Head or Tail ~Akashic Tennis Players~

志々尾美里

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第31話 選手たちの日常

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 16:30
 学校を終えると、聖はなるべく寄り道せずに自転車で真っ直ぐATCアリテニへ向かう。更衣室でスポーツウェアに着替えると、既にウォーミングアップを始めているU-・アンダー14組フォーティーンに混じってランニングを始めた。
「ワカツキせんぱい、こんにちは!」
「こんにちは」
 中学生以下のメンバーはそこそこ数が多く、さすがにまだ全員の顔と名前が一致しない。だが、皆礼儀正しくいい子ばかりで、彼らの練習している姿を見ていると微笑ましい気分になる。年下の兄弟がいない聖には彼らの存在がなんだか新鮮で、自分に弟や妹がいたら感じだろうかと想像してしまう。あるいは、親の気分というのはこういうものなのだろうか。

 ほどなくして同世代のメンバーも顔を出し、ランニングやストレッチをして身体を充分に温める。聖は選手育成クラスに所属となっているが、他の一般ジュニアクラスとの大きな違いは、週に何度かあるコーチとマンツーマンレッスンの有無だ。技術指導や戦術指導の他、トレーナーがついてフィジカルのパーソナルレッスン、出場した試合の振り返りを元にした意見交換などが選手育成クラスにはある。それ以外のメニューは、レベルや年齢での区別はあるものの、基本的に一般のジュニア選手と合同で行っている。
「ワカツキせんぱい」
「どうしたの」
「カノジョできた?」
「おっと~?」
 ポニーテールを揺らす快活そうな女の子が、興味深そうにこっそり尋ねてくる。たぶんまだ小学校高学年ぐらいだと思うが、その手の話に興味津々らしい。なぜ自分が聞かれたのかはよくわからない。
「ばか、ワカツキせんぱいは、ハルナちゃんが好きなんだよっ」
 ショートカットの女の子が割り込んでくる。そういえばATCアリテニへ来た当初、ジュニアたちの前でハルナとのあれこれについて質問責めにあったことがあった。数日すれば忘れると思っていたが、どうやらしっかり記憶されてしまったらしい。
「でもエンキョリでしょ。エンキョリはダメってスズちゃんいってた」
「そうなの?」
「んん~……どうかなぁ~? ガンバルよ~」

 果たして鈴奈が聖の話について語ったのかどうかは不明だが、少なくとも鈴奈は惜しげもなく自分の恋愛観を小学生に語っているようだ。なんだかんだ分別のある人物だろうというのが聖の鈴奈に対する評価だが、彼女の普段の振る舞いから影響を受けた小学生たちが今後どうなるのか、一抹の不安を覚えるのだった。

 17:30
 充分に身体を温めたのち、各コートに別れてオンコートトレーニングが始まった。先日までは高校生の選手がコーチ代わりに指導することもあったが、コーチ勢が帰国した為、2面のコートに1人コーチがついて練習を指示する。育成クラスのメンバーを担当するのは責任者のかがり烈花れっかコーチ。上下真っ黒なジャージに髪を短くカットした男性と間違えそうな容姿の彼女がコートにいて立っているだけで、並みならぬ緊張感がコートに充満した。

「V、N、X、各5分ローテ。3ミスで1ペナ」
 篝の指示は言葉少なめで、選手を見る目は氷のように冷たい。
 そして練習の途中、ときおりボールを打っている選手に向け、短い一言を鋭く放つ。
「リョウ、頭」
「ハイ!」
「マサキ、膝」
「オッス!」
「ミヤビ、呼吸」
「ハイッ!」

 篝の鋭く短い指摘に、歯切れのいい返事で応える選手たち。言われている本人たちは何を指摘されているのか理解しているが、傍から見ていると何がなにやら分からない。いきなり膝だの頭だのとだけ言われているのを見て、聖も最初は面喰った。のちにマサキが教えてくれたことだが、篝が放つ一言の指摘は、既にアドバイスを受けている部分なのだという。

 いくら才能のある選手といえど、その日の調子や身体の疲労度などでパフォーマンスは乱高下する。反復練習を繰り返して身に付けた技術であっても、知らず知らずのうちに少しずつズレが生じ、その蓄積がパフォーマンスの低下や、ときには怪我へと繋がっていく。各選手の持つクセや傾向を充分に把握した上で具体的なアドバイスを与え、何を意識すべきかを指摘するのがコーチの役割だ。そして篝は一度指摘したことに関して、必要と思われるまで余計な言葉を繰り返さない主義らしい。

