31 / 57
act3
3-4 Uninvited French
しおりを挟む
刑事の娘の言葉に、2人の男子高生は言葉を失う。……伊万里なら、十分やりかねない。しかし、それは2人の日本人の心臓に、残酷な現実を突き付けようとしている。彼女の言葉を通訳する少年にとっては、特にそうだ。
「……旭鷲教会に隠された旭鷲会の実態がバレては不都合。だから、旭鷲会の信条と相反する連中を全て排除して情報統制をしたい。その全てが、銃社会化の真実のためだとするなら……」
そう言いながら澪は、軽く戦慄する。自分でも言っていて怖くなるようなことに、触れようとしているからだ。
「Truth.(真実ね……)」
と、流雫の同時通訳の声に被せたアルスは問う。
「After Luna told me about this, I did some research myself. There are too many puzzling aspects to Japan's transition to a gun society. The fact that there were only a few days between the passage of the law and its enforcement, the fact that a large number of guns started circulating on the first day, and the fact that a series of systems, including the acquisition of qualification to carry guns, started working.(……ルナから話を聞いて、俺も少し調べてみた。……日本の銃社会化には、不可解な点が多過ぎる。法改正の成立から施行まで数日しか無かったこと、その初日から大量の銃が流通し始め、そして所持資格の取得も含めた一連のシステムが動き始めたこと)」
「Luna, you know what I'm saying?(……ルナ、何を言いたいか判るか?)」
その声に答える前に、流雫は澪に
「今からはフランス語。翻訳アプリで追って」
と言った。日本語と英語で話すには、あまりにもナーバス過ぎる。周囲に聞かれるとマズい。恋人がマイクボタンを押したのを見て、流雫は
「En secret, et ce même en tant que top secret, un système de socialisation aux armes à feu était mis en place. Dès que le programme de modification de la loi sur les armes à feu était soumis, il était prêt à entrer en vigueur dès que le feu vert était donné.(水面下で、それもトップシークレットとして、銃社会化のシステムが構築されていた。銃刀法改正の議題が提出された時点で、ゴーサインさえ出ればすぐにでも施行できる状態だった……)」
と、答えを切り出す。
「Ce qui n'a pas été calculé, c'est la présence de l'opposition ? En France aussi, l'impasse parlementaire a fait la une des journaux tous les jours.(計算外だったのは、反対派の存在か?国会の紛糾は、フランスでも連日ニュースだったからな)」
「Cependant, il était impératif qu'elle soit adoptée, même si c'était avec force. Ils ont donc fait pression et l'ont fait passer.(しかし、強引にでも成立させることが必須だった。だから押し切って、成立にこぎつけた)」
2人の遣り取りが日本語の文章として、画面に流れる。澪は片っ端から保存ボタンを押していく。
「Luna, vous avez commencé à porter une arme un mois après l'attaque de Tokyo, non ?(……ルナ、お前……トーキョーアタックの1ヶ月後に銃を持ち始めたよな?)」
アルスの問いに
「Oui. C'était le début du débat sur les armes à feu. Quoi ?(うん。あれがきっかけで銃の議論……、……え……?)」
と言葉を切った流雫は固まる。アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳は微動を繰り返すが、半ば焦点を失っているようにも見える。
「Luna?(ルナ?)」
