その声が聞きたい

午後野つばな

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 そっと話しかけると、白いふわふわの妖怪はますます調子に乗ってさとりの周りをジャンプした。
「あっ!」
 冗談で言ったつもりが、そのうちの一匹を本当に踏みそうになって、慌てて避けたとたん、さとりはフローリングの床にズ……、と足を滑らせた。受け身を取り損ねて、しこたま右膝を打ちつける。
「いたたたた……」
 痛みがひどくて、さとりはしばらくその場でじっとうずくまった。そうしていると、じんじんとしていた痛みが少しだけやわらいだ気がして、そろりとズボンの裾を捲り上げ、内出血を起こしている膝小僧を確かめた。このままでは痣になるだろう。でも、膝小僧なら普段は洋服の下に隠れるから、傷が消えるまでの数日間着替えるときに見られないよう気をつければそうすけに気づかれることはない。
 ズボンはそうすけの休みの日に、一緒に大型量販店にいって買ってもらったものだ。本当は「ぷらねたりうむ」というのにもいく予定だったのだか、残念ながら混んでいて入れなかった。がっかりするさとりに、そうすけは「また今度な」と言ってくれた。
スーパーで食材を買って、帰りにフードコートというところで、ソフトクリームを買ってもらった。初めて食べるソフトクリームは、ほっぺたが落ちるんじゃないかと思うくらいに甘くておいしくて、びっくりしてそうすけを見ると、そうすけはさとりのそんな反応はお見通しだという表情で得意げに笑っていて、さとりはどきっとした。
 そうすけはやさしい。そんなことはとっくに知っていたけれど、さとりが思っていた以上にやさしい。これまで知る妖怪仲間たちやほかの人間のように、さとりのことを、嫌悪や悪意に滲んだ目で見ることもない。普通の、ただの「さと」としてさとりを一人前に扱ってくれる。 そんなとき、さとりはうれしくてたまらなくて、鼓動がいつもより速くなる。同時になぜだかちょっとだけ胸がちくんとして、泣きたいような、何とも言えない気持ちになる。この気持ちがどこからくるのかわからなかった。人がこういうとき、この思いにつける名前があることも。
 そうすけは子どものときに夢だった「アナウンサー」という仕事をしていて、夜明けよりもずっと前、人々が寝静まった夜の街を、毎日決まった時間に家を出ていく。スーパーへ買い物にいったときも、周りの人間は皆そうすけのことを知っていて、特に女の人は実際に話しかけてきたりする。そんなときそうすけはそつなく受け答えをするのだけれど、内心あまりよく思っていないことを、さとりは知っていた。
 一度どんなことをしているのかそうすけに訊ねたら、少し前に初めて一緒に見た、「テレビ」番組のチャンネルの合わせかたを教えてくれた。言われた時刻にさとりがテレビの前でどきどきしながら正座をして待っていたら、普段とは少しだけ雰囲気の違うそうすけが「テレビ」という箱の中に映ったからびっくりした。それからは毎朝そうすけを見送ったあと、彼が出るニュース番組を見るのがさとりの日課となった。部屋にそうすけはいないのに、そうすけの姿が見られるのはうれしい。でもやっぱり本物のそうすけの側にいられるのが、さとりは何よりもうれしかった。
 洗濯機の終了の音楽が流れたので、さとりは洗面所へと向かった。プラスチックのカゴの中に洗い終わった洗濯物を入れて、ベランダへと運ぶ。ガラガラとガラス窓を開けると、とたんにむっと熱気のこもった空気が流れてきた。さとりは濡れた洗濯物を丁寧に広げて、干していった。青空の下、ハタハタと洗濯物が風に扇ぐ。一仕事を終えると、さとりは視線を遠くへ向けた。
 そうすけの住む「東京」は、さとりがんでいた山とは大違いだ。高い場所から街を一望しても、ごちゃごちゃと建物が密集していて、遙か彼方に山はうっすらと見えるだけだ。額に滲んだ汗に、風が気持ちよかった。しばらくそうしてぼんやりと街の景色を眺める。
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