いしものがたり

午後野つばな

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 その日、いつものように仕事を終えたヒースはサリムの警護を交代すると、寮へと戻った。月明りひとつない暗い夜だった。パキリと木の枝を踏む微かな物音にヒースがはっと身構えたのも束の間、気がつけば周囲を兵士たちに取り囲まれていた。全員の衣装にアウラ王都を象徴する花、エリカの刺繍がされている。つまりは王室専用の兵士だ。当然警戒すべきだったのに、まだ時間はあると油断していたヒースが甘かった。ヒースの額から汗が伝い落ちる。
「おとなしく従えば危害を加えるつもりはない。一緒にきてもらおう」
 顎髭を生やした壮年の兵士が前に進み出る。ヒースは相手に従う振りを見せると、次の瞬間背後にいた若い兵士を倒し、一気に走り出した。
「追え! 逃がすな!」
 木々の間をすり抜けるように、ヒースは全力で駆ける。だが、追っ手はすぐ後ろまで迫っていた。
 どこへ向かえばいい。いったいどうしたら……。
 ヒースは林のほうへと駆けながら、必死に打開策を探った。だがすぐに退路を塞がれてしまう。もうこれ以上逃げられないことを悟ると、ヒースは足を止めた。深呼吸すると、兵士たちに向き合い、ナイフを構える。それを見て、兵士の一人が嗤った。ゆったりとした足取りでナイフを構えるヒースに近づく。
「こいつ、俺たちを何だと思っている。本気で逃げられると思っているのか」
 相手が自分を侮れば侮るだけ、それは逆にヒースにとってチャンスにつながる。
「油断するな。こう見えて大会の準決勝まで進んだ男だぞ。お前たちが一人で戦って叶う相手だとは思うな」
 顎髭の兵士の一言に、それまでヒースを侮っていた兵士たちの空気ががらりと変わった。個人から統制の取れた兵士たちの動きへと変わる。ヒースの額からつ、と汗が伝い落ちた。
 闇の中を刃と刃がぶつかる激しい打ち合いの音が響く。剣を構える兵士たちを相手に、ヒースは慣れ親しんだナイフを使う。
「くっ、こいつちょこまかと動きやがって」
 林の中ではヒースのほうが有利だ。敏捷なヒースの動きについていけず、兵士たちに苛立ちの色が浮かぶ。しかし、相手は圧倒的に数に勝っていた。時間が長引くにつれて、ヒースにも次第に疲れが滲む。そしていまここで捕まるわけにはいかないという焦りが、ヒースにいつもはしない小さなミスを生んだ。だが、そのミスが勝敗を決めた。
「あ……っ!」
 背後から硬い鈍器のようなもので頭を殴られる。ヒースはその場に崩れ落ちた。抵抗もできぬまま、両手をきつくロープで縛られる。
「はじめからおとなしく言うことを聞いていたら、痛い目に遭わずにすんだものを。――いくぞ」
 両側から挟み込むように、ずるずる引きずられてゆく。
 ――シュイ……。
 ヒースは心の中でシュイの名前を呟くと、やがて完全に意識を失った。
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