Head or Tail ~Akashic Tennis Players~

志々尾美里

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第39話 仏国の魔術師

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 ひじりの返球は高い軌道で強いスピン回転を伴い、弧を描きながら急激に落下する。着弾位置は相手コートのベースライン手前、返球としてはこれ以上ない効果的な場所だ。

 (よし! これなら!)
 手応えを感じ、聖は気を引き締める。この試合、自分から仕掛けてポイントを奪えた機会はゼロに等しい。獲得したポイントもゲームも、対戦相手である弖虎てとらのミスが主な得点源だ。しかしその弖虎のミスが大幅に減ってきた以上、守っているだけで勝つのは困難を極める。聖が勝つには、僅かなチャンスも見逃さず、可能な限り自分から攻めなければならない。

 しかし――。

 高く深く落ちた聖のボールは地面を蹴るように跳ね上がり、弖虎を襲う。だが、弖虎は自分の顔の位置を越えてなお高くバウンドするボールを、自身もまた飛び上がりながら轟然と打ち返した。ボールの速度は聖の反応限界をゆうに突破し、狙撃銃ライフルが描く射線のようにコートへ突き刺さって通り過ぎた。

(冗談、だろ……)
 ポイントが決まったあとも、聖は固まったまま、動くことが出来ずにいた。



 弖虎の攻撃はその苛烈さをさらに増した。聖の甘い返球は当然のこと、普通なら考えられないような『このタイミングでそれを攻撃するたたくのか』という、相手の想定を越えた攻め方を仕掛けてくる。その尋常ならざる攻撃は、試合の流れはもとより、聖の中に育ちつつあったテニスに対するささやかな自信さえも打ち砕く勢いで襲いかかってきた。

 テニスを再開して約3カ月以上。聖なりに全力を賭して練習に励んできたのだ。無論、虚空のアカシック・記憶レコードによる成長の加護はある。ただそれでも、日々のたゆまぬ努力は少なからず聖に達成感を与え、僅かずつではあるものの確かに成長の手応えを感じていた。しかし弖虎の超攻撃的なテニスは、そんなささやかな聖の自信を根こそぎ薙ぎ倒す嵐のように容赦が無かった。

(このままやられっぱなしじゃ終われない。考えろ。反撃の糸口を掴むんだ)
 だが、それでも聖の戦意は挫けない。もともと他の選手よりも自分が劣っているのは当たり前という自覚が、聖の心が折れるのを辛うじて食い止めた。攻撃を受けるごとに自信は打ち砕かれても、勝負を投げ諦めることは決してない。仮にこの試合で敗れても、失うものなどないのだ。ならば自分の手札を全部使いきって、成長の糧にすれば良い、聖はそう考えていた。

(とはいえ、どうする?)
 息を整え、頭の中を整理する。弖虎の攻撃が聖のディフェンス能力を上回り始め、劣勢を強いられているのは事実だ。しかしいくら弖虎の攻撃が優れているとはいえ、まったくボールに触れないようなエースを獲られ続けるわけではない。あまりにも鮮やかな攻撃をもらうため勘違いしそうになるが、弖虎に打たれた瞬間ポイントを奪われる、というようなケースは聖が感じているよりも少ない。

(相手の攻撃はコートの深いところ、ライン際に突き刺さってくる。普通なら立ち位置ポジションを下げて、返球は中央センターに集めて守るべきだ。でも彼はお構いなしに角度をつけてくるし、それがもうほぼ全て上手く行き始めてる。彼のテニスに定石セオリーで向き合うのはかえって危険だ。彼はそういう模範的なテニスをぶち壊す力を持ってる)

 聖は目を閉じ、今日の試合展開を順番に頭の中で振り返る。ここまでの展開の中で、何か自分が見落としているものが無いか検証するためだ。何か一つでもいい、手掛かりになり得るなにかが欲しかった。

 序盤、弖虎が自ら仕掛けるタイプだと判断した聖は、通常よりもポジションを下げ、ディフェンスの姿勢を取った。こちらからは攻撃を仕掛けず、まずは相手に攻撃させる。単発で目を見張るようなエースを取られることはあったものの、この方針が功を奏し、弖虎はほぼ自滅する形でセットを失った。

