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第87話 助言者の忠告

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 冷えたコンクリートの匂いが鼻をくすぐる。夜の寒さも相まって、油断するとくしゃみが出そうになるのを聖はどうにか堪えた。手首で鼻をぬぐいながら、辺りの気配を窺う。静まり返っているような、あちこちから物音が聞こえる様な、実になんとも言えない感覚がした。襲撃者を迎え撃つために忍び込んだ、巨大施設の工事現場。建設途中のその敷地には、剥き出しの鉄骨があちこちに顔を覗かせる。闇に浮かぶそれらは、無機質でありながら今にも動き出しそうな生々しさを感じさせた。

(恐さを覚えないのは、ベッカーの力を使っているからか?)
 普段の自分なら少なからず怯えていそうなものだが、今はむしろ戦意に満ちている。物陰に身を潜ませてはいるが、聖には任された役割があった。正体不明の襲撃者を迎え撃つリッゾたちを、離れた場所からサーブで牽制する。車上でのコントロールを見込まれ、戦力として認められたのは誇らしく思うが、一方でテニスの能力をそういうことに使っても良いのかという葛藤はある。だが状況がそうさせるのか、聖は不謹慎だと思いながらも、遊びの銃撃戦サバイバル・ゲームをしているみたいで面白いと、スリルを楽しんでしまっていた。そう思うのもまた、ベッカーの性格ゆえであろうか。

 サーブを打ったらその度に場所を変えろ、とリッゾは言った。その言葉に従い、聖は転ばないよう気を付けながら移動する。その途中、3発の銃声が耳に飛び込んできた。音がした方を確認しようと物陰から顔を出そうとした瞬間、今度は大砲のような轟音が響いた。

(手榴弾!? フェイクに使うんじゃなかったのか!?)
 咄嗟に頭をかばいながらかがむ聖。状況はまだ終わっていないのか、それとも今のが最後の一撃だったのか、或いは、失敗して更に状況が悪くなったのか。聖には判断材料が無いため、徐々に想像は悪い方向へと膨らんでいく。かすかな物音さえ、危険を知らせる前兆のように思えてしまう。聖はじっと身を屈めたまま、周囲の気配を探ろうと神経を張り巡らせた。

「出て来い! 問題は解決した!」
 リッゾの力強く厳とした声が耳に飛び込んでくる。それを聞いて、聖はほっと緊張が緩む。出会って間もないが、リッゾの存在には不思議と頼もしさを感じる。親や教師、コーチ、先輩といった人達とはまた違う、大人の貫禄がリッゾにはあった。しかも、彼は裏社会に生きるマフィアだ。まさか、自分が本物のイタリアンマフィアと知り合う事になるとは、予想もできなかった。妙な成り行きになったものだと思いつつ、念のため周囲を警戒しながら立ち上がり、聖は急いで声の方へ向かった。

「殺した、んですか」
 聖が皆の集まっているところへ着いた時、ミヤビが固い声色でリッゾに問い掛けていた。少し離れた場所には、今も砂埃と白煙が霧のように舞っている。その周辺には、何かが飛び散ったような跡があった。それが何なのか、聖は想像しないよう視線を逸らす。

「言っただろう、やはり人間じゃあなかった」
 リッゾはどうでもよさそうに言いながら、煙草に火をつける。

「あれが、ロボットだったっていうんですか?」
「少なくとも、頭を銃で吹き飛ばした後に自爆する人間を、オレは知らん」
 やれやれといった具合に煙を吐き散らすリッゾ。その言葉に、思わず爆発跡にもう一度視線を向ける聖とミヤビ。確かにあの白い人物からは、まるで人間味を感じなかった。何やらあれこれと常識離れしたテクノロジーと共に、人間とは思えない動きで襲ってきたことを考えれば、あながち嘘ではないのかもしれない。あれが四足歩行や六足歩行の分かり易い形をしていればあっさりリッゾの言葉を信じられたかもしれないが、あぁも人型をしているとにわかには受け入れがたい。自爆した、というのはもしかすると、リッゾの方便なのではと余計な勘繰りをしてしまう。

