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第86話 冷たい血

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『#include <stdio.h> int main() {// システムメッセージ
 printf("警告:エネルギー調整ユニット信号途絶\n"
 "他ユニット異常無し\n" "肉体部分損傷無し\n"

 "反重力浮遊靴グラビティ・ブーツ 残存電力42%\n" "精神変数メンタルバリアブルに異常発生\n"

 // ステータスの定数 const int NORMAL = 0;  const int WARNING = 1;
 // 現在のステータス int status = WARNING; switch(status) {

  case NORMAL:printf("肉体ステータス:正常\n"); break;
  case WARNING:printf("ステータス:警告\n"); break;
  default:printf("ステータス:不明\n"); break;

 精神サイコ・安定装置スタビライザーを起動し、感情調律エモート・チューンを実行せよ\n"
 優先タスク完了後、製造番号111-11オールワンは速やかにミッションを完了せよ\n"
  } return 0;』

 吐き出された赤黒いエラーメッセージが、視界に広がる。同時に、原因不明の脅威から遠ざかるべく、反重力浮遊靴グラビティ・ブーツが自動的に推進力を落とし目標と距離をとった。視界に捉えていた2台の車が、見る見るうちに遠ざかっていく。

(余計ナ、真似を……ッ!)
 先ほどまで使っていたドローンによる制裁の光矢ヴィンディクタは、出力調整を担うユニットが墜とされたことにより使用不能となった。加えて、反重力浮遊靴グラビティ・ブーツの残存電力が50%を下回った。それにより、ドローンに搭載されている戦術支援AIは任務達成期待値が低下したものと評価したようだ。

(クソ、クソ、クソクソクソッ!)
 そのことが全身真っ白の人物、製造番号111-11オールワンの感情を激しく逆撫でする。戦意高揚に設定されていた精神パラメーターが反転現象レトログレードを起こし、それをAIによって警告され、ますます精神が乱れていく。

 彼、ないし彼女は、身体の大部分を人工物と入れ替えられ、それは脳にまで及んでいる。だが、自発的な意志を持ち様々な場面で適切な判断を下すには、生体脳の運用が欠かせない。その為、偏桃体や前頭葉、視床下部といった部分は残さざるを得ず、それによって起こる精神の乱調は自身で修正するより他なかった。

「――――~~~ッ!」
 超音波に達するほどの金切り声を上げながら、オールワンは両手の白く長い人差し指を根元まで両耳に突っ込んだ。筆舌に尽くし難い激痛と嫌悪感、そして言いようのない強烈な快感が全身を駆け抜ける。時速50㎞近い速度で走行しながら、悶絶する苦痛と絶頂を越える快楽でその身を震わせた。仮に排泄器官を有していたなら、機能不全を起こし著しく不衛生な状況になっていただろう。ほどなくして脳内で分泌される神経伝達物質のバランスが整い、オールワンは冷静さを取り戻した。

(ドローンを墜としたのは、テニスボールだった。人質の日本人か。およそ人間の仕業とは思えないが、不可能ではない。やはり、ATCアリアミスはGAKSOと結託し、我々リアル・ブルームとは別にジェノ・アーキアの改良開発をしているのか? だが、ではあの二人を無傷で保護する理由は? 被検体ではないとしたら、沙粧さしょうが拘る理由が分からない。いや、いずれにせよ)

 身体の周囲に浮遊する残り4機のドローンに命令コマンドを送る。司令塔ドローンメインコアは頭上に浮遊したまま、3基が右腕の周りで変形した。手、肘、二の腕をそれぞれのドローンが覆い、まるで右腕だけが甲冑を装着したような姿となった。

(Mamの命令通り人質は回収、他の人間どもは好きなようにさせてもらいましょう。リアル・ブルームがその粋を集め生み出した人類の上位存在、人造超越種ハイペリオンたるこの私の手にかかることを光栄に思え、下等種虫ケラども)

           ★

 襲撃者が遠ざかっていくのを、聖とミヤビは見届けていた。撃退に成功したわけではないが、どうにか急場は凌げたといっても良いだろう。しかし今のうちに距離を取るなり何なりして対策を講じなければ、今度は追い返せるか分からない。

「ねぇ、マフィアの人から」
 スライドウィンドウ越しに、助手席のリッカが声をかける。片手に持ったスマホから、興奮した様子の声が響いた。

「オイやるじゃねぇか日本人ニッポネーゼ! すげぇな!」
 声の主は赤い縁のメガネをした、確かビアンコと呼ばれているマフィアの一人だ。

「朝飯前さ。そっちもよく粘ったな。ところで、親分ボスは聞いてるか?」
「聞こえてる、用件は?」
 落ち着いた様子のリッゾが応答する。ほぼ同時に、ボロボロの有様になったバンがトラックと並走してきた。運転席に目を向けると、リッゾと目が合った。

