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第41話 歌う少女と初夏の月

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 帰宅したミヤビがドアを開けると、ただいまの第一声を発する間も無く、愛犬のパスタが勢いよく飛びついてきた。ふわふわした白と黒の毛を持つボーダーコリーの彼女は、フンフンとミヤビの匂いを嗅いだりその柔らかい舌で頬を舐めたりして、熱烈なほどの歓待でじゃれついてくる。合宿や遠征から帰ってくるといつもこうで、毎度その勢いには驚かされる。もちろん、ミヤビはそんなパスタの反応を嬉しく思うし、愛しいと思う。

「ごめんね~、寂しかったね~、ただいまパスタ~」
 腰をかがめてパスタの首回りや頭をよしよしと撫でてやるミヤビ。パスタは喜びでどうにかなりそうなぐらい興奮し、立ち上がったり飛び掛かったり時おり小さく吠えながらミヤビの周りをぐるぐる回ったりする。

「お帰り~。地獄の強化合宿はどうだった?」
 部屋の奥から、薄いグレーのルームウェアを着た女性が出てきて、ミヤビにそう尋ねた。年頃はミヤビとさほど変わらないように見える。腕には大きくて立派な虎猫が抱かれており、ずいぶんと気持ちよさそうに赤ちゃん抱っこで仰向けになっている。格好に反してその風格はまさしく王といった風情で、だらしなく抱っこされたままにも関わらず不思議な威厳を放っていた。

「キツかったですよも~。はーい、十兵衛もただいま」
 足にまとわりつくパスタを片手で相手しながら、ミヤビは十兵衛と呼ばれた虎猫に顔を近付けて挨拶する。ミヤビの顔が近くに寄ると、十兵衛は胡乱げに顔をもたげ、ミヤビの鼻先に自分の鼻をちょいとつける。微かに濡れた十兵衛の鼻先は、触れるとひんやりしていた。

伊達だてさん、元気だった?」
 留守を預かってくれたミヤビの友人であるともえ渚沙なぎさが、珈琲を淹れながら言う。その間、ミヤビは遠征で使った着替えを洗濯機に放り込み、荷物を詰め込んでいたカバンの中身を手際よく整理する。この辺りのことは帰宅してすぐ片付けるよう心掛けている。後回しにして良かった試しが一度もないからだ。一人暮らしのコツは面倒を先に済ませる事だと、ミヤビはこれまでの経験で学んでいた。

「あの人はマジでサイボーグ」
 大袈裟にうんざりしたような演技で言ってみせるミヤビに、笑い声で相槌をうつ渚沙。彼女はミヤビの4つ年上で、元ATCアリテニ所属のテニス選手だ。プロと遜色ない実力を身に付けたものの、世界で戦うには力が足りないと判断し、選手生活に終止符を打った。そしてそれ以降、テニスコーチの資格を取るべく、ATCアリテニ内のカフェ『ジュ・ド・ポーム』で働く傍ら勉強に励んでいる。そして渚沙もまた、テニス選手として現役だった頃に伊達公子だてきみこが中心となって行われた強化合宿を経験している。その厳しさについては言わずもがな。二人は珈琲とミヤビが買ってきたお土産の洋菓子を口にしながら、それぞれが経験した地獄のような合宿内容について、話に花を咲かせた。

 会話のネタが途切れたタイミングで、渚沙が立ち上がる。
「んじゃ、あたしは帰るよ。作り置き、っていうか余り物が冷蔵庫にあるから夕飯にしちゃって。パスタ、十兵衛、また遊ぼうね。あ、それと、あんたちゃんと叔母さんたちに連絡しときなさいよ?」
「はいはい、分かってますよ、渚沙おね~ちゃん」
 ミヤビはパスタと十兵衛を引きつれて玄関先で渚沙を見送る。部屋に戻ってミヤビが冷蔵庫を確認すると、綺麗に盛り付けられたチキンソテーとサラダ、鍋にはビシソワーズが入っていた。
「ありがたやありがたや~」