「流雫?」
両サイドの2人が同時に、その顔を覗く。
……もうこの際、他の推理は全て当たっていて構わない。ただ、これだけは外れてほしい。それだけは叶えてほしい……。
流雫は意を決したように、声を絞り出した。宛ら、自分自身への処刑宣告だった。
「L'attentat de Tokyo a été causé par la socialisation des armes à feu.(トーキョーアタックは……銃社会化のために引き起こされた……)」
画面に流れる恋人の言葉は、澪の脳に特大の雷を落とした。
「っ……!!」
澪は思わず、流雫の手を強く握る。……その手は、震えていた。
……台風に見舞われた空港で、流雫は伊万里に向かって叫んだ。
「何故トーキョーアタックを起こした?お前の私利私欲のために引き起こしたのか!!」
……その通りだった。しかし、それは難民排斥の機運のためだと思っていた。それはそれで間違っていない。そして、トーキョーアタックとそれに関連したトーキョーゲートは解決したハズだった。
だが、旭鷲会と伊万里の接点を軸にすると、途端に銃社会化のためのテロと云う側面も浮かび上がる。
……2022年に入り、外国人による犯罪が急増、且つ凶悪化した。政府は、インバウンド復活の副産物だと説明していたが、同時に物理的な自衛策が喫緊の課題となっていた。一部SNSでは、究極の自衛策として銃の所持も辞さないと云う意見も少なからず有ったが、それは日に日に強くなる。
何時しか、銃の所持に賛同しない者は非国民だとして叩かれるようになった。SNS上での話でしかないのだが、その声が強まる一方だった。そして……あの惨劇が起きた。
……誤解を招く言い方をすれば、トーキョーアタックは銃社会実現のための、最後の引き金として引き起こされた……。
「トーキョーアタックは……終わってない……」
日本語で呟く流雫の声は、震えていた。……かつての恋人を殺した惨劇が、終わったと思っていた惨劇が終わっていなかった。トーキョーアタックが終わっていないなら、トーキョーゲートすら終わっていない。
「……流雫……っ……」
澪は、最愛の少年の名を呼ぶことが精一杯だった。
流雫と一緒に戦って、トーキョーゲートの真相を追ってきた。年末の、捜査終結の会見を見た流雫が
「これで誰もが報われる……救われると思いたい」
と送ってきたメッセージ。そのままだと遡るのが大変だから、スクリーンショットで保存してあるが、その誰もがが誰のことを指しているのか、澪には判っていた。
……ただ、今の話が真実なら、未だ誰も救われていない。その現実を、流雫は嘆いていた。
「Luna?(……ルナ?)」
と名を呼ぶアルスは、レンヌで知り合った日本人が何を思っているのか判らない。澪は
「Wait a moment.(……少しだけ、待っててください……)」
と短い英語で言い、流雫の腰に手を回した。
唇を噛む恋人が、頬を濡らすのが判る。澪は悲しげな表情で、その苦しみを癒やそうと抱き寄せた。
「澪……」
最愛の少女の名前を呼ぶことしかできない流雫を、何も言わず慰めようとする澪。アルスは、その様子をただ見つめていた。
……自分には何も言えない。目の前の日本人2人だけが触れられること。そして、ルナにとっての女神……ミオの献身は、だからこそシルバーヘアの少年が何よりも大切にしたい、護りたいと思えるのだ、と。
どんな不都合でも、受け入れる覚悟はできていたハズだった。しかし、これが真実だとすれば……受け入れるには残酷過ぎる。ただ、今度こそ外れている……とは思えなかった。
……しかし、その重い真実に、屈するワケにはいかない。僕には、澪がついてる。だから、立ち上がれる。
数分経って、流雫は
「……サンキュ……澪……」
とだけ囁く。そして、瞳を濡らしたままアルスを見つめ、
「Je pense que vous avez raison sur toute la ligne.(……全て、当たってると思う……)」
と言った。それ以外に、違和感無く全てをつなげられる理由が、流雫には見つけられない。
「L'OFA, qui pouvait utiliser les réfugiés comme des pions, est devenu le bras opérationnel, travaillant pour les objectifs de l'OFA, du parti Kyokushukai et d'Imari. Et maintenant tout le monde peut avoir une arme.(……難民を捨て駒として使えるOFAがオペレーション部門となって、OFAと旭鷲会……そして伊万里の目的のために動いた。そして、誰もが銃を持てるようになった)」
その流雫の言葉を画面で追いながら
「But.(でも)」
と澪は口を挟む。
「Why did they need to make the country a gun society?(……どうして、銃社会化する必要が有ったの……?)」
