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第137話 Skimish Night
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金俣剛毅の父親は、警視庁が定める広域指定暴力団、不動會における現役の大幹部だ。不動會は戦後の混乱期に九州で誕生し、金俣の曾祖父が設立当初の主要人物だった。武闘派で知られる不動會の悪名は、その最盛期において、アメリカ合衆国の財務省が「世界最大の犯罪組織にあたるヤクザの中でも、最も凶暴な団体」と指摘するほど。九州を中心に、西日本の裏社会でその名を轟かせていた。二十世紀後半に入り、日本でいわゆる暴対法が施行されて以降、日本国内の裏社会勢力は急速に衰退を見せ始め、不動會もその例に漏れなかった。法による締め付けは絶大で、ヤクザと呼ばれる暴力団組織は、時代の移り変わりと共に滅びゆくかに思われた。
しかし、表の社会が成立している以上、裏の社会が滅びることは決してない。彼らに代わり、組織に属さず、ビジネスとして犯罪を行う半グレ勢力や、外国人マフィアが台頭するようになる。その間、日本のヤクザは息を潜め、静かに復活の時を待っていた。一部の半グレを裏から操り、外国人を受け入れ、貧困に窮する若者を間接的に利用し、したたかに、より狡猾に形態を変え、その猛毒性と凶悪さを増しながら生き残った。そして現在、世界を取り巻くスポーツバブルという状況が、もともと興行事業にゆかりの深い裏社会組織の追い風となり、ヤクザと呼ばれる組織は人知れず、昔以上の力を取り戻すようになっていた。
肉親が犯罪組織の重要人物であるという事実は、真っ当な人生を歩もうとする者にとって、極めてネガティブな要素になり得る。しかし、こと金俣にとっては、歓迎すべき幸運な条件だったと言えるかもしれない。特に幸運だったのは、父親が従える複数の愛人のなかで、金俣の母親がもっとも若く、そして父親から一番の寵愛を受ける立場にあったこと。父親は若い母のいう事ならなんでも聞き入れ、金俣の育て方については任せきりだった。息子を表の社会で有名人にするのだ、と言い出した母親の希望を叶えるため、表向き金俣と母親は、不動會と無関係であるような社会的立場を用意されることとなった。
幼少期の金俣は身体が小さく、格闘技やサッカーといったコンタクトスポーツを嫌がった。彼がテニスという競技を選んだ最大の理由は、シングルスという一対一の形式を好んだため。個人種目という意味では他にも卓球やバドミントンなどが存在するが、たまたま最初に触れたのがテニスだった。そこに、個人種目のなかではテニスが最も世界的にプレーされていて、高額の賞金が見込めるというのが、後付けの理由として加わった。そして、彼が一対一という形を好んだ理由についても後になってから自分で気が付いた。
金俣は、敗北した相手の苦悶に満ちた表情を見るのが、好きだった。
生まれ持った特性か、生育環境のせいか、幼少の頃より金俣は攻撃性が高かった。それも、単に暴力的というわけではなく、どちらかといえば、自分以外の人間が泣いたり、怒ったりしているのをみることに強い喜びを感じる。金俣は自分の趣向を自覚するようになると、積極的に自身の欲求を満たそうとした。しかし、直接的な他害行為は自身にもすぐ跳ね返ってくる。それを学んだ金俣は、どうすればいかに自分はリスクを負わず、そして出来るだけ近くで見たい表情を楽しめるか。そのことに傾注して過ごすようになっていった。
ある日、通っているスクールの同級生と些細な事で言い争いとなり、金俣はつい先に手を出してしまう。運が良かったのか悪かったのか、止める者がおらず喧嘩はエスカレートし、身体の大きかった彼は勢い余って相手に大怪我をさせてしまう。その時はさすがにまずいと思ったが、息子の不始末を父親があっさり揉み消したことで、金俣は自分がいかに特別な立場にいるかを認識した。限度はあるだろうが、多少のことならバレることなく握り潰すチカラが、自分にはある。そのことを自覚してから、金俣はそれまで以上に、自分の欲求へ素直になっていった。やがて、他人を精神的な破滅へと導くことが、彼のもっとも強いモチベーションとなっていく。その性質はある意味で、アスリートという激しい競争世界を生きる者にとって、必要不可欠な才能へと進化を遂げた。
殺人者の本能