 レンジで温め直した渚沙の料理を頬張りながら、ミヤビは行儀悪くタブレット端末であれやこれやと情報の確認をする。合宿中は練習がハードだったため、普段は毎日チェックしている情報サイトやメッセージの確認が覚束なかった。急ぎの要件などが無いことを一通りチェックし終えると、改めて食事を済ませる。それからミヤビは通話アプリを起動して、叔母に連絡をとった。

叔母かあさん、ミヤビです。はい、ご無沙汰してます。すいません、忙しくて――」



 ミヤビは、両親と幼い頃に死別している。共に有能な医師だった彼女の両親は大学病院に勤務する傍ら、国境なき医師団MSFにも所属していた。某国が仕掛けた21世紀最初の侵略戦争が勃発した際、短期間の契約で現地に赴き、不幸にもそこで命を落とした。遺されたミヤビは母方の姉である叔母夫妻のもとに引き取られ、小学校時代をその家族のもとで過ごす。彼女は新しい家族に温かく迎えられ、幼くして肉親を失った心の傷を少しずつ癒していった。

 叔母たちの心配をよそに、ミヤビは明るく健やかに育った。両親譲りの正義感の強い子で、理不尽なできごとには上級生が相手であろうと全く怯まず立ち向かい、その信頼の篤さからミヤビはたくさんの友人に囲まれて過ごした。明るく、賢く、ちょっといたずら好きな面のあるごく普通の女の子。そして何より、叔母夫妻のもとに生まれた病弱な弟の彰斗あきとを一緒になって面倒見てくれる、心優しい少女だった。

 ミヤビは両親のもとにいたときから既にテニスを始めていた。テニスを通じて知り合った両親は、忙しい仕事の合間をぬって時おりテニスコートに赴き、家族3人で仲良くテニスを楽しんだ。それがミヤビにとっての、テニスの原体験だった。叔母はミヤビが自分のもとに来たあとでさえテニスを続けるのをみて、辛い記憶を思い出させるのではないかと当初は気を揉んでいた。しかし、ミヤビは気にする素振りを見せず、これまで通りテニスを楽しんだ。

 やがて、ミヤビは成長と共にその才覚を発揮し始め、遂に日本最大のテニスアカデミーであるATCアリテニから強化選手としてスカウトされるに至る。当時住んでいた叔母夫妻の家からは通うことが難しく、叔母たちは真剣に引っ越しを検討したが、ミヤビはこれを断り、中学生にして寮に住むことを決めたのだ。

叔母かあさん、叔父とうさん。私ね、心から二人を本当のお母さんとお父さんだと思ってるんだよ。だから、ATCアリテニの寮に入りたいのは純粋に私の我侭なの。二人は心配性だから、私が変な気を回してるって思ってるのかもしれないけど、そんなんじゃないよ。私、純粋にテニスが好きだもん。強くなりたい。同い年にね、素襖春菜すおうはるなちゃんっていう子がいるんだけど、その子に勝ちたいんだ。あの子はきっとプロになる。だから私も、ハルナちゃんに負けたくない。もし私もプロになれたら、世界中を飛び回って転戦することになるから、今のうちから一人で生活することにも慣れておきたいの。それに、これはちょっと打算だけど、私が上手くテニスで結果を残せればお金も楽になるでしょう? そうすれば二人はしっかり彰斗あきとのサポートに専念できるだろうし。だから、私の我侭を聞いて欲しいんだ」

 ついこの間までランドセルを背負っていた少女は、自分が親元を離れるべき理由・・・・・・・を堂々と語り、自分の人生を自分で背負う覚悟を見せつけた。しかし、叔母夫妻はミヤビが理路整然と語るその姿に、彼女が未だ心に傷を負っていることに気付いた。自分たちが傍にいることで彼女の深い傷を癒せると信じていた叔母夫妻だったが、聡明すぎるミヤビにはかえって自分たちが関わり過ぎることは逆効果だったのかもしれないと、この時に初めて感じた。