「ありゃまた来る。そっちは早くケリつけなきゃやばいだろ。だが勝負を仕掛けようにもこっちは手札カードが足らねぇ。テニスボールだけ・・・・・・・・じゃさすがに話にならねぇよ。ストレートフラッシュとまではいかなくても、フルハウス、最低スリーカードは作っておきてぇな」

 自分の口から出てくる言葉に内心で驚く聖。ボリス・ベッカーはテニス選手としてのキャリアを終えたあと、プロのポーカープレイヤーになっている。現役時代から嗜んでいたそうで、根っからの博打好きらしい。確かに彼の攻撃特化型テニスはどこかギャンブルのようで、プレーにおいてもイチかバチかの一撃を狙うことが多々あった。元来、そういう気質の持ち主なのだろう。

「ポーカー好きとは意外だな。こっちの切り札はまだあるにはある。だが、最初の段階で綺麗にかわされたよ。完璧なタイミングで放ったってのに、空に飛んで避けやがった」
「なるほどね。ちなみに、目的地まではあとどれぐらいだ」
「このまま走れば30分、てとこだな」
「まだ距離があるな。さっきの感じだと、追いかけっこしながらじゃ向こうが有利だ。しかし人数だけならこっちに分がある。迎え撃てそうな場所があれば良いんだが」

 周りの風景に視線を巡らせる聖。彼らが進んでいるのは『タミアミ・トレイル』と呼ばれる国道だ。ビッグ・サイプレス国立保護区を横断するように伸びた道で、フロリダ州の東にあるマイアミと、西にあるフォート・マイヤーズを繋いでいる。全長約260㎞に渡ってほぼ直線に伸びる道の両脇には、マングローブ林や豊かな湿地帯が広がり、野生保護動物の楽園でもある。すなわち、奥に進むほど文明から遠ざかるということだ。

「夜のジャングルに入ったら、別のものに襲われそうだね」
「キャンプ場に3mのワニが出たことがあるって聞いたよ」
 ミヤビとリッカが、それとなく反対の態度を表明する。得体の知れない襲撃者も脅威だが、縄張りを脅かされた野生動物に敵意を向けられるのも、同等に脅威と言えるだろう。身を隠すにしても、立ち入るのは危険だった。

「……要は、安全に身を隠しつつ、相手を迎え撃ちたいんだよな」
 トラックのハンドルを握るエディが、渋々と言った様子で口を開いた。

「心当たりがあるのか?」
 電話の向こうで問い掛けるリッゾの声に、人知れず苦い顔を浮かべるエディ。だが、隣を走るバンの様子を見て思い直す。今は、安全にすべきことを済ませるのが先決だ。

「おあつらえ向きのとこがあるぜ」
 エディが口にした場所に合意し、一行は車を走らせた。

           ★

 オールワンが距離を取って目標の車を見失ったのはわずか数分だが、向こうも必死なのだろう。思いのほか差が広がったようだった。とはいえ、進む『タミアミ・トレイル』はひたすら真っ直ぐの道だ。速度さえ出せばいやでも追いつける、そのはずだった。

(車両の走行跡は容易に追跡でき、ん?)
 追跡対象の車両が残した痕跡が、途中で予測されるルートから外れたことにオールワンは気付いた。連中が目的としている詳細な場所は不明だが、ネイプルズ方面であることは間違いない。

(方角的にはマルコ・アイランドか。私の追跡を振り切るために、迂回を?)
 訝しみながらも痕跡を辿り進んでいくと、オールワンは再び足を止める事となった。

(ここ、は)
 巨大な怪物の骨を思わせるような建造物のシルエットが、夜の闇に浮かび上がった。星の煌めく夜空を蝕むように、その影は全ての光を飲み込んでいる。ところどころ施工が終わっているらしい箇所と、まだ鉄骨が剥き出しになっている箇所が点在し、人の気配はまるで無い。大型のクレーンやショベルカーなどがあちこちに停まり、そこが大規模な工事現場であることがわかる。

