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第102話 魔障は音も無く
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弖虎が打てども打てども、聖は必死に食らいついた。始めこそ弖虎の攻撃が上回っていたが、守備に徹することで徐々に聖も攻撃パターンを掴み、簡単にはポイントを奪われない場面が増え始めた。状況はいつしか均衡を保ち、1ポイント毎のラリー数が増えて行く。そして、1stセットの決着はタイブレークへともつれ込んだ。
「Game Japan. 6 games all. Tie Break」
(よしっ、どうにか追いついた。ここを自力で獲れれば……!)
身体中から吹き出る汗をタオルで拭い、聖はさらに集中力を高める。
(しっつけェなァ。ダラダラとラリーさすンじゃねェよ、クソが)
同じように汗を手の甲で拭う弖虎。
両者はすぐにポジションへつき、ネット越しに対峙する。気持ちはもちろんのこと、プレーにおいても互いに譲らない。攻める弖虎、守る聖。ポイントを獲れば奪い返され、奪われれば獲り返すシーソーゲームが続く。気付けばポイントが並んでデュースとなり、更にそれを6度も繰り返した。7度目のデュースも激しい攻防となり、先にセットポイントを握ったのは聖だった。
(安易に攻めたらカウンターでやられる。かといって、ここで守りに徹するのは良い手だとは思えない。サーブの優位を維持しながら、リスクは最小限に抑えつつ、なるべく厳しいところを突く。威力とコントロール、その両方を維持するんだ)
より集中を深め、自分に出来る最大限のプレーを発揮しようと努める聖。
(だりィなったく。クソ真面目にテニスしやがって。な~ンか、ムカつくンだよなコイツ。特にツラが気に入らねェ。僕は一生懸命頑張ってるイイコです、って感じがしてよォ。なんつーか、テニスなんぞに誠実さをアピールしてる雰囲気が、すげェ苛つくンだよ)
追い詰められ、相手を観察しながら内心で悪態をつく弖虎。
だが両者の口元には、無意識のうちに笑みが浮かんでいる。
(先手を取るッ! ここで仕留めるんだ!)
(来いよ、クソ真面目! ぶちのめす!)
渾身のフラットサーブをセンターに叩き込む聖。この試合ここまでで一番のサーブが入り、さすがの弖虎もリターンの返球が甘くなった。続け様に聖は三球目攻撃を仕掛け、弖虎をコート後方へ追い出す。互いのポジションがこれまでとはひっくり返り、攻める聖、守る弖虎の図式ができあがる。
(ハードヒットもドロップもまだ使えない。先に使えば逆襲される)
(オラどうした、もっと攻めて来いよ。でなきゃこっちから行くぞ)
相手に守勢を強いながらも、自身のリスクを最小限に抑えた見事な配球で聖は主導権を握る。だが、弖虎は逆にリスクを最大限に負い、攻勢に転じる一打を繰り出そうとしてくる。次の瞬間には即座に形勢が逆転しそうな、緊張感に満ちたラリー戦。それはまるで、荒れ狂う嵐の海を舞台に一騎打ちを繰り広げる海上戦のようで、その激しいやり取りに観客は何度も息を飲んだ。
(そら来た、甘めェンだよ!)