 加えて、折しもこのとき実の息子である彰斗の容態が芳しくなく、その治療費が家計を圧迫していた。叔母夫妻は悩みに悩んだ。現実問題として、夫妻の経済能力ではこのさき子ども二人を満足に育てられる充分な余裕は無く、当時の生活もかなり切り詰めやっとの思いでやりくりしていた有様である。しかし、だからといって姉の忘れ形見であるミヤビを放り出すことなど絶対に有り得ない。状況的に板挟みになっていた叔母夫妻だったが、ミヤビをスカウトしたATCアリテニの沙粧から便宜を計らうと提案されたことをきっかけに、両親はミヤビが少しでも幸せになれる可能性があるならと渋々ながらもようやく納得した。ミヤビ自身が口にした微かな打算に、罪悪感と小さな期待を胸に憶えながら。

 以来、ミヤビはATCアリテニが運営する選手寮で時を過ごす。プロを目指すという志を共にする多くの仲間たちに囲まれながら、日々懸命に自身の身体を、技を、心を鍛え上げていった。これから先、どんな絶望が自身に降りかかろうと、決して負けぬようにと。



 叔母との通話を終えると、ミヤビは食器を洗ってからシャワーを浴びた。髪を乾かし終えて時計を見ると、時刻はまだ20時を回ったばかり。寝るには早すぎるし、かといってシャワーを済ませたので走りに行くのも面倒だ。合宿前に買った文庫本に手を伸ばすも、目が文字の上を滑るばかりで内容が頭に入ってこない。動画サイトを見ても、テレビをつけても、空しいバカ騒ぎを見せられるような気がしてシラケてしまう。普段ならもっと気軽に楽しめるはずだが、今日はちっとも心が動かない。無論、合宿の疲れが出ているわけではないというのは、ミヤビ自身よく分かっていた。

(あぁ、ちょっとマズいかも)
 ソファにもたれ天井を見上げる。胸のうちに、じわりと何かがもたげてくるような錯覚を覚える。合宿は逃げ出したくなるほどキツイ練習だったが、幸いなことに苦楽を共にするメンバーと四六時中一緒だった。どんな辛い練習も、仲間が傍にいれば乗り切ることができる。余計なことを、考えずに済む。

 不意に、おへその上に重さを感じた。虎猫の十兵衛が、まるでそれをするのは当たり前の権利である、というような顔で遠慮なくミヤビのお腹の上に乗る。十兵衛はおもむろにミヤビと視線を合わせると、何も言わずに丸くなった。

「こいつ~」
 お腹の上で丸くなった十兵衛の背を優しく撫でるミヤビ。すると今度は横からパスタがにゅっと顔をだし、ミヤビの頬を舐めてくる。パスタの顔をグリグリと撫でてやると、嬉しそうに尻尾をパタパタ振った。

 眠るでもなく、暗い気分に沈むでもなくしばらくそうしていると、やがてミヤビはゆっくり身体を起こす。お腹の上に乗っていた十兵衛を抱っこして、そっとソファに乗せてやる。十兵衛はあくびを一つすると、顔を抱えるようにして丸くなった。

 ミヤビは押入れを開け、茶色いギターケースを取り出した。中にはアコースティックギターが収められている。部屋着の上にパーカーを羽織ると、ギターを持ってパスタと一緒に部屋を出た。初夏の気配を感じる夜空には、綺麗な三日月が星々と共に静かに浮かんでいる。少し歩くと、ミヤビはATCアリテニ敷地内にある噴水広場にやってきた。

 わずかにライトアップされたほの明るい広場につくと、ミヤビは噴水の縁に腰かけ、ケースからギターを取り出す。ストラップを首に回し左手でギターのネックを握る。指が弦に触れると、幽かにフレットノイズが鳴る。ギターはまだ覚えて間もないので、細かいチューニングはしない。右手の親指でギターの弦を上から順番にゆっくり爪弾くと、綺麗な音色が波紋のように響き渡る。音を確かめると、ミヤビは小さく咳ばらいをして、息を吸った。

