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第10話 能条蓮司
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――若槻聖の選抜試験が行われた日。
ミヤビと共に能条蓮司はコートサイドへ移動した。移動せずにはいられなかった。出来る限り近くで今まさに繰り広げられる二人のプレーを目に焼き付けたかったからだ。予定になかった選抜試験が行われることはミヤビから聞いていたが、相手が徹磨だとは知らなかった。まだ遠目でしか見ていないが、久しぶりに見る徹磨は以前にも増して強く大きくなったような気がする。
蓮司と徹磨は、寮の元ルームメイトだ。
蓮司はテニスの才能を見込まれ、中学に上がると同時に北海道から単身ATCの選手育成クラスへ所属し、寮生活に入った。その時に同室だったのが徹磨だ。既にトップアスリートに近い肉体を完成させつつあった徹磨は岩でできた巨人のようだったが、厳つい外見とは裏腹にとても面倒見がよく、13歳で親元を離れ不安を覚えていた蓮司はすぐに寮生活に馴染むことが出来た。
日々、徹磨の後ろにくっ付いて回りハイレベルな練習を共にすることで蓮司はメキメキと才能を伸ばし、中学2年で全国中学生大会を制した。家族を除けば、蓮司にとってテニスの一番の理解者は徹磨だった。
その徹磨が今、追い詰められている。
名前も顔も知らない同じ年のヤツが、あの徹磨を追い詰めている。
ベースラインから強引とも思えるようなライジングショットで次々とエースを連発し、攻撃的なテニスが持ち味の徹磨を守りに徹させている。プロデビューしてからの徹磨の試合は全て見ている蓮司だったが、ここまで一方的に徹磨を追い込んだのは世界ランク上位勢だけだ。
(何だよコイツ、意味わかんねェ……)
徹磨が追い詰められることに対する苛立ちとは別に、蓮司は興奮していた。より正確には、相手のプレーに魅せられる自分を無意識のうちに否定するせいでより一層苛立ちが積り、言葉に出来ない強い衝動が蓮司の中で大きく渦巻いているのだ。
素直に徹磨を応援したいのに、相手のプレーに対する賞賛を無意識に否定するが故、応援の言葉が出てこない。ミヤビに触発されて、怒鳴るように一言だけ振り絞れはしたが続かない。相反する気持ちが蓮司の中でぶつかる。せめぎ合う二つの感情は想いの言語化を許さず、蓮司はただ漠然と試合を見守るより他なかった。
そして試合は、相手のボールがネットに当たるコードボールで決着した。
「ガネさんに……勝った」
呟いた蓮司ですら、その事実を信じられなかった。
敗北を喫した徹磨より、蓮司はその青年から目を離せずにいるのだった。
★
「蓮司、な~んか最近ご機嫌ナナメ?」
ATC敷地内にあるカフェ『ジュ・ド・ポーム』で昼食のツナサンドを頬張りながら、ミヤビは相手の顔を伺うように言った。私なにかマズイことしたっけと思い返してみるも特に何も思い当たらない。蓮司はもとから口数の少ない方だが、ここ数日は特にムスっとしていることが多いように感じる。
「別に」
自分では素知らぬ風を装っているつもりなのだろうが、機嫌が悪いのかと問われてそんな回答をしている時点で肯定しているのは火を見るよりも明らかだ。いかにも、理由を尋ねて欲しくて仕方ないけど自分からその話を振りたくない、という構ってちゃんオーラ全開だ。ミヤビは蓮司が不機嫌な理由について大よその見当がついていたので、ズバっと口にしてみる。
「そんな嫌い~?聖くんのこと。良い子じゃん。仲良くしなよタメなんだし」
「そんなこと言ってないだろっ」
目も合わせず不貞腐れる蓮司。
案の定、蓮司がご機嫌ナナメな理由は最近新しく仲間になった若槻聖だ。
蓮司はATCのジュニアメンバーの中でも特に負けん気が強い。高校生になってから多少丸くなったが、中学で全中――中学生を対象にした全国大会――を制した頃は「自分より弱いやつとは練習しない」と周りを見下す始末で、実に近寄り難かった。
『態度は悪いが確かに実力はある』