(新しい超大型競スポーツ・技施設コロシアム。その建設地か)
 場所の情報を戦術支援AIで確認するオールワン。どうやら、マイアミにあるハードロック・スタジアムに対抗すべく、昨今のスポーツバブルに便乗して計画された新しい施設のようだった。出資元がアジア系の国らしく、ところどころ英語ではない見慣れぬ文字が目についた。なによりも、セキュリティのためか照明がところどころ点いてはいるが、作業員や警備ドローンなどが見当たらない。建設に際して巨額を投資しながらも、建設工期中のセキュリティ費用は出し惜しんでいるのだろう。バブルにあやかり、二匹目のどじょうを狙う連中が陥りがちな杜撰さだった。

(ここがロシアとの接触地点? いや、それはない。交渉を先に行うべく日本の金俣が向かったのはネイプルズだ。イタリアのガキ共も、そこを目指しているのは確実。ならば、ここに潜伏して私をやり過ごそうというのか、あるいは――)

 工事車両の横に、屋根ルーフの無いボロボロの大型バンが隠れるように停まっている。そして、注意深くそれに視線を向けスキャンをかけると、ワイヤートラップが仕掛けられ、その先には手榴弾が設置されていたのを発見した。

(迎え撃とうというのか、この私を。人間風情が!)
 再び感情が大きく波立つオールワン。情けなく逃げ回るならまだしも、浅はかにも裏をかいて反撃に転じようなどと思うとは。身の程を弁えない下等な劣等種族の分際で、人類の上位種の先駆けとなる自分に歯向かおうとしている。その事が心の底から忌々しかった。

「鬼ごッコの次ハ隠れンボでスカ!? 良いデショう、遊ンでアゲまス!」
 感情が昂ると同時に、右腕に装着した変形ドローンが青白い光を放つ。細く鋭い光の爪が伸び、その周りで放電現象が起こった。殺してやる、捕獲対象の二人以外は必ず皆殺しにしてやると、獰猛な殺意を漲らせるオールワン。眼球に内蔵された視覚最適化素子サイト・オプティを起動し、暗視、温感、振動感知、赤外線情報を同時に習得できるよう切り替えた、その直後。

 ガッシャン!と大きな音がして、闇を裂くように何かがオールワンへ向けて高速で飛んできた。素早く反応したオールワンは、右手にある光の爪でそれを払う。ジュッ、と焼ける音と共に、太い釘が真っ二つに灼け切れた。

釘打ち銃ニードル・ガン? ハハッ! 小火器は弾切レでスカ!?」
 言いながら、釘の飛んできた方向へ飛び掛かる。小型のブルドーザーを陰にしているらしい相手に向け、光の爪を振った。すると、ブルドーザーの車体がフォークでチーズケーキを切るように両断される。切り裂いた車両の残骸から、赤い縁の眼鏡をかけた男が逃げるように飛び出した。

「マずは、ひとォりッ!」
 体勢を崩した相手に、オールワンが光の爪を容赦なく振りかぶる。振り下ろされる間際、横から飛んできたテニスボールが腕に直撃し、光の爪は寸でのところで空を切った。

「!?」
「こっちだ、間抜け!」
 声の方に意識を向けるオールワン。およそ30mほど離れた場所に、日本人が立っているのを視認する。捕獲対象者である若槻聖だ。プロフィールで得ている情報とは異なり、どこか好戦的で自信に満ちた表情をその顔に浮かべている。

「コッ、のぉ」
「いや、こっちだ」
 間一髪、光の爪から逃れたビアンコが、無表情のままボソりという。その左手には、口径の大きなリボルバーが握られていた。それを目にした瞬間、即座に相手の武装を分析し、込められている弾の種類さえ把握するオールワン。だが、回避行動を取る時間は無い。

『#include <stdio.h> int main() {// 強制コマンド
 printf("回避行動 while(1) {即時実行 move_up(_); } return 0;』

 オールワンの意志とは無関係に、司令塔ドローンメインコアの戦術支援AIが介入する。反重力浮遊靴グラビティ・ブーツが過出力で作動し、一瞬のうちにオールワンの身体が回転しながら上下反転する。銃声が響いたのは、その白い身体が何かに引っ張られるようにしてビアンコから距離をとったあとだった。

「ビアンコ! 距離をとれ!」
 少し離れたショベルカーの傍から顔を出したアルマージが叫び、短機関銃イングラムM10のパラパラと乾いた連続音が響く。背後から弾雨を向けられたオールワンだが、まるで亡霊がダンスでも踊るように、俯いたままその全てを回避してみせた。

 カチッ、と軽い音がして、イングラムM10のスライドが開きっ放しになる。アルマージが舌打ちし、持っていたそれをオールワンに向けて投げつけた。しかし、オールワンは視線を向けることなく、光る爪でイングラムM10を切り裂く。そして俯いたまま、位置を確認せずノーモーションでアルマージの隠れる位置へ跳躍。逃げ道を塞ぐように立ちはだかり、紫色の舌を覗かせながら怨嗟の言葉を吐く。