「水色の風が 通り雨に濡れて」

 たどたどしい手つきで、弦を弾く。

「ふと、あの日の街を 思い出しました」

 奏でる音色と彼女の歌声は、噴水の流れる音と重なりとけていく。

「当たり前のように 季節は流れて 黄昏に染まる そう、いつかと同じ空」

 ゆっくりと、歌詞を噛み締めるようにしてミヤビは歌う。

「ただ重ねる 何度も掲げた 言葉」

 まるで木漏れ日のように優しい音色のその曲は、この世界に在る全ての命を賛美するようで、しかしそれらは大いなる流れの中、始まりと終わりを繰り返すのだと唄う。始まりが美しいのなら、終わりもまた美しいのだと。

「いつの日か私も君も 終わってゆくから 残された日の全て 心を添えておこう」

 ミヤビがこの曲の存在を知ったのは、留守を預けた友人の渚沙なぎさに薦められたからだ。ミヤビは普段あまり自分から音楽を聴かないのだが、音楽好きの渚沙は何かと自分が良いと思ったものを押し付けてくる。曲は日本のロックバンドのもので、渚沙に押し付けられるまでミヤビはバンド名すら聞いたことも無かった。だが、いわゆる流行りのバンドとは少し毛色の違う彼らの曲は、不思議とミヤビの心に馴染み、気付けば大のお気に入りになっていた。

 彼らの楽曲には抽象的でやや難解な歌詞が多い。独特な世界観で宇宙や命、自身の在り方について歌い、それを聴いていると自身の抱えている悩みが小さなことのように思えてくるのだ。自分の悩みを、スケールの大きな視点に立つことで矮小化しているだけに過ぎないとミヤビは自覚している。だがそうすることで煩わしい感情にも、小利口な理屈にも囚われずに済むのだ。ミヤビは心が乱れる前に彼らの曲を聴くことにし、今では歌うようになった。

「灯る火の 果てに」

 記憶、感情、理屈を上手く混ぜ合わせ、祈るようにミヤビは歌った。



 弾き終わると、ミヤビは溜め息を吐いて夜空を見上げる。耳の奥にあるギターの残響を、噴水の水音が徐々に掻き消していく。歌の余韻に浸っていると、後ろから小さく拍手が聞こえてきた。慌てて振り返った先には、トレーニングウェアを着た蓮司れんじが少し恥ずかしそうに立っていた。

「上手いじゃん」
 言い訳でもするようにそうつぶやく蓮司。
「いつからいたの?」
 咎めるつもりはないが、驚いたせいか少し声が尖るミヤビ。
「ギター持って、歩いてきた辺りから?」
「声かけてよ、もー! びっくりした!」
「パスタは気付いてたぜ?」
 それがどうした、という言葉は言わず、ミヤビは頬をリスのように膨らませる。
「よく合宿のあとに走ろうと思うね」
 つんとした言い方で、露骨に話題を逸らすミヤビ。
「なんかちょっと色々あって。気持ちが落ち着かなかったんだよ」
 蓮司はそう言って、ミヤビの隣に腰掛ける。パスタが歓迎するように蓮司の足の周りにまとわりつき、フンフンと鼻を鳴らしてにおいを嗅ぐ。蓮司は嬉しそうにしながらパスタの頭を撫でてやる。

「聞いたよ、えっと、モノストーン君? 大丈夫だったの?」
「そっちはわかんね。RBリアル・ブルームの人が連れて帰ったから」
「聖くんは?」
「すっげー不満そうだった。帰りにちょい様子変だったけど」
「変って?」
「歩くのがクソ辛そうだった。まぁでも、自力で帰ったよ」

 男子側では、合宿の仕上げに試合をしたとミヤビは聞いている。その際、聖の対戦相手が途中で倒れ気を失い、RBリアル・ブルームというアメリカに拠点を置く企業の人間が連れて帰ったそうだ。ミヤビの記憶が確かなら、RBリアル・ブルームはアメリカの超大手テニスアカデミーIMGに対し、積極的に出資支援している大企業だ。選手を連れ帰ったのがIMGの人間ではないというのは妙な話だが、彼等は資金だけではなくIMGの選手育成方針に対しても介入してくると専らの噂だった。RBリアル・ブルームのそうしたやり方に、IMGは酷く迷惑しているという話もあるという。

