Head or Tail ~Akashic Tennis Players~

志々尾美里

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第60話 ロジカル・エモーション

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「なに、あの陣形」
 縦一直線に並んだイタリアペアの陣形を見て、ひじりは疑問を口にした。

 サービスゲームのイタリアペアは、コートの上で縦一列になるような立ち位置にいる。2人を直線で結んで上から見れば、アルファベットのアイ、あるいは数字の1に見えるだろう。

アイ・フォーメーション。ダブルスの陣形の一つだね。通常の雁行陣がんこうじんとは違って、いってみれば奇襲攻撃型の陣形。あんな風に相手が両方ともコートのセンターへ立たれると、リターンする側はどこに打てばいいか迷いが生じちゃう。試合のここぞ、って場面でよく使われるフォーメーションだよ」

 ミヤビが分かり易く説明してくれる。

「まず、サーブの立ち位置をセンターにすることで、リターンに角度をつけさせない。それからサーブが相手コートへ入った直後に、前衛がフェイントを織り交ぜながら突然左右のどちらかに動くことで、リターン側を撹乱するの。もちろん、わざと動かないときもある。先にボールを打つっていうサービス側の優位性を活かした、先の先を獲る速攻型の陣形。それがアイ・フォーメーション」

「なるほど。でも、いきなりやるもんなんですか?」
「やらないね。全く無いわけじゃないにしても、限りなく珍しいと思う」

 通常であればアイ・フォーメーションは、ミヤビがいうように試合の大事な場面で実行されることが大半だ。強気にポイントやゲームを取りに行く攻めの戦術。リターン側にプレッシャーがあるときに行うのが、もっとも効果を発揮する陣形でもある。しかし、イタリアペアはそれを最序盤に選択した。

(銀髪姉さんのサーブに余程の自信があるか)
(悪ガキちゃんのネットプレーが相当上手いか)
(あるいはその両方か。じゃないと、いきなりこれはないよね)
(ひと先ず様子を見るか、それとも……)

 イタリアペアの2人を見て考察する桐澤姉妹。2人は互いに視線を交わし、意思疎通する。自陣左側アド・サイドを担当するキノが、守備位置をサービスラインからベースラインにまで下げた。それにより、桐澤姉妹は2人ともベースライン付近に立っていることになった。縦一列に並ぶイタリアペアに対し、桐澤姉妹は横一列に並ぶ格好だ。なにも双子だからといってテレパシーが使えたわけではなく、アイ・フォーメーションへの対抗策としてもっとも効果的なのがこの陣形・・・・であることを、2人は知っていた。

 後方平行陣ツー・バック

 日本の双子が2人ともベースラインへ下がるのを見て、ムーディは当然だなといわんばかりに小さく鼻を鳴らす。冷静で臨機応変な相手の判断は、実に鬱陶しいが心地良い。ひと筋縄ではいかない難敵を前に、ムーディの闘争心は静かに燃え盛る。

 互いに準備が整うと、ムーディがトスを静かに放った。高く真っ直ぐなトスで、その軌跡はイタリアペアの陣形と似通ったものがあるなと、キナはぼんやりと思う。インパクトの瞬間、陽光を浴びて煌めくムーディの銀髪が弾けるように美しく乱れる。

(サーブに自信あり、と!)
 針穴を通す精確さでセンターに叩き込まれたサーブを、キナはどうにかリターン。最初からそのつもりでなければ、パワーに圧し負けてチャンスボールになっていたかもしれない。両手で握った非利き手側バック・ハンドを使いどうにか勢いを殺し、高く弧を描く一打ロビング・ショットを相手のコート中央深くへと送る。

(悪ガキちゃんは? どう動く?)
 サーブで崩し、前衛がポイントを奪うというのがダブルスの黄金パターンだ。特にアイ・フォーメーションは相手のリターンを即ポイントへ繋げる速攻。そのために前衛
が攻撃を仕掛けてくるわけだが、基本は左右どちらかに動く。だが、ギルは左右どちらにも動かず、サーブが打たれると同時にひっそりと後退していた。リターンに集中していたキナがそのことに気付くのが遅れても無理はない。