「生キタまマ、輪切りニシてヤる」
「~~ッ!」
 そのあまりの狂相に、一瞬死を予感するアルマージ。だが、腹に力を込めておぞ気を押し留め、咆哮とともに素手のまま挑みかかった。その動きは格闘技経験者特有の機敏なものだったが、オールワンは柳に風とばかりにさらりとあしらう。攻撃の隙間に膝蹴りを腹にお見舞いして、あっという間に昏倒させた。

「てめぇ!」
 どこからか入手した消防斧を振りかざし、殺意を持って襲いかかるビアンコ。だがやはりアルマージと同じように、なす術無く無力化されてしまう。気を失い、だらしなく倒れる二人のイタリアンマフィアを、その場で始末するか逡巡するオールワン。バラバラにして残骸でも投げつけながら残りを探すか、それとも。

(っ?)
 連中をどう料理してやろうかと舌なめずりするオールワンの耳に、聞き覚えのある音が飛び込む。直後、眼球に内蔵された視覚最適化素子サイト・オプティが高速接近する飛翔物を捉え、その軌道が脳へ送られる。左手を伸ばし、飛んできたテニスボールをあっさり掴んでみせた。

「子供騙しガ3度も通じルと? マぁ、良いコンとろールでスガ」
 やや呆れ気味に言いながら、ボールが飛んできた方向に視線を向ける。その先に見えるシルエットは女性のもので、すぐにもう一人の捕獲対象、雪咲雅だと判別する。まったく、揃って小賢しい真似をと思い苛立ちを覚えるオールワン。

 だがひとまず、司令塔ドローンメインコアを使い捕獲対象である二人の位置をマーキングした。素人に援護させる時点で、彼らに残された反撃手段は尽きたと吐露しているようなもの。もはや戦術支援AIを使うまでもない。すると、別方向から同じように、もっと速い何かが飛んできた。

「?」
 今度も同じようにキャッチしてみせると、衝撃の度合いが異なった。見ると、テニスボールよりも小さく固いゴルフボールだ。ゴム製のテニスボールではダメージが与えられないと見るや、どこからか調達したゴルフボールを弾代わりにしたらしい。

「くだラなイ」
 完全に呆れ、鼻を鳴らすオールワン。バカバカしくなり、さっさと終わらせてやろうかと足下に転がっているイタリアンマフィアに視線を落とす。すると、三度みたび何かが飛んで来る気配を感じた。今度は光の爪で切り裂いてやろうと、右手を振り払おうとする。

「いい加減に」
 言い終わる前に、視覚最適化素子サイト・オプティが異常を検知する。飛来物の大きさはテニスボールほどだが、シルエットが違う。ボールのように丸みを帯びているが、真球ではない。似ているのは、テニスボールというよりも、ラグビーボールのような楕円。果物でいうなら、パイナップル・・・・・・のような・・・・

「ッ!」
 自分の足元には、連中の仲間がいる。それにも関わらず、攻撃してきた。仲間二人を犠牲にする気なのか、それとも既に殺害されたと誤解したのか。いずれにせよ、切り裂くわけにはいかない。先ほどとは異なり、自身の反応でもって回避行動を実行するオールワン。AIの支援がなくとも、人間より遥かに速い反応でその場を離れ、着地する。同時に、爆発の衝撃波と破片に備え、身を低くした。だが、起こるはずの爆発は起こらず、静寂が続いていた。

「不発?」
 訝しげに顔をあげた直後、オールワンの後頭部に3発の銃弾が叩き込まれる。1発目で頭蓋骨を砕き、2発目で改造された脳を潰し、3発目でマネキンのように整った顔を内側から粉砕した。身体が倒れていく間際、浮遊しているドローンに残りの弾丸を叩き込む。残骸が落下すると、オールワンの身体が地に伏すのは同時だった。

「オレはお前に近づかない」
 白い煙の立ち昇る銃口を、油断なくオールワンに向け続けながらリッゾが言う。オールワンの身体は、反射による痙攣で手足がピクピク動いていたかと思うと、やがてそれも止まり完全に沈黙した。血だまりがゆっくり広がり、やがてリッゾの足下をじわりと濡らす。

「御大層な装備も、使う頭が無ければ持ち腐れだ。戦闘童貞ヴェルジネ

 頬に付着した返り血は、人の物より冷たかった。

                                   続く
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