隙と呼ぶにはあまりに小さな、僅かな攻撃の緩み。それを見逃さなかった弖虎は、態勢を崩しながらも狂暴なフルスイングで襲いかかる。そのシチュエーションでそれを狙って打てれば誰も苦労しない、という軌道にボールが飛ぶ。逆襲に成功したと確信した弖虎だったが、聖の表情を見てそれが間違いだと気付いたときには遅かった。聖の守備範囲を超える一打がコートを駆け抜ける瞬間、弖虎の想定を聖が越えてみせたのだ。
「Game. 1st set Japan 7-6」
審判のコールを合図に、観客が沸く。
(野郎、張ってやがった)
弖虎は聖を睨み付ける。例え攻撃のクセを読まれようと、相手の守備力を上回ってしまえば関係ないと弖虎は考えていたが、どうやら相手にはそれさえ読まれていたらしい。攻め時を見破られカウンターを食らうなど、随分と久しぶりのことのように感じた。
「やるじゃねェか」
呼吸を整えようと息を深く吸ったら、ふとそんな言葉が弖虎の口から零れる。そのとき自分の胸に去来した気持ちから逃れたくて、弖虎は足早にベンチへ向かった。
★
部屋に設置された大型スクリーンに、ちょうど聖の顔が映し出された。
(以前よりは、いい顔になってるようね)
改めて彼の顔を目にした沙粧は、春頃にATCへの入会手続きを行う聖と、自ら面談したときのことを思い出す。年齢の割に背は高いが、まだ幼さが残るお人好しそうな顔。他人の本質を見抜くことにかけては、それなりの自信を持つ沙粧の目から見て、若槻聖はどこにでもいるごく普通の青年に見えた。
――ハルナと約束しました。彼女にとって相応しい選手になるって
ただ、彼が瞳に宿していた決意が本物であると感じたのを、沙粧は覚えている。恋に気持ちを逸らせた若者特有の熱りではなく、力を持つ者がそれを明確な意志によって振るうと決めた覚悟。そういうものが彼のなかに見えたからこそ、沙粧は素襖春菜の提案を受け入れ、若槻聖がATCへと入会するチャンスを与えた。
「で、この子のことで何が分かったの?」
他の選手や現場のコーチ陣などを納得させる材料を得る為、沙粧は現役の日本男子ナンバー1である黒鉄徹磨を、セレクションの相手に用意した。勝敗は勿論のこと、試合内容次第では、聖の扱いをいくつか分岐させる腹積もりもあった。セレクションの結果は、沙粧にとって意外半分、納得半分といった印象のもので、素襖春菜が何を狙って彼を寄越したのか見定めようと、特に何をするでもなく経過観察とした。むしろ、肩透かしを食らったと沙粧が感じたのは、セレクション以降、聖の動きに目立ったものが無かったことだ。何か目覚ましい成果を上げてくるのではないかと予想していたが、聖の振る舞いは実に大人しいものだった。彼の動向を観察する以上に他の優先事項が増えたため、彼については現場に任せ判断を保留にし、しばらく泳がせていた。それがまさか、ここへきて教授から名前が出るとは。自分が目を離している間に、注目すべき何かが彼から見つかったのかと、沙粧は少なからず期待した。
「まだそこまでは」
「はぁ?」
沙粧にしては珍しく、苛立ちが声色に滲む。
その事に気付いた彼女は、小さく咳ばらいをして誤魔化した。
「……どういうことなの?」
「ATCに所属する選手のPLE値が著しい成長を見せ始めた時期と、この若槻聖クンがATCでの活動を開始した時期が一致する。そして彼と試合した西野という一般人もまた、予測値ではありますが、非常に高いPLE値を有していることが判明した。分かっている事実は以上ですな」
「彼、若槻聖が起因している、と?」
「あくまで、状況から導き出せる仮説のひとつに過ぎませんが」
「教授にしては控えめな表現ね」
「彼とは一度、接触しておりまして」
「教授の目の前で、気を失ったっていう?」
「えぇそうです。熱中症だの貧血だのと最初は思ったのですが、その場の簡易スキャンではそういう兆候が見られませんでした。一応なにか重篤な疾病を考慮したのですが、うちのラボに連れ帰り精密検査を行っても何も見つかりませんでした」
「疲労ですら無かった、と?」
「例え些細な原因であったとしても、意識が途絶するほどの何かが身体のなかで起こっていれば、私のラボで検査すれば大抵のことは分かります。何もない、という結果は極めて稀ですよ。万能ではないにしても、GAKSOは普通の人体のメカニズムを概ね解明済みですからな。とはいえそこは人体の不思議。我々が解明しているのは、あくまで判明しているもののみ。PLEのように、まだ人類が気付いていない何かがあってもおかしくはない。つまり彼の気絶は、まだ人類が気付いていない何かによるものである可能性が捨てきれない」
沙粧は新星の話を、ゆっくりと頭の中で反芻する。あの青年に、そんな大それた何かがあるとは到底思えない。だが、新星のラボで検査してなお、意識を失った理由が判明しないというのは確かに妙だった。気絶したにも関わらず異常の痕跡が見つからない。それこそが異常の痕跡といえた。
「なら、それを確かめるにはおあつらえ向きの状況ということね」
沙粧はデスクのPCを操作する。アーヴィングから一時的に預かっているアーキアへの管理権限を使い、対戦中の弖虎・モノストーンに宿しているアーキアを強制起動させた。教授の仮説が正しい場合、このまま聖と試合を続ければ、何かしら兆候が見えるはずである。
「邪魔する気は無かったのだけれど。事情が変わったの。悪く思わないでね」
スクリーンに映った弖虎へ向けて、沙粧は悪びれもせず呟いた。
★
(よし、よし、よし! 1st獲れた! 上手くいった!)