本来は負けず嫌いを意味する言葉だが、金俣は自分の性質について、これほど適切な表現は無いと、密かに自分を表す言葉であると好んでいる。もし自分がスポーツの世界ではなく、父親と同じ道を歩んでいたら、確実に文字通りの本能に突き動かされていただろうと自己分析していた。運が良かったのはむしろ、金俣ではなく、世界の方だったのかもしれない。
★
金俣に連れられ、聖はホテルからほど近いバーに訪れた。店内は薄暗いものの、どこか上品な雰囲気が漂っている。未成年である自分がバーに入って良いのだろうかなどと考えながらも、初めて目にする独特な店内の様子に、どこか心が浮かれてしまった。
「ウイスキー、ロックで」
カウンターに座ると、金俣がバーテンに注文した。
バーテンは手際よく酒を注ぎ、綺麗に磨かれたグラスを金俣に差し出す。
「オイ、自分の注文ぐらい自分でやれ。ガキじゃねぇだろ」
「え、あぁ。じゃあ、トニックウォーターを」
頷いたバーテンが、グラスに氷と炭酸水を注ぐ。
ライムをカットして小皿に乗せ、聖の前に置いた。
切りたてのライムから、爽やかな香りが立ち昇り、鼻をくすぐった。
「あ、あの、何かお話があるのでは」
グラスを傾けながら一向に黙ったままの金俣を見やり、堪らず聖の方から話しかける。金俣とは先ほどホテルの前で出くわし「ちょっと付き合え」と半ば強引にここまで連れて来られてしまったのだ。お互い顔見知りではあるが、明日はこの金俣を相手に試合をするのだ。そんな相手から、前日の夜にバーに誘われる。未成年の聖にとっては、あまりにも馴染みのないシチュエーションだった。
「いや? 別に話があったワケじゃない」
その回答に、聖は困惑してしまう。
話が無いなら、何故こんなところへ誘ったのか。
「ただ、先に礼をしとこうと思ってな」
「礼?」
やはり話しが見えない。金俣に礼をされる覚えなど、一つも無い。
「オマエが第一シードを倒してくれたお陰で、オレの優勝が決まった。その礼だ」
ますます分からない。金俣の優勝が決まった? 優勝が決まったもなにも、まだ大会は準々決勝が終わったところだ。聖と金俣、そして反対側の山に二人。その四名が現在ベスト4進出のメンバーだ。当たり前のことだが、明日の準決勝と、そのあとの決勝が終わらない限り、優勝者は決まらない。何故、金俣の優勝が決まった、などという話になるのか。
<鈍すぎるだろ。煽られてンだよ、バーカ>
あまりに察しの悪い聖を見かねて、アドがツッコミを入れる。
それを聞いて初めて、金俣の言葉の意図が理解できた。
「いや、あの。まだ監督が勝つって決まったワケじゃないですよ」
気の利いた切り返しでも出来れば良かったのだが、生憎と聖が口に出せる反論はこれしかなかった。そんなことは分かり切った上で、金俣は挑発めいた煽り文句を口にしているのだ。赤信号を無視して横断してる人間に、信号が赤であることをわざわざ伝えるのに等しいぐらい、間抜けなセリフだった。
「く、ははっ」
思わず金俣が笑い出す。
その反応から、逆にウケたのかと聖は一瞬期待してしまう。
「やれやれ、思った以上に甘ちゃんなんだな、オマエ」
ウケたのではなく、くだらなさ過ぎて見下された。
金俣の目を見て聖はそう悟り、胸に微かな屈辱感を覚える。
「ますます確信が強まったよ。その様子だともしかして、オレがチャンスを与えてやってる事にも気づいてないな? つくづくおめでたいヤツだ。それでも、素襖春菜のフィアンセなのか?」
なぜか、今しがた自分の間抜けさを笑われた事よりも、金俣に春菜の名前を出された事の方が、遥かに聖の心をざわつかせた。それがどうしてなのか、考える余裕もないほどに。ただそのお陰で、不要な反論を返さずに済んだ。数拍の間をおいて、聖は聞かなかったことにして切り出した。
「えっと、特に話が無いなら、僕はこれで」
「オイオイ、駆け引きし甲斐の無いヤツだな。チャンスは活かすべきだぞ」
「申し訳ないですけど、意味が分からなくて。……甘ちゃんなもので」
「クク、素直なヤツだな。しかしだとすると、やはり随分とちぐはぐなヤツだ」
「ちぐはぐ?」
他人が下す自分という人間の評価について、大抵の者は否応なしに興味を引かれてしまうものだ。相手の敵愾心を煽りつつ、同時に好奇心を刺激する金俣の話運びに乗せられ、聖はついつい聞き返してしまう。
「正直、オレはオマエから何の才能も感じない。至って普通だ。マイアミでの大会前からずっと思っていた。どうしてオマエみたいなやつが、徹磨から1セットを奪えたんだ? それどころか、ATCのメンバーをごぼう抜きにし、果てはプロ転向して僅か数か月でもうATP250大会でベスト4まで残っている。中学までテニスから離れていたというオマエの話が本当なのだとすると、とんでもない天才ということになる。もしこのまま優勝しようものなら、あの錦織圭の記録を抜いて、日本テニス史上最年少でのツアー優勝者だ。百年に一人の逸材、なんてもんじゃない。それこそ、素襖春菜を超えるレベルだ。にも関わらず、オレはどうしても、オマエがそんな天才的な選手だとは思えない。だからちぐはぐなんだ」
