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第18話 決勝戦のオーダー
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“オトコ女”
小学生の頃、羽切棗はそう呼ばれ罵られていた。平均身長をゆうに越える恵まれた体格、男勝りで勝気な性格だった彼女は男子に混じって遊ぶような子で、帰宅するとあちこちに擦り傷をこさえ服はいつも泥だらけだった。
男女の区別が付きにくい年頃までは、明るく元気なじゃじゃ馬娘といった風の彼女だったが、年齢を重ねるに連れて心無い男子から“オトコ女”と悪口を言われるようになった。それでも、自分に敵わない男どもが悔し紛れに自分を罵ったところで、彼女の心には何一つ届かなかった。所詮は負け犬の遠吠えであり耳を傾ける価値の無い戯言だと、何ら歯牙にかけることも無く聞き流していた。男性に引けを取らない身体能力と、女性的な優しい心根を持つ彼女は、いつも友人に囲まれ健やかに幼年期を過ごした。
中学1年でATCに所属した時、1つ年上の雪咲雅に試合で完敗を喫した。同年代の男子ですら圧倒したことのあるナツメにとって、自分よりも背の低い女子選手に敗北したことは大きな衝撃だった。しかもそれが、まるで妖精もかくやといったような美しさときた。女らしさなどというものとは無縁だと思っていた自分が、同じ女性に対して心から嫉妬を覚えたのは、それが初めての経験で鮮明に覚えている。
以来、ナツメはミヤビをライバルと見做した。容姿では敵わないと早々に諦めたが、テニスで負ける事だけは無いよう同年代の誰よりも努力し、己の身体と技を磨き続け、その甲斐あってこれまでに練習試合でミヤビを倒したこともある。だがまだ足りない。完全にミヤビよりも上に行くまで、ナツメは止まることなくひたすら強くなると決心している。その決意は着々と実を結びつつあり、直近でいえばナツメはミヤビに負けず劣らずの戦績を残している。
(だっていうのに、まさか相手がアンタとはね)
ナツメはボールを拾いながら対戦相手を睨みつける。
髪もウェアも、果てはラケットさえもファンシーなピンクで統一した華奢な少女。
現在14歳。2年前にATCへやってきたと思ったら、一緒に練習していた男子選手の顔面をラケットで殴りつけ、ものの3日で追放された超危険人物。伴美波、通称バンビ。
その時その場にいなかったナツメは詳細な内容については知らない。初日に顔を合わせた程度でどんなテニスをするかも知らなかった。そもそも、経歴自体が一切不明だ。バンビはナツメと同じく選手育成クラスに編入してきたが、そのクラスに入るからにはそれ相応の実績が無ければ入ることは出来ない。実績があるなら、現役でやっているナツメが知らないはずがない。バンビはまるで、つい最近入ってきたベビーベイスの優男、若槻聖のようにテニスの経歴が不明瞭だった。
ATCを去った後、バンビが公式の大会に出場したという話を聞かなかったから、てっきりテニスの世界からはいなくなったものとばかり思っていた。これだけ目立つ選手であれば、ジュニア界隈の最前線で戦うナツメの耳に噂が届かぬはずもない。今日再会するまで、すっかりその存在について忘れていた。
ゲームカウントは2-5。ナツメは劣勢を強いられている。
始まってからまだ20分も経過していない。よもや年下の少女にここまで先行されるとは夢にも思わなかった。試合前にトオル先輩とユーマ先輩が油断するなと言ってくれたが、自分の実力に自信を持つナツメは露ほども敗北をイメージしていなかった。しかし、バンビの実力を目の当たりにしてようやく、ナツメは相手の底知れぬ実力を痛感した。
ボールを受け取ったバンビは、無言のままサーブのモーションに入る。普通、審判のいない判定申告制では、サーブを打つ方が現在のカウントをコールするのがルールだが、彼女はこの試合一度もコールしていない。それどころか、アウトやインの判定すらしない。無論、ナツメほどのレベル帯の選手になれば、わざわざコールされなくてもポイントを数え間違う事は無いし、打ったボールが入っているかどうかはほぼ正確に分かる。だが、だからこそお互いにフェアプレイの精神を尊重し合っているという意味合いも込めてジャッジやコールをするのが慣わしだ。バンビは、それを完全に蔑ろにしている。