 篝は「一度された指摘を二度繰り返すのは三流の選手」と厳しく言い放ち、自分のアドバイスを極力重く受け止めるよう選手に厳命している。相手がプロ選手である場合、彼女は同じアドバイスを二度はしないという。これは彼女が単に厳しいというだけではなく、テニスというスポーツのとある特性を考慮してのことだ。

 テニスは試合中、外部からアドバイスを受けることができない。

 団体戦などであれば事情は変わるが、基本的に試合中のアドバイスは、それがどんな些細なものであろうとルールで厳密に禁止されている。テニス選手は試合のさなかで自分のプレーを維持したり、崩れたものを立て直そうとする際、ただ一人、自力で持ち直さなければならない。些細な事のようにみえて、これは勝敗すら左右する大きな要素だ。

「できるまで何度も教えてもらう、では受け身になる。誰が誰の為にプレイしているか自覚すべきだ」

 コーチの力を借りて強くしてもらう・・・・・・・のではない。コーチの力を利用して強くなる・・・・のだ。その意識を本当に持てるのならば、自分のために、言われたアドバイスは一度でものにせよ、というのが篝の価値観だ。

 そうはいっても、相手はまだ年端もいかないジュニア選手たち。プロに必要な価値観を覚える段階の彼等にあまり多くを求めすぎても酷だろう。したがって、一度したアドバイスを繰り返さなければならない時、選手に自力で思い出させるべく一言だけ添えている。もし選手の解釈がズレているようであれば、その時は改めて説明の時間を設けている。ボールを打つことに集中させつつ、アドバイスは極力最小限の言葉で終わらせる篝の練習は、彼女が醸しだす雰囲気とあいまって胃が痛くなるような緊張感に満ち溢れていた。だがそれによって各メンバーはおのずと集中力を増し、自分が今なにを課題にしているかを明確にしながら練習に励むこととなる。

(気ィ抜いたら殺されそうな空気だな。こわ)
 アドの感想には聖も割と同意で、初日の和気あいあいとした空気はこの反動だったのだろうなと思った。普段おちゃらけているメンバーすら、練習の時は真剣そのもので、恐らく彼らがその実力を発揮するのはこういうテンションの時なのだろう。

 ボールを打つ音と、地面を擦るシューズの音だけが淡々とコートにこだましていた。

 19:00
 オンコート練習を終えると、仕上げの追い込みが始まる。
 篝コーチはその鷹の目のように鋭い眼つきで選手の様子を油断なく捉えながら、口にくわえたホイッスルを短くしかし大きく鳴らす。それを合図に、選手たちが一斉に走り出した。4面並んだテニスコートを端から横断する形で駆けだした彼らは、誰一人として手を抜かずに全力で駆ける。一番速く走っていた蓮司れんじが3つ目のコートに入る手前で、再びホイッスルが鳴り響く。すると、全員が急激に減速し、今度はジョギングのような速度でゆっくり進み始める。10秒と経たずしてまたホイッスルが鳴り、それと同時に再び全速力で選手たちが駆け始める。コートの端へ到着すると即座に方向転換、水泳のターンのように来た方向へ逆走していく。ランダムに鳴るホイッスルを起点に、全力疾走とジョグを切り替えながら、彼らはコートの端から端をひたすら走った。

 5往復する頃には全員の呼吸は完全に乱れ、皆一様にして苦悶の表情を浮かべている。

(あー、マジちょ~キツそ~。あの男女オトコ・オンナコーチ、ぜってぇ性格悪ィわ~)

 聖も例外なく息を切らし、心臓と肺をフル稼働させながら全身に向けて酸素を血液に乗せ運搬する。なるべく深く息を吐き、大きく吸って呼吸の乱れを少なくしようと試みるが、全力ダッシュとジョグの切り替えは容赦なく身体のリズムをかき乱し、次第に足取りが重くなっていく。

奏芽かなめェ! 頭を下げるなッ! お前は試合で下向いて走んのかッ!」

 先ほどまでの言葉少なめな雰囲気とは打って変わり、篝は名前の通り烈火の如く激しい声で叫ぶ。しかしこれはどうやら、まだ春から入会したばかりの選手へ向けた一種のパフォーマンスだと誰かが口にしていた。やや前時代的ではあるものの、こういう露骨な態度は選手に対する人心掌握を行う上で効率が良いらしい。とはいえそれが分かっていても、篝が選手に与える威圧感が損なわれることは無い。

