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第106話 面談は帰国間際に

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――僕らはマフィアだ

 聖が初めて直接言葉を交わしたとき、ジオは自らそう言った。マフィアという単語を聞いても、聖には正直ピンとこない。ヤクザも同じだ。いずれもどういう存在なのかは知っている。しかしあまりにも自分の日常とはかけ離れすぎていて、現実味というものが全く無い。言うなれば架空の存在とさして変わりないほど、聖には縁のない存在に思えた。

「あまり時間は無い。この名刺を渡しにきたんだ」
 病院のロビーに突然現れたジオは、聖に近付くなり単刀直入にそう言って名刺を寄越す。そこには『IMG Tennis Academy』のロゴが記載されている。中心に書かれている人物の名前と役職は『AM Agent Joe Ikushima』とあり、連絡先も併記されていた。

「えっと、IMGってフロリダにある世界一のテニスアカデミーだよね。そこのエージェントのジョー・イクシマさん? 誰?」
「今後、君の助けになってくれるかもしれない人物だ」
「僕の助け?」
「ワカツキ、君は帰国したら近いうちにプロへ転向するんだろう?」
 そう言われて、返事に詰まる聖。もちろんそのつもりだが、いきなり面と向かって尋ねられると、答えに窮してしまう。テニスを再開して半年以上経ち、団体戦ではあるが世界的な大会でチームとして準優勝を飾ることができた。奏芽にも話を聞いてみたところ、実績的にはプロ志望を名乗るには充分だという。ただやはり、心情的な面で多少の引っ掛かりがあるのは否めない。胸を張ってプロの世界へ行くにはまだもう少し、何かが足りていない気がしていた。

「君がいつから、どういう手順でプロを目指すにせよ、プロになったら世界を転戦することになる。アジア、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア。世界中で行われる大会に出場してポイントを稼ぎ、少しずつグレードの高い大会への出場権を獲得して、プロ選手としての地位を築いていく。それは国籍に関わらずテニス選手なら全員が同じだ。そうなれば、未成年の君一人では手に負えない場面も出てくるだろう。ジョーはIMGきっての辣腕エージェントだ。金には人一倍執着する男だが、それに見合う動きはしてくれる。もし、サポートスタッフで困ることがあるならジョーを頼ると良い。それともう分かっているとは思うが、ATCからは、なるべく早く離れることだ」
 矢継ぎ早にそう告げるジオの言葉に聖は戸惑い、最後のひと言には思わず聞き返してしまう。

「え、待ってよ。それどういうこと?」
 尋ねる聖に、ジオは意外そうな表情を浮かべる。
 そして辺りを見回し、声を落とした。

「君とミヤビの誘拐の件、少なくとも監督の金俣は把握していたようだ」
「えっ」
 言葉を失う聖。この男は、一体何を根拠にそんなことをいうのか。

「既に気付いていると思ったが……。なんにせよ、信じるかどうかは君に任せる。しかし彼は、元からあちこちで黒い噂が絶えない人物だ。彼と、彼の後輩にあたる渡久地とぐちという選手には注意した方が良い。それにただでさえATCの設立には、日本の政府機関が深く関わっている。陰謀論じみて聞こえるかもしれないだろうが、プロの世界は今、そういう巨大な組織がいくつも水面下で蠢いている。肥大したスポーツバブルの影響で、本来尊重されるべきスポーツの価値を歪めようとする連中が暗躍している魔境だ。いち選手に過ぎない君がプロの世界で上手く立ち回りたければ、そういう情報にも気を配ることだ」
 それだけ言うと、ジオは出口へと向かう。慌ててそれを追う聖。病院前の通りには、既にタクシーが2台待機していた。中にはイタリアのメンバーが見える。何人かは聖に気付き、陽気に手を振っていた。

「僕らは僕らで、イタリアテニスの汚名返上を必ず果たす。いくら邪なことを考えている連中が裏工作をあれこれ企てようと、表の大会で実績を残せば無視できない。結局のところ、表舞台での勝敗に最大の価値があるんだ。だから、せいぜい足元を掬われないよう、怪しい場所からは距離を取れ。僕の言葉が信じられなければ、君にとっての女神から啓示を授かれば良い。じゃあ、またどこかで」

 そう言い残して、イタリアメンバーを乗せたタクシーは出発した。
 聖は処理し切れない課題を言いつけられたような気分で、それを眺めていた。

           ★

 聖がまだ病院で目を覚ましていない頃。
 リアル・ブルームが運営する州立病院に、弖虎はいた。秋の気配が色濃くなり始め、涼やかな風と木漏れ日の差す中庭で、虚ろな表情を浮かべたまま彼はベンチに腰かけている。それをアーヴィングと白衣の男が遠目に観察していた。

「容態は?」
「依然変わりません。弖虎・モノストーンは、いうなれば抜け殻のような状態です。促せば自力で歩行し、食事し、排泄もしますが、質問への応答や会話は不能。健康状態に問題は無く、脳波にも異変は無い。失語症や心因性無反応などの精神障害を併発しているものと思われます。回復の目途は立っていません」