(気に入らない、ほんっと気に入らないよ)
バンビがサーブを打つ。そのフォームはメチャクチャだ。担ぎ上げたラケットを全力で空高く放り投げるような全身を使ったフォーム。テニスを教わっている者の打ち方であるとは到底言えない。だが、そのメチャクチャなフォームから繰り出されるサーブは恐ろしく速く、正確にサービスボックスへ叩き込まれる。
「アァッ!」
リターンを打つナツメの口から声が漏れる。
バンビの打つサーブは速い上にバウンド後の失速が少なく、ラケットで捉えたあとの衝撃も非常に大きい。まるで手に持っているラケットを直接蹴り飛ばされるような感覚を覚えるナツメ。絶妙なタッチセンスで衝撃を殺し、返球する。
ナツメのリターンは鋭くはないものの、普通の選手ならすぐさま攻撃には入れない深さと高さを維持して飛んでいく。一度バウンドさせてから改めて展開を作ろうとする所だが、生憎とバンビは普通ではない。
ナツメのリターンに合わせて適度な間合いを保っていたバンビは、まるでそこに返球されることが分かっていたかのように、サーブを打った直後から落下点手前に移動していた。丁度、ベースラインとサービスラインのやや中間に立ち、まるで虫でも振り払うようなスイングでノーバウンドのままボールを叩き返す。
乾いた衝撃音と共にボールが吹き飛ばされる。モーションは小さいのにその速度はサーブと遜色ない。リターンを打った後のナツメは完全にタイミングを外され反応出来なかった。
(これだよ、何もかもが独特過ぎる!)
ナツメとバンビの試合の様子は、まるで正統派の格闘技を身に付けたアスリートと、我流でストリートファイトを身に付けた無法者が制約無しで戦うような様相で、終始バンビのトリッキーな攻撃にナツメが圧倒される形となった。
結局、ナツメはバンビのサーブをブレイク出来ず、2-6で敗北を喫することとなった。
「マサキ・デカリョウのペアが再起不能、ユーマ先輩・姫子のペアが4-6で敗退、ギャルペアが6-0で勝ち、ナツメが2-6敗け……。仮にトオル先輩が勝っても、勝敗数は2勝3敗。チームの敗北が決定、か」
ナツメの試合を観戦していた聖はそう独りごちる。
<野試合ってェのはおもしれェなァ?エリート集団がアマチュアに土付けられるなンざァ夢のある話だぜ全く。それにあのピンク頭、ありゃえげつねェ。なンだってあンなのが素人集団に混じってやがンだ?お嬢並じゃねェか>
「お嬢並?え、それってハル姉と並ぶってこと?」
<才能だけならな。お前らン中で太刀打ち出来そうなのは美人ぐれェじゃね>
「美人?」
<陰キャのカノジョともいうな>
意外だった。アドがミヤビを悪口ではない呼び方をするのもそうだが、あのバンビと呼ばれていた華奢な身体つきの少女がハルナと並ぶ才能を持っているとは。彼女に関する話はユーマ先輩が大よそのことを教えてくれたが、2年前にATCを去ってから公には姿を現していないという。テニスを続けていたのだたとしても、今日のような一般人向けの大会にしか出ていなかったということだろうか。
今日の試合は、6チームが2つのリーグに別れて総当たりで戦い順位を決め、リーグの順位同士で戦うというもの。もし、ギャルチームを倒した『テニス特戦隊』が1位になったとしたら、恐らく決勝の相手になるのは聖の所属するもう1つのATCチームだろう。聖は自チームの元へ戻り、目にした出来事についてメンバーへ話すことにした。
★
ギャルチーム敗退の報せを届けた聖は、自チームが5戦5勝の快勝を果たしていたことを知った。ギャルチームも同じように華々しく勝利すると思っていたメンバーは少なからず動揺する、かと思いきや、マサキ・デカリョウの顛末に大笑いするばかりだった。一通り笑い終わってようやく、少し真面目にテニス特戦隊に対する作戦会議が始まった。
「挑夢っちだけじゃなくて、バンビか~。そりゃ厄介だネ」
話を聞いた鈴奈は、他人事のように呟く。
「マサキとデカリョウが負けたのは事故でしょ。順当に行ってりゃ、そこが負けるなんて有り得ねェ。って考えたら、トオル先輩が中年のオッサンに負けるとも思えねェし、そこで勝って逆転して3勝2敗。別に警戒する必要は無いだろ」
奏芽が腕組みしながら至極もっともと思える考えを口にする。