 疲労が溜まってくれば当然、身体は少しでも体力の消費を抑えようと無意識に楽な姿勢を取ろうとする。そこへ篝コーチの鋭い檄が飛んできて、言われた奏芽はもちろん、同じように下を向いて走りそうになっていた全員の背筋がピンと伸びる。ホイッスルのタイミングは実に嫌らしく、まるで獲物を生きたままなぶり殺そうとする残虐な肉食獣のように全員の体力を削り取っていく。疲労は徐々に思考力を奪い、次第に意識がぼやけ、身体が楽になろうとするところで雷鳴のような篝の声が響いてそれを許さない。

 気が付くと練習が終わっていて、果たして乗り切ったのかギブアップしたのか、そんなことすら自分で分からないような状態で聖はコートをあとにした。



19:40

「あーもう、マジくそしんどい。金曜大っ嫌いだわ~」
 文字通り精根尽きた状態で練習を終えた選手たちは、のろのろとロッカールームに向かい、うんざりした様子で身体を休めながら愚痴を吐いていた。聖はマサキの言葉に心の中で同意しながら、ゾンビのように緩慢な動きで汗だくになったシャツを脱ぐ。ここまで疲れがあると、服を脱ぐことすら重労働に思えてくる。

「もう、こうなったら、アレしかねぇな~」
 疲れ過ぎてなんだか口に締まりのない口調で、マサキがぼやく。
「だな……アレしかねぇ」
 すると、同学年とは思えない巨体のデカリョウが力無く同意する。
「行く……カァ」
 いつもはフワフワしているブンの天パの髪は、汗でしなびてワカメみたいに肌へ張り付いている。顔色もあまりいいとはいえないが、不思議とその瞳には何か得体のしれない力が宿っているように見えた。
「あぁ、賛成だ」
 普段はあまり3バカの会話に入ってこない蓮司れんじさえ、何やら乗ってきた。
「ねぇ、アレってなに?」
 何やら言い知れぬ不安を覚えた聖は、状況を確かめるべく疑問を口にする。この雰囲気は、恐らくなにか、色んな意味でロクでもない話に巻き込まれる前兆のようだと、最近は聖にも分かってきた。

「キッツイ練習やりきったんだ。ご褒美が必要だろ」
 未だ疲労が抜けきらぬといった様子の奏芽が、意味深にいう。聖は、あ、これは誰も説明してくれないやつだと諦め、取り合えず空気を読んで流れに身を任せることにした。



「あ~~~~染みるぅぅぅ」

 ジジ臭いセリフを、しかし心底気持ちよさそうにデカリョウが口にした。室内の温水プールではあるものの、練習後の火照った身体にプールの水は言葉にできないほどの気持ちよさで、入った瞬間、聖も思わず風呂のように声が出てしまった。

 金曜日は週の終わりということもあって、一週間で一番練習の強度が高い。世間一般では休み前として有難がられることの多い金曜日だが、ATCアリテニ所属の選手たちにとって金曜日は『きん曜日』であり『きん曜日』なのだという。筋肉をいじめたり、あるいは厳しい曜日、という意味だそうだ。

 もちろん、翌日に試合を控えているような時はその限りではないが、その時はその時で試合を起点にした練習メニューが組まれているため、いずれにせよ選手たちは『きんないしきん曜日』から逃れることはできない。そしてそのキツイきん曜日のあと、こうして室内プールで優雅に疲れを癒すのが選手たちの楽しみの一つだ、ということを先ほど聖は知ることになった。

「プールなんて中3の夏以来、久しぶりだなぁ~。ほんっとに気持ち良いや」

 身体は既にくたくただが、ほどよい水温のプールで気ままに泳ぐのは本当に気持ちがよかった。いつもシャワーを浴びてスッキリしてすぐ帰っていたが、どうせなら毎日ここで軽く泳いでクールダウンした方が良いのではないかと思えてくる。だが、完全に身体をリラックスさせてしまうと、帰宅後の日課である壁打ちが億劫になりそうだ。それ以前に、このまま家に帰ったら即寝てしまいかねない。プールのあとはいつだって、眠くなるものだ。

 ATCアリテニの敷地内に併設されている室内プールは、縦50m、横25mのオリンピックサイズ・プールと呼ばれる設計で、時おり水泳の競技会場としても使われることがある。普段は公営のプールと同じように、近隣住民も利用可能な施設としての役割を果たしているため、今日も仕事を終えてひと泳ぎしにきた大人やスポーツジム代わりに使っている利用者が多くみられた。