 白衣の男の報告に、露骨な舌打ちをするアーヴィング。不運が重なったとはいえ、貴重な検体が三体もほぼ同時に使いものにならなくなったのは非常に痛手だった。それもこれも、ATCの沙粧がしゃしゃり出てきたせいだとアーヴィングは歯噛みする。彼女らとの協力関係は継続中で、沙粧の一方的な判断で行われた、アーキアの実戦データ取得に伴う損失の補填は約束させた。しかし、これは面子の問題であるとアーヴィングは認識している。

(下等種の分際で好き勝手に。アーキアの開発・運用の主導権は渡さない)

 病棟を移動し、二人は地下へ降りる。やけに明るい人工的な光りは清潔感を覚えなくもないが、自動小銃を背中側につり下げる警備員が何人も歩き回っている。一般の外来や入院患者のいる上階とは異なり、地下施設は物々しい雰囲気に満ちていた。

 ドアの無い一室にはベッドが二つ並べられ、そこにはロックフォート兄妹が横たわっている。身体中にチューブが巻かれ、計測器に繋がれ、自立呼吸を補助するマスクが二人の小さな顔に取りつけられている。

「二人とも昏睡状態が継続中です。脳波は微弱、体内組織が崩壊と再生を不規則に繰り返しているため、対応に苦慮しています。なにせ、ことあるごとに病状が変わるのです。これもアーキアの影響なのでしょうか」

 白衣の男は言外に「さっさと処分命令を出してくれ」と言わんばかりだが、そう簡単にはいかないとアーヴィングは内心で思う。使い捨てのモルモットに等しい存在であることは確かだが、無駄遣いはできない。多少のコストを支払ってでも、有益なデータの取得に努めなければならなかった。

「弖虎とロックフォート兄妹の管理は継続なさい。それから、警備体制はパターン化せず常にランダムで実行して頂戴。警戒レベルは指示があるまでLv.3を維持。私はこれから日本へ向かうから、必ず毎日四度の定時報告を。本社から抜き打ちで緊急事態訓練を実施させるけど、万が一にでも不備があれば、クビが飛ぶだけじゃ済まないことを周知徹底するように」
「承知致しました」
 アーヴィングは慇懃にかしこまる白衣の男に一瞥もくれず、部屋を出ていく。エレベーターで屋上へ向かい、リアル・ブルームが所有する小型ジェットに乗り込む。離陸するとみるみるうちに地上から遠ざかり、窓の外には雲海が広がった。

(まずはATCを落とし、GAKSOの新星を完全に引き込まねば)

 野心と執念が、その金瞳きんどうに揺らめいていた。

           ★

「AMって略称は色々あるけど、これは多分AthleteアスリートManegementマネジメントのことだろうな。後ろにエージェントがついてるし。まさかアシスタントマネージャーってこたねぇだろ。なんだよアシスタントマネージャーエージェントって」

 ランチ代わりに肉の無いハンバーガーを頬張りながら、奏芽が名刺に書かれていた役職について話す。二人は病院から空港へ移動し、搭乗予定のフライト時間まで空港内で待つことにしていた。

「それって、何をする人なの?」
「要はマネージャー。スポンサーとの選手契約、チームの移籍交渉、認知度アップやら収入の管理、コーチの紹介やら大会出場に関する事務手続き各種もろもろ。プロ選手ってのは要するに個人事業主と変わらねぇからな。試合で結果を出す以外にもやることはたくさんある。が、んな面倒なことを選手自身でやるなんて、無理な話はねぇだろ? だから普通は人を雇って任せるのが普通なんだよ。チームスポーツならチームを運営してるところで人員を用意するけど、テニスみたいな個人種目は選手が決める。もっとも、オレ等はATCに所属してるから、わざわざ他の人間を選ぶ理由がねぇと思うけど」

――ATCからは、なるべく早く離れることだ

 ジオの言葉が蘇る。

(金俣監督は、誘拐の事を把握していた? 実行犯エディたちや、ロシアンマフィアのことも知っていたのか? ちぇ、ジオの連絡先を聞いておくんだったな)

 ジオの話していた内容を振り返ってみると、彼は聖がこの先プロの世界へ進むうえで、注意するべき点があることを教えてくれたのだろう。ただそれは、聖がある程度裏側の事情について知っていることを前提としていた節があった。アメリカ側に何かしら不穏な影がありそうだ、ということは何となく聖も感じていた。そしてなにより、世界にはロシアンマフィアのような連中が、スポーツビジネスに深く関わっているというのを肌身を持って知ることができた。しかし自分が所属しているテニスアカデミーが、なにやらそういう連中と同じような立場にある可能性を示唆されても、実際問題として自分が何をどうすれば良いのか見当もつかない。今の聖にとって、ATCのバックアップ無しにプロの世界へ向かう道は無いに等しい。