しかし、それを聞いた鈴奈がチッチッチと舌を鳴らしながら人差し指を振る。
「あんまぁい。その“順当に”ってのが起こらなかったから向こうは負けたの~。勝負に“たられば”は無いんだよ。それに、あたしらがやる時に何も起きないなんて保証も無いでしょ。本来なら起こり得ない事が起きた時に、それを偶然で済ませると痛い目みっゾ」
最後だけちょっと茶化して言う鈴奈。真面目なトーンで話し続けないのは彼女のクセらしい。しかしその指摘はもっともな話で、テニスエリートの集団であるATC勢の一翼が倒された事実を、ただの偶然とするのは危険だ。“自分たちは負けるはずがない”という幽かな驕りが、そういう都合の悪い現実から目を逸らさせるのかもしれない。
「警戒しなきゃいけないのは挑夢と、バンビ、それからM字ハゲのオッサン?相手がオーダーを変更しない前提で考えるなら、男ダブは無視しても良いかな。あの悪ガキ2人はあたしも知ってるし。女ダブはギャルペアがベーグル焼いた――相手に1ゲームも与えずに完勝すること。0の文字をベーグルに見立ててそう呼ぶ――なら、キノ・キナペアは負けないっしょ。問題はオーダーを変えてくるとしたら~」
話し合った結果、対テニス特戦隊のオーダーについては、以下のように決まった。
男子ダブルス :不破奏芽・沼沖文学
女子ダブルス :桐澤雪乃・桐澤雪菜
混合ミックス :雪咲雅 ・能条蓮司
女子シングルス:偕鈴奈
男子シングルス:若槻聖
相手チームの軸は間違いなく、挑夢とバンビだ。バンビの実力と性格を少なからず知っている先輩メンバーの見立てでは、彼女がダブルスに出ることはまずないという。相手チームの女性陣はバンビ以外、普通の一般プレイヤーのようだ。無論、実力を隠していない前提にはなるが、そこは考えても仕方ない。決勝では、挑夢とバンビがシングルスに出てくる可能性が高く、西野という中年男性は年齢的にダブルスという予想だ。女ダブの方は数合わせだろうという見立てなので、その西野が男ダブまたはミックスのいずれかに出てくるだろう。
完勝する必要は無い。全体的な勝率を上げるよりも、抑えるべきところをしっかり抑えて勝つべくして勝とう、というのがチームとしての方針となった。
「シングルス、か」
聖はつい、言葉を漏らす。試合を見ることは出来なかったが、話に出る挑夢という中学生は相当な実力者のようだ。ユーマ先輩も蓮司並みの実力だと言っていたから、今の自分が彼に勝つには最悪、叡智の結晶を使う必要がある。出来れば今日は失徳の業に悩まされず終えたいのだが、状況次第では覚悟しなければならないだろう。
「ひじリン、寂し~い~?あたしともっと組んでたかったぁ~?」
聖の独り言を耳聡く聞きつけた鈴奈が、悪戯っぽい笑みを満面にしながら絡んでくる。鈴奈は両手で聖の腕を抱き寄せ、これでもかというほど猫撫で声を出す。
「え、いや、あの」
唐突なボディタッチに不意を突かれ、聖は上手く返答できない。
腕が柔らかくで弾力のある何かに当たっている。
「まぁもう1試合あるし、我慢してね、ひじリン♡」
<抱けェ~~~~!!!抱けェ~~~~!!!>
深刻な悩みと、先輩の誘惑と、よく分からない声のせいで頭の中をかき乱されたまま、聖は第2試合に臨むのだった。
★
リーグ戦の第2試合も、聖の所属するチームは5戦5勝の快勝となった。
聖と鈴奈のペアも勝ちはしたが、この後でシングルスをする事になった鈴奈がバンビとのラリー戦に備えて先ほどとはポジションを変えて後方に陣取ったこともあり、ゲームカウント的には6-4という結果に。そして、ギャルチームを倒した『チーム特戦隊』も2戦目を勝ち、聖たちとの対決が確定した。
「オマエ、足ヘーキなワケ?」
2位以下のチーム同士の試合を先に消化するため、決勝までの合間に昼食をとっていると不意に蓮司が聖に話しかけてきた。一瞬何のことか分からなかったが、そういえばそういう設定でシングルスを回避しようとしていたのを聖は思い出す。
「ん、あぁ、思ってたより大丈夫みたい。怪我っていうか筋肉痛みたいなものだったのかも。動いてるうちに良くなってきたよ」
ふーん、と言いながら蓮司は隣に腰掛ける。
「挑夢、あぁ、オマエが多分相手する中学生な。アイツ、オレの後輩だったんだ。オレが言うのもナンだけど、生意気なやつでさー。家庭の事情とかでATCから抜けたけど、マジで良い筋してんだよね。確か、ここらじゃ結構有名なコーチに教わってるんじゃなかったかな」