セット間の小休止にて、ベンチでエナジーバーをかじる聖は1stセットを手にした喜びを噛み締めていた。能力に頼らず、自力で弖虎を相手に先行できた達成感はとても大きかった。
<言うときますけどォ~、アンタが上達してンのもワシらのお陰なンやで~? そのあたり勘違いせンといてもらえまっか~?>
(分かってるよウルサイな。別に全部実力だなんて思ってない)
無遠慮に水を差されて、聖はムっとする。アドのいう通り、能力は使用していないとしても、聖は別の恩恵を授かっている。未来の可能性の撹拌に協力することで、本来ならもっと時間をかけて上達するテニスの実力にブーストがかかっているのだ。ただそうはいっても、能力と違ってどこまでが自分の本来の実力で、どこからがブーストされているものなのか見分けがつかない。
(今あんまり深堀したくないけどさ、仮に僕が普通にテニスを続けていたとしたら、今と同じぐらいの実力は身に付いてたのかな?)
自身が持つ生来の運動能力と、虚空の記憶による恩恵で身についた運動能力に感覚的な差を感じないため、聖としてはどうしてもそこが気になってしまう。あのとき逃げ出さず、ちゃんと続けていたらどうなっていたのか。
<知りまちぇ~ン。人生にたら・ればはねンだよ。今のオマエが全てなの>
(そうはいうけどさぁ)
<どういう事情で誰が何を得るか、そンな過程の話はカンケーねェ。自分で望んで手に入れたもの、自分の意志にカンケーなく手に入ったもの、ぜぇ~ンぶひっくるめてソイツの実力なのさ>
(はい?)
イマイチ話の筋が見えない聖だが、アドはそれきり応えなくなった。
主審から声がかかり、小休止が終わると、2ndセットが開始される。
(体力的にはちょっとしんどいけど、感覚は悪くない。どうにか先にブレイクできれば、いや、先にブレイクするんだ。そのために何をどうするか。全ポイントしっかり集中して挑まなきゃ)
激闘の末に1stセットを獲り先行したことで、自分のなかに安堵感が広がっているのを聖は感じた。精神的な余裕が生まれたのは良いが、それと気持ちが緩むのは別問題だ。相手は、ただでさえ苛烈な攻撃を際限なく続けてくる。気持ちの面で後手に回れば、あっという間に逆転されかねない。
(気を引き締めろ、ここを獲られたら負けると思え)
腹の底から息を吐く。集中力を高めると同時に、聖は弖虎に視線を向ける。よくは分からないが、今日対戦している弖虎は以前戦った彼と印象が異なる。見た目や人柄、雰囲気こそ変わらないが、以前はもっと、彼のプレーに嫌悪感に近いものを抱いていたはずだ。加えて前回は後味の悪い決着が重なり、聖は試合開始前まで弖虎との対戦にある種の憂鬱さを感じていた。しかし、今はもうそれも無い。極めて高い水準で仕掛けてくる相手に、自分がどこまで通用するのか。チームの勝敗がかかっているというこの場面で、聖は難敵に挑む高揚感を密かに楽しんでいた。
(……あれ?)
