった徹の部屋から出る。玄関の鍵を閉め、金木犀の木の下に止めてあった花園画廊のバンに乗り込み、車のキーを回した。パワーウィンドウを下ろし、バックで私道を出る。遠くの空で、トンビの鳴き声が聞こえた。
了
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