 テニスアカデミーとして銘打たれているATCアリテニだが、広大な敷地にある設備の多くはテニスに留まらず、様々な競技に必要な施設が併設されている。利用者の中にはここを『アリアミス・トレーニング・センター』と認識している人が少なくない。

「すごいとこだよねぇ、ここ」
 適当に泳ぎながら自分が身を寄せているアカデミーの凄さを実感していると、一緒に来た連中がプールサイドに集まっているのが見えた。まだ来たばかりだというのに、どうしたというのだろうか。聖が離れた場所から見つめていると、気が付いたらしいブンが手招きした。

「なに、どうしたの」
 一旦プールから上がりブンたちの元へやってくると、なにやら全員が真剣な表情を浮かべている。

「朗報だ」
 やけに低い声で、尖ったアゴをさすりながらマサキがいう。
「アニキが作戦を成功させた」
 そういいながら、腕に巻いた小さな携帯端末を見せる。
 小さな画面には『誘導成功』とだけ書かれている。
「各自、備えろ!」
 それだけ言うと、マサキ以外のメンバーはそそくさとあちこちへ散っていった。
「あの、マサキ?」
「ご褒美の本番は、これからだぜ」
 大きくギョロついた片目をウインクして、マサキは白い歯を見せた。



「ねぇ、今日の烈花ちゃん気合い入り過ぎじゃなかった?」
そういう日・・・・・だったんじゃな~い? マジ疲れた~」
「ちょっと、ミヤビその水着いつ買ったの? 去年持ってなかったっしょ?」
「これ? メーカーの人にもらった~。可愛いっしょ」
「つかあんた筋肉ついたね、良い腕してんじゃん」
「嘘でしょ~? 太くなるのは困る~」
「ハイ! あたしもまだ成長・・してる!」
「スズさんはいいですよもう。てか分けてください」
「分けられるもんならね~! や~、肩凝るわ~!」
「沈めてやろうか」
「男共がラーメン屋行ったの助かるわ~。今日は泳ぎたかったし」
「今年、海行きたいな~! 沖縄オープン出ようかな~」
「ミヤビさん、50mタイム勝負しません」
「やだよ……ナツメ、どんだけ体力あんの」
「うぉーい、ボール使って遊ぼうぜ~!」
「スズさんのボールで遊んであげる~」
「やーん!」
「姫子ってさぁ、ホント肌キレーだね。普段なにしてんの」
「え、あの、特に……いや、えーっと」
「ちょっと、あたしの姫子にちょっかい出さないで」
「はー? 姫子は皆のものでしょ」
「違うよ? あたしの妹だよ」
「出たな、妖怪お姉ちゃん気取り」
「まぁ、ミヤビと姫子は体型似てるよね」
「オイ、そっから先は戦争だぞ」
「へっへっへ、悔しかったら谷間作ってみな」
「成敗ッ!」
「腹つかむなーっ!」
「あれ!?」
「なに、どした?」
「あいつらラーメン屋行ったんじゃ……」

「ハーッハッハッハッハ!! かかったな、アホが!」
 サングラスをかけ、ブーメランパンツをキメたATCアリテニOBの素ノ山田すのやまだ守治さねはるが、プールサイドのスタート台で仁王立ちし、高らかに勝利を宣言していた。



 鈴奈の華麗な飛び蹴りがサネハルの鳩尾に突き刺さり、無残な姿で彼がプールに沈んだあと、連帯責任の名のもとに男子メンバーは女子メンバーに焼肉を驕るハメになった。

「いや~、他人の金で食べる焼肉は格別~! ごち~!」
 男子メンバーがラーメン屋に行ったという偽情報を女子メンバーに伝え、彼女らをプールに誘導するサネハルの作戦は見事に成功したものの、なんの遮蔽物もないプールで長い時間隠れ続けることなどできるはずもなく、割と早い段階で作戦は露呈した。しかしそれと同時に現れたサネハルが全てのヘイトを背負い、現役の男子メンバーは最小限の被害で留まり、女子メンバーを伴って焼肉をおごるということで和解が成立したのだった。

「つ~かね~、水着ぐらいいつでも見せてやるっての。なにをこそこそしてんのさ。それでなくたって普段から人のことチラチラ チラチラ チラチラ チラッチラと盗み見してやがるくせに。しゃきっとせんかコゾー共め」