弖虎の虚ろな瞳を、見るまでは。
続く
「Game Japan. 6 games all. Tie Break」
(よしっ、どうにか追いついた。ここを自力で獲れれば……!)
身体中から吹き出る汗をタオルで拭い、聖はさらに集中力を高める。
(しっつけェなァ。ダラダラとラリーさすンじゃねェよ、クソが)
同じように汗を手の甲で拭う弖虎。
両者はすぐにポジションへつき、ネット越しに対峙する。気持ちはもちろんのこと、プレーにおいても互いに譲らない。攻める弖虎、守る聖。ポイントを獲れば奪い返され、奪われれば獲り返すシーソーゲームが続く。気付けばポイントが並んでデュースとなり、更にそれを6度も繰り返した。7度目のデュースも激しい攻防となり、先にセットポイントを握ったのは聖だった。
(安易に攻めたらカウンターでやられる。かといって、ここで守りに徹するのは良い手だとは思えない。サーブの優位を維持しながら、リスクは最小限に抑えつつ、なるべく厳しいところを突く。威力とコントロール、その両方を維持するんだ)
より集中を深め、自分に出来る最大限のプレーを発揮しようと努める聖。
(だりィなったく。クソ真面目にテニスしやがって。な~ンか、ムカつくンだよなコイツ。特にツラが気に入らねェ。僕は一生懸命頑張ってるイイコです、って感じがしてよォ。なんつーか、テニスなんぞに誠実さをアピールしてる雰囲気が、すげェ苛つくンだよ)
追い詰められ、相手を観察しながら内心で悪態をつく弖虎。
だが両者の口元には、無意識のうちに笑みが浮かんでいる。
(先手を取るッ! ここで仕留めるんだ!)
(来いよ、クソ真面目! ぶちのめす!)
渾身のフラットサーブをセンターに叩き込む聖。この試合ここまでで一番のサーブが入り、さすがの弖虎もリターンの返球が甘くなった。続け様に聖は三球目攻撃を仕掛け、弖虎をコート後方へ追い出す。互いのポジションがこれまでとはひっくり返り、攻める聖、守る弖虎の図式ができあがる。
(ハードヒットもドロップもまだ使えない。先に使えば逆襲される)
(オラどうした、もっと攻めて来いよ。でなきゃこっちから行くぞ)
相手に守勢を強いながらも、自身のリスクを最小限に抑えた見事な配球で聖は主導権を握る。だが、弖虎は逆にリスクを最大限に負い、攻勢に転じる一打を繰り出そうとしてくる。次の瞬間には即座に形勢が逆転しそうな、緊張感に満ちたラリー戦。それはまるで、荒れ狂う嵐の海を舞台に一騎打ちを繰り広げる海上戦のようで、その激しいやり取りに観客は何度も息を飲んだ。
(そら来た、甘めェンだよ!)