 続く第2セカンドセット序盤。聖は方針を継続。状況は変わらずそのまま進行するかに見えた。変わったことがあるとすれば、エースかミスしかない弖虎の攻撃を、聖がいつの間にか見送るようになったこと。大味な試合展開で集中力が途切れ、そして打たせておけば勝手に自滅するだろうという幽かな慢心が重なった結果、聖が持つ戦意の熱が冷めてしまった。そして知らず知らずのうちに、相手の自滅を待ってしまった自分に気付くのが遅れてしまったのだ。

(その結果、相手の攻撃がハマり始め、僕は慌てて対策を講じようとしている、か)
 ゲームカウントは3-4で第2セカンドセットは形勢が引っくり返った。弖虎の1ブレイクアップ。先ほどからサーブもストロークも更に精度を増している。状況を互角に戻すには、なんとかブレイクチャンスに漕ぎ着けたいというのが聖の心情だ。

(攻撃してくる相手に、守りで応じる。最初はそれでよかった。でも次第に、自分を含めて流れが変わった。このまま漠然と同じようなことをしててもダメだ。何か変えなくちゃ!)

 サーブの構えに入った弖虎が、聖を見てほんの一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべる。先ほどまで聖はベースラインから2m以上離れていたが、今回はほぼベースラインの上に立っていたのだ。聖の意図を察した弖虎の顔から、すぐに表情が消える。

 これまで聖は基本の立ち位置ベースポジションを後方に陣取ることで、弖虎の強烈なサーブの威力が少しでも減衰したところでリターンできるように工夫していた。だが、リターンに成功こそすれど、ラリー戦では主導権イニシアチブを握られたままで成す術がなかった。

(距離を詰めれば、それだけ角度の利いたサーブでのエースは防げる。それに彼の威力なら堅守する迎撃打ブロック・リターンが有効なはず。もちろんその代わり、リターンのタイミングはシビアになる。ラリーの難易度も上がるだろう。でも、同じやり方を繰り返しても結果は変わらない。試せることは全部試すんだ)

 知恵を絞り捻り出した、作戦とも呼べぬささやかな抵抗。しかし、今の聖に出来ることはそう多くない。聖は低く構え弖虎のサーブを待ちながら、溺れる者が藁を掴むように、ラケットのグリップを握り締めた。



 頭痛がする

 クソが

 あのババア、勝手なことしやがって

 たかが練習試合じゃねぇか

 こんなどうでもいい場面で

 あと少しで感覚が掴めるところだったってのに

 余計な水差しやがって、クソ

 痛ぇ……

 頭痛、吐き気、悪寒、耳鳴り……

 あぁもう……めんどくせぇ

 なんなんだよ、どいつもこいつも

 こんなくっだらねぇお遊びで必死になってんじゃねぇよ

 バカバカしい

――ママ、がんばるからね

 うるせぇ

――あんたさえいなきゃ

 あぁ、そうだ

――終わりだわ、なにもかも

 知るかよ

 てめぇなんざ

 勝手に死んでくれ



<どーよ? ちったァ、アンドレ・アガシの凄さが分かったか? シュワルツマンの粘り強さ、ヒューイットのえぐさ、ラフターの天才っぷり、つまり叡智の結晶リザスのありがたみってェやつがよ?>

 ゲームカウント、3-6で聖は第2セカンドセットを落とした。序盤3ゲームを連取したあとは、そのまま倍の6ゲームを連取されてしまった。これでセットカウントは1-1ワン・オール。次が最終ファイナルセットとなる。

(あぁ、よく……分かる)
 基本の立ち位置ベースポジションを前に上げることで、聖は弖虎の超攻撃と真っ向勝負に挑み、見事に返り討ちにあった。強力なボールを早いタイミングで捌き切ることが出来ず、相手のエースはもとより自滅へ向かうアンフォースト失策エラーを連発してしまった。

 ライン際を狙う弖虎の攻撃を前のポジションで迎えるということは、必然的にボールがバウンドした直後、跳ね際ライジングでの処理になる。腰を落とし、常にシビアなタイミングでボールを打つライジングは、相手の球威を利用するため本来ならば自ら消費する体力は少なく済むはずである。

 だが、6ゲームを連取されたにも関わらず、聖は満身創痍だった。息を切らし、頭から水をかぶったかのように大量の汗で髪が濡れている。その様子はまるで、幾度となく同点デュースを繰り返した激しい接戦を戦ったかのようだ。しかし実際は、聖がポイントを手に出来たのはほんの数回、狙い通りにポイントを獲得できたような場面は1度も無かった。

(低い姿勢を維持しながら、早いタイミングでラリーを続けるのがこんなに消耗するなんて。打つための体力消費は少なくても、ボールに対して必要な集中力は普段の倍以上。それでなくたって相手の球が速いのに!)