皆、どこでそうした価値観を覚えるのかは不明だが、よほど極端な人格破綻者でも無い限りはそれを比較的自然と受け入れられるのがスポーツの世界だ。蓮司の実力はそれに見合うだけのものがあり、蓮司もそれを当然だと思っていた。思春期を迎え調子に乗っている中学生など珍しくもないし、自信に満ちた態度で振舞うのは世界で戦う事を見据えた選手達にとってある程度は必要なことでもある。口うるさく指導したところで直せるものでもないので、コーチ陣も度が過ぎないよう見守る程度に留めていた。
しかし順風満帆だった蓮司だが、怪我と身長が思うように伸びないことが重なり、ATCの最高責任者である沙粧から直々に「一度実家に帰ったらどうか」とまで言われた。一見すると蓮司の身を慮っての提案のようだが、これは事実上の最後通告と変わらない。実績を出せないようならここにいる資格無しと言われるようなものだった。
普段の態度が災いし、誰も手を差し伸べるものが居らず孤立していた蓮司を見兼ねて救いの手を差し伸べたのがミヤビだった。初めは傷ついた野生の獣みたいな態度の蓮司だったが、すぐに自分のおかれた状況を理解し、ミヤビとペアを組んで見事グレードの高い大会で優勝し、なんとかATC所属を継続できた。
それ以来、蓮司はミヤビに対して頭に上がらないし、頼れる先輩として慕っている。ミヤビはミヤビで、誰のお陰でまだこうしてここでプロ目指せてるんだなどと恩着せがましくいうつもりは更々ない。だが、こういう態度を取られるとこちらにも考えがある。というか、これはもうおちょくって下さいと言っているのと同じだとミヤビは自分に都合よく解釈した。蓮司に気付かれないようにニヨニヨしながら話を振る。
「そ~?なら良いけど。あ、話変わるけど、エフォーターズの団体戦、申込んだよ」
「はぁ?なんで?」
エフォーターズとは、いわゆる民間のテニスイベント企画団体のことだ。
元プロや現役コーチ、テニススクールが立ち上げた団体で、いわゆる草トーナメントと呼ばれる一般人のテニス愛好家向けの大会を企画・運営している。テニス協会などといったプロ組織とは全く関係の無い、アマチュア向けの組織だ。
「9月にジュニア国際あるじゃん?だけどそれまでに目ぼしい公式の団体戦は無いからさ、聖くんも増えたことだし一回やっておきたいんだよね~」
「そんなの大会前にランキング戦なり紅白戦なりすればいいだろ」
「分かってないな~。見知った相手同士じゃ計れないことがあるでしょ?聖くん、団体戦やったことないって言ってたし。新エースに場数踏んでもらおうと思って」
「新エース?アイツがシングルやるのか?!」
「ガネさん倒したんだよ~?聖くんがシングルスじゃない?」
「ふざけんなよ、あんなぽっと出がなんでいきなり!」
蓮司の顔を見ていると、以前見かけたジュニアの小学生が母親と喧嘩しているときの様子を思い出した。「なんでお母さん余計なことすんだよっ」と顔を真っ赤にして怒っている少年は、なんともまぁ実に可愛かった。今の蓮司はその子によく似ている。
内心笑いを堪えながら、ミヤビは蓮司の怒りが爆発しないラインを見極めながら続けた。
「ま、オーダーはトオルさんかスズさんが決めるでしょ。もし不服があるなら申し出てくれてもいいよ~?なんなら、一度聖くんと試合してみたら?結果次第では進言してあげる」
「望むところだね!」
フンと鼻息を荒くしながら、蓮司はハンバーガーにかぶりつく。あの野郎絶対ぶっ倒す、と顔に書いてある。どうやら、苛立ちは少し闘志に変わったようだ。さっきまでと同じような不機嫌顔に見えてそうでもない。感情をぶつける先が明確になったお陰で気合いも入ったようだ。聖には申し訳ないが、そんな蓮司の顔を見ながらミヤビは残りの昼食を美味しく頂くのだった。
★
週が明けて月曜日。
聖は高校を終えるとATCへ直行し、練習が始まるまでの間に自主トレをしていた。基礎的な練習が多かったお陰で、初日の金曜はどうにか素の状態の実力が足りていない事についてバレずに済んだ。練習の終盤に時間を見計らってほんの僅かに叡智の結晶を使い、用があるといって急いで帰宅し、失徳の業が発生する前になんとか布団に潜り込んだ。残念ながら寝る前に苦痛が襲ってきて気持ちが萎えたものの、気を失うように眠ると朝にはどうにか動けるようになっていた。