いつか、そういう指摘をされる日が来るだろうことは予想していた。テニスを再開した当初は、すぐにでも春菜に追いつこうと必死だった。その為、自分がどういう経緯でテニスを再開したかについてなどを、聖は嘘を吐くことなく素直に周囲へ語っている。初めはそれで良かった。自分には強いモチベーションであることを示せたし、あの稀代の天才である春菜と幼少期にテニスをしていたのだから、多少不自然なぐらい成長速度が早かろうと、なんとなく誤魔化せていた。しかし、現状でそれは変わりつつある。金俣が指摘するように、再開当初から今に至るまでの聖の実績を俯瞰して考えると、これほど破竹の勢いで突き進んでいる選手は類を見ない。聖にもし、周囲を納得させられるだけの圧倒的な才能やカリスマ性があればまた話は違っただろう。しかし、聖は自分の力の正体を知っている。そして、それを存分に活用することを躊躇いながらここまで来てしまった。それ故、実績と聖の態度や振る舞いが噛み合っていないとする金俣の指摘は、実に正鵠を射ていると言えるだろう。
「それ、は」
言い淀む聖に、金俣が問い掛ける。
「オマエ、何か、隠し事をしてやしないか?」
金俣の鋭い眼光が、聖を射抜く。まるで刃物を突き付けられ、本当のことを白状しろと迫られるかのよう。ここで顔に出せば、全てが終わる。本能が危機を察し、聖の顔から表情を消す。沈黙を長引かせるほど、状況が悪くなると察した聖は、口から出るに任せて言葉を繋いだ。
「金俣さんが才能を感じないのは、当然です。僕は、天才じゃありませんから」
セリフを絞り出すのと同時に、感情が揺らがないよう努める。嘘を吐くのではなく、指摘が事実であることを認めたうえで、その指摘が問題では無いということを提示する必要があった。
「あくまで、僕なりに必死にやってるだけです。確かに、実績だけを見れば凄く順調です。でも僕自身は、いつもギリギリなんですよ。試合で勝つか負けるかなんて、時の運じゃないですか。短期的に見れば今は上手くいってます。でも、この先の保証なんか無い。周りの人に恵まれて、たまたま人よりちょっと運が良かった。それだけじゃないですかね」
口にしながら、自分でも苦しいかなと胸中で苦々しさを覚える。これ以上追求されれば、あとはもうすっとボケるより他に無い。或いは、話をずらすか。どちらにしても、金俣の雰囲気的にそれが通用するかどうか、見通しは暗かった。
「人に恵まれて、運が良かった、ね」
聖の言葉を吟味しながら、金俣はグラスを傾ける。
てっきりすぐに追撃が来るかと思いきや、意外と慎重な反応だった。
「まぁ、そういうこともあるか。才能のある者が必ずしも勝ち上れるわけじゃないしな。誰だって、勝利という目的のために全身全霊で努力すれば、必ず結果は出せる。正しい努力をすれば、それは必ず実を結ぶ。オマエはきっと、正しい努力ができているんだろう」
金俣の言葉は意外なものだった。最初に疑ってかかってきた事を考えると、随分と好意的に解釈してくれたものだなと拍子抜けしてしまう。ただ、努力をすれば必ず報われる、という言葉のなかに、何か違和感を覚えたような気がした。しかし、誤魔化せた安堵感が勝ったことと、金俣が席を立ったことが重なり、それについて考える機会を逃してしまう。
「どこへ?」
「便所」
短く言って、金俣はトイレに向かう。
姿が見えなくなると、聖は周りに気取られぬよう、深く長い溜息を吐いた。
(……どう思う?)
思わず、アドに助け舟を求める。
(今は様子見してやる、って雰囲気だな)
アドの率直な感想に、なるほどと思う。確かに、納得したというよりは、取り合えず今の段階では追求しないでおくことにした、そんな印象を受けた。とはいえ、果たしてそれが良いのか悪いのかは、今の聖には何も判断することが出来ない。
(ていうか、戻ってきたらもう帰らせてもらおう。気が気じゃないよ)
(ヘタレか。今のうちに野郎のグラスに下剤仕込むぐらいしろよ)
(持ってないよそんなの。持っててもしないよ)
(バーテンに金握らせて漂白剤混ぜろ)
(無理だよ。ていうかすぐバレるし、やらないってば)
(野郎のいうチャンスってのはこの事だと思うけどなァ)
(え、そういうことなの?)