 真っ向勝負を選択したことで、聖のボールに対する弖虎の攻撃はほんの僅かに緩んだ。それは聖の打つショットが鋭さを増して攻撃的に返球できたからではなく、ライジングによって弖虎の時間を奪い、攻撃テンポを僅かに崩せるようになったためだ。

(速い攻撃を打ってくる相手に、速いテンポで返して連撃を封じるのは悪くないんだ。それはちゃんと効いてる。ただ二連撃を防ぐことは出来ても、それを活かして反撃する術が無い。向こうが連撃をやめて、こっちの返球が甘くなるのを待たれた途端、また呆気ない展開ショートポイントが続いてしまった。対応のレパートリーが一つだけじゃ、ゲーム獲得に結びつかない。クソ、どうすればいい)

 聖はスポーツドリンクをゆっくり口に含む。甘くて冷たいスポーツドリンク特有の爽やかな味が口の中に広がると、喉を鳴らして弱音と一緒に飲み込む。今は、弱音を吐くことすら惜しい。吐き出すのは、二酸化炭素だけで充分だ。

 対して弖虎の方は涼しい顔、というより、こちらはやはり不気味なほどの無表情。わずかにかいた汗で長い髪の毛先が少し濡れそぼってはいるものの、息を乱すわけでもなく落ち着き払っている。あれほどの攻撃を繰り返して、どうしてこんなに余裕があるのか。そして、第2セカンドセット序盤で見せたあの苦悶の表情はなんだったのか。
<さて、使うとしたら・・・・・・おあつらえ向きのタイミングだぜ? またぞろ劣勢から始めると、使用時間が長くなって代金が高くつくからなァ? 決断はお早めに>

 聖が最終ファイナルセットでの方針を検討していると、アドが言った。
(なんだよ、使えっていうのか?)
<別にィ? ただ、その気があるなら早い方が良いぜってアドバイスさ>

 確かに、アドの言うことはもっともだ。叡智の結晶リザスを使うなら早い方が良い。自分の意志で使う場合は能力が出力制限リサイズされるとはいえ、相手がこちらの変化に戸惑っているうちに勝負をつけられる可能性が高い。

 それに、聖はここまでの試合で弖虎にある特徴、傾向のようなものを感じていた。
(彼、こっちが戦術を変えると、対応するまでに間がある気がする。一見するとどんな球にでも攻撃してくるようだけど、こっちの打ち損ないシャンクショットに対する決定率が高くない。なんというか、想定してない状況・・・・・・・・に弱い、とでもいうか。仮にもしそうだとするなら、叡智の結晶リザスを使いながらスタイルを切り替えれば上手くそこを突けるかもしれない。だけど……)

<てめェの実力で負かしてェ、ってか?>
 アドに本音を言われ、反論を唾と共に飲み込む聖。

<まァ、根暗と試合した時と同じでこりゃあ練習試合だからな。純粋に実力勝負してェっつーなら、そりゃあそれでアリだ。ここでどっちが勝とうが負けようが所詮は練習。割り切ってやりたいようにすりゃあ良い>

 蓮司との練習試合。あのとき聖は、当初能力を使用するつもりがなかった。今と同じで練習試合だったため、勝敗に拘るべきではないと考えたからだ。だが、蓮司は聖をライバルになりうる強敵と思い挑んできた。練習だとか本番だとかそういうことではなく、自分より強い者に恐れず挑みかかるように本気でぶつかってきた。だからこそ、彼の期待に応えようと思い能力を使用した。結果的にそれが引き金となって本来の撹拌事象が発生したわけだが、いずれにせよその後、蓮司とは少なからず距離を縮めることができた。

 弖虎はどうだろうか。
 彼のテニスは、一見すると乱雑なようだが凶悪的ともいえる正確さをみせてきた。世界で活躍する徹磨にも引けを取らない攻撃力を持ち、そこだけを見れば恐らく既にプロで通用するであろうレベルに達している。年下の男の子が、まさかここまでの力を持っているとは想像すら出来なかった。

