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1-8 Black Box

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 翌朝、澪は担任に遅刻宣言を出した。NR線が1時間前から運転見合わせになっているからだ。首都圏のNR線は本数が多い上に複数の路線が入り乱れ、影響が広範囲に及びがちだ。そして朝のラッシュ時間帯に起きたことで、SNSでは怒りの声が集中していた。
「澪、お前に話が有る」
と父は言い、娘をリビングに座らせると話を切り出す。
「……お前、EXCとか云うゲームにハマっているらしいな」
「それが何?」
と問う澪に、常願は言った。
「……今朝線路に飛び込んだのは、その界隈ではスタークと呼ばれていた男だ」
「……え……?」
と無意識に声を上げた澪は目を見開く。
 「名前、聞いたことが有るか?」
「……有ると云うか、顔も知ってる……」
と答え、澪は経緯を簡単に話す。そして、悠陽と学校の最寄り駅が同じである話も。
 「まさか、悠陽さんを疑ってるの?」
「事故の線が消えれば、一度は疑う。それが刑事だ。仮にお前だろうと、例外は無い」
「それは知ってるけど」
「ゲームが原因で自殺だとすれば、世も末だ」
と常願は言った。
 2日連続でキルされたことがきっかけで自殺とは、澪には想像が付かない。EXCとは無関係の原因が有る……澪はそう思いながら、スマートフォンに目を向ける。
「スタークが死んだらしいわ」
と打った恋人へのメッセージに
「え?」
と返事が届くのは数分後のことだった。流雫がペンションのモーニングの手伝いを終えたタイミングだ。猫柄のエプロンを外した流雫は、澪からのメッセージに軽く困惑する。
「父が言ってたの。今朝NR線に飛び込んだと。あたしも影響を受けてるけど」
と打ちながら澪は、何が悲しくて朝から重い話題をしなければならないのか、と軽く憂鬱になる。しかし、気にならないワケがない。
 初対面が不穏だったし、昨日もそうだった。だが、あの一件から半日も経っていない。その間にスタークに何が有ったのか。
 「列車が動くまで家にいるといい。その代わり、捜査に協力しろ」
と父は言った。それが本音か、と澪は思った。

 土曜に悠陽が近寄ってきた時からのことを、父に淡々と話す澪。当然、謎のアバターにも触れる。
 池袋の銃撃犯は、単にコミューン内での人間関係の縺れから事件を引き起こしたものだ。
 一方、澪と詩応が最初に戦ったアバターはRMTが原因で粛清されたものだった。リアルマネートレードの略で、ゲーム内の取引で現実世界の金銭の遣り取りを交わすことを指す。最近はデジタルギフトカードやモバイルペイメントアプリ、はたまた仮想通貨での送金が主流だが、MMOでは禁止されていることが多い。
 そして線路への飛び込み。スタークと名乗っていた男は、元エクシスの契約プログラマ。EXCは不正行為取締システムに関わっていた。そのリリースと同時に契約が切れ、以降はフリーランスとして生計を立てていた。
 ……少なからず内部を知る者。だから流雫や澪にEXCやAIへの批判をぶちまける一方、チートのワードに過剰反応を示した。今となっては納得できる。
 それだけに、あのタイミングでのエネミー襲撃は、EXCにとっては秀逸だった。そして、飛び込みは結果的に口封じになった。これで1人、EXCを批判してくる要注意人物はいなくなったからだ。
 スターク性善説なら、その死は噛み合う。一方で悠陽に迫ったのは、単に強さを履き違えた末の過ちでしかない。それは澪の、複雑な問題であってほしくないと云う我が侭な願いだった。尤も、それが叶うとは微塵も思っていないが。
 澪は、父の目の前でEXCのアプリからSNSを開く。スタークの死については誰も何も触れていなかった。ゲームを起動しなければ見えない専用SNSは、平日の午前中だから流れが遅いのは当然ではある。とは云え、1件は投稿されていても不思議ではないのだが。
 一方、一般的なSNSでは悼みと死を喜ぶ投稿が数十件ずつ見られる。確かに評判がよいプレイヤーだったとは思えないが、死を喜ぶのは人として問題が有ると思わざるを得ない。
 同時に溜め息をつく親子に、母の美雪がコーヒーを淹れた。
「ネットゲームの世界も、結局はアバターを通じて人間同士が行き交うもの。それぐらい、判ってるハズなのにね」
と言った美雪に
「判ってても麻痺する……それが怖さね……」
と澪は言った。そう陥らないように、と自戒を刻み付けるように。