「Le résultat final sera les concessions.(……行き着くところは、利権だろう)」
と、通訳した流雫に向かってアルスは返した。
「Le gouvernement tente de créer une société des armes et de monopoliser les droits et les intérêts de l'industrie des armes pour en faire une réalité. L'augmentation de la criminalité étrangère est également conçue pour atteindre cet objectif. Même si c'était le cas, il serait difficile de les chasser du Japon maintenant, n'est-ce pas ?(銃と云う産業を成立させるために銃社会化させ、その権益を独占する。……外国人犯罪の急増も、そのために仕組まれたもの。……そうだとしても、今の日本じゃ一蹴できないだろ?」
その言葉に、流雫は頷く。……何が起きても不思議じゃない、それが今の日本の現実だ。2年前は、何も知らず生きていられたのに。
「Quant à l'industrie des armes à feu, certains se moquent d'elle parce qu'elle a provoqué l'attaque de Tokyo, qu'elle a fait de cette ville une société d'armes à feu et qu'elle s'en est mis plein les poches.(……銃産業のために、トーキョーアタックを起こして銃社会化、それで懐を膨らませて嗤っている連中……)」
「旭鷲会の思想に染まった議員にとって、その真実は何よりもトップシークレット。バレれば自分の政治家生命どころか、自身の命そのものも終わるほどの……」
日本人高校生2人は、呟くように続けた。そして流雫が
「Ils veulent donc le cacher, même en contrôlant l'information.(だから、情報統制をしてまで隠したい……)」
と言うと、アルスは
「Il n'y a sûrement pas d'autre raison d'aller aussi loin.(確かに、それ以外にここまでやる理由が無いな……)」
と答える。それと同時に澪は
「……一度、父に話してみる?」
と、流雫に問う。彼は頷き、
「……そうしないと、僕たちじゃどうしようも……」
と答えた。
……開けようとしたブラックボックスは、パンドラの箱じゃない。希望が残っているとは思わない。だから、希望を探して掴むしかない。
臨海署は目と鼻の先、しかし澪の父は非番だった。だから3人は警察署に顔を出さず、そのまま新宿まで行って別れることにした。日本語と英語を使い分けながら
「流雫、またね」
「Earth, See you.(アルスも、また)」
と言い、手を上げた少女と微笑む流雫を、鋼鉄製のドアが仕切る。列車が動き出すのを見届けた澪は1人、ベンチに座る。
……トーキョーアタックが終わっていない現実を突き付けられた。流雫が泣いたのは、当然のことだった。美桜や大町……だけじゃない。不法入国とは知りながらも、祖国よりは安寧を享受できると夢見て流れ着いた日本で、テロ犯として捨て駒にされた難民も、誰も救われていない。
宗教難民に近い過去を抱えているが故に、自分に銃口を向けた連中すら不憫に思える流雫。彼が抱える悲しみや苦しみに、もっと触れたい……最愛の少年が、何時だって立ち上がれるように。
澪は誰に対してでもなく頷くと、立ち上がった。
ペンションでは、宿泊客が共用リビングから消えた後、レンヌからの来客のために細やかなパーティーが開かれた。鐘釣夫妻も、母アスタナの影響で、フランス語は簡単な会話ぐらいなら話せるから、流雫の通訳の出番は少ない。
それが終わると、2人は流雫の部屋へ行く。これから当分、ベッドを使わず床で寝ることになるが、別に構わない。
一通り部屋を見回したアルスは、机の上のミニカーに目が止まる。毎年ル・マンで見掛けるレーシングカーを模している。
「Cette.(これ……)」
と声を出した少年の隣に、部屋の主は近寄る。
「Ouais. Mon premier cadeau de Noël d'aussi loin que je me souvienne. Ça me rappelle la France quand je pense qu'il a couru toute la nuit dans la ville natale de ma mère.(うん。……物心ついて初めてのクリスマスプレゼント。母さんの故郷で、これが夜通し走り回ってる……そう思うと、フランスを思い出すんだ)」