週末はATCでの練習は無かったので、誰も使っていない早朝にオートテニス――いわゆるバッティングセンターのテニス版――と壁打ちで能力を使って練習して功徳の業を稼ぐように努めた。
<涙ぐましい努力だな>
と、アドに煽られたが相手にしていられない。せっかく苦労して黒鉄徹磨に勝ち潜り込んだ選手育成クラスなのだから、練習で実力がバレて追い出されるなどという間抜けな目にだけは遭うわけにいかない。少なくとも、不自然でない言い訳が出来る程度にまで素の状態の実力を磨かなければならない。聖は、自分に出来ると思うことは一つでも多くこなしておこうと決めていた。
学校を終えて参加した夕方の練習前、聖は高3の偕鈴奈に声をかけられた。
「能条君と試合、ですか?!」
「そ~。なんかね~、みやびーがGWに団体戦出ることにしたんだって~。だからそのメンバー決めしたいとかゆってた~。別に部内戦みたいなことしなくたって勝手に決めりゃ良いのにね~?」
のほほんと他人事のようにいう鈴奈は、とても年上の先輩には見えない。
鈴奈は上下紺色のジャージを着ていて肌の露出は殆ど無いのだが、ジャージのサイズが合っていないのか、身体のラインが妙にくっきり浮き出ている。顔は中学生、下手すると小学生にも見えかねない童顔なのに、身体つきはすっかり大人の女性のそれである。それを自覚したうえで服を選んでいるあたり、彼女の計算高さが伺える。勿論、単純に気を遣わないだけの可能性もあるが。
聖は、もう来てしまったかと内心焦りを覚えた。先日は基礎練習だけだったが、練習メニューには当然試合形式のものもある。こうなると素の実力の無さが露呈してしまう恐れがあるため、出来る限り避けて通りたかった。それを懸念しアドを言わして涙ぐましい努力を僅かな期間重ねたのだ。せめてもう一週間は時間が欲しかった。
加えて、団体戦。GW中になるべく功徳の業を稼ぎたかったのに、試合参加となると色々とまずい。聖が思い描いていた計画は早速瓦解し始め、どうしたものかと頭を悩ませる。
<今のうちによぉぉぉく拝んどけよ。現役女子高生でこのボディはそう居ねェぞ>
いつになく真剣な声色でアドが何か言っているが、聖の頭にはしみ込んでこない。目の前の鈴奈の見た目もそうだが、彼女が言っている試合の件も気になるし、GWの団体戦についても無視出来ない。現状、聖の脳の処理能力ギリギリで、何に意識を向けるべきか分からずパンクしそうだ。
「聞~い~て~る~ぅ~?」
わざとらしく舌足らずな発音で小首を傾げながら見つめてくる鈴奈。さり気ない仕草で自分の腕を使いその大きな胸を寄せるので、思わず視線が引き寄せられそうになるのを辛うじて堪えた。
「は、はい。えと、いつですか?」
「今日だよ今日~。こ~れ~か~ら~」
「えぇ!?」
「なに驚いてんの~?マッチ練――試合形式の練習――なんてフツーっしょ」
<オマエのおっぱいは普通じゃねェけどな!>
「そ、そうですね、普通じゃないおっ普通です。普通です」
<コイツの戦闘力は53万だな!!>
「うん?んじゃ~、アップしたら8番コートね~。がんばり~」
<ナメック星のボールぐらいあるンじゃね?>
「わ、分かりました。あ、飲み物買ってきます」
返事をした聖は、適当な嘘をついて取りあえずその場を離れた。これ以上鈴奈と会話しながらアドの茶々を聞かされると頭がどうにかなりそうだ。さっさとリンクを切れば良いのだが、そんなことにすら頭が回らないほど聖は混乱し、何もない所で転びそうになりながら自販機へ向かった。
やや逃げる様な感じでその場を離れた聖の背を、鈴奈はじーっと見つめていた。小学校高学年あたりから発育の良くなった鈴奈は、当然のことながら好機の視線――主に男性の――に晒されて思春期を過ごしてきた。中学の頃はその視線に耐えられずひたすら地味に目立たぬような恰好をしていたが、高校生になる頃には自分の容姿の特異性を己の武器として自覚し、積極的に活用するようになった。
