いしものがたり

午後野つばな

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 男がかっとなったようにヒースの胸ぐらをつかむ。男の唾が目に入り、ヒースは顔をそむけた。それを見て、ヒースが怯えたと勘違いしたのだろう、男の目に弱者をいたぶるような暗い光が浮かんだ。
「――その少年の言う通りだ。勝負は蓋を開けてみるまでわからない」
「俺がこのお嬢ちゃんに負けるとでも言いたいのかよ!」
 背後からかけられた声に振り向くと、そこには中肉中背の見知らぬ男が立っていた。
 誰だ?
「そうだろ?」
 ヒースは穏やかな笑みを浮かべて立つ男をじっと眺める。男は二十代後半から三十代前半くらい、暗褐色の髪はゆるくカールがかかっていて、整った顔立ちをしている。何よりもヒースが目を留めたのは男の佇まいだ。男の全身にはどこにもよけいな力が入っておらず、しかもつけ入る隙がない。いざというとき、男がいまの穏やかな姿とは別の面を見せるであろうことが容易に想像できる。
 ヒースが自分の力量をはかっているのには気づいているのだろう、男はヒースの無遠慮な視線を咎めることもなく、余裕の表情で佇んでいる。隠すものは何もない、見たければ好きなだけ見ろといった男の態度に、ヒースはそっと息を吐いた。この男とよく似た気配をヒースは知っている。それは守り人の精鋭やフレデリックからも感じられたことだった。目の前の男からは、周囲の男たちとは明らかに異なる余裕が感じられた。
 ヒースに絡んできた男は声をかけた主を見ると、驚愕の表情を浮かべた。周囲からざわめきが起こる。オースティンだ、前回の優勝者の、という声に、ヒースはわずかに目を見開いた。
 オースティン? こいつが?
「あんたが出場するなら勝負は決まったも同然だ。山ほどの賞金と群がる女相手に、今夜は眠れねえな」
 男は気まずげに舌打ちすると、つかんでいた手を離し、卑屈な笑みを浮かべた。男の下品な物言いに、オースティンの瞳に一瞬だけ不快の色が浮かんだが、彼は淡い笑みを浮かべながら何も答えなかった。
「オースティンだ」
 ヒースは自分に差し出された手を見ると、
「ヒースだ」
 ようやく自分の名前を告げた。オースティンが笑みを浮かべ、上げていた手を下ろす。
「はじめて見る顔だな。武芸大会に出場するのはこれがはじめてか。これまで誰かと実戦で戦ったことはあるのか」
「一度だけある。大会に出るのははじめてだ」
「はじめて? なのに実戦ではあるのか?」
 オースティンがヒースを見て、意外そうな顔になった。おそらくヒースの年齢では珍しいと言いたいのだろう。
「ふん、どうせ実戦って言ったって大したもんじゃないだろ」
 先ほどヒースに絡んできた男が鼻でせせら笑う。
 ヒースの脳裏に幼い妹を庇い、襲撃者に背中から切りつけられる母の姿が浮かんだ。血を流し、地面に倒れている幼なじみの姿も。大勢の人があのとき、無惨にも殺された。皆死ななくていい人たちだった。ヒースの表情に何かを見てとったように、オースティンがはっとなった。そのとき、興味深げにようすを窺っていた周囲の人たちの声が聞こえてきた。
「あいつ、前回の優勝者、隣国の王子なんだろう?」
「それがなんでこんな大会に参加してるんだよ。必要ないじゃねえかよ」
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