「ひとまず、全員無事だな。アクシデントはあったが、問題無い」
 リッゾは襲撃者の正体が人間であろうとロボットであろうと、それについては関心は無さそうだ。ポケットから携帯灰皿を取り出すと、咥えていた煙草の吸殻を仕舞う。意外とマナーを守る人なのかと聖が思っていると、頭のなかでアドが「吸い殻の唾液から痕跡を辿られない為だ」と教えてくれた。それを聞いて、聖は彼らが本当に本物の悪党マフィアなのだなと妙に納得してしまった。

「よし、出発するぞ」
 レーザーによって酷い有様になった大型のバンは、まだ充分に動くらしい。来た時と同じ割り振りで、聖たちは再び車に乗り込んだ。聖が最初と同じピックアップトラックの荷台に上がると、ミヤビが固い表情のままでいるのに気が付いた。何か声をかけるべきか迷ったが、聖は何も言葉が思い浮かばない。仕方なく隣に座り、黙ってミヤビの手を握る。すると、女性らしい細くしなやかな手が、軽く握り返してきた。ミヤビは聖の方を見ることもなく、口を開かない。目的地に到着するまでの間、なにも言葉を交わさなかった。ただ黙って荷台に揺られながら、同じように夜空を見上げる二人。

 聖の耳の奥で、銃声とエンジンの音が残響のようにこだましていた。

           ★

 フロリダ州の西海岸にあるネープルズには、マイアミに引けを取らない高級ビーチが多数存在する。聖たちが到着したのは、そんなセレブリゾート地として名を馳せる観光名所にあるゴルフ場の一角だ。三階建てのログハウスは小ぶりなホテルを思わせる立派な雰囲気だが、夜の闇がそう見せるのか、聖にはどこか恐ろし気な洋館のように感じられた。

「一応、人質らしくしてもらうぜ」
 エディの指示に従い、聖とミヤビは両手を後ろ手に隠して、さも拘束されているかのような恰好で並ぶ。エディの弟である二人が横に並び立ち、両脇を固める。聖とミヤビを中心にして兄妹四人で囲む様子は、何かそういう遊びをしているかにも見えて少し滑稽だ。

 リッゾたちは「ロシア野郎ルスパの顔を見たら問答無用で撃ち殺すかもしれない」といって、姿を隠した。軽口のように言っていたが、全く目が笑っておらず、聖はそこに明確な敵意を読み取った。それは途中で襲撃してきたあのロボット以上に強く感じられ、やはり彼らが裏社会の住人であることを実感させる。

助言する者サヴェトニク、エディだ。今、外に着いた」
 エディがスマホで窓口役に報告し、反応を待つ。ほどなくすると入口のドアが開く。真夜中だというのに、真っ黒なスーツを着た男たちが数人出てきた。全員手ぶらだが、かもし出している雰囲気は剣呑そのもの。風に揺れて木々がざわざわとさざめき、空気が物々しさを増す。そして最後に、煉瓦色のスーツを着た細身の男が実にゆっくりとした歩調で現れた。

「やぁ、エディ。こんな夜中までご苦労さん」
 その人物は黒いスーツの男達の中心に立って言った。同時に、風が止んで静寂が訪れる。煉瓦色のスーツを着た男は、皺の刻まれた顔と少しばかり後退した髪のせいで、一見すると老人のように見えた。ニコニコと人懐こそうな笑顔を向けている。だが、その立ち振る舞いから溢れる雰囲気には、得体のしれない底知れぬ獰猛さが潜む。人当たりの良さそうな表情が、却ってその迫力に拍車をかける。そう思うのは、聖が彼をマフィアだと知っているからだろうか。

(この人がロシアンマフィアの、助言する者サヴェトニク
 体格の割に太い指の間に、ドラマでしか見たことの無いハマキを挟み、まるで飴でもひと舐めするかのように吸って優雅に煙を吐くサヴェトニク。真っ直ぐ向けられた視線は、まんべんなく全員を射抜いていた。ただその場に現れただけで、その男の目の届く範囲は全てサヴェトニクの支配下に置かれたような、そんな錯覚を覚える。