「Je me promenais sur la place de la Bastille ce jour-là, serrant cette voiture dans mes bras.(あの日も、この車を握り締めて、バスティーユ広場を歩いてて、それで……)」
と言葉を途切れさせた流雫が、何を思い出しているのか、アルスには判る。
「Pour me souvenir de cette époque, et pour me rappeler que mes racines sont en France. Je l'ai donc laissé exposé sur mon bureau. Pour que je puisse toujours le voir.(……あの時のことを忘れないためにも、そして、僕のルーツがフランスなのを忘れないためにも。だから、机の上に飾ったまま。何時でも目が届くようにと)」
そう言った流雫の表情は穏やかだったが、それが余計にアルスに後ろめたさをもたらす。フランス人の少年が、無意識に眉間を皺を寄せたことに気付いた流雫は言った。
「Ça ne te concerne pas. La famille Pluviôse était contre Noël de Enfel, n'est-ce pas ? Pensez-vous avoir eu raison de laisser cela diminuer leur statut au sein de l'Ordre ?(……アルスが気にすることじゃない。プリュヴィオーズ家は、ノエル・ド・アンフェルに反対だったんだろ?それで教団内での地位が落ちたのも、アルスは正しかったと思ってる?)」
「Comment le savez-vous ?(……何故そのことを知ってる?)」
「C'est dans ce livre. Je l'ai trouvé à la librairie De Gaulle.(その本に書かれてる。ド・ゴールの書店で見つけた)」
と流雫が答えながら、机に置かれた本を指すと、アルスは苦笑を浮かべた。日本で入手できないからだが、空港で偶然見つけたにせよ持っていることに驚きだ。
「Je sais que j'avais raison. Sinon, je ne vous proposerais pas de vous aider.(正しかったと思ってる。そうでなきゃ、お前に力を貸す、など言わん)」
そう言ったアルスは口角を上げる。その表情を見つめる流雫は、話を切り出した。
「Qu'est-ce qui vous amène au Japon ? Pourquoi, de tous les endroits, Kawaduki ?(……どうして日本に?よりによって、河月に?)」
……アルスが通う学校のプログラムとして、河月創成高校に短期留学するのは決まっていた。誰が行くか、となった時に、アルスが名乗りを上げた。日本に興味が有るからと云うのが理由だったが、アリシアは多少呆れていたらしい。
そして、ホームステイ先を決めることになった時に紹介されたトラベルエージェントが、アスタナ・クラージュだった。その名字に、目の前の淑女がルナの母親だと思ったアルスは、ルナの話題を出した。
それがきっかけで、ルナが住んでいると云うペンション、ユノディエールに世話になることが決まった。
「C'est ainsi.(……そう云うワケだ)」
とアルスは言った。
通っている学校に、そう云う留学生の受け入れプログラムが有ること自体、流雫は初めて知った。しかし、日本に興味が有るからと云う理由……アルスの場合、それは或る意味では間違いだと思っている。
「Vous vous intéressez à l'Église de Kyokushu au Japon, n'est-ce pas ?(……興味が有るのは、正しくは日本の旭鷲教会……?)」
その言葉に、アルスは眉間に皺を寄せつつも
「C'est exact.(当たりだ)」
と答える。
「Parce que je suis personnellement curieux de savoir ce qu'ils font.(連中が何を企んでいるのか、個人的に気になるからな)」
その言葉に
「Quelle que soit la raison, je vous souhaite la bienvenue. C'est un plaisir de vous revoir.(……理由が何にせよ、僕はアルスを歓迎するよ。また会えたんだから)」
と返したシルバーヘアの少年は、笑った。
連休が終わり、学校が再開した。それは同時に、アルスが流雫と同じ学校に通い始めたことを意味する。