「ATC外でそんな人がいるんだ?」
少し意外な話だった。ATCの前身であるテニスアカデミーは20年以上前から今の場所にある。聖たちが住む木代市がスポーツ研究の旗艦都市となった時に、諸々の研究機関などと合わさり名前と運営母体が変わった。その際、周辺のテニスクラブも軒並み吸収合併されたのだ。
早い話が、政府主導で巨大な最先端のテニスアカデミーが出来たことによって、民営のテニススクールの経営が立ち行かなくなり廃業に追い込まれることを防ぐ為、経営権こそ元の経営者に残されたまま、スタッフを丸ごとATCが引き受けているのだ。それはテニススクールのみならず、飲食店やその他のサービス業なども含まれている。
ATCが広大な敷地面積を誇り、いわば1つの町のように機能しながらその巨大な組織構造を維持していられるのは、そうした元々あった地元企業を上手く吸収しているからでもある。
そういう事情もあり、基本的に木代市周辺でATCから独立したテニススクールはほぼ存在しないと言っても良い。立地的に離れているテニススクールでさえ、何かしらの形でATCと関わり合いがあるのだ。
蓮司が言うそのコーチは、そこに含まれず、個人でテニスを教えているという。
「あぁ、名前なんだったかなぁ、なんか狼みたいな感じだった気がするけど」
「狼……」
<まさに一匹狼ってヤツだな>
ATC周辺は、テニスをするものにとってはまさに理想郷のような場所といっても過言ではない。むしろそういう場を目指しているらしい。そこに隷属することなく、ただの一人でコーチを続けている人物がいるのであれば、アドのいうようにまさしく一匹狼のような存在と言えるだろう。
「おーい、そろそろ始まるってさ~!」
ミヤビの呼ぶ声が聞こえ、2人は一緒に立ち上がる。
「行くか。頼むぜ、エース」
「そっちも」
2人は軽く拳を突き合わせ、コートへ向かった。
★
「ハーッハッハッハ!!待っていたぞ、アリアミスの選手たち!!」
両手を腰に当て偉そうに胸を張りながら高笑いする、M字ハゲの中年男性こと西野陣。その後ろには彼の率いるチームメンバーが控えている。
<コイツ、キレたら髪の毛キンパツになったりしねェ?クソッタレェ~つって>
またワケの分からない事を言うアドだが、聖は無視する。
「あっれ~?」
そして、オーダーを交換した鈴奈が素っ頓狂な声を上げる。
「どうしたんですか?」ミヤビが尋ねる。
う~んと言いながら、鈴奈は相手のオーダー表を見た後、ニンマリと笑う。
「こりゃあラクショーかもよ」
相手の出してきたオーダーは、以下のようなものだった。
男子ダブルス :菅 亘・矢部穂信
女子ダブルス :五味彩葉・九頭竜鏡花
混合ミックス :東雲挑夢・月詠夜明
女子シングルス:伴美波
男子シングルス:西野陣
「僕の相手、あのオジさん……?!」
M字ハゲの中年男は、聖を睨み付けなら不敵に力強い笑みを浮かべていた。
続く
小学生の頃、羽切棗はそう呼ばれ罵られていた。平均身長をゆうに越える恵まれた体格、男勝りで勝気な性格だった彼女は男子に混じって遊ぶような子で、帰宅するとあちこちに擦り傷をこさえ服はいつも泥だらけだった。
男女の区別が付きにくい年頃までは、明るく元気なじゃじゃ馬娘といった風の彼女だったが、年齢を重ねるに連れて心無い男子から“オトコ女”と悪口を言われるようになった。それでも、自分に敵わない男どもが悔し紛れに自分を罵ったところで、彼女の心には何一つ届かなかった。所詮は負け犬の遠吠えであり耳を傾ける価値の無い戯言だと、何ら歯牙にかけることも無く聞き流していた。男性に引けを取らない身体能力と、女性的な優しい心根を持つ彼女は、いつも友人に囲まれ健やかに幼年期を過ごした。
中学1年でATCに所属した時、1つ年上の雪咲雅に試合で完敗を喫した。同年代の男子ですら圧倒したことのあるナツメにとって、自分よりも背の低い女子選手に敗北したことは大きな衝撃だった。しかもそれが、まるで妖精もかくやといったような美しさときた。女らしさなどというものとは無縁だと思っていた自分が、同じ女性に対して心から嫉妬を覚えたのは、それが初めての経験で鮮明に覚えている。