「その二人がさらってきた日本人か。うん、元気そうじゃない」
 自分たちのことを言われ、反射的に緊張から唾を飲み込む聖とミヤビ。顔を見てまだ十数秒だというのに、どういうわけか「無礼を働いてはならない」という気分になる。これまでの人生で、人間に対してそんな風に思ったことは一度も無い。聖はなぜ彼に対してそう感じてしまうのかさっぱり分からず、その不可解さが余計に緊張感を増幅させた。

「うんうん、よくやった。上出来だ。しっかし、お前等も長い間よくやってこれたなぁ。てっきり数か月でおっ死ぬ・・・・と思ってたが、やっぱり根性あるよ。オレの見込んだ通り・・・・・・じゃないか。最近の若いモンにしてはなかなか筋が良い。オマエさえ良けりゃあ、本格的にオレの部下になるか? 例えイタリアの糞ガキピザ・マンドリンでも、同志になるなら話は別だ。今まで以上に大事にしてやる・・・・・・・ぞ?」
 まるで子供にタチの悪い遊びやシャレにならない悪戯でも教えるような調子で、サヴェトニクが言う。本気なのか冗談なのか、誘いなのか命令なのかさっぱり分からない。ただ確かに言えること、それはエディの回答に関係なく、相手のご機嫌一つでころころ変わってしまうということ。エディは押し黙ったまま答えない。反応すれば、その瞬間に相手の都合の良い方に捉えられ未来を決められてしまうだろう。一方的に理不尽を強いる者と、強いられる者。明らかな立場の違いが明確に表れていた。

(卑怯者めっ)
 そんな雰囲気を感じ取った聖の胸中に、ふと怒りが沸く。エディ達のことは、老婆に聞かされた断片的にしか知らない。どこまでが本当で、どこまでが誇張なのか聖には判断がつかない。もしかすると、すべて同情を誘う為の嘘だったのかもしれない。例え老婆の話は全部が本当で、彼らに情状酌量の余地があるにしても、彼らがやったことは許される事ではない。だが、それはそれだと聖は彼らの罪をいったん横に置く。そういう状況に追いやり、彼らを奴隷のように扱い、普通の生活を奪ったのは他ならぬコイツなのではないか。そう思うと、何故だかふつふつと怒りが込み上げてくる。人の人生をメチャクチャにしておいて、何を偉そうにしているのだ、この男は。

<落ち着け、オマエのターンじゃねェよ>
 頭のなかでアドが待ったをかける。その声でハッとした聖は、昇りかけていた血が下がった。身体のなかに生まれた怒りを排熱するように、聖は静かに深く、鼻から息を吐き出す。幾分か頭は冷えたが、だからこそ余計に、エディ達に理不尽を強いるロシアンマフィアへの怒りが、自分が思ったより強いものだと自覚した。

「どうだ、エディ。今より遥かに良い暮らしができるぞ?」
 サヴェトニクが悪巧みに誘うかのような口調で続ける。
 そして黙っていたエディがゆっくりと口を開いた。

「オレ達は仕事をした。あんたは約束を守る。それだけのはずだ」
 不満も、隷属も示さない。例えどんな理不尽を強いられようと、自分たちが人間であり、対等な存在であることは忘れない。立場は下でも、扱いは畜生以下でも、自分たちの誇りだけは手放さない。外道に堕ち、例え他人を巻き添えにする悪事に手を染めようと、ただひたすら、自分の家族を守る為に。エディの決然とした様子は、それを宣言していた。

「ハハハハハッ!」
 声を張り上げ呵々大笑かかたいしょうするサヴェトニク。競馬で誰も賭けない大穴をただ一人当て、他の馬に賭けた連中全員を見下すように笑った。たった一人の哄笑が、夜の闇に響き渡る。しばらくするとサヴェトニクは笑い終え、全員に視線を戻す。改めて向けられたその視線に、聖は戦慄を覚えた。先ほどまであった人懐こそうな表情は消え去り、暗く冷たく、獰猛な色だけを湛えた瞳が全員を捉えていた。

「そうだ、その通りだ。それが取り交わした守るべき約定ソグラシェニエだ」
 サヴェトニクはそれだけ言って、背を向ける。横にいた男に合図して、小さなボストンバッグがエディの足元に放り投げられた。戸惑うエディは、中身を検めるべきか躊躇して視線を泳がせてしまう。