いっとき緊張感から解放されたせいか、聖はついついアドの言葉を真に受けてしまう。短時間の出来事ではあったが、妙に精神的に疲れてしまった。いっそのこと、金俣が戻ってくる前に退散してやろうかという考えさえ浮かんでしまう。
「あの、よろしいですか?」
不意に、女性から日本語で声をかけられた。聖が振り向くと、上品な紫のワンピースドレスを身につけた女性が立っている。身体の線が細く、淑やかな雰囲気で、大きなサングラスを顔にかけている。
「あ、はい、あれ。日本の方ですか?」
「えぇ。あの、貴方は若槻選手で、お隣いたのは金俣選手でしょう?」
「そうですよ」
「やっぱり。私、ファンなのだけど、お声をかけるのは気が引けて」
「あぁ、そんな。全然大丈夫ですよ」
「金俣さんってストイックな方だから。お話の邪魔をしたら、怒られちゃうかなって思って。良かったら、何かご馳走させて欲しいの。貴方は未成年よね? じゃあ、ナッツとか、ドライフルーツでいいかしら?」
「え、いや、そんなお気遣いなく」
「いいのよ。明日、対戦でしょう? 前日に一緒に過ごすなんて仲が良いのね。私はもう帰国しちゃうんだけど、お互い健闘を尽くして、頑張ってね」
遠慮する聖を押し切り、女性はバーテンに注文すると、料金を払って店を出て行った。カウンターには、ミックスナッツとドライフルーツの盛られた皿が置かれる。どうしたものかと悩んでいると、金俣が戻ってきた。
「なんだ? つまみなんか注文したのか。酒も飲めないのに」
「いえ、その、女性のファンの方が奢ってくださって」
「ファン?」
聖の発言を訝しがる金俣。バーテンに視線を送ると、彼は無言のまま頷いて、聖の言葉が間違いでないことを肯定する。皿に盛られたナッツやドライフルーツをしげしげと眺めたと思ったら、手を付けることなく首をすくめた。
「試合前だ。余計なモンは要らん。オマエが食え」
「え、あぁ、どうも」
「オレはもう宿に戻る。オマエもそうだろ? マスター、これテイクアウト」
結局、その後はなし崩し的に解散となった。誘ったのは自分だからと、聖が注文した分は金俣が料金を支払ってくれた。ただ、どうにも金俣に奢られるというのが居心地悪く、礼を口にしたものの、内心ではあまり良い気がしなかった。聖は女性が奢ってくれたナッツとドライフルーツの入った袋を片手に、そのまま宿へ戻った。
★
金俣が部屋に入ると、桐生早苗が、所在なさげな様子で窓際に立っていた。
「……」
部屋の主が戻ってきたのを察し、早苗は無言で金俣へ近付き、従者のように彼の上着を脱がせてハンガーにかける。電子ケトルに水を注いで湯を沸かし、一人分の紅茶を淹れた。そんな彼女の様子を、金俣はソファに座って眺めている。早苗の振る舞いには、かいがいしさの中にどこか卑屈さが垣間見えた。強い者へ完全な服従を示す、弱者の態度。聡明で優しく、真っすぐだった彼女は今、金俣にとって便利な道具の一つであると同時に、奴隷に等しかった。そのことが彼女の態度から感じられると、金俣の胸中に征服欲がじわりと湧いてくる。
「そのドレス、似合うじゃないか」
早苗の着る紫のワンピースドレスについて、金俣が感想を述べる。額面通りに受け取れば、一種の褒め言葉に聞こえるだろう。しかし早苗は喜ぶこともなく、むしろ感情を出さぬように不自然なほどの無表情で、小さく頭を下げるだけ。ソファ横のティーテーブルにカップを置くと、すぐにそこから離れようとした。その早苗の素早く手を掴み、金俣は強引に彼女を引き寄せ抱え込む。小さく短い悲鳴が、部屋に響く。
「なんて言って近づいたんだ?」
低い声で脅すように、金俣は早苗の耳元で囁く。太い腕を首に回され、早苗は身動きを取ることができない。抵抗すれば、そのまま首を圧し折られるのではないかという嫌な想像が頭の中を駆け巡る。そのせいか、早苗は金俣に拘束されながら、小さく震えてしまう。
「ふ、ファンです、って」
「誰の?」
「特には……。ただファンなんですけど、と」
「若槻の反応は?」
「……お気遣い、なく、って」
「警戒した様子は?」
「な、かった、と……思い、ます」
「思います?」
「あ、ありませんでした。特に、そんな風には……」
早苗の震えが徐々に大きくなるのを、金俣は腕で感じる。何をどうすれば、自分の歓心を買うことができるのか。或いは、どうすれば恐ろしい目に遭わなくて済むか。そんな風に考えているのが手に取る様にわかる。元々は、恋人である渡久地を金俣から解放する為に、危険を承知で早苗は金俣に近づいた。しかしその実、金俣の本当の狙いが自分自身だったということに、彼女は手遅れになってから気付く羽目になった。そのせいで、彼女は渡久地と決別し、更には、彼の選手生命を終わらせかねない罠へと、自らの手で追い込んだ。まだ完全に終わっていないのは、単に金俣の気まぐれに過ぎない。