周囲から自分の求めていない好機の視線を日常的に浴びせられ続けた結果、鈴奈は逆に自分を見る相手が何を考えどう感じているのかを鋭く見抜く特技が備わった。その特技をもってして聖が自分に対してどういう印象を持ったか、ほぼ正確に鈴奈は把握することが出来た。そして、
「ありゃムッツリだナ」
そう結論した。
★
鈴奈に飲み物を買うと言いわけした手前、一応本当にスポーツドリンクを購入した聖は先ほどの会話のせいでやけに乾いた喉を潤してからひと心地ついた。
「参ったな、今日いきなり試合だなんて」
<いいじゃねぇか。アカレコ様の能力使ってカッコイイとこ見せてあのデカパイお持ち帰りしようぜ。オレの予想だとアイツそこそこ経験ありそうだし筆おろしにゃ最適だぜ。オマエ顔はそれなりなんだし、拝み倒せば案外イケるかもよ>
アドの下品な話に頭が痛くなってくる聖。
「あのさ、頼むから他人と喋ってるときに余計な茶々入れるのやめてくれよ。混乱するんだって」
<オマエおちょくるの楽しいンだから良いじゃねェか。減るモンじゃなし>
「僕の精神力がすり減るんだよ!いちいちリンクカットするのもなんかアレだし」
<そういうとこ優しいのなオマエ。そこに付け込んでるンだが>
「あのなぁ!」
「オイ」
アドに対してクレームを入れていると、ふと呼びかける声がした。振り向くと、上下黒のスポーツウェアに身を包んだ前髪の長い少年がこっちを見ている。件の能条蓮司がそこに居た。
「聞いてるよな。今日」
蓮司は怒っているような、暗い表情のまま無感情に言う。初めて顔を合わせた時から、どうも聖は彼に嫌われているような気配を感じていたが、彼の方もそれを隠す気は更々ないらしい。割と露骨に敵意をむき出しにして接してくる。
「あぁ、うん、8番コートって偕先輩が」
無言のまま聖を一瞥すると、小さく鼻を鳴らして蓮司は立ち去った。蓮司が立ち去るのを見届けると、ふぅと溜息を吐いて聖は言った。
「なんで嫌われてんのかな~?」
相手が明確に自分へ敵意を向けてきてはいるものの、聖の方は彼を好きでも嫌いでもなんでもないので戸惑うばかりだ。もし自分が彼の気に障るようなことをしたのであれば謝って許して欲しいし、同い年で一緒にテニスをする仲間なのだからなるべく仲良くしたいと聖は思っている。だが彼の方にその気は一切ないようで、どうにもこうにも打つ手がない。気に入らないなら気に入らないで放っておいてくれればラクなのだが、何か言いたいことでもあるのか、彼の方は何かと聖の視界に入ってくる。
<今日の試合でぶっ飛ばして序列ってモンを教えてやれよ>
「犬じゃあるまいし。それにテニスの強さと人間関係は別だろ」
<バーカ、平和ボケしてンなよ。結果が全てのプロの世界目指そうってやつがよ、強さ=偉さ って考えられねェでどーすんだ。強いやつが偉い、弱いやつはカス、そういうメンタリティでないと食い物にされるだけだぜェ?>
「やだなーそういうの。そればっかりは向いてない。性格悪いぞ、アド。口もだけど」
<スポーツ選手なんて性格悪いやつの方がつえーンだよ。常識だぜ>
「そんなことないだろ。トッププロはみんな人格者じゃないか」
<ハッハーン、オメーがトッププロの何を知ってやがンだ。人格破綻者しかいねーっつの>
「またそういう極論を……じゃあアドはプロの性格を知ってるワケ?」
<……オマエね、こちとら神の使いみてェなモンよ?知らないことなんざねーの。オラ、さっさと準備しろよ。あのナマイキ根暗コゾーを分からせに行くとしようや>
「前から思ってたけど、お前って人の名前覚える気ゼロだよね」
<今のところ覚える価値が無い人間しかいねーんだよ>
「偕先輩は?」
<ありゃおっぱいだけだ。デカパイパイセン、略してデカパイセンと呼ぶ>
「偕先輩と喋るときにそれ言ったら即リンク切るからな」
<デカイのは事実だろ?で、オマエもデカイの好きだろ?>
「はい、カット」
静かになると、聖は買ったドリンクを一気に飲み干し、ゴミ箱に投げ入れた。
諸々の問題に対して何一つ有効な手立ては思いつかないが、悩んでいても始まらない。とにかくまずは今日これから、能条蓮司との試合を乗り切るしかない。特に何かが懸かっているわけでもないし、負けた所で失うものはないはずだ。