「話は終わりだ。どこへでも好きに行くが良い。今日は機嫌が良いんでな。日本人の二人もご苦労さん。我々は既に必要なものを手にしている。大会での健闘を祈っているよ。うちの国からも出ているらしいが、正直それはどうでもいい」
 振り向きもせず、サヴェトニクが玄関へと向かう。どうやら本当に相手はエディ達を開放し、聖たちに危害を加えるつもりが無いらしい。残されたバッグの中身が爆弾なのではと一瞬警戒するが、音の様子からしてその感じはしなかった。根拠は何もなかったが、場の空気から全ての危機は去った、そんな風に聖には思えた。安心して胸を撫で下ろそうとした瞬間、思いもよらぬ所から、激しい炎が吹き荒れた。

「ふざけんなっ!」
 静謐だった夜の空気がビリビリと震える、強烈な一喝。それを放ったのは、聖の隣にいたミヤビだった。怒りに肩を震わせ、見たことも無い剣幕で彼女は続ける。

「あんた! この子らに言うことあるでしょう!」
「ミヤビさん、ストッ、うわ!」
 殴りかかりにいきそうな勢いのミヤビを、咄嗟に止めようとした聖。ミヤビはそれを突き飛ばし、聖はバランスを崩して尻もちをついた。細い身体のどこに、そんな力があるというのか。

「マフィアかなんだか知らないけどさぁ、こんな子供たちをこき使って、いじめて、悪いことさせて! 良い大人がよってたかって! それで良いと思ってんの? なに偉そうにしてんだよ、てめぇ!」
 響き渡るミヤビの怒声。護衛らしい黒スーツの男達ですらその剣幕に目を見開いている。無論、彼らが恐れているのはミヤビに対してではないだろう。それは聖も同じだ。満足して巣穴に帰ろうとする虎の尻尾をこれでもかという勢いで踏みつけたのと変わらない。ゆっくりと振り返ったサヴェトニクの顔に、表情は無い。

(ヤバイ、殺される!)
<半ッ端ねェ! いいぞもっと言ったれ!>
 焦る聖を他所に、頭の中でアドが爆笑しながら煽る。サヴェトニクと目が合ったミヤビは、怒りの炎で真っ赤になったその瞳を臆することなく向ける。そこには打算も狙いも何もない。ただひたすら正直な激情があるだけだ。数秒か、或いは数分か。サヴェトニクはしばらくそんなミヤビの視線を真正面から眺めたあと、不気味なほどゆったりと口を開いた。

「いやぁ、想定外だ。まさか、こんな真っ当で真っ直ぐな正論をぶつけられるとは」
「余裕かましてんなよ、笑いごとじゃねぇよ!」
 怯むことなく食って掛かるミヤビ。しかしサヴェトニクは、ミヤビのその態度を歓迎しているのか、噛み締めるように笑顔で頷いている。そして、たっぷり余裕を見せつけながら言葉を続けた。

「確かに確かに。確かに君から見れば、我々はエディたちを奴隷扱いし、長年に渡って犬畜生のように扱った、そんな風に見えるだろう。実際その通りだし、それについて言い訳するつもりは無い。ただね、お嬢さん。君が表の世界で真っ直ぐ健やかに育っている裏側には、こういう世界もあるのだよ。それを肯定しろとは言わないが、こっちにはこっちの事情や仕来り、約束事やルールがある。だから、君等はこっち側に口を出す立場にない。その真っ直ぐな感情はごもっともだが、それはあくまで君がそっち側の人間だから感じるのさ。今回はたまたま、諸々の事情で君たちを巻き込んだゆえ、その非礼は不問としよう。元々、全てこっち側の話であるべきだったからな」