「うっ、く」
金俣が早苗の咽喉へと手をかけた。片手で軽く締め上げ、彼女の細い体がゆっくり押し戻される。すがるように金俣の腕に手を重ねるが、当然外すことなどできはしない。そのままベッドに押し倒され、金俣が早苗の身体へ馬乗りになる。小さな呼吸しかできず呻く彼女を、金俣はじっとりと舐め回すように見下ろす。
色っぽい紫のワンピースドレスが乱れ、彼女の白い手足が露わになっている。だが、金俣の目から見て早苗は、大して美人でもなければ、身体つきも貧相で、女としての魅力に乏しい。にも関わらず、首を絞められ苦悶の表情を浮かべる早苗の姿が、金俣には酷く魅力的に、煽情的に見えた。
「役に立ったからな。ご褒美だ」
そう言って、金俣はポケットから小さな包み紙を取り出す。
歯でそれを破り、中にある白い粉末を早苗の顔に近づける。
「も、や……め」
早苗の瞳から、涙がひとすじ落ちる。
それを、金俣が舌を這わせて舐め上げた。
屈服させた者の目から零れる涙は、どんな酒よりも美味かった。
続く
しかし、表の社会が成立している以上、裏の社会が滅びることは決してない。彼らに代わり、組織に属さず、ビジネスとして犯罪を行う半グレ勢力や、外国人マフィアが台頭するようになる。その間、日本のヤクザは息を潜め、静かに復活の時を待っていた。一部の半グレを裏から操り、外国人を受け入れ、貧困に窮する若者を間接的に利用し、したたかに、より狡猾に形態を変え、その猛毒性と凶悪さを増しながら生き残った。そして現在、世界を取り巻くスポーツバブルという状況が、もともと興行事業にゆかりの深い裏社会組織の追い風となり、ヤクザと呼ばれる組織は人知れず、昔以上の力を取り戻すようになっていた。
肉親が犯罪組織の重要人物であるという事実は、真っ当な人生を歩もうとする者にとって、極めてネガティブな要素になり得る。しかし、こと金俣にとっては、歓迎すべき幸運な条件だったと言えるかもしれない。特に幸運だったのは、父親が従える複数の愛人のなかで、金俣の母親がもっとも若く、そして父親から一番の寵愛を受ける立場にあったこと。父親は若い母のいう事ならなんでも聞き入れ、金俣の育て方については任せきりだった。息子を表の社会で有名人にするのだ、と言い出した母親の希望を叶えるため、表向き金俣と母親は、不動會と無関係であるような社会的立場を用意されることとなった。
幼少期の金俣は身体が小さく、格闘技やサッカーといったコンタクトスポーツを嫌がった。彼がテニスという競技を選んだ最大の理由は、シングルスという一対一の形式を好んだため。個人種目という意味では他にも卓球やバドミントンなどが存在するが、たまたま最初に触れたのがテニスだった。そこに、個人種目のなかではテニスが最も世界的にプレーされていて、高額の賞金が見込めるというのが、後付けの理由として加わった。そして、彼が一対一という形を好んだ理由についても後になってから自分で気が付いた。
金俣は、敗北した相手の苦悶に満ちた表情を見るのが、好きだった。
生まれ持った特性か、生育環境のせいか、幼少の頃より金俣は攻撃性が高かった。それも、単に暴力的というわけではなく、どちらかといえば、自分以外の人間が泣いたり、怒ったりしているのをみることに強い喜びを感じる。金俣は自分の趣向を自覚するようになると、積極的に自身の欲求を満たそうとした。しかし、直接的な他害行為は自身にもすぐ跳ね返ってくる。それを学んだ金俣は、どうすればいかに自分はリスクを負わず、そして出来るだけ近くで見たい表情を楽しめるか。そのことに傾注して過ごすようになっていった。
ある日、通っているスクールの同級生と些細な事で言い争いとなり、金俣はつい先に手を出してしまう。運が良かったのか悪かったのか、止める者がおらず喧嘩はエスカレートし、身体の大きかった彼は勢い余って相手に大怪我をさせてしまう。その時はさすがにまずいと思ったが、息子の不始末を父親があっさり揉み消したことで、金俣は自分がいかに特別な立場にいるかを認識した。限度はあるだろうが、多少のことならバレることなく握り潰すチカラが、自分にはある。そのことを自覚してから、金俣はそれまで以上に、自分の欲求へ素直になっていった。やがて、他人を精神的な破滅へと導くことが、彼のもっとも強いモチベーションとなっていく。その性質はある意味で、アスリートという激しい競争世界を生きる者にとって、必要不可欠な才能へと進化を遂げた。
殺人者の本能