隙と呼ぶにはあまりに小さな、僅かな攻撃の緩み。それを見逃さなかった弖虎は、態勢を崩しながらも狂暴なフルスイングで襲いかかる。そのシチュエーションでそれを狙って打てれば誰も苦労しない、という軌道にボールが飛ぶ。逆襲に成功したと確信した弖虎だったが、聖の表情を見てそれが間違いだと気付いたときには遅かった。聖の守備範囲を超える一打がコートを駆け抜ける瞬間、弖虎の想定を聖が越えてみせたのだ。
「Game. 1st set Japan 7-6」
審判のコールを合図に、観客が沸く。
(野郎、張ってやがった)
弖虎は聖を睨み付ける。例え攻撃のクセを読まれようと、相手の守備力を上回ってしまえば関係ないと弖虎は考えていたが、どうやら相手にはそれさえ読まれていたらしい。攻め時を見破られカウンターを食らうなど、随分と久しぶりのことのように感じた。
「やるじゃねェか」
呼吸を整えようと息を深く吸ったら、ふとそんな言葉が弖虎の口から零れる。そのとき自分の胸に去来した気持ちから逃れたくて、弖虎は足早にベンチへ向かった。
★
部屋に設置された大型スクリーンに、ちょうど聖の顔が映し出された。
(以前よりは、いい顔になってるようね)
改めて彼の顔を目にした沙粧は、春頃にATCへの入会手続きを行う聖と、自ら面談したときのことを思い出す。年齢の割に背は高いが、まだ幼さが残るお人好しそうな顔。他人の本質を見抜くことにかけては、それなりの自信を持つ沙粧の目から見て、若槻聖はどこにでもいるごく普通の青年に見えた。
――ハルナと約束しました。彼女にとって相応しい選手になるって
ただ、彼が瞳に宿していた決意が本物であると感じたのを、沙粧は覚えている。恋に気持ちを逸らせた若者特有の熱りではなく、力を持つ者がそれを明確な意志によって振るうと決めた覚悟。そういうものが彼のなかに見えたからこそ、沙粧は素襖春菜の提案を受け入れ、若槻聖がATCへと入会するチャンスを与えた。
「で、この子のことで何が分かったの?」
他の選手や現場のコーチ陣などを納得させる材料を得る為、沙粧は現役の日本男子ナンバー1である黒鉄徹磨を、セレクションの相手に用意した。勝敗は勿論のこと、試合内容次第では、聖の扱いをいくつか分岐させる腹積もりもあった。セレクションの結果は、沙粧にとって意外半分、納得半分といった印象のもので、素襖春菜が何を狙って彼を寄越したのか見定めようと、特に何をするでもなく経過観察とした。むしろ、肩透かしを食らったと沙粧が感じたのは、セレクション以降、聖の動きに目立ったものが無かったことだ。何か目覚ましい成果を上げてくるのではないかと予想していたが、聖の振る舞いは実に大人しいものだった。彼の動向を観察する以上に他の優先事項が増えたため、彼については現場に任せ判断を保留にし、しばらく泳がせていた。それがまさか、ここへきて教授から名前が出るとは。自分が目を離している間に、注目すべき何かが彼から見つかったのかと、沙粧は少なからず期待した。
「まだそこまでは」
「はぁ?」
沙粧にしては珍しく、苛立ちが声色に滲む。
その事に気付いた彼女は、小さく咳ばらいをして誤魔化した。
「……どういうことなの?」
「ATCに所属する選手のPLE値が著しい成長を見せ始めた時期と、この若槻聖クンがATCでの活動を開始した時期が一致する。そして彼と試合した西野という一般人もまた、予測値ではありますが、非常に高いPLE値を有していることが判明した。分かっている事実は以上ですな」
「彼、若槻聖が起因している、と?」
「あくまで、状況から導き出せる仮説のひとつに過ぎませんが」
「教授にしては控えめな表現ね」
「彼とは一度、接触しておりまして」
「教授の目の前で、気を失ったっていう?」
「えぇそうです。熱中症だの貧血だのと最初は思ったのですが、その場の簡易スキャンではそういう兆候が見られませんでした。一応なにか重篤な疾病を考慮したのですが、うちのラボに連れ帰り精密検査を行っても何も見つかりませんでした」
「疲労ですら無かった、と?」
「例え些細な原因であったとしても、意識が途絶するほどの何かが身体のなかで起こっていれば、私のラボで検査すれば大抵のことは分かります。何もない、という結果は極めて稀ですよ。万能ではないにしても、GAKSOは普通の人体のメカニズムを概ね解明済みですからな。とはいえそこは人体の不思議。我々が解明しているのは、あくまで判明しているもののみ。PLEのように、まだ人類が気付いていない何かがあってもおかしくはない。つまり彼の気絶は、まだ人類が気付いていない何かによるものである可能性が捨てきれない」
沙粧は新星の話を、ゆっくりと頭の中で反芻する。あの青年に、そんな大それた何かがあるとは到底思えない。だが、新星のラボで検査してなお、意識を失った理由が判明しないというのは確かに妙だった。気絶したにも関わらず異常の痕跡が見つからない。それこそが異常の痕跡といえた。
「なら、それを確かめるにはおあつらえ向きの状況ということね」
沙粧はデスクのPCを操作する。アーヴィングから一時的に預かっているアーキアへの管理権限を使い、対戦中の弖虎・モノストーンに宿しているアーキアを強制起動させた。教授の仮説が正しい場合、このまま聖と試合を続ければ、何かしら兆候が見えるはずである。
「邪魔する気は無かったのだけれど。事情が変わったの。悪く思わないでね」
スクリーンに映った弖虎へ向けて、沙粧は悪びれもせず呟いた。
★
(よし、よし、よし! 1st獲れた! 上手くいった!)