 ジト目のまま焼肉をむさぼりながら、ネチネチと男子メンバーに説教する鈴奈。練習後で全員空腹は限界に近いというのに、食べる様はどこか申し訳なさそうで慎ましい。

「分かってないな。オレ達が見たいのは見られる前提で堂々と姿を晒す女子じゃねぇ、人目を意識せず自然に振舞うあどけない姿なんだ。それに、競泳用水着じゃあ面白くない。なぁ、マサキ?」
 唯一サネハルだけが、鈴奈の説教に臆することなく言ってのける。さっきの今でこんな態度が取れるはOBゆえなのだが、話を振られたマサキはたまったものではない。燃えるなら1人で燃えれば良いものを、なんだかんだで巻き添えにしてくるサネハルをマサキは胸中で呪った。

「ユーマ先輩とかトオル先輩がいるならぁ、あたしらも喜んで可愛い水着で泳ぎにいくんだけどなぁ~。お前等じゃ見せても張り合いね~からな~」
「つーか、奏芽、お前細すぎでしょ、もっと肉つけてよ。顔はそれなりなんだし」

 先日の団体戦で聖とは別チームだったギャル2人、花宮麗はなみやうらら古賀薫子こがかおるこが、自らの欲望に正直な感想を述べる。練習終わりの為か2人揃ってピンクのスウェットを着ている為、傍から見ると完全に寝巻のまま焼肉を食べに来たヤンキーみたいにみえる。

「るっせーな、筋肉付きづれぇんだよ。体質的に」
 キムチをつつきながら、ぶっきらぼうにいう奏芽。こちらはこちらで、アッシュグレーの髪を下ろしている為か普段よりトゲトゲしさが感じられず、ライブ帰りのバンドマンみたいな風体に見える。

 聖は改めて、同世代のメンバーは随分と個性が強いと実感する。それに比べると自分はかなり影が薄いなぁ、キャラ立ってないよなぁなどと思いながら大人しくタン塩を口にする。おごりとあってか女子連中が遠慮なく注文するものだから、テーブルにはところ狭しと肉を乗せた皿が敷き詰められている。味は文句なしに美味いのだが、いかんせん量が多すぎる。

 ATCアリテニの敷地内にあるこの店は、元から集団客の来店を見越した作りになっており、店内の広さはファミリー向けの大手焼肉チェーンと遜色ない。大人数グループ用の座席が多く用意されており、大会があった際はいつもここが利用される。時刻は既に21時を回っていたが、金曜日ということもあって店内には家族連れなども多く、いまだにほぼ満席で大いに賑わっていた。

「セイくん、これ食べない?」
 聖の隣にちょこんと座り、申し訳なさそうにおずおずと上目遣いを向けるのは、奏芽と同様に聖と幼馴染の神近姫子かみちかひめこだ。プールに入ったあとでメイクもなにもしていないというのに、目鼻立ちがはっきりしてそれでいてあどけなさの残る上品な顔立ちをしている。姫子という名前が表すように、彼女はどこか庇護欲をかきたてられる雰囲気を持っていた。
「もうお腹いっぱい? いいよ、もらうよ」
 聖が笑顔でそういうと、姫子は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながらカルビを聖の皿に移した。正直、聖としては自分の分を食べきれるか自信が無いのだが、こと姫子の前では何故かいつも背伸びしてしまう。良いところを見せたいというより、なんとなく姫子には頼りがいのあるところを見せたくなってしまう。
「セイ君、今度は試合いつ出るの?」
 姫子は小首を傾げながら、箸を置く。
「明後日の日曜、都内のジュニアサーキットにエントリーしてるよ」
「応援に行っても、いい?」
 なんだかひどく切実なお願いをするような様子でそう口にする姫子。昔から、姫子は聖に対して何を言うにも遠慮がちだ。ともすれば先輩と後輩みたいな雰囲気で接してくることが多い。子供の頃からの付き合いなのだから、もっと馴れ馴れしくしてくれてもいいのにと聖は思うのだが、姫子の気持ち・・・・・・を考えればそれも仕方ないと割り切っている。
「構わないよ。ていうか、逆に申し訳ないなぁ。勝てるか分からないし」
「勝てるよ! セイ君なら。じゃあ、お弁当作っていくね」
「いやそれは悪いって。気持ちだけ受け取っておくよ」
「え……あ、そう……?」
 思わず遠慮してしまったが、それを聞いて捨てられた子犬のような表情を浮かべる姫子。だからというわけではないが、聖は慌てて言い直す。
「あぁ、いや! そうだね、せっかくだし、久しぶりに姫子のお弁当食べたいな。卵焼き、チーズ入ってるやつ。頼んでいい?」
 姫子の表情がぱっと明るくなる。雲に隠れていた太陽が顔を覗かせた時のように、嬉しさを隠しきれないといった様子で笑顔を見せた。
「うん、任せてっ」