流雫から借りたネイビーの制服は、殊の外似合っていた。そして今になって、太陽騎士団のスーツに似ていることを流雫は思い出した。河月創成高校との関連性は無く、教会も偶然隣に建っているだけだが、偶然は時には怖ろしいものだ、と流雫は思った。
英語での簡単な挨拶が終わると、通訳係だった流雫の席にフランス人が座り、そして流雫はその1つ後ろの席に座った。
……主を失ってもうすぐ2年。流雫は、一時的にとは云え、その席に座ることに抵抗が有った。ただ、他の人が座るぐらいなら……と思い、座ることにした。その躊躇いに、アルスは不可解な表情を浮かべる。しかし、特に気にしないことにした。
昼休み、フランスからの短期留学生に話し掛けようとする生徒は、流雫以外誰もいなかった。8ヶ月後には大学受験を控えている、留学生と話す暇など無い……と云うのも有るが、他にも理由は有った。
「Earth, allons sur le toit. Il ne devrait y avoir personne.(アルス、屋上……行こうか。誰もいないハズだから)」
と、流雫は誘った。
薄曇りの空の下、男子高生2人だけしか、この学校の屋上にはいない。
「C'est inconfortable.(……居心地、悪いな)」
と、アルスは切り出した。
「Peut-être parce que tu es avec moi.(多分、僕といるからだよ)」
とだけ微笑んでみる流雫。大凡場違いなのは判っているが。
「Parce que je suis marginalisé.(……僕が、煙たがられてるからね)」
と、流雫は遠い目をして言った。それ自体は周知の事実だが、この学校でフランス語を話せるのが流雫とアルスだけと云うのは、好都合だった。
……僕といるから、アルスはとばっちりを受けている。それが事実だ。
「Vous n'avez rien fait de mal, mais vous êtes une honte.(アルスは何も悪くないのに、とばっちりだよ)」
「Qu'avez-vous fait ?(……お前、何をした?)」
その問いに、流雫は軽く溜め息をついて答えた。
「J'ai laissé mon ancien amant pour mort.(かつての恋人を、見殺しにした」
「Savent-ils ce que signifie être laissé pour mort ? C'est un cas de force majeure.(見殺しの意味、連中は知ってるのか?それは不可抗力と云うんだ)」
アルスは、流雫から一通り話を聞いて、苛立ち混じりに言った。通学初日から、イヤな話を聞いた……。そして、今日から流雫が座る席が、かつての恋人の席であることを知り、だから先刻座るのを躊躇ったのかと判った。そして、その少女が今の恋人と同じ名前であることを同時に知る。
「Je ne suis pas ostracisé parce que je suis avec toi. C'est parce que je ne suis pas japonaise, n'est-ce pas ? Et tu n'as pas l'air japonais non plus. Parce que tu as le sang de mon pays dans les veines.(……お前といるから避けられる、じゃない。俺が日本人じゃないから、だろ?そしてお前も、見た目日本人らしくない。俺の国の血が混ざっているからな)」
と言ったアルスから、目を逸らす流雫。……半分は当たっていた。美桜以外誰も近寄ってこなかった、そもそもの理由でもある。
「Il serait plus naturel de dire que nous sommes un duo français.(フランス人コンビだと言った方が、自然かもね)」
「Ils se méfient de tout ce qui leur est étranger. C'est compréhensible, mais la réalité est loin d'être celle-là, malgré la promotion de la diversité et de l'inclusion.(自分たちにとって異質なものには警戒する。判らなくもないが、ダイバーシティ&インクルージョンを唱えながら、現実はそれとは遠い」
とアルスは言い、空を仰ぐ。
……みんな違って、みんないい。そう云う言葉が日本には有る、と何処かで聞いた。ダイバーシティ&インクルージョンの本質はそうだが、同時に過度な同調圧力も根深い。それから少しでも外れれば、奇人変人だとして叩かれ、時には社会的抹殺の対象にも成り得る。
社会や相手への同調のために、喜んで個性を殺す。そう云う……量産型の人間を好むのが日本でもある。無論、それが必要な時も有る。全てはTPO次第なのだが、全てを一括りで要求してくるから問題なのだ。