セット間の小休止にて、ベンチでエナジーバーをかじる聖は1stセットを手にした喜びを噛み締めていた。能力に頼らず、自力で弖虎を相手に先行できた達成感はとても大きかった。
<言うときますけどォ~、アンタが上達してンのもワシらのお陰なンやで~? そのあたり勘違いせンといてもらえまっか~?>
(分かってるよウルサイな。別に全部実力だなんて思ってない)
無遠慮に水を差されて、聖はムっとする。アドのいう通り、能力は使用していないとしても、聖は別の恩恵を授かっている。未来の可能性の撹拌に協力することで、本来ならもっと時間をかけて上達するテニスの実力にブーストがかかっているのだ。ただそうはいっても、能力と違ってどこまでが自分の本来の実力で、どこからがブーストされているものなのか見分けがつかない。
(今あんまり深堀したくないけどさ、仮に僕が普通にテニスを続けていたとしたら、今と同じぐらいの実力は身に付いてたのかな?)
自身が持つ生来の運動能力と、虚空の記憶による恩恵で身についた運動能力に感覚的な差を感じないため、聖としてはどうしてもそこが気になってしまう。あのとき逃げ出さず、ちゃんと続けていたらどうなっていたのか。
<知りまちぇ~ン。人生にたら・ればはねンだよ。今のオマエが全てなの>
(そうはいうけどさぁ)
<どういう事情で誰が何を得るか、そンな過程の話はカンケーねェ。自分で望んで手に入れたもの、自分の意志にカンケーなく手に入ったもの、ぜぇ~ンぶひっくるめてソイツの実力なのさ>
(はい?)
イマイチ話の筋が見えない聖だが、アドはそれきり応えなくなった。
主審から声がかかり、小休止が終わると、2ndセットが開始される。
(体力的にはちょっとしんどいけど、感覚は悪くない。どうにか先にブレイクできれば、いや、先にブレイクするんだ。そのために何をどうするか。全ポイントしっかり集中して挑まなきゃ)
激闘の末に1stセットを獲り先行したことで、自分のなかに安堵感が広がっているのを聖は感じた。精神的な余裕が生まれたのは良いが、それと気持ちが緩むのは別問題だ。相手は、ただでさえ苛烈な攻撃を際限なく続けてくる。気持ちの面で後手に回れば、あっという間に逆転されかねない。
(気を引き締めろ、ここを獲られたら負けると思え)
腹の底から息を吐く。集中力を高めると同時に、聖は弖虎に視線を向ける。よくは分からないが、今日対戦している弖虎は以前戦った彼と印象が異なる。見た目や人柄、雰囲気こそ変わらないが、以前はもっと、彼のプレーに嫌悪感に近いものを抱いていたはずだ。加えて前回は後味の悪い決着が重なり、聖は試合開始前まで弖虎との対戦にある種の憂鬱さを感じていた。しかし、今はもうそれも無い。極めて高い水準で仕掛けてくる相手に、自分がどこまで通用するのか。チームの勝敗がかかっているというこの場面で、聖は難敵に挑む高揚感を密かに楽しんでいた。
(……あれ?)
弖虎の虚ろな瞳を、見るまでは。
続く
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