本来は負けず嫌いを意味する言葉だが、金俣は自分の性質について、これほど適切な表現は無いと、密かに自分を表す言葉であると好んでいる。もし自分がスポーツの世界ではなく、父親と同じ道を歩んでいたら、確実に文字通りの本能に突き動かされていただろうと自己分析していた。運が良かったのはむしろ、金俣ではなく、世界の方だったのかもしれない。
★
金俣に連れられ、聖はホテルからほど近いバーに訪れた。店内は薄暗いものの、どこか上品な雰囲気が漂っている。未成年である自分がバーに入って良いのだろうかなどと考えながらも、初めて目にする独特な店内の様子に、どこか心が浮かれてしまった。
「ウイスキー、ロックで」
カウンターに座ると、金俣がバーテンに注文した。
バーテンは手際よく酒を注ぎ、綺麗に磨かれたグラスを金俣に差し出す。
「オイ、自分の注文ぐらい自分でやれ。ガキじゃねぇだろ」
「え、あぁ。じゃあ、トニックウォーターを」
頷いたバーテンが、グラスに氷と炭酸水を注ぐ。
ライムをカットして小皿に乗せ、聖の前に置いた。
切りたてのライムから、爽やかな香りが立ち昇り、鼻をくすぐった。
「あ、あの、何かお話があるのでは」
グラスを傾けながら一向に黙ったままの金俣を見やり、堪らず聖の方から話しかける。金俣とは先ほどホテルの前で出くわし「ちょっと付き合え」と半ば強引にここまで連れて来られてしまったのだ。お互い顔見知りではあるが、明日はこの金俣を相手に試合をするのだ。そんな相手から、前日の夜にバーに誘われる。未成年の聖にとっては、あまりにも馴染みのないシチュエーションだった。
「いや? 別に話があったワケじゃない」
その回答に、聖は困惑してしまう。
話が無いなら、何故こんなところへ誘ったのか。
「ただ、先に礼をしとこうと思ってな」
「礼?」
やはり話しが見えない。金俣に礼をされる覚えなど、一つも無い。
「オマエが第一シードを倒してくれたお陰で、オレの優勝が決まった。その礼だ」
ますます分からない。金俣の優勝が決まった? 優勝が決まったもなにも、まだ大会は準々決勝が終わったところだ。聖と金俣、そして反対側の山に二人。その四名が現在ベスト4進出のメンバーだ。当たり前のことだが、明日の準決勝と、そのあとの決勝が終わらない限り、優勝者は決まらない。何故、金俣の優勝が決まった、などという話になるのか。
<鈍すぎるだろ。煽られてンだよ、バーカ>
あまりに察しの悪い聖を見かねて、アドがツッコミを入れる。
それを聞いて初めて、金俣の言葉の意図が理解できた。
「いや、あの。まだ監督が勝つって決まったワケじゃないですよ」
気の利いた切り返しでも出来れば良かったのだが、生憎と聖が口に出せる反論はこれしかなかった。そんなことは分かり切った上で、金俣は挑発めいた煽り文句を口にしているのだ。赤信号を無視して横断してる人間に、信号が赤であることをわざわざ伝えるのに等しいぐらい、間抜けなセリフだった。
「く、ははっ」
思わず金俣が笑い出す。
その反応から、逆にウケたのかと聖は一瞬期待してしまう。
「やれやれ、思った以上に甘ちゃんなんだな、オマエ」
ウケたのではなく、くだらなさ過ぎて見下された。
金俣の目を見て聖はそう悟り、胸に微かな屈辱感を覚える。
「ますます確信が強まったよ。その様子だともしかして、オレがチャンスを与えてやってる事にも気づいてないな? つくづくおめでたいヤツだ。それでも、素襖春菜のフィアンセなのか?」
なぜか、今しがた自分の間抜けさを笑われた事よりも、金俣に春菜の名前を出された事の方が、遥かに聖の心をざわつかせた。それがどうしてなのか、考える余裕もないほどに。ただそのお陰で、不要な反論を返さずに済んだ。数拍の間をおいて、聖は聞かなかったことにして切り出した。
「えっと、特に話が無いなら、僕はこれで」
「オイオイ、駆け引きし甲斐の無いヤツだな。チャンスは活かすべきだぞ」
「申し訳ないですけど、意味が分からなくて。……甘ちゃんなもので」
「クク、素直なヤツだな。しかしだとすると、やはり随分とちぐはぐなヤツだ」
「ちぐはぐ?」
他人が下す自分という人間の評価について、大抵の者は否応なしに興味を引かれてしまうものだ。相手の敵愾心を煽りつつ、同時に好奇心を刺激する金俣の話運びに乗せられ、聖はついつい聞き返してしまう。