「はぁ? なにワケわかんないことを」
 サヴェトニクは人差し指を見せつけるように立て、ミヤビを黙らせる。

「君は正しい。太陽が東から昇り西へ沈むように真っ当だ。正直羨ましいよ。しかし、あくまでそれは、表の君ら世界でのみ通じることだ。君の様に若く美しい女鹿は、大人しく平和な森で暮らしなさい。それでも、君を狙う輩は有象無象にいる。くれぐれも、境界線グラーニツァを見誤るなよ。さもなくば、無駄に命を散らす・・・・・・・・ことになる・・・・・
 それだけいって、サヴェトニクはまた踵を返す。

「オイ! 話は終わってねぇよ!」
 ミヤビが啖呵を続けるが、サヴェトニクは振り向かない。
 ロッジに入る直前、彼は足を止めそのまま最後に付け足した。

「憶えておけ。そっちにも、敵は潜んでいるぞ」
 声を荒げるでもなく、凄むわけでもないサヴェトニクの言葉。しかしなぜか、奇妙な迫力、説得力を感じ、聖とミヤビの耳に残る。ともすればこの場で、全員撃ち殺されかねないミヤビの激昂。それをまるで無視し、約束通りエディたちを解放し、新たな枷をかけるでもなく、ロシアンマフィアは自分たちの巣穴へ引き上げて行った。後に残された少年少女たちは、しばらくその恐ろしい魔物が棲まうロッジを見つめて、立ち尽くしていた。

           ★

 エディたちと円満に別れ、聖とミヤビはリッゾの部下であるビアンコが運転するピックアップトラックに乗って帰路についていた。ひとまず今回の騒動は片付いたと聖は思っているが、最後の問題が残っている。

「あんのハゲ! なっにが、君の様に若く美しい女鹿、だ。気取りやがって!」
 知る限りでは想像つかないほどの粗い言葉遣いで、怒りの炎を燃やすミヤビ。先ほどから聖が必死で宥めているが、その勢いはまったく衰えない。ロシアンマフィアがアジトに引っ込んだ後は諦めたように大人しくなり、素直にエディたちとの別れを惜しんでいたのだが、トラックが出発した瞬間から再び怒りがぶり返し、今に至る。

<キレっと口悪ィの意外だなァ。ギャップ萌えするか?>
(いや、なんか……姉ちゃんを思い出すよ)
<実姉いると萌えねェっていうからなァ。オレも実妹はダメだワ>
 お前に妹とかいるのかと突っ込みたかったが、憤懣やるかたない様子のミヤビを宥めるのに必死で、聖はそれどころではない。スーツのセンスが無いだの葉巻が俗っぽいだのと、アドに負けず劣らず罵詈雑言の嵐は絶えない。興奮して厩舎に入ろうとしない暴れ馬の相手をするみたいな気分で、聖はミヤビの怒りに付き合った。

「大体さ、あたしら誘拐されたんだよ? エディ達はあのクソマフィアどもに無理やりやらされたわけだし、被害者じゃん。通報して一人残らず刑務所にブチ込んでやれば良いじゃん。途中でなんか良く分かんないロボット? みたいなのにも襲われたしさぁ。それなのになんでここ数日の話を他言しちゃダメなの? まさかリッゾさん達も変なこと企んでるんじゃないでしょうね? ていうか、なんであたしらが狙われたのかぐらい教えろっつーの」

 ミヤビの言うことはいちいちもっともだったが、そういう疑問にリッゾは答えなかった。ミヤビの怒りが収まらないのはそれもあるのだろう。だが、リッゾ曰く「知ることで余計にリスクが増す。それは他の人間に波及する可能性がある」とのことだった。

「まぁ、僕も納得はしてませんけど」
「でしょ! あの場ではさ、取り敢えずエディ達が心置きなく帰れるように空気読んだの。他言無用だって言われたけど、別に私は了承もしてないし納得もしてない。それに、ウチの監督はこの件を知ってるの? 知らないの? なんでクソマフィアはあっさり私たちを解放したの? 意味わかんないことが多過ぎて苛々する!」

 どうにも腹の虫が収まらないミヤビは、あれはどうなんだこれはどうなんだと疑問を捲し立てる。聞かれたところで聖は答えようがないので、曖昧な態度で相槌を打って宥めてやるより他ない。