「よし、行くか」
聖はそう開き直り、両手で軽く頬を叩いて気合を入れた。
続く
ミヤビと共に能条蓮司はコートサイドへ移動した。移動せずにはいられなかった。出来る限り近くで今まさに繰り広げられる二人のプレーを目に焼き付けたかったからだ。予定になかった選抜試験が行われることはミヤビから聞いていたが、相手が徹磨だとは知らなかった。まだ遠目でしか見ていないが、久しぶりに見る徹磨は以前にも増して強く大きくなったような気がする。
蓮司と徹磨は、寮の元ルームメイトだ。
蓮司はテニスの才能を見込まれ、中学に上がると同時に北海道から単身ATCの選手育成クラスへ所属し、寮生活に入った。その時に同室だったのが徹磨だ。既にトップアスリートに近い肉体を完成させつつあった徹磨は岩でできた巨人のようだったが、厳つい外見とは裏腹にとても面倒見がよく、13歳で親元を離れ不安を覚えていた蓮司はすぐに寮生活に馴染むことが出来た。
日々、徹磨の後ろにくっ付いて回りハイレベルな練習を共にすることで蓮司はメキメキと才能を伸ばし、中学2年で全国中学生大会を制した。家族を除けば、蓮司にとってテニスの一番の理解者は徹磨だった。
その徹磨が今、追い詰められている。
名前も顔も知らない同じ年のヤツが、あの徹磨を追い詰めている。
ベースラインから強引とも思えるようなライジングショットで次々とエースを連発し、攻撃的なテニスが持ち味の徹磨を守りに徹させている。プロデビューしてからの徹磨の試合は全て見ている蓮司だったが、ここまで一方的に徹磨を追い込んだのは世界ランク上位勢だけだ。
(何だよコイツ、意味わかんねェ……)
徹磨が追い詰められることに対する苛立ちとは別に、蓮司は興奮していた。より正確には、相手のプレーに魅せられる自分を無意識のうちに否定するせいでより一層苛立ちが積り、言葉に出来ない強い衝動が蓮司の中で大きく渦巻いているのだ。
素直に徹磨を応援したいのに、相手のプレーに対する賞賛を無意識に否定するが故、応援の言葉が出てこない。ミヤビに触発されて、怒鳴るように一言だけ振り絞れはしたが続かない。相反する気持ちが蓮司の中でぶつかる。せめぎ合う二つの感情は想いの言語化を許さず、蓮司はただ漠然と試合を見守るより他なかった。
そして試合は、相手のボールがネットに当たるコードボールで決着した。
「ガネさんに……勝った」
呟いた蓮司ですら、その事実を信じられなかった。
敗北を喫した徹磨より、蓮司はその青年から目を離せずにいるのだった。
★
「蓮司、な~んか最近ご機嫌ナナメ?」
ATC敷地内にあるカフェ『ジュ・ド・ポーム』で昼食のツナサンドを頬張りながら、ミヤビは相手の顔を伺うように言った。私なにかマズイことしたっけと思い返してみるも特に何も思い当たらない。蓮司はもとから口数の少ない方だが、ここ数日は特にムスっとしていることが多いように感じる。
「別に」
自分では素知らぬ風を装っているつもりなのだろうが、機嫌が悪いのかと問われてそんな回答をしている時点で肯定しているのは火を見るよりも明らかだ。いかにも、理由を尋ねて欲しくて仕方ないけど自分からその話を振りたくない、という構ってちゃんオーラ全開だ。ミヤビは蓮司が不機嫌な理由について大よその見当がついていたので、ズバっと口にしてみる。
「そんな嫌い~?聖くんのこと。良い子じゃん。仲良くしなよタメなんだし」
「そんなこと言ってないだろっ」
目も合わせず不貞腐れる蓮司。
案の定、蓮司がご機嫌ナナメな理由は最近新しく仲間になった若槻聖だ。
蓮司はATCのジュニアメンバーの中でも特に負けん気が強い。高校生になってから多少丸くなったが、中学で全中――中学生を対象にした全国大会――を制した頃は「自分より弱いやつとは練習しない」と周りを見下す始末で、実に近寄り難かった。
『態度は悪いが確かに実力はある』
皆、どこでそうした価値観を覚えるのかは不明だが、よほど極端な人格破綻者でも無い限りはそれを比較的自然と受け入れられるのがスポーツの世界だ。蓮司の実力はそれに見合うだけのものがあり、蓮司もそれを当然だと思っていた。思春期を迎え調子に乗っている中学生など珍しくもないし、自信に満ちた態度で振舞うのは世界で戦う事を見据えた選手達にとってある程度は必要なことでもある。口うるさく指導したところで直せるものでもないので、コーチ陣も度が過ぎないよう見守る程度に留めていた。