(ロブを読んでた。でも甘くはなってな……いっ!?)
 小柄な体躯を地面に這わせるようにしながら後退していたギルは、まるで滑走路から飛び立つ戦闘機のように勢いよく後方へと飛び上がる。全身のバネを使ったその跳躍は、バスケット選手もかくやといわんばかりの高さだ。

 後躍のフェイダウェイ・粉砕する一打スマッシュ

 細い身体のどこにそんな膂力りょりょくがあるのか。そう目を疑いたくなる威力で、ボールが地面に叩きつけられる。桐澤姉妹は共に、前衛のギルが攻撃を仕掛けるなら角度の付いた攻撃アングル・ボレーだろうと予想していた。だからこそリターンロブでその狙いを外したのだが、それを読まれていたうえにギルの想定外のジャンプ力に捕まり、コートの真ん中を撃ち抜かれてしまった。

「いいねぇ~! さすがムーディ! ナイスサーブ!」
「あんなに下がってスマッシュしなくて良いだろう。今のは私に任せろ」
「大したことね~って! あれぐれぇ撃ち落としてやらねぇとよぉ!」
「ま、よしとしてやるか。しかし相変わらずよく飛ぶなオマエ」

 見事な速攻を決めたイタリアの2人は互いを称え合う。その様子を、ポイントを奪われた桐澤姉妹が観察の視線を送る。サーブの威力は文句無し。前衛の判断力と滞空でのボディバランスも見事だった。着地後の姿勢も乱れがなく、仮にスマッシュを返球しても連撃がきたに違いない。

 続くポイントでも、イタリアペアはアイ・フォーメーションを実行。ムーディのサーブは威力もさることながら確率も良い。上から下へ叩きつける強力なサーブを、精確無比なコントロールでまたしても成功させる。

アイ・フォーメーション以前に、このサーブが超やっかいじゃん!)
 序盤で相手の球威にまだタイミングが合っていないことを差し引いても、ムーディのサーブは脅威だった。それに加えて前衛の動きにも注意を払わなければならない。キノはどうにかリターンするが、あっさりと前衛のギルに捕まりボレーでポイントを決められる。

(ここであっさりキープされると、あとあと面倒だね)
(キープされるにしても、2つ、せめて1つは獲らないと)

 テニスにおいて、サービスゲームが有利なのは自明である。それこそプロの領域に近づけば近づくほど『サービスキープはできて当たり前』で、裏を返せばいかにサーブをブレイクするかが試合を制するカギとなる。簡単にキープされるということはつまりブレイクが困難であり、なおかつ自分もサービスを必ずキープしなければならないというプレッシャーに変わっていく。

(しゃーない、くさびを打つしかないね)
 リターンの構えを取るキナの表情から、スッと感情が抜け落ちていく。頭の中が冷えてゆき、全身の関節から余計な力みが消える。それでいて身体の大きな筋肉には適度な緊張感が宿り、腹の底に力が溜まっていく。茂みに身を潜め獲物を狙う狩猟者のように、気配を、そして狙いを消す。

 サーブが放たれる。キナは即座に反応。

(ここッ!)
 ムーディの強力なサーブに対しあえて踏み込むキナ。自身の出力は最小限に。小さく、鋭く、そして疾やく。向かってくるボールへと飛び込む。サーブの威力を利用し、身体全体で衝撃を跳ね返す、電光石火の一撃。

 跳ね際ライジング・の迎撃打リターン

(悪く思わないでね)

 狙うは、一点。

 相手前衛の顔面・・・・・・・――ッ!

「!!」
 ギルが目を見開く。放たれたリターンは、壁に当たって跳ね返ったスーパーボールのよう。サーブの勢いもそのままに、容赦なくギルの顔面目がけて飛んでいく。跳ね際ライジングで捉えたことで、スピードに加え返球されたタイミングも早い。

 キナはリターンに手応えを感じ、次に備える。確率は低いが、反応し損ねた相手のラケットにボールが当たり、運悪くネット際に落ちるかもしれない。可能性があるとすればそれぐらい。この場面での反撃は無い、そう考えた。だがキナの予想に反し、ギルは咄嗟に顔の前へラケットを出し、正確に捉える。ボールはまたも跳ね返り、キナの足元へと叩き込まれた。

(反応した!?)
(ドンピシャだったのに!)