以来、ナツメはミヤビをライバルと見做した。容姿では敵わないと早々に諦めたが、テニスで負ける事だけは無いよう同年代の誰よりも努力し、己の身体と技を磨き続け、その甲斐あってこれまでに練習試合でミヤビを倒したこともある。だがまだ足りない。完全にミヤビよりも上に行くまで、ナツメは止まることなくひたすら強くなると決心している。その決意は着々と実を結びつつあり、直近でいえばナツメはミヤビに負けず劣らずの戦績を残している。
(だっていうのに、まさか相手がアンタとはね)
ナツメはボールを拾いながら対戦相手を睨みつける。
髪もウェアも、果てはラケットさえもファンシーなピンクで統一した華奢な少女。
現在14歳。2年前にATCへやってきたと思ったら、一緒に練習していた男子選手の顔面をラケットで殴りつけ、ものの3日で追放された超危険人物。伴美波、通称バンビ。
その時その場にいなかったナツメは詳細な内容については知らない。初日に顔を合わせた程度でどんなテニスをするかも知らなかった。そもそも、経歴自体が一切不明だ。バンビはナツメと同じく選手育成クラスに編入してきたが、そのクラスに入るからにはそれ相応の実績が無ければ入ることは出来ない。実績があるなら、現役でやっているナツメが知らないはずがない。バンビはまるで、つい最近入ってきたベビーベイスの優男、若槻聖のようにテニスの経歴が不明瞭だった。
ATCを去った後、バンビが公式の大会に出場したという話を聞かなかったから、てっきりテニスの世界からはいなくなったものとばかり思っていた。これだけ目立つ選手であれば、ジュニア界隈の最前線で戦うナツメの耳に噂が届かぬはずもない。今日再会するまで、すっかりその存在について忘れていた。
ゲームカウントは2-5。ナツメは劣勢を強いられている。
始まってからまだ20分も経過していない。よもや年下の少女にここまで先行されるとは夢にも思わなかった。試合前にトオル先輩とユーマ先輩が油断するなと言ってくれたが、自分の実力に自信を持つナツメは露ほども敗北をイメージしていなかった。しかし、バンビの実力を目の当たりにしてようやく、ナツメは相手の底知れぬ実力を痛感した。
ボールを受け取ったバンビは、無言のままサーブのモーションに入る。普通、審判のいない判定申告制では、サーブを打つ方が現在のカウントをコールするのがルールだが、彼女はこの試合一度もコールしていない。それどころか、アウトやインの判定すらしない。無論、ナツメほどのレベル帯の選手になれば、わざわざコールされなくてもポイントを数え間違う事は無いし、打ったボールが入っているかどうかはほぼ正確に分かる。だが、だからこそお互いにフェアプレイの精神を尊重し合っているという意味合いも込めてジャッジやコールをするのが慣わしだ。バンビは、それを完全に蔑ろにしている。
(気に入らない、ほんっと気に入らないよ)
バンビがサーブを打つ。そのフォームはメチャクチャだ。担ぎ上げたラケットを全力で空高く放り投げるような全身を使ったフォーム。テニスを教わっている者の打ち方であるとは到底言えない。だが、そのメチャクチャなフォームから繰り出されるサーブは恐ろしく速く、正確にサービスボックスへ叩き込まれる。
「アァッ!」
リターンを打つナツメの口から声が漏れる。
バンビの打つサーブは速い上にバウンド後の失速が少なく、ラケットで捉えたあとの衝撃も非常に大きい。まるで手に持っているラケットを直接蹴り飛ばされるような感覚を覚えるナツメ。絶妙なタッチセンスで衝撃を殺し、返球する。
ナツメのリターンは鋭くはないものの、普通の選手ならすぐさま攻撃には入れない深さと高さを維持して飛んでいく。一度バウンドさせてから改めて展開を作ろうとする所だが、生憎とバンビは普通ではない。
ナツメのリターンに合わせて適度な間合いを保っていたバンビは、まるでそこに返球されることが分かっていたかのように、サーブを打った直後から落下点手前に移動していた。丁度、ベースラインとサービスラインのやや中間に立ち、まるで虫でも振り払うようなスイングでノーバウンドのままボールを叩き返す。
乾いた衝撃音と共にボールが吹き飛ばされる。モーションは小さいのにその速度はサーブと遜色ない。リターンを打った後のナツメは完全にタイミングを外され反応出来なかった。
(これだよ、何もかもが独特過ぎる!)