 日本のみならずテニスが世界的なブームになってから、そうしたスポンサー企業と選手を擁する団体や組織との間に少なからずトラブルが起こっているのはよく耳にする話だった。プロを目指し活動するミヤビたちにとって、そういう話は無関係ではないものの、だからといって直接なにか関われる類の話でもない。

 どのスポーツにも言えることだが、スポーツが一つのビジネス市場としての役割を果たしている以上、資金にまつわる話は選手にとっても運営団体にとっても、決して切り離せない問題だ。途方も無い巨額の金が動き、それに付随して発生する様々な問題は、選手が関われる範疇を軽く越えてしまう。

 ミヤビたちが選手としてテニスに邁進できるのは、そうした問題と向き合い、舵取りをし、環境を整えてくれる誰かがいるお陰だ。その役割は、かがりコーチや沙粧さしょうといった大人たちが担ってくれている。

 しかし自分達に深く関係する問題でありながら、なかなか自分たちからは積極的に関与できないという状況は、ミヤビでなくとも多くの選手たちにとって居心地の悪さを感じさせる話でもある。そうした課題に敏感な一部の選手や元選手は、選手主導の団体である選手会を立ち上げ、利益追求に傾倒しがちな企業をけん制すべく奮戦しているという。

「あと三ヶ月、か」
 夜空を見上げながら、蓮司がつぶやく。三ヶ月後、九月下旬には十八歳以下の選手でチームを組んだ『国際ジュニア団体戦』が行われる。近年、国際テニス連盟が創設したこの大会は、言うなれば各国の有望な選手のお披露目会のような意味合いがある。そのため、ATCアリテニの選手育成クラスに所属する者たちは、この大会で何かしらの結果を残さなければならない。

「緊張する?」
 少しからかうようにミヤビがいう。すると蓮司は「まさか」と鼻で笑う。
「団体戦だぜ。オレ達・・・が負けるなんて有り得ない。マサキとデカリョウ、桐澤の姉妹、それに聖もいる。きっちり勝って、実力を見せつけてやるさ」

 拳を力強く握りしめながら、蓮司は言う。彼は過去に一度、育成クラスからの除名寸前になったことがある。身長が伸びないことが影響し、中学までに得ていた実績とは裏腹に期待されていたほどの実績が出せず、沙粧直々に最後通告を受けた。その蓮司にミックスでの大会出場を提案し、窮地を救ったのがミヤビだ。

 当時の蓮司は、今よりもずっと他人を寄せ付けないような刺々しい雰囲気だった。自分の実力を鼻にかけ、少しでもレベルが合わないと相手を見下し、バカにするような素振りをみせた。それが原因で孤立しかかっていたにも関わらず、テニスはあくまで個人競技。練習仲間は必要でも、友達は必要ない。そんな態度を崩さなかった。

「なんか、ちょっと成長したね」
 ミヤビは蓮司がオレ達・・・と口にしたことが少し嬉しい。
「ちぇ、子ども扱いすんなよな」
 そんなセリフが既に子供っぽいんだよ、とは言わない。
「七月からはどうするの?」
「おんなじさ。出られる大会には出て、少しでもITFのランクを上げる」
「遠征費は?」
「ん~……まぁ、それは自力でなんとか」
「蓮司が嫌じゃないなら、ミックスにも出ない?」
「嫌じゃないけど、ミヤだって自分の個人ランキングあるだろ」
「どっかの誰かさんは目を離すとすぐ無理するからな~」
「オレの心配かよ」
「強力なライバルもいることだし?」
 うぐ、っと蓮司が言葉に詰まる。気合いが入っているのは良いことだが、大して身体が強くもないくせにすぐオーバーワークに走るのが蓮司の悪い癖だ。どこかで手綱を握っておかないと、またぞろ自滅しかねない。

「焦るのは分かるけど、一人で突っ走らないでね」
「……分かったよ」
 不承不承、といった様子だが、蓮司は口にした約束は守る。

「夏が来るね」
「うん」

 湿気を帯びた心地よい夜風が、二人の身体を静かに凪いでいった。

続く


※歌詞引用 ACIDMAN『季節の灯』より
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