「正直、オレはオマエから何の才能も感じない。至って普通だ。マイアミでの大会前からずっと思っていた。どうしてオマエみたいなやつが、徹磨から1セットを奪えたんだ? それどころか、ATCのメンバーをごぼう抜きにし、果てはプロ転向して僅か数か月でもうATP250大会でベスト4まで残っている。中学までテニスから離れていたというオマエの話が本当なのだとすると、とんでもない天才ということになる。もしこのまま優勝しようものなら、あの錦織圭の記録を抜いて、日本テニス史上最年少でのツアー優勝者だ。百年に一人の逸材、なんてもんじゃない。それこそ、素襖春菜を超えるレベルだ。にも関わらず、オレはどうしても、オマエがそんな天才的な選手だとは思えない。だからちぐはぐなんだ」
いつか、そういう指摘をされる日が来るだろうことは予想していた。テニスを再開した当初は、すぐにでも春菜に追いつこうと必死だった。その為、自分がどういう経緯でテニスを再開したかについてなどを、聖は嘘を吐くことなく素直に周囲へ語っている。初めはそれで良かった。自分には強いモチベーションであることを示せたし、あの稀代の天才である春菜と幼少期にテニスをしていたのだから、多少不自然なぐらい成長速度が早かろうと、なんとなく誤魔化せていた。しかし、現状でそれは変わりつつある。金俣が指摘するように、再開当初から今に至るまでの聖の実績を俯瞰して考えると、これほど破竹の勢いで突き進んでいる選手は類を見ない。聖にもし、周囲を納得させられるだけの圧倒的な才能やカリスマ性があればまた話は違っただろう。しかし、聖は自分の力の正体を知っている。そして、それを存分に活用することを躊躇いながらここまで来てしまった。それ故、実績と聖の態度や振る舞いが噛み合っていないとする金俣の指摘は、実に正鵠を射ていると言えるだろう。
「それ、は」
言い淀む聖に、金俣が問い掛ける。
「オマエ、何か、隠し事をしてやしないか?」
金俣の鋭い眼光が、聖を射抜く。まるで刃物を突き付けられ、本当のことを白状しろと迫られるかのよう。ここで顔に出せば、全てが終わる。本能が危機を察し、聖の顔から表情を消す。沈黙を長引かせるほど、状況が悪くなると察した聖は、口から出るに任せて言葉を繋いだ。
「金俣さんが才能を感じないのは、当然です。僕は、天才じゃありませんから」
セリフを絞り出すのと同時に、感情が揺らがないよう努める。嘘を吐くのではなく、指摘が事実であることを認めたうえで、その指摘が問題では無いということを提示する必要があった。
「あくまで、僕なりに必死にやってるだけです。確かに、実績だけを見れば凄く順調です。でも僕自身は、いつもギリギリなんですよ。試合で勝つか負けるかなんて、時の運じゃないですか。短期的に見れば今は上手くいってます。でも、この先の保証なんか無い。周りの人に恵まれて、たまたま人よりちょっと運が良かった。それだけじゃないですかね」
口にしながら、自分でも苦しいかなと胸中で苦々しさを覚える。これ以上追求されれば、あとはもうすっとボケるより他に無い。或いは、話をずらすか。どちらにしても、金俣の雰囲気的にそれが通用するかどうか、見通しは暗かった。
「人に恵まれて、運が良かった、ね」
聖の言葉を吟味しながら、金俣はグラスを傾ける。
てっきりすぐに追撃が来るかと思いきや、意外と慎重な反応だった。
「まぁ、そういうこともあるか。才能のある者が必ずしも勝ち上れるわけじゃないしな。誰だって、勝利という目的のために全身全霊で努力すれば、必ず結果は出せる。正しい努力をすれば、それは必ず実を結ぶ。オマエはきっと、正しい努力ができているんだろう」
金俣の言葉は意外なものだった。最初に疑ってかかってきた事を考えると、随分と好意的に解釈してくれたものだなと拍子抜けしてしまう。ただ、努力をすれば必ず報われる、という言葉のなかに、何か違和感を覚えたような気がした。しかし、誤魔化せた安堵感が勝ったことと、金俣が席を立ったことが重なり、それについて考える機会を逃してしまう。
「どこへ?」
「便所」
短く言って、金俣はトイレに向かう。
姿が見えなくなると、聖は周りに気取られぬよう、深く長い溜息を吐いた。
(……どう思う?)
思わず、アドに助け舟を求める。
(今は様子見してやる、って雰囲気だな)
アドの率直な感想に、なるほどと思う。確かに、納得したというよりは、取り合えず今の段階では追求しないでおくことにした、そんな印象を受けた。とはいえ、果たしてそれが良いのか悪いのかは、今の聖には何も判断することが出来ない。
(ていうか、戻ってきたらもう帰らせてもらおう。気が気じゃないよ)
(ヘタレか。今のうちに野郎のグラスに下剤仕込むぐらいしろよ)
(持ってないよそんなの。持っててもしないよ)
(バーテンに金握らせて漂白剤混ぜろ)
(無理だよ。ていうかすぐバレるし、やらないってば)
(野郎のいうチャンスってのはこの事だと思うけどなァ)
(え、そういうことなの?)