「Cela n'a pas vraiment d'importance, car l'objectif initial est autre.(……まあ、本来の目的は別だから、それはどうでもいいいがな)」
と言ったアルスは、表情を緩めた。
レンヌに帰った時に、日本がどうだったか話をすることにはなるが、その話題には困るだろうが、それはそれだ。
ふと、フランス語で話していた2人の耳にチャイムの音が聞こえる。流雫は立ち上がり、アルスに言った。
「Le cours est sur le point de commencer. Allons-y.(授業だ。行こう)」
夜、互いにスマートフォンと睨めっこする2人。それぞれ、自分の恋人にメッセージを送っていた。特にアルスは、初めての登校で感じたことをアリシアに送る。とは云え、7時間の時差。今頃赤毛の少女は授業中だ。
「Oh.(はあ……)」
と、アルスは溜め息をつく。メッセージを送って、3分後のことだった。
「Dès que j'ai accédé à l'internet japonais, le site a commencé à me bloquer à ce sujet.(……日本のネットにアクセスした瞬間、あの件に関してはサイトに弾かれるようになりやがった)」
「Even via VPN?(VPNを通しても?)」
「Non.(ダメだ)」
と、アルスは流雫に答える。
「Est-il conçu pour ne pas accepter les VPN ?(そもそも、VPNを受け付けない仕様か?)」
「Alors, pour l'instant.(じゃあ、今のところは……)」
「Seule Alicia est disponible.(アリシアしか、入手できない)」
そう言ったアルスは、日本での情報統制が異様なものだと思った。まさか、ここまでとは。完全に予想外だ。
「C'est plus difficile que je ne l'imaginais.(……厄介だな……想像以上に)」
フランス人の口から出た言葉に、流雫は
「J'ai donc voulu m'appuyer sur vous.(……だから、僕はアルスを頼りたかった)」
と言って隣に座る。
「Tokyo Attack n'est pas encore terminé. Je veux qu'elle se termine. J'aimerais penser que non seulement Mio mais aussi toutes les victimes seront sauvées.(トーキョーアタックは、未だ終わっていない。終わってほしいし、終わらせたい。そうすれば、美桜だけじゃない。犠牲になった全ての人が……救われると思いたい)」
少しだけ悲しげな表情を浮かべた流雫にアルスは、しかしだからこいつは、テロに屈しないのか……と思った。
勝手に悲しみやプレッシャーを抱える癖は感心しないが、同時にそれが流雫の原動力。空回りさえ起こさなければ、旭鷲教会にとって誰よりも手強い。アルス自身、敵に回すことだけは避けたい……と思った。尤も、それは流雫が裏切らない限り、有り得ない話だが。
「C'est ce que j'aime chez vous, même si vous êtes dangereux.(……お前のそう云うとこ、危なっかしいが……俺は好きだな)」
と言ったアルスに、流雫はふと微笑んでみせた。
願わくば、この平和が今日で、明日で終わらないように……。
「……旭鷲教会に隠された旭鷲会の実態がバレては不都合。だから、旭鷲会の信条と相反する連中を全て排除して情報統制をしたい。その全てが、銃社会化の真実のためだとするなら……」
そう言いながら澪は、軽く戦慄する。自分でも言っていて怖くなるようなことに、触れようとしているからだ。
「Truth.(真実ね……)」
と、流雫の同時通訳の声に被せたアルスは問う。
「After Luna told me about this, I did some research myself. There are too many puzzling aspects to Japan's transition to a gun society. The fact that there were only a few days between the passage of the law and its enforcement, the fact that a large number of guns started circulating on the first day, and the fact that a series of systems, including the acquisition of qualification to carry guns, started working.(……ルナから話を聞いて、俺も少し調べてみた。……日本の銃社会化には、不可解な点が多過ぎる。法改正の成立から施行まで数日しか無かったこと、その初日から大量の銃が流通し始め、そして所持資格の取得も含めた一連のシステムが動き始めたこと)」