しかし順風満帆だった蓮司だが、怪我と身長が思うように伸びないことが重なり、ATCの最高責任者である沙粧から直々に「一度実家に帰ったらどうか」とまで言われた。一見すると蓮司の身を慮っての提案のようだが、これは事実上の最後通告と変わらない。実績を出せないようならここにいる資格無しと言われるようなものだった。
普段の態度が災いし、誰も手を差し伸べるものが居らず孤立していた蓮司を見兼ねて救いの手を差し伸べたのがミヤビだった。初めは傷ついた野生の獣みたいな態度の蓮司だったが、すぐに自分のおかれた状況を理解し、ミヤビとペアを組んで見事グレードの高い大会で優勝し、なんとかATC所属を継続できた。
それ以来、蓮司はミヤビに対して頭に上がらないし、頼れる先輩として慕っている。ミヤビはミヤビで、誰のお陰でまだこうしてここでプロ目指せてるんだなどと恩着せがましくいうつもりは更々ない。だが、こういう態度を取られるとこちらにも考えがある。というか、これはもうおちょくって下さいと言っているのと同じだとミヤビは自分に都合よく解釈した。蓮司に気付かれないようにニヨニヨしながら話を振る。
「そ~?なら良いけど。あ、話変わるけど、エフォーターズの団体戦、申込んだよ」
「はぁ?なんで?」
エフォーターズとは、いわゆる民間のテニスイベント企画団体のことだ。
元プロや現役コーチ、テニススクールが立ち上げた団体で、いわゆる草トーナメントと呼ばれる一般人のテニス愛好家向けの大会を企画・運営している。テニス協会などといったプロ組織とは全く関係の無い、アマチュア向けの組織だ。
「9月にジュニア国際あるじゃん?だけどそれまでに目ぼしい公式の団体戦は無いからさ、聖くんも増えたことだし一回やっておきたいんだよね~」
「そんなの大会前にランキング戦なり紅白戦なりすればいいだろ」
「分かってないな~。見知った相手同士じゃ計れないことがあるでしょ?聖くん、団体戦やったことないって言ってたし。新エースに場数踏んでもらおうと思って」
「新エース?アイツがシングルやるのか?!」
「ガネさん倒したんだよ~?聖くんがシングルスじゃない?」
「ふざけんなよ、あんなぽっと出がなんでいきなり!」
蓮司の顔を見ていると、以前見かけたジュニアの小学生が母親と喧嘩しているときの様子を思い出した。「なんでお母さん余計なことすんだよっ」と顔を真っ赤にして怒っている少年は、なんともまぁ実に可愛かった。今の蓮司はその子によく似ている。
内心笑いを堪えながら、ミヤビは蓮司の怒りが爆発しないラインを見極めながら続けた。
「ま、オーダーはトオルさんかスズさんが決めるでしょ。もし不服があるなら申し出てくれてもいいよ~?なんなら、一度聖くんと試合してみたら?結果次第では進言してあげる」
「望むところだね!」
フンと鼻息を荒くしながら、蓮司はハンバーガーにかぶりつく。あの野郎絶対ぶっ倒す、と顔に書いてある。どうやら、苛立ちは少し闘志に変わったようだ。さっきまでと同じような不機嫌顔に見えてそうでもない。感情をぶつける先が明確になったお陰で気合いも入ったようだ。聖には申し訳ないが、そんな蓮司の顔を見ながらミヤビは残りの昼食を美味しく頂くのだった。
★
週が明けて月曜日。
聖は高校を終えるとATCへ直行し、練習が始まるまでの間に自主トレをしていた。基礎的な練習が多かったお陰で、初日の金曜はどうにか素の状態の実力が足りていない事についてバレずに済んだ。練習の終盤に時間を見計らってほんの僅かに叡智の結晶を使い、用があるといって急いで帰宅し、失徳の業が発生する前になんとか布団に潜り込んだ。残念ながら寝る前に苦痛が襲ってきて気持ちが萎えたものの、気を失うように眠ると朝にはどうにか動けるようになっていた。
週末はATCでの練習は無かったので、誰も使っていない早朝にオートテニス――いわゆるバッティングセンターのテニス版――と壁打ちで能力を使って練習して功徳の業を稼ぐように努めた。