いっとき緊張感から解放されたせいか、聖はついついアドの言葉を真に受けてしまう。短時間の出来事ではあったが、妙に精神的に疲れてしまった。いっそのこと、金俣が戻ってくる前に退散してやろうかという考えさえ浮かんでしまう。
「あの、よろしいですか?」
不意に、女性から日本語で声をかけられた。聖が振り向くと、上品な紫のワンピースドレスを身につけた女性が立っている。身体の線が細く、淑やかな雰囲気で、大きなサングラスを顔にかけている。
「あ、はい、あれ。日本の方ですか?」
「えぇ。あの、貴方は若槻選手で、お隣いたのは金俣選手でしょう?」
「そうですよ」
「やっぱり。私、ファンなのだけど、お声をかけるのは気が引けて」
「あぁ、そんな。全然大丈夫ですよ」
「金俣さんってストイックな方だから。お話の邪魔をしたら、怒られちゃうかなって思って。良かったら、何かご馳走させて欲しいの。貴方は未成年よね? じゃあ、ナッツとか、ドライフルーツでいいかしら?」
「え、いや、そんなお気遣いなく」
「いいのよ。明日、対戦でしょう? 前日に一緒に過ごすなんて仲が良いのね。私はもう帰国しちゃうんだけど、お互い健闘を尽くして、頑張ってね」
遠慮する聖を押し切り、女性はバーテンに注文すると、料金を払って店を出て行った。カウンターには、ミックスナッツとドライフルーツの盛られた皿が置かれる。どうしたものかと悩んでいると、金俣が戻ってきた。
「なんだ? つまみなんか注文したのか。酒も飲めないのに」
「いえ、その、女性のファンの方が奢ってくださって」
「ファン?」
聖の発言を訝しがる金俣。バーテンに視線を送ると、彼は無言のまま頷いて、聖の言葉が間違いでないことを肯定する。皿に盛られたナッツやドライフルーツをしげしげと眺めたと思ったら、手を付けることなく首をすくめた。
「試合前だ。余計なモンは要らん。オマエが食え」
「え、あぁ、どうも」
「オレはもう宿に戻る。オマエもそうだろ? マスター、これテイクアウト」
結局、その後はなし崩し的に解散となった。誘ったのは自分だからと、聖が注文した分は金俣が料金を支払ってくれた。ただ、どうにも金俣に奢られるというのが居心地悪く、礼を口にしたものの、内心ではあまり良い気がしなかった。聖は女性が奢ってくれたナッツとドライフルーツの入った袋を片手に、そのまま宿へ戻った。
★
金俣が部屋に入ると、桐生早苗が、所在なさげな様子で窓際に立っていた。
「……」
部屋の主が戻ってきたのを察し、早苗は無言で金俣へ近付き、従者のように彼の上着を脱がせてハンガーにかける。電子ケトルに水を注いで湯を沸かし、一人分の紅茶を淹れた。そんな彼女の様子を、金俣はソファに座って眺めている。早苗の振る舞いには、かいがいしさの中にどこか卑屈さが垣間見えた。強い者へ完全な服従を示す、弱者の態度。聡明で優しく、真っすぐだった彼女は今、金俣にとって便利な道具の一つであると同時に、奴隷に等しかった。そのことが彼女の態度から感じられると、金俣の胸中に征服欲がじわりと湧いてくる。
「そのドレス、似合うじゃないか」
早苗の着る紫のワンピースドレスについて、金俣が感想を述べる。額面通りに受け取れば、一種の褒め言葉に聞こえるだろう。しかし早苗は喜ぶこともなく、むしろ感情を出さぬように不自然なほどの無表情で、小さく頭を下げるだけ。ソファ横のティーテーブルにカップを置くと、すぐにそこから離れようとした。その早苗の素早く手を掴み、金俣は強引に彼女を引き寄せ抱え込む。小さく短い悲鳴が、部屋に響く。
「なんて言って近づいたんだ?」
低い声で脅すように、金俣は早苗の耳元で囁く。太い腕を首に回され、早苗は身動きを取ることができない。抵抗すれば、そのまま首を圧し折られるのではないかという嫌な想像が頭の中を駆け巡る。そのせいか、早苗は金俣に拘束されながら、小さく震えてしまう。
「ふ、ファンです、って」
「誰の?」
「特には……。ただファンなんですけど、と」
「若槻の反応は?」
「……お気遣い、なく、って」
「警戒した様子は?」
「な、かった、と……思い、ます」
「思います?」
「あ、ありませんでした。特に、そんな風には……」
早苗の震えが徐々に大きくなるのを、金俣は腕で感じる。何をどうすれば、自分の歓心を買うことができるのか。或いは、どうすれば恐ろしい目に遭わなくて済むか。そんな風に考えているのが手に取る様にわかる。元々は、恋人である渡久地を金俣から解放する為に、危険を承知で早苗は金俣に近づいた。しかしその実、金俣の本当の狙いが自分自身だったということに、彼女は手遅れになってから気付く羽目になった。そのせいで、彼女は渡久地と決別し、更には、彼の選手生命を終わらせかねない罠へと、自らの手で追い込んだ。まだ完全に終わっていないのは、単に金俣の気まぐれに過ぎない。
「うっ、く」
金俣が早苗の咽喉へと手をかけた。片手で軽く締め上げ、彼女の細い体がゆっくり押し戻される。すがるように金俣の腕に手を重ねるが、当然外すことなどできはしない。そのままベッドに押し倒され、金俣が早苗の身体へ馬乗りになる。小さな呼吸しかできず呻く彼女を、金俣はじっとりと舐め回すように見下ろす。
色っぽい紫のワンピースドレスが乱れ、彼女の白い手足が露わになっている。だが、金俣の目から見て早苗は、大して美人でもなければ、身体つきも貧相で、女としての魅力に乏しい。にも関わらず、首を絞められ苦悶の表情を浮かべる早苗の姿が、金俣には酷く魅力的に、煽情的に見えた。
「役に立ったからな。ご褒美だ」
そう言って、金俣はポケットから小さな包み紙を取り出す。
歯でそれを破り、中にある白い粉末を早苗の顔に近づける。
「も、や……め」
早苗の瞳から、涙がひとすじ落ちる。
それを、金俣が舌を這わせて舐め上げた。
屈服させた者の目から零れる涙は、どんな酒よりも美味かった。
続く
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