 想定外の反撃に虚を突かれる2人。早すぎる反撃に、反応し損ねたのはキナの方だった。全ては一瞬のできごと。サーブ、リターン、ボレー。女子とは思えぬ展開の早さでポイントが決まると、稲光のあとに遅れてくる雷鳴のように会場を驚きが包んだ。

(加減せずぶつけるつもりで打ったのに。なんて反射神経)
(ずば抜けて眼が良い。それに、たぶん勘も)
 ギルの見事な反応に、桐澤姉妹は胸中で舌を巻く。

「怯むと思ったか?」

 少女らしからぬ強気な笑みを浮かべ、小柄な少女が立ちはだかった。

           ★

 国際ジュニア団体戦の運営本部にある一室で、アーヴィングはその美しい相貌に無機質な表情を浮かべていた。スタジアムに設置された観客席に・・・・向けたカメラ・・・・・・が捉えていた録画映像を確認している。1人で座っている青い帽子の男が、小さなスコープを覗きながら試合を観戦している、ようにみえた・・・・・・

「ふゥん、ロシアの無作法者スヴィーニャは相変わらずね」
 アーヴィングは確認を終えると、映像に対する興味を失くす。どうでもよさそうにしながら細く長い指で髪をかき上げる仕草は蠱惑的だが、口に出したスラングのせいで妙な酷薄さが滲み出ている。そんな彼女の様子を、画面に映っていた男が怯えた目で見上げていた。両膝を床につき、後ろ手に手錠をかけられ、その姿は奴隷のよう。両脇には屈強なガードマンが控え、その手にはテロリスト鎮圧用の特殊ゴム弾ラバー・バレット散弾銃ショットガンを抱えている。妙な動きをすれば容赦なく打ち込まれ、身体中の骨が砕かれるだろう。

「別にね、オマエ達がイタリアを相手に何をしようと勝手だけれど」
 跪いて怯えた視線を向けるチンピラに、アーヴィングは言葉を向ける。

「日本は我々アメリカの大切なパートナーであり、参加している選手達にはこの試合を通じて大切な役割があるの。それを余計な茶々で邪魔されると仕事が増えて面倒なのよ、分かるかしら?」
 椅子から立ち上がり、男に近付くアーヴィング。その手には男が使ったペンのような形をした携帯用レーザー兵器が握られている。出力を最大に設定し、足元の絨毯に向けて発射スイッチを押す。照射されて数秒も経たないうちに、絨毯が焼け焦げ始め臭いが立ち込める。

「アーヴィング様」
 助手らしき男が焦った様子で短く声をかける。アーヴィングはクスっと笑うと射出を止め、今度は床に跪いている男に発射口を向けた。
「よ、よせ! それは時間をかければ人間にだって穴が開く!」
 男は顔を背け目をつぶり、身をよじる。
「人に向けておいてその言いぐさが通用すると? 呆れた知能の低さね」
 侮蔑の眼差しをさらに強めたアーヴィングは、男の両脇に控えていたガードマンに向けレーザー兵器を投げて寄越す。顎でしゃくるようにして「目を」と短く口にする。何をされるのか察した男は、激しく抵抗しようとするが即座に組み伏せられ、口にタオルを突っ込まれてしまう。

「雇い主に伝えなさい。部外者は大人しくしてろと」

 くぐもった男の悲鳴と、何かの焦げる臭いが室内に広がった。

           ★

 国際ジュニア団体戦 予選Dブロック 日本 VS イタリア
 第2試合 女子ダブルス
 ゲームカウント 5-4

 女子ダブルスの試合は、キープ合戦によるシーソーゲームとなった。

(まさか悪ガキちゃんのサーブに手こずるとは思わなかったなぁ)
 桐澤姉妹は、イタリアペが多用するアイ・フォーメーションをどうにも攻略できず、手をこまねいていた。長身のムーディが放つ強力なサーブが最初の関門で、仮にそこを突破しても前衛であるギルのトリッキーな動きに捕まってしまう。全く手も足も出ないというわけではない。しかしギルの動きは、まるで空を縦横無尽に飛び回る戦闘機のように不規則かつ無軌道。それでいて正確に桐澤姉妹の守備の隙を突いてくる。