ナツメとバンビの試合の様子は、まるで正統派の格闘技を身に付けたアスリートと、我流でストリートファイトを身に付けた無法者が制約無しで戦うような様相で、終始バンビのトリッキーな攻撃にナツメが圧倒される形となった。
結局、ナツメはバンビのサーブをブレイク出来ず、2-6で敗北を喫することとなった。
「マサキ・デカリョウのペアが再起不能、ユーマ先輩・姫子のペアが4-6で敗退、ギャルペアが6-0で勝ち、ナツメが2-6敗け……。仮にトオル先輩が勝っても、勝敗数は2勝3敗。チームの敗北が決定、か」
ナツメの試合を観戦していた聖はそう独りごちる。
<野試合ってェのはおもしれェなァ?エリート集団がアマチュアに土付けられるなンざァ夢のある話だぜ全く。それにあのピンク頭、ありゃえげつねェ。なンだってあンなのが素人集団に混じってやがンだ?お嬢並じゃねェか>
「お嬢並?え、それってハル姉と並ぶってこと?」
<才能だけならな。お前らン中で太刀打ち出来そうなのは美人ぐれェじゃね>
「美人?」
<陰キャのカノジョともいうな>
意外だった。アドがミヤビを悪口ではない呼び方をするのもそうだが、あのバンビと呼ばれていた華奢な身体つきの少女がハルナと並ぶ才能を持っているとは。彼女に関する話はユーマ先輩が大よそのことを教えてくれたが、2年前にATCを去ってから公には姿を現していないという。テニスを続けていたのだたとしても、今日のような一般人向けの大会にしか出ていなかったということだろうか。
今日の試合は、6チームが2つのリーグに別れて総当たりで戦い順位を決め、リーグの順位同士で戦うというもの。もし、ギャルチームを倒した『テニス特戦隊』が1位になったとしたら、恐らく決勝の相手になるのは聖の所属するもう1つのATCチームだろう。聖は自チームの元へ戻り、目にした出来事についてメンバーへ話すことにした。
★
ギャルチーム敗退の報せを届けた聖は、自チームが5戦5勝の快勝を果たしていたことを知った。ギャルチームも同じように華々しく勝利すると思っていたメンバーは少なからず動揺する、かと思いきや、マサキ・デカリョウの顛末に大笑いするばかりだった。一通り笑い終わってようやく、少し真面目にテニス特戦隊に対する作戦会議が始まった。
「挑夢っちだけじゃなくて、バンビか~。そりゃ厄介だネ」
話を聞いた鈴奈は、他人事のように呟く。
「マサキとデカリョウが負けたのは事故でしょ。順当に行ってりゃ、そこが負けるなんて有り得ねェ。って考えたら、トオル先輩が中年のオッサンに負けるとも思えねェし、そこで勝って逆転して3勝2敗。別に警戒する必要は無いだろ」
奏芽が腕組みしながら至極もっともと思える考えを口にする。
しかし、それを聞いた鈴奈がチッチッチと舌を鳴らしながら人差し指を振る。
「あんまぁい。その“順当に”ってのが起こらなかったから向こうは負けたの~。勝負に“たられば”は無いんだよ。それに、あたしらがやる時に何も起きないなんて保証も無いでしょ。本来なら起こり得ない事が起きた時に、それを偶然で済ませると痛い目みっゾ」
最後だけちょっと茶化して言う鈴奈。真面目なトーンで話し続けないのは彼女のクセらしい。しかしその指摘はもっともな話で、テニスエリートの集団であるATC勢の一翼が倒された事実を、ただの偶然とするのは危険だ。“自分たちは負けるはずがない”という幽かな驕りが、そういう都合の悪い現実から目を逸らさせるのかもしれない。
「警戒しなきゃいけないのは挑夢と、バンビ、それからM字ハゲのオッサン?相手がオーダーを変更しない前提で考えるなら、男ダブは無視しても良いかな。あの悪ガキ2人はあたしも知ってるし。女ダブはギャルペアがベーグル焼いた――相手に1ゲームも与えずに完勝すること。0の文字をベーグルに見立ててそう呼ぶ――なら、キノ・キナペアは負けないっしょ。問題はオーダーを変えてくるとしたら~」