「それに、リッゾさんが最後に言ったのは何なの? マジで腹立つ」
 内心、聖はこれが本題だな、と察する。

 ――ATCには注意しろ。可能なら、なるべく早く所属先を変えることだ

 去り際、リッゾは二人にそう忠告した。その真意は不明だが、何かしら意図があったのは明白だ。嫌でも、今回の出来事にATCが何らかの形で関わっていることを示唆しているようにしか思えない。ロシアンマフィアに対する怒りも本物だろうが、ミヤビが一番腹を立てているのはこの件に違いなかった。

「ミヤビさんにとって、ATCアリテニが大事な家みたいなものだってのは知ってます。まだ間もないとはいえ、僕だってすごく世話になってる。ただその、こういう目に遭ってしまうと、何もかもを盲目的に信頼したり依存したりするのは、結構危ないことなのかなって思うんです。ATCアリテニを疑うとかそういう事じゃなくて、ちゃんと客観的な事実として、信頼に足る場所だっていうのを自分の目で確かめないといけないのかなって」
 慎重に言葉を選ぶ聖。もう少しリッゾがちゃんと話してくれれば、情報が少ない状態でこんなフォローをしなくても済むのにと、ミヤビとは違う意味で聖もリッゾを恨めしく思ってしまう。

ATCアリテニは信用できます。アキラちゃんは私の親の親友だったんだから。リッゾさんには今回世話になったけど、あれは正直イラっとしたな」
 ギロリと聖をひと睨みしてから言うミヤビ。言葉を間違えれば、怒りの矛先があっという間に自分へと向きそうだなと聖は肝を冷やす。しかしそれも当然のこと。彼女にとっては、ATCは家族も同然の場所なのだ。実質的な被害は無かったとはいうものの、裏社会のゴタゴタに巻き込まれ、ミヤビも精神的には少なからずダメージを受けている。そこに、本来一番信頼できるはずの家族を疑うような言葉を言われたら、たまったものではないだろう。

「ミヤビさんの気持ちは分かります。分かるんですが……」
 上手く言葉が紡げず、言い淀む聖。疲労のせいか、頭が回らない。
 或いは、さすがにそろそろ・・・・だろうか。

(ジオたちは、随分前から僕たちの知らない、裏側の社会と関わってきた。ネットで見た嘘みたいな情報のなかには、もしかしたら本当の出来事も含まれているのかもしれない。イタリアだけじゃなく、実は最初から僕らの周りにも、そういう何かが潜んでいたのか? もう長いこと続いてるスポーツバブル。僕が想像してる以上に、巨大な市場になってる。金が動けば、人や物が動いていく。そうなれば自分に都合の良い流れを作ろうとする存在は当然出てくる。権力や武力チカラを持っていればなおさらそうだろう。僕らの知らないところで、思いもよらない何かが動いている? プロの世界に近づけば近づくほど、それはより明確になるんだろうか? だとしたら、ハル姉は……?)

 取り留めない考えが空転していく。ハルナの顔が浮かぶ。徐々に論理を離れ、記憶の表層に残ったものが明滅する。夢に落ちる前の脈絡のない思考が頭のなかを支配していく。

<時間です。非撹拌事象に於ける叡智の結晶リザスタルウィズデムの使用に伴う失徳の業カルマバープが発生します>

 書記リピカの声が頭で遠くに響く。
 いつもより発生が遅いのは、気を利かせてくれたのだろうか。


「大体さぁ、って、あれ?」
 文句を続けていたミヤビの肩に、ふと重みが生じる。見れば、聖の頭が寄りかかっていた。ムっとして押し返そうかと思ったが、既に聖は深い眠りに落ちているようだ。力の抜けきった無防備な表情で目を閉じている。そういえば、誘拐されてからずっと、気を張ってくれていたなとミヤビは思い出す。何かあったらすぐに自分が守るのだと、そういう気持ちでいたのが傍にいてよく分かった。先ほどまでの怒りがあっという間に消え去り、ミヤビの胸に温かい気持ちが湧いてくる。子供をあやすように、そっと聖の頭を軽く撫でるミヤビ。

「本戦、がんばんないとね」

 マイアミの夜空に浮かぶ星の煌めきは、日本のものとは少し、違って見えた。

                                    続く
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