 そんな2人の様子を、斜向はすむかいの席からミヤビが眺めていた。姫子の様子を見ていれば、誰に説明されなくても非常に多くの事が見て取れる。
(ふ~~~ん、な~~~るほど)
 思わず口元が緩み、自分でもわかるぐらいニヤニヤしてしまうミヤビ。
「悪い顔してるぞ」
 やや呆れ気味に、隣の蓮司がボソっとつぶやく。ミヤビは軽く炙っただけの上タン塩をゆっくり噛み締めて歯ごたえを堪能し、やがて飲み込む。そして少し声を高くし、わざとらしく言った。
「あたしも、レンちゃんにオベント作って、応援に行こうかな~」
「ハッ」
「鼻で笑う?」
「そっちも試合だろ」
「会場同じなんですけど~?」
「集中できないから、要らない」
「ツレな~~~い」
 そういって、ミヤビは網に乗っていたハラミをひとつ箸でつまむ。
「はい、ア~ン」
 心底嫌そうな顔をする蓮司。わざとらしくあざとい感じで首を傾げるミヤビ。周りではおのおのが話に夢中で、2人に注意を向けている様子は無い。ここでそっぽを向くとミヤビは機嫌を損ねるだろうことが分かっていたし、まだ満腹ではないため純粋に食べたい気持ちがあった蓮司は、意を決して口を開ける。その蓮司の反応を存分に楽しみながら、ミヤビはゆっくりハラミを蓮司の口に運んだ。よく火の通った肉を噛み締めると、じゅわりと肉汁が広がった。


「あーっ!」
 突然の鈴奈の叫びに、思わずむせそうになる蓮司。肝心なところを見られ、またぞろいじられるのかと思って視線を向けると、どうやらそうではなかった。

「いっけねー! 日曜から全仏オープンローラン・ギャロスじゃん!」
「あ、もうそんな時期か。そういやガネも出るって言ってたぞ」
「そーゆーことは早く教えろボケナス! バツとしてオマエ幹事な!」
「あァン!? やってやろうじゃねぇか!」
「えー? サネちゃん幹事とかできんのー?」
「完璧な采配をみせてやるからお前ら水着で来い!」
「は? バグりすぎでしょ」
「後輩にセクハラとか飢えすぎ~」

 なにやら急に盛り上がっているが、聖にはなんのことか分からない。一人で冷麺をすすっている奏芽に話を振ると、非常に面倒くさそうな顔をしながら教えてくれた。

「5月末にはフランスで全仏オープン、つまりローラン・ギャロス。それが終わって6月末からはイギリスで全英オープン、すなわちウインブルドン。グランドスラムがほぼ連続してあるだろ? 毎年、その時期の週末は『ジュ・ド・ポーム』で夜通し観戦イベントやってんだよ。まぁ別に強制参加じゃねーけど、昔から伝統的に合宿兼ねてやってんだよ」

「セイ君も合宿おいでよ!」
 目を輝かせながら姫子が言う。
 奏芽は冷麺のスイカをかじって、味しねーこれ、とぼやいている。

 グランドスラム。それは、テニスをする者にとって特別な舞台だ。ふと、ハルナの横顔が聖の脳裏に浮かぶ。彼女を迎えに行くと約束して、約2カ月が経った。なんとなく、自分から彼女に連絡をとるのはルール違反なような気がして、聖はコンタクトを取ろうとしていない。彼女の実力なら、本戦出場していてもおかしくはない。だが、ハルナがプロとして正式に活動を始めてからまだ間もない。出場条件を満たしているのかどうかを、聖は確認していなかった。彼女は、出るのだろうか?

「ひじリーン、知ってるだろうけど、ハルナちゃんも出るんだぞーぅ。アリテニ所属の選手も何人か出るし、おいでよ。あたしと一緒に熱い夜を過ごそ~ぜ☆」

 すると、聖の疑問の答えを、鈴奈がいつもの調子で口にする。
 それなら、観ないわけにはいかない。

「はい、お願いします」
 真剣な眼差しで応える聖。
「え……あ~、うん、優しくしてね?」
 予想と違う聖のリアクションに戸惑いながら、鈴奈は恥ずかしそうに言った。

続く
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