(そういえば、リッゾさんもATCから離れろって言ってたっけ)
 誘拐から解放された夜、去り際にリッゾも警告を口にしていた。ミヤビがそれについて腹を立てていたので、聖はついフォローするつもりで「何事も盲目的になるのはよくない」というようなことを自分で口にした気がする。そうはいっても、ATCが誘拐に関わっていたとは思えないし、思いたくないというのが本音だ。

「あぁでも、そういやガネさんはATCから移籍したっけか」
 思い出したように奏芽がいう。
「え、そうなの?」
「理由は知らんけどな。スポンサーとの絡みとかじゃね」
 そう説明されても聖にはよく分からないが、何かしら選手個別の理由があるのだろうと聖は適当に考える。

「たしか、ハル姉も元々はATCだったんだっけ?」
「えーっと、最初だけだよ。ただ所属してねぇってだけで、地元だしデカイ大会の会場になることが多いからしょっちゅう見かけた。ていうか、そういうのは直接本人と喋れば良いんじゃねーの?」
「あぁ、まぁ、そうなんだけどさ」

 ハルナに連絡を取ろうと思えば、聖はいつでもそれができた。しかし「認められるようなプロになって迎えに行く」と言った手前、まだそうでない段階で自分から連絡を取るのはなんだか違う気がして、時おりハルナから来る何気ないメッセージに返事をする以外、積極的に連絡を取ろうとはしていなかった。

「つか、このイクシマってのに連絡取るなら、早い方が良いんじゃね? 人脈作りはしておいて損ねぇし、わざわざ名刺届けにきたジオの面目もあるだろ。こういうのは一本連絡入れとくだけでも後々違うと思うぜ」
「いやなんか、知らない人にいきなり電話するの苦手で」
「ガキか? ……ま、ガキか。オレも含めて。困ったら代わってやるよ」
 フライトまで時間があるせいか、奏芽はヒマを潰したいらしいというのが伝わってくる。言ってる事がもっともなため拒否し続けることもできず、仕方なく聖は名刺にあるイクシマの番号にかけてみる。なんとも嫌な緊張感を覚えたが、たった2コールで相手は応答した。

「Hello?」
「えと、もし、あ、へろー?」
「あん? もしかして若槻聖くんか?」
「え、あ、はい」
 突然日本語に切り替わったことであたふたする聖。
 奏芽は気付かれないように、声を抑えて笑っている。

「ジオから話は聞いている。今日アメリカを立つんじゃないのか?」
 電話の声は年齢不詳だが、やや渋みのある声質だ。
 察するに年齢は40代ぐらいだろうかと聖は予想する。
「はい、ただその、早めに一本連絡をと思って」
「へぇ、若いのに感心だな。何時のフライト?」
「20時です」
「なら時間あるな。よし、早速だが面談しよう。15時頃には空港へ着くから、適当な飲食店で席を確保しておいてくれ」
「面談?!」
 既に通話は切れており、聖は困った顔をして奏芽の方を向く。

「お前、結構おもしろい顔するよな」

 意地の悪そうな友人の顔が、聖はやけに憎たらしく思えた。

           ★

 15時を少し過ぎたあたりで、幾島譲いくしまじょうが現れた。

「悪いね、待たせたか」
「いえ、こちらこそすいません、急に……?」
 自分が呼んだわけじゃないことを思い出し、口にしたセリフに違和感を覚える聖。まさか今日の今日で会うことになるとは思っていなかった。幾島は女性店員に珈琲を注文し、着ていた黒のレザージャケットを椅子にかける。

(背が高いな。190cmぐらいありそうだ)
 聖は幾島をそれとなく観察する。黒髪をオールバックに撫でつけ、口髭を生やした大柄な男だった。日本人にしては堀の深いくっきりした目鼻立ちをしている。眉が濃いせいか、表情を変える度によく目立つ。服装は黒のタンクトップに色褪せたジーンズ。ゴツゴツした大きめのシルバーリングをいくつか指にはめている。まさしくアメリカンファッションといった風体で、引き締まった身体つきは逞しく、格闘家かもしくはアウトローのようでありながら、どこか親しみやすい雰囲気をしていた。

「初めまして。君が若槻くん? そっちは?」
「付き添いの不破と言います。差し支えなければ同席したいのですが」
「あぁ、構わないよ。しかし、大会中に誘拐されるとは、君も間抜けだねぇ」
「えっ」
 当たり前のように誘拐の件を口にした幾島の言葉に、思わず固まる聖。

「誘拐?」
 怪訝そうな表情を浮かべる奏芽。
 聖の表情を見た幾島が、おどける様に濃い眉を動かす。

「あれ? もしかしてオレ、なんかミスった?」
 間が良いのか悪いのか、ちょうど女性店員が幾島に珈琲を運んできた。

「ごゆっくりどうぞ」

 しばしの間、沈黙が降り立ったのは言うまでもない。
                                  続く
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