その声が聞きたい

午後野つばな

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 ピーヒョロロロ……。
 峰が連なる山の上空を、とんびが旋回している。
 さとりは空を見上げた。湖の底を写し取ったような透き通った空に、薄い雲が浮かんでいる。木の枝にはアオバハゴロモが止まっていて、さとりが手を伸ばすと、ぴょん、と飛び跳ねていった。
 さとりはくすくすと笑った。
 夏草が風に揺れている。虫や草花は、さとりを恐がらないから好きだった。誰かの心を読んでしまったときのように、胸の中をすうすうする気持ちが薄れて、自分がここにいてもいいのだという気持ちにさせてくれる。
 ピーヒョロロ……。
 草原で寝転がっていたさとりは、突然頭の上でガサリと物音がしたことにびっくりした。慌てて跳ね起きる。
「……おにいさん、だれ?」
 それは、人間の男の子だった。身長はさとりの胸の高さほどしかない。目鼻立ちの整った少年の口元にはよく見ないと気づかないくらいの小さなホクロがあって、それが実際の年齢よりも彼を大人びて見せていた。頭の上に青い布のようなものを被った少年は、物怖じしたようすもなくさとりをじっと見つめると、小さく首をかしげた。
『どうしたんだろう。しゃべれないのかな?』
「あ、あう、あ……っ」
 心臓はばくばくと鳴っている。何か答えなければと思うのに、誰かと話し慣れていないさとりは頭の中がパニックになった。
 男の子はびっくりしたように目をまたたかせると、ふいに雲の切れ間から太陽が覗いたみたいにパッと笑顔になった。
「どうしたの? だいじょうぶ?」
 さとりは大きく目をみはった。かあっと頬が熱くなる。黙っていると男の子が再び不思議そうな顔になったので、さとりは力強くうなずいた。男の子の顔が明るくなる。それを見たさとりの胸は、なぜかあたたかくなった。
「ぼくね、おぎがみそうすけ。夏休みにね、おばあちゃんちにあそびにきたの。おにいさんの名前は?」
 名前、と訊ねられて、さとりは首をかしげる。いままでさとりは誰かに名前を呼ばれたことなどなかった。そのとき、頭の隅に遠い記憶がよみがえった。それはまださとりが目の前の少年くらいのとき、妖怪たちに「あいつは”さとり”だよ」と、口にしたら悪いことが起きるかのように、ささやかれたことがあった。
「……さとり」
 口に出すと、それは記号のようにさとりの胸にコトリと落ちた。
「さとり?」
 そうすけが首をかしげる。
「……さとり。さとり……」
 ーーおいらの名前はさとり。
 自然と口元に笑みが浮かぶ。そうすけがびっくりしたように目を大きくした。
『……笑った。なんだかぼくよりもずっと大人なのにかわいいの』
 ……かわいい?
 それは初めて言われた言葉だった。意味はよくわからなかったけれど、やさしい響きをしたその言葉は、さとりの胸をあたたかくした。足元がふわふわと浮いているような気がする。
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