「Luna, you know what I'm saying?(……ルナ、何を言いたいか判るか?)」
その声に答える前に、流雫は澪に
「今からはフランス語。翻訳アプリで追って」
と言った。日本語と英語で話すには、あまりにもナーバス過ぎる。周囲に聞かれるとマズい。恋人がマイクボタンを押したのを見て、流雫は
「En secret, et ce même en tant que top secret, un système de socialisation aux armes à feu était mis en place. Dès que le programme de modification de la loi sur les armes à feu était soumis, il était prêt à entrer en vigueur dès que le feu vert était donné.(水面下で、それもトップシークレットとして、銃社会化のシステムが構築されていた。銃刀法改正の議題が提出された時点で、ゴーサインさえ出ればすぐにでも施行できる状態だった……)」
と、答えを切り出す。
「Ce qui n'a pas été calculé, c'est la présence de l'opposition ? En France aussi, l'impasse parlementaire a fait la une des journaux tous les jours.(計算外だったのは、反対派の存在か?国会の紛糾は、フランスでも連日ニュースだったからな)」
「Cependant, il était impératif qu'elle soit adoptée, même si c'était avec force. Ils ont donc fait pression et l'ont fait passer.(しかし、強引にでも成立させることが必須だった。だから押し切って、成立にこぎつけた)」
2人の遣り取りが日本語の文章として、画面に流れる。澪は片っ端から保存ボタンを押していく。
「Luna, vous avez commencé à porter une arme un mois après l'attaque de Tokyo, non ?(……ルナ、お前……トーキョーアタックの1ヶ月後に銃を持ち始めたよな?)」
アルスの問いに
「Oui. C'était le début du débat sur les armes à feu. Quoi ?(うん。あれがきっかけで銃の議論……、……え……?)」
と言葉を切った流雫は固まる。アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳は微動を繰り返すが、半ば焦点を失っているようにも見える。
「Luna?(ルナ?)」
「流雫?」
両サイドの2人が同時に、その顔を覗く。
……もうこの際、他の推理は全て当たっていて構わない。ただ、これだけは外れてほしい。それだけは叶えてほしい……。
流雫は意を決したように、声を絞り出した。宛ら、自分自身への処刑宣告だった。
「L'attentat de Tokyo a été causé par la socialisation des armes à feu.(トーキョーアタックは……銃社会化のために引き起こされた……)」
画面に流れる恋人の言葉は、澪の脳に特大の雷を落とした。
「っ……!!」
澪は思わず、流雫の手を強く握る。……その手は、震えていた。
……台風に見舞われた空港で、流雫は伊万里に向かって叫んだ。
「何故トーキョーアタックを起こした?お前の私利私欲のために引き起こしたのか!!」
……その通りだった。しかし、それは難民排斥の機運のためだと思っていた。それはそれで間違っていない。そして、トーキョーアタックとそれに関連したトーキョーゲートは解決したハズだった。
だが、旭鷲会と伊万里の接点を軸にすると、途端に銃社会化のためのテロと云う側面も浮かび上がる。
……2022年に入り、外国人による犯罪が急増、且つ凶悪化した。政府は、インバウンド復活の副産物だと説明していたが、同時に物理的な自衛策が喫緊の課題となっていた。一部SNSでは、究極の自衛策として銃の所持も辞さないと云う意見も少なからず有ったが、それは日に日に強くなる。
何時しか、銃の所持に賛同しない者は非国民だとして叩かれるようになった。SNS上での話でしかないのだが、その声が強まる一方だった。そして……あの惨劇が起きた。
……誤解を招く言い方をすれば、トーキョーアタックは銃社会実現のための、最後の引き金として引き起こされた……。