<涙ぐましい努力だな>
と、アドに煽られたが相手にしていられない。せっかく苦労して黒鉄徹磨に勝ち潜り込んだ選手育成クラスなのだから、練習で実力がバレて追い出されるなどという間抜けな目にだけは遭うわけにいかない。少なくとも、不自然でない言い訳が出来る程度にまで素の状態の実力を磨かなければならない。聖は、自分に出来ると思うことは一つでも多くこなしておこうと決めていた。
学校を終えて参加した夕方の練習前、聖は高3の偕鈴奈に声をかけられた。
「能条君と試合、ですか?!」
「そ~。なんかね~、みやびーがGWに団体戦出ることにしたんだって~。だからそのメンバー決めしたいとかゆってた~。別に部内戦みたいなことしなくたって勝手に決めりゃ良いのにね~?」
のほほんと他人事のようにいう鈴奈は、とても年上の先輩には見えない。
鈴奈は上下紺色のジャージを着ていて肌の露出は殆ど無いのだが、ジャージのサイズが合っていないのか、身体のラインが妙にくっきり浮き出ている。顔は中学生、下手すると小学生にも見えかねない童顔なのに、身体つきはすっかり大人の女性のそれである。それを自覚したうえで服を選んでいるあたり、彼女の計算高さが伺える。勿論、単純に気を遣わないだけの可能性もあるが。
聖は、もう来てしまったかと内心焦りを覚えた。先日は基礎練習だけだったが、練習メニューには当然試合形式のものもある。こうなると素の実力の無さが露呈してしまう恐れがあるため、出来る限り避けて通りたかった。それを懸念しアドを言わして涙ぐましい努力を僅かな期間重ねたのだ。せめてもう一週間は時間が欲しかった。
加えて、団体戦。GW中になるべく功徳の業を稼ぎたかったのに、試合参加となると色々とまずい。聖が思い描いていた計画は早速瓦解し始め、どうしたものかと頭を悩ませる。
<今のうちによぉぉぉく拝んどけよ。現役女子高生でこのボディはそう居ねェぞ>
いつになく真剣な声色でアドが何か言っているが、聖の頭にはしみ込んでこない。目の前の鈴奈の見た目もそうだが、彼女が言っている試合の件も気になるし、GWの団体戦についても無視出来ない。現状、聖の脳の処理能力ギリギリで、何に意識を向けるべきか分からずパンクしそうだ。
「聞~い~て~る~ぅ~?」
わざとらしく舌足らずな発音で小首を傾げながら見つめてくる鈴奈。さり気ない仕草で自分の腕を使いその大きな胸を寄せるので、思わず視線が引き寄せられそうになるのを辛うじて堪えた。
「は、はい。えと、いつですか?」
「今日だよ今日~。こ~れ~か~ら~」
「えぇ!?」
「なに驚いてんの~?マッチ練――試合形式の練習――なんてフツーっしょ」
<オマエのおっぱいは普通じゃねェけどな!>
「そ、そうですね、普通じゃないおっ普通です。普通です」
<コイツの戦闘力は53万だな!!>
「うん?んじゃ~、アップしたら8番コートね~。がんばり~」
<ナメック星のボールぐらいあるンじゃね?>
「わ、分かりました。あ、飲み物買ってきます」
返事をした聖は、適当な嘘をついて取りあえずその場を離れた。これ以上鈴奈と会話しながらアドの茶々を聞かされると頭がどうにかなりそうだ。さっさとリンクを切れば良いのだが、そんなことにすら頭が回らないほど聖は混乱し、何もない所で転びそうになりながら自販機へ向かった。
やや逃げる様な感じでその場を離れた聖の背を、鈴奈はじーっと見つめていた。小学校高学年あたりから発育の良くなった鈴奈は、当然のことながら好機の視線――主に男性の――に晒されて思春期を過ごしてきた。中学の頃はその視線に耐えられずひたすら地味に目立たぬような恰好をしていたが、高校生になる頃には自分の容姿の特異性を己の武器として自覚し、積極的に活用するようになった。
周囲から自分の求めていない好機の視線を日常的に浴びせられ続けた結果、鈴奈は逆に自分を見る相手が何を考えどう感じているのかを鋭く見抜く特技が備わった。その特技をもってして聖が自分に対してどういう印象を持ったか、ほぼ正確に鈴奈は把握することが出来た。そして、