話し合った結果、対テニス特戦隊のオーダーについては、以下のように決まった。
男子ダブルス :不破奏芽・沼沖文学
女子ダブルス :桐澤雪乃・桐澤雪菜
混合ミックス :雪咲雅 ・能条蓮司
女子シングルス:偕鈴奈
男子シングルス:若槻聖
相手チームの軸は間違いなく、挑夢とバンビだ。バンビの実力と性格を少なからず知っている先輩メンバーの見立てでは、彼女がダブルスに出ることはまずないという。相手チームの女性陣はバンビ以外、普通の一般プレイヤーのようだ。無論、実力を隠していない前提にはなるが、そこは考えても仕方ない。決勝では、挑夢とバンビがシングルスに出てくる可能性が高く、西野という中年男性は年齢的にダブルスという予想だ。女ダブの方は数合わせだろうという見立てなので、その西野が男ダブまたはミックスのいずれかに出てくるだろう。
完勝する必要は無い。全体的な勝率を上げるよりも、抑えるべきところをしっかり抑えて勝つべくして勝とう、というのがチームとしての方針となった。
「シングルス、か」
聖はつい、言葉を漏らす。試合を見ることは出来なかったが、話に出る挑夢という中学生は相当な実力者のようだ。ユーマ先輩も蓮司並みの実力だと言っていたから、今の自分が彼に勝つには最悪、叡智の結晶を使う必要がある。出来れば今日は失徳の業に悩まされず終えたいのだが、状況次第では覚悟しなければならないだろう。
「ひじリン、寂し~い~?あたしともっと組んでたかったぁ~?」
聖の独り言を耳聡く聞きつけた鈴奈が、悪戯っぽい笑みを満面にしながら絡んでくる。鈴奈は両手で聖の腕を抱き寄せ、これでもかというほど猫撫で声を出す。
「え、いや、あの」
唐突なボディタッチに不意を突かれ、聖は上手く返答できない。
腕が柔らかくで弾力のある何かに当たっている。
「まぁもう1試合あるし、我慢してね、ひじリン♡」
<抱けェ~~~~!!!抱けェ~~~~!!!>
深刻な悩みと、先輩の誘惑と、よく分からない声のせいで頭の中をかき乱されたまま、聖は第2試合に臨むのだった。
★
リーグ戦の第2試合も、聖の所属するチームは5戦5勝の快勝となった。
聖と鈴奈のペアも勝ちはしたが、この後でシングルスをする事になった鈴奈がバンビとのラリー戦に備えて先ほどとはポジションを変えて後方に陣取ったこともあり、ゲームカウント的には6-4という結果に。そして、ギャルチームを倒した『チーム特戦隊』も2戦目を勝ち、聖たちとの対決が確定した。
「オマエ、足ヘーキなワケ?」
2位以下のチーム同士の試合を先に消化するため、決勝までの合間に昼食をとっていると不意に蓮司が聖に話しかけてきた。一瞬何のことか分からなかったが、そういえばそういう設定でシングルスを回避しようとしていたのを聖は思い出す。
「ん、あぁ、思ってたより大丈夫みたい。怪我っていうか筋肉痛みたいなものだったのかも。動いてるうちに良くなってきたよ」
ふーん、と言いながら蓮司は隣に腰掛ける。
「挑夢、あぁ、オマエが多分相手する中学生な。アイツ、オレの後輩だったんだ。オレが言うのもナンだけど、生意気なやつでさー。家庭の事情とかでATCから抜けたけど、マジで良い筋してんだよね。確か、ここらじゃ結構有名なコーチに教わってるんじゃなかったかな」
「ATC外でそんな人がいるんだ?」
少し意外な話だった。ATCの前身であるテニスアカデミーは20年以上前から今の場所にある。聖たちが住む木代市がスポーツ研究の旗艦都市となった時に、諸々の研究機関などと合わさり名前と運営母体が変わった。その際、周辺のテニスクラブも軒並み吸収合併されたのだ。
早い話が、政府主導で巨大な最先端のテニスアカデミーが出来たことによって、民営のテニススクールの経営が立ち行かなくなり廃業に追い込まれることを防ぐ為、経営権こそ元の経営者に残されたまま、スタッフを丸ごとATCが引き受けているのだ。それはテニススクールのみならず、飲食店やその他のサービス業なども含まれている。