 澪は2時間遅れて登校し、後は普段通り授業を受け、放課後を迎えた。スマートフォンのカメラで記録した彩花のノートを家で書き写す以外、今日はすべきことが無い。
 同級生2人との会話にも、EXCの話題は出てきた。結奈と彩花はサイバー衣装で戦いながら、百合の花を咲き乱れさせている。そしてどうせだから、一度だけでも流雫と澪のカップルも入れた4人で戦ってみたいと思っている。
 澪もそれは面白いと思っている。ただ今は、やはり引っ掛かることが多過ぎて、そのうちとしか言えなかった。
 ……平和じゃないのに、2人とは遊んで楽しめない。澪がそう思っていることに、向かい側に並ぶ2人は薄々気付いていた。しかし何も言わないことにした。2人のためにと隠したがるのは、知り合った時からの澪の悪い癖だ。
 駅で2人と別れたボブカットの少女を
「澪」
と呼ぶロングヘアの少女。悠陽だ。
「……知ってる?スタークのこと」
と問う悠陽に、澪は
「朝のニュースで」
と答える。何もかも父に話したことは、今は黙っていよう……と決めた澪に、悠陽は言う。
「自殺なんて有り得ない。殺されたんだわ……」
「どうしてそう……」
「本物の顔が見えないMMOこそ、本性が出るの。スタークは、謂わばイキりキャラ。つまりリアルでも似たような性格。それが突然自殺したと言われても、どう信じろと云うの?」
と悠陽は言う。
 「確かに、ここ最近のEXCには疑問を感じてる。エネミーのパワーバランスが崩れ、それでキルされたアバターが復活するなんて、今までは起きなかったから」
「スタークは、それに関する情報を何か掴んでいた……?」
「サスペンスみたいね」
そう言った悠陽は、数秒の間を置いて続けた。
「EXC初心者ながら、チートエネミーを紅きシスターと仕留めた碧きシスター、ミスティ。……澪、何者なの?」
「折角生成したアバターをロストしない、そのために必死になってるだけですよ……」
と澪は答える。正しくは自分と詩応、そして流雫の。尤も彼は、昨日の一件を経ても使い捨て感覚なのだろうが。
 悠陽と話すべきはそれじゃない。澪は言った。
 「……処刑した時点で、エネミーの役目は終わった。だから、その周囲にいるユーザーのレベルに合わせて、始末できるようにしたのでは……。リワードは入りませんでしたけど」
 エネミーの自爆で相討ちとなったルーンは別として、ミスティとフレアは2回、このテのエネミーに勝った。しかし通貨やアイテムと云ったリワードも経験値も全く入らず、ただ戦績に2キルと表示されているだけだ。最弱の最強戦士、それが画面上で確認できる限りの、今の2体のシスターだった。
 ……居合わせたユーザーに後始末させることで、その正体を少しだけ隠すことができる。特に昨夜は、スタークに接近したから狙われた可能性は高いが、同時にスタークのキルでさえワンサイドゲームだったのに、初心者の自分が倒せたのも不思議だった。それが、澪がこの読みに辿り着いた理由だった。
「……これ以上、面倒なことにならないといいな……」
と呟く澪。平和であってほしい。愛する人たちと仲よく遊びたい。願うのはそれだけだ。
 ……フリーライダーの初心者が、最初からこう云う厄介な騒動に遭遇している。悠陽にとって、それが気懸かりだった。
 フリーライダーと呼ばれる無課金プレイヤーがEXCでよく思われないのは、課金をコンテンツの継続的な運用のための寄付と位置付け、それに積極的じゃないと思われるからだ。そしてそれとは別に、無課金だからこそ手軽にゲームを止められると云うユーザー離れへの懸念も大きい。
 自分もフリーライダーだが、それでもヘビーユーザーだと思っている悠陽は、始めたばかりの澪に去られることを怖れていた。今後もリアルで会うことはできるが、EXCが唯一の接点である以上、EXCの世界に繋ぎ止めたい……。