「ありゃムッツリだナ」
そう結論した。
★
鈴奈に飲み物を買うと言いわけした手前、一応本当にスポーツドリンクを購入した聖は先ほどの会話のせいでやけに乾いた喉を潤してからひと心地ついた。
「参ったな、今日いきなり試合だなんて」
<いいじゃねぇか。アカレコ様の能力使ってカッコイイとこ見せてあのデカパイお持ち帰りしようぜ。オレの予想だとアイツそこそこ経験ありそうだし筆おろしにゃ最適だぜ。オマエ顔はそれなりなんだし、拝み倒せば案外イケるかもよ>
アドの下品な話に頭が痛くなってくる聖。
「あのさ、頼むから他人と喋ってるときに余計な茶々入れるのやめてくれよ。混乱するんだって」
<オマエおちょくるの楽しいンだから良いじゃねェか。減るモンじゃなし>
「僕の精神力がすり減るんだよ!いちいちリンクカットするのもなんかアレだし」
<そういうとこ優しいのなオマエ。そこに付け込んでるンだが>
「あのなぁ!」
「オイ」
アドに対してクレームを入れていると、ふと呼びかける声がした。振り向くと、上下黒のスポーツウェアに身を包んだ前髪の長い少年がこっちを見ている。件の能条蓮司がそこに居た。
「聞いてるよな。今日」
蓮司は怒っているような、暗い表情のまま無感情に言う。初めて顔を合わせた時から、どうも聖は彼に嫌われているような気配を感じていたが、彼の方もそれを隠す気は更々ないらしい。割と露骨に敵意をむき出しにして接してくる。
「あぁ、うん、8番コートって偕先輩が」
無言のまま聖を一瞥すると、小さく鼻を鳴らして蓮司は立ち去った。蓮司が立ち去るのを見届けると、ふぅと溜息を吐いて聖は言った。
「なんで嫌われてんのかな~?」
相手が明確に自分へ敵意を向けてきてはいるものの、聖の方は彼を好きでも嫌いでもなんでもないので戸惑うばかりだ。もし自分が彼の気に障るようなことをしたのであれば謝って許して欲しいし、同い年で一緒にテニスをする仲間なのだからなるべく仲良くしたいと聖は思っている。だが彼の方にその気は一切ないようで、どうにもこうにも打つ手がない。気に入らないなら気に入らないで放っておいてくれればラクなのだが、何か言いたいことでもあるのか、彼の方は何かと聖の視界に入ってくる。
<今日の試合でぶっ飛ばして序列ってモンを教えてやれよ>
「犬じゃあるまいし。それにテニスの強さと人間関係は別だろ」
<バーカ、平和ボケしてンなよ。結果が全てのプロの世界目指そうってやつがよ、強さ=偉さ って考えられねェでどーすんだ。強いやつが偉い、弱いやつはカス、そういうメンタリティでないと食い物にされるだけだぜェ?>
「やだなーそういうの。そればっかりは向いてない。性格悪いぞ、アド。口もだけど」
<スポーツ選手なんて性格悪いやつの方がつえーンだよ。常識だぜ>
「そんなことないだろ。トッププロはみんな人格者じゃないか」
<ハッハーン、オメーがトッププロの何を知ってやがンだ。人格破綻者しかいねーっつの>
「またそういう極論を……じゃあアドはプロの性格を知ってるワケ?」
<……オマエね、こちとら神の使いみてェなモンよ?知らないことなんざねーの。オラ、さっさと準備しろよ。あのナマイキ根暗コゾーを分からせに行くとしようや>
「前から思ってたけど、お前って人の名前覚える気ゼロだよね」
<今のところ覚える価値が無い人間しかいねーんだよ>
「偕先輩は?」
<ありゃおっぱいだけだ。デカパイパイセン、略してデカパイセンと呼ぶ>
「偕先輩と喋るときにそれ言ったら即リンク切るからな」
<デカイのは事実だろ?で、オマエもデカイの好きだろ?>
「はい、カット」
静かになると、聖は買ったドリンクを一気に飲み干し、ゴミ箱に投げ入れた。
諸々の問題に対して何一つ有効な手立ては思いつかないが、悩んでいても始まらない。とにかくまずは今日これから、能条蓮司との試合を乗り切るしかない。特に何かが懸かっているわけでもないし、負けた所で失うものはないはずだ。
「よし、行くか」
聖はそう開き直り、両手で軽く頬を叩いて気合を入れた。
続く
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