 加えてギルがサーブのときは、男子ダブルスの際にイタリアペアのパイナップル頭が見せた非常に球種の多いサーブをギルが似たようにやってみせた。男子ほどではなかったにせよ、速度の緩急、回転の強弱、コントロールと実に多彩で、リターンに苦慮してしまった。

「そもそも、こいつらセオリーって概念無いっぽいんだよね」
「無いね。即席で組んだペアみたいな感じ」

 相手がどれほど奇策を弄しようと、桐澤姉妹の基本理念は変わらない。

――理詰めを制する者はダブルスを制する

 桐澤姉妹にダブルスのイロハを教え込んだコーチの口癖。ダブルスはシングルスに比べると、発想力や自由度が狭まる。その分、パターンやセオリーといった理詰めの展開を作り易い。それを徹底することで、フィジカルの優位性を打ち消し、よりテクニックとゲーム性の高い側面を浮き出させることができる。

 その信念のもとにダブルスを憶えた桐澤姉妹だからこそ、イタリアペアのテニスには基本的なダブルスの概念こそあれど、綿密なパターンや戦略が存在しないことに気付いた。まるでたまたま居合わせた者同士が即席でペア組み、それぞれなんとなく役割分担しているようなちぐはぐ・・・・なテニス。

「ということは、だよ? それは裏を返せば」
「対応力の無い相手として質を落とせば良い」

 セオリーやパターンを徹底するのは、型にハマったときの精度をより強力にするため。例えば、赤のライトが点いたら赤の旗を上げ、青が点いたら青の旗を上げるゲームをするとしよう。ライトが赤、青、赤、青の順番に点くと分かっていれば、考えるよりも早く反射で旗を上げることができる。桐澤姉妹の実行するテニスはこれに近く『このパターンになったら次はこれ』を迅速に実行し、相手の反撃を封じる。逃げ道を予測して仕留めるようなものだ。

「パターンにハマってくれないならまずは一旦、相手の応手に合わせる」
「その上で、パターンにハマらざるを得ない状況に持っていく」

 獲物の動きを予測し辛く先読みしが困難なのであれば、先回りして仕留めるのではなく、仕掛けた罠へと誘い込むような攻め方に変える。桐澤姉妹は相手の力量と傾向を分析した結果、すぐさま戦術方針を変更した。一方、

「奴らのセオリー戦術には穴がある」
「はぁ」
 真剣な面持ちで言うムーディの話を、ギルは小指を鼻に突っ込みながら聞く。人が真面目な話をしているにも関わらず気の抜けた態度のペアに、ムーディは小言を飲み込んで侮蔑の眼差しを浴びせながら続けた。

「セオリーゆえに捨てる場所・・・・・がある。奴らのテニスは理詰め、確率のテニスだ。こういうシチュエーションはこう返球され、こう返すっていう風に」
「へぇ」
「だから必ず、ここに返球されたら仕方ない、という捨て場所がある。言い換えればこちらにリスクを負わせるような隙だ。捨てている一方で、そこを狙わせる。成功率は3割くらいだろう。普通なら狙うだけ損だ」
「ふぅん」
「だから逆にそこ突く。リスキーだが、奴らはそこを守ってない。ガラ空きだ。わざわざポイントが取れる隙を作ってくれているんだから、狙わない手はない」
「ほ~」
「オマエ分かってんだろうな? オマエがやるんだぞ」
「わ~かってるって~。油断してるところにブチかませば良いんだろ~?」
「このクソガキ」
「えぇ? なんて?」
「いい、まずはキープだ」
「しゃー、かまそうぜ~」

 試合に対するモチベーションに温度差を感じながら、ムーディはポジションに向かった。

                                    続く
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