ATCが広大な敷地面積を誇り、いわば1つの町のように機能しながらその巨大な組織構造を維持していられるのは、そうした元々あった地元企業を上手く吸収しているからでもある。
そういう事情もあり、基本的に木代市周辺でATCから独立したテニススクールはほぼ存在しないと言っても良い。立地的に離れているテニススクールでさえ、何かしらの形でATCと関わり合いがあるのだ。
蓮司が言うそのコーチは、そこに含まれず、個人でテニスを教えているという。
「あぁ、名前なんだったかなぁ、なんか狼みたいな感じだった気がするけど」
「狼……」
<まさに一匹狼ってヤツだな>
ATC周辺は、テニスをするものにとってはまさに理想郷のような場所といっても過言ではない。むしろそういう場を目指しているらしい。そこに隷属することなく、ただの一人でコーチを続けている人物がいるのであれば、アドのいうようにまさしく一匹狼のような存在と言えるだろう。
「おーい、そろそろ始まるってさ~!」
ミヤビの呼ぶ声が聞こえ、2人は一緒に立ち上がる。
「行くか。頼むぜ、エース」
「そっちも」
2人は軽く拳を突き合わせ、コートへ向かった。
★
「ハーッハッハッハ!!待っていたぞ、アリアミスの選手たち!!」
両手を腰に当て偉そうに胸を張りながら高笑いする、M字ハゲの中年男性こと西野陣。その後ろには彼の率いるチームメンバーが控えている。
<コイツ、キレたら髪の毛キンパツになったりしねェ?クソッタレェ~つって>
またワケの分からない事を言うアドだが、聖は無視する。
「あっれ~?」
そして、オーダーを交換した鈴奈が素っ頓狂な声を上げる。
「どうしたんですか?」ミヤビが尋ねる。
う~んと言いながら、鈴奈は相手のオーダー表を見た後、ニンマリと笑う。
「こりゃあラクショーかもよ」
相手の出してきたオーダーは、以下のようなものだった。
男子ダブルス :菅 亘・矢部穂信
女子ダブルス :五味彩葉・九頭竜鏡花
混合ミックス :東雲挑夢・月詠夜明
女子シングルス:伴美波
男子シングルス:西野陣
「僕の相手、あのオジさん……?!」
M字ハゲの中年男は、聖を睨み付けなら不敵に力強い笑みを浮かべていた。
続く
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ママと中学生の僕
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
タイムワープ艦隊2024
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太平洋を横断する日本機動部隊。この日本があるのは、大東亜(太平洋)戦争に勝利したことである。そんな日本が勝った理由は、ある機動部隊が来たことであるらしい。人呼んで「神の機動部隊」である。
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シーフードミックス
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天使の隣
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人間の意思に反応する『フットギア』という特殊なシューズで走る新世代・駅伝SFストーリー!レース前、主人公・栗原楓は憧れの神宮寺エリカから突然声をかけられた。慌てふためく楓だったが、実は2人にはとある共通点があって……?
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学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
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