 「オーバーフィッティング?」
と、トリコロールのヘルメットを被りながら、スピーカーから聞こえる声をリピートする流雫。愛車のロードバイクに跨がろうとしたタイミングで、スマートフォンが鳴ったのだ。
「エクシスがそうコメントを出してる」
と、PCの画面を見ながらアルスは言った。
 日本で起きている騒動は、欧州でも少なからず話題になっている。それについての見解が、公式サイトに載っていたのだ。
 「AIが過剰に学習を繰り返した結果、今までズレとして拾わなかったデータまで、突然拾うようになる。それが過学習……オーバーフィッティングだ。その結果、想定外のデータが出力される」
「つまり、パワーバランス異常のエネミー生成もその結果だと?」
「ああ。オペレータとアドミニストレータ、2つのAIが特定の条件下でオーバーフィッティングを起こした結果、予期せぬエネミーが生成され、ユーザーを襲うようになった」
「何故かは知らないけど特定の、問題児とされるユーザーだけを、何故かピンポイントで狙っている。何故かは知らないけど。……表向きは」
と、フランス語を交わす2人。何故か、その言葉が免罪符のように思える。全ては未知の問題として誤魔化せるからだ。
「そうだ。エクシスは今日になって漸く事態を知った。AIの挙動は予測不可能で、こう云う事態も起き得るが、絶対にキルできないエネミーでもない。これもAIが提供するコンテンツの醍醐味として、楽しんでほしい。そう書かれてある」
とアルスは言いながら、学校の準備を進める。
 「……昨日のように、僕が囮になるなら倒せるけどね。その度にロストするのは、ミオも辛いだろうけど」
と流雫は言う。感情移入しやすい澪のことだから、あの後詩応に慰められていただろう。それでも、他に戦い方が無いのだ。
「ミオがロストしなければいい、そう云う問題でもないのは判ってるけどね」
「ロストしても死なないが、無尽蔵にロストしていいワケでもないからな」
「……ミオのためにはね」
と流雫は言い、ペダルに足を掛ける。最後にアルスは言った。
「ルナ。AIはブラックボックスだ。だが、人間に勝るブラックボックスは無い。信者と呼ばれる者には気を付けろ」

 日本のサイトでも、既にコメントは出ているだろう。無条件に受け入れろ、と遠回しに言われているように思える。だが、当然納得できるユーザーばかりでない。流雫もその1人だ。
 AIによるEXCの浄化作用。その裏に隠されているのは、アルスが読むようにAIと云う新たな神の降臨か。全てはMMOの世界に留まる話でしかないハズだが、その枠を突き破る事態が起きる可能性も有る。
 人間はブラックボックス、アルスはそう言った。感情が介入する時点で、機械以上に予測不能なものになるからだ。
 知的好奇心旺盛なフランス人の言葉は、時折流雫を突き刺し、護る。自身への戒めとして捉え、気を付けていれば、その罠に陥ることは無いからだ。
 その言葉を脳に焼き付け、流雫はロードバイクを走らせる。
 交差点の信号が変わると、流雫は一度歩道に乗り上げて止まる。澪からの着信だったからだ。通話時間のカウントが始まると同時に、怒りや混乱と戦いつつも、冷静さを失わない少女の声が耳に響く。
「悠陽さんが……襲われた……!!」
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