 正直いえば、もし他の誰か――例えば挑夢いどむや関西組の誰か――が弖虎並のテニスをしてきたのだとしたら、聖は素直に感心し、心から称賛を送ったと思う。だが、事ここに至っても、聖は弖虎に対して好意的な感情を抱けずにいる。彼が年下で、なんとなく人を見下したような態度を取る少年だからだろうか。

(どうして、僕は彼を素直に認められないんだろう?)
 聖は昔から、相手が年上だろうと年下だろうと年齢を理由に人を格付けしたりしない方だという自覚がある。年齢も、性別も、見た目も、態度も関係ない。『人を見た目で判断してはいけない』と、親や教師から教えられて以降、聖はそれを何の疑いも無く信じてきた。妄信的に従っているのではなく、聖自身もそれが正しいことだと思っている。だからこそ、聖は今の自分の感覚が不思議で仕方が無かった。『あいつ生意気だから』と言ってクラスの誰かを標的にちょっかいを出していた同級生の気持ちが、今なら分かる気がする。そして、そう思ってしまう自分に対する強い自己嫌悪があった。

(彼はこの試合を、今回の合宿を、テニスをどう思っているのかな)
 言葉を選ばなければ、弖虎の振る舞いからは試合はおろかテニスに対する愛着というものを感じない。それが、彼の母親に関わる醜聞について自分が先入観を持ってしまっているからなのか、それとも特に理由もなく純粋にそう感じるのか、聖には判断がつかない。

叡智の結晶リザスを使うのに『相応しい場面』や『相応しい相手』を選んでいるんだとしたら、オレァそっちの方が傲慢だと思うがね>

 そう言われ、聖は痛いところを突かれたように少し顔を歪ませる。
<オマエに色々と思う所があるのは、まァ分かる。だが、結局のところ『使う理由』をいくら捻り出したところで、結局それは突き詰めれば『オマエがどうしても勝ちたい場面かどうか』なンだよ。キミは頑張ってるから使ってあげよう! オマエはムカつくから使ってやんねー! ってなもんさ。てめェの後ろめたさを正当化したところで、何も変わりゃしねェぜ?>

 叡智の結晶リザスを使うことに対する後ろめたさこそ、聖が『能力を使う理由』を探してしまう原因だ。もう一つ付け加えるとすれば、自分の実力に対する期待もある。せっかく普段努力を続けているのだから、自分自身の実力がちゃんとついていることを確かめたいという欲求は当然持っている。後ろめたさと、自分の実力に対する期待。この二つが、非撹拌事象における能力使用をためらってしまう主な理由だ。

 聖はしばし逡巡すると、ぽつりと言った。
「力を持つものは、それに相応しい振る舞いを……か」
 幼い頃に姉から言われた言葉。相手がどうとかいう話ではない。自分の力を自覚し、それに見合うだけの振る舞いをするべきだと、聖は思い直した。

 胸の内でもやついていた幽かな罪悪感を、肺の中に残った酸素と共に全て吐き切る。タオルで汗をしっかりと拭い、立ち上がってコートへ向かう。最終ファイナルセットは弖虎のサーブから始まるため、聖はリターンポジションにつく。そして、どこか虚ろな目をした対戦相手に向けて、戦意を込めた視線を送りながら言った。

「マクトゥーブ」



 いつものように、聖の意識が無数の本が並ぶ書架へと繋がる。
 薄っすらと輝く一冊を手に取り、表紙を開いた。

 その男は、力の支配パワーテニス全盛期に、絶対的自信を持つ技巧テクニックで真っ向から抗った

 前後左右、高低深浅、緩急剛柔、様々な方法で相手を混乱に陥れる撹乱の名手インタフィアー

 あらゆる攻撃をさばき、なし、かわし、崩す、稀有な両側両手持ちツイン・ハンダー

 止まるストップ滑るスリップ曲がるアーク滞空するエアステイ、多種多様な回転を使いこなす、
 独創的なプレースタイルはまさに変幻自在ファンタスマゴリア

 頂点を極めた者ナンバー1プレイヤー24名中、17名に黒星を与えた名選手を狩るものエース・ハンター

 その男の名は

 FabriceファブリスVeteaベテアSantoroサントロ

 人々は彼を、仏国のフレンチ・魔術師マジシャン、と呼んだ――


続く
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