「トーキョーアタックは……終わってない……」
日本語で呟く流雫の声は、震えていた。……かつての恋人を殺した惨劇が、終わったと思っていた惨劇が終わっていなかった。トーキョーアタックが終わっていないなら、トーキョーゲートすら終わっていない。
「……流雫……っ……」
澪は、最愛の少年の名を呼ぶことが精一杯だった。
流雫と一緒に戦って、トーキョーゲートの真相を追ってきた。年末の、捜査終結の会見を見た流雫が
「これで誰もが報われる……救われると思いたい」
と送ってきたメッセージ。そのままだと遡るのが大変だから、スクリーンショットで保存してあるが、その誰もがが誰のことを指しているのか、澪には判っていた。
……ただ、今の話が真実なら、未だ誰も救われていない。その現実を、流雫は嘆いていた。
「Luna?(……ルナ?)」
と名を呼ぶアルスは、レンヌで知り合った日本人が何を思っているのか判らない。澪は
「Wait a moment.(……少しだけ、待っててください……)」
と短い英語で言い、流雫の腰に手を回した。
唇を噛む恋人が、頬を濡らすのが判る。澪は悲しげな表情で、その苦しみを癒やそうと抱き寄せた。
「澪……」
最愛の少女の名前を呼ぶことしかできない流雫を、何も言わず慰めようとする澪。アルスは、その様子をただ見つめていた。
……自分には何も言えない。目の前の日本人2人だけが触れられること。そして、ルナにとっての女神……ミオの献身は、だからこそシルバーヘアの少年が何よりも大切にしたい、護りたいと思えるのだ、と。
どんな不都合でも、受け入れる覚悟はできていたハズだった。しかし、これが真実だとすれば……受け入れるには残酷過ぎる。ただ、今度こそ外れている……とは思えなかった。
……しかし、その重い真実に、屈するワケにはいかない。僕には、澪がついてる。だから、立ち上がれる。
数分経って、流雫は
「……サンキュ……澪……」
とだけ囁く。そして、瞳を濡らしたままアルスを見つめ、
「Je pense que vous avez raison sur toute la ligne.(……全て、当たってると思う……)」
と言った。それ以外に、違和感無く全てをつなげられる理由が、流雫には見つけられない。
「L'OFA, qui pouvait utiliser les réfugiés comme des pions, est devenu le bras opérationnel, travaillant pour les objectifs de l'OFA, du parti Kyokushukai et d'Imari. Et maintenant tout le monde peut avoir une arme.(……難民を捨て駒として使えるOFAがオペレーション部門となって、OFAと旭鷲会……そして伊万里の目的のために動いた。そして、誰もが銃を持てるようになった)」
その流雫の言葉を画面で追いながら
「But.(でも)」
と澪は口を挟む。
「Why did they need to make the country a gun society?(……どうして、銃社会化する必要が有ったの……?)」
「Le résultat final sera les concessions.(……行き着くところは、利権だろう)」
と、通訳した流雫に向かってアルスは返した。
「Le gouvernement tente de créer une société des armes et de monopoliser les droits et les intérêts de l'industrie des armes pour en faire une réalité. L'augmentation de la criminalité étrangère est également conçue pour atteindre cet objectif. Même si c'était le cas, il serait difficile de les chasser du Japon maintenant, n'est-ce pas ?(銃と云う産業を成立させるために銃社会化させ、その権益を独占する。……外国人犯罪の急増も、そのために仕組まれたもの。……そうだとしても、今の日本じゃ一蹴できないだろ?」
その言葉に、流雫は頷く。……何が起きても不思議じゃない、それが今の日本の現実だ。2年前は、何も知らず生きていられたのに。
「Quant à l'industrie des armes à feu, certains se moquent d'elle parce qu'elle a provoqué l'attaque de Tokyo, qu'elle a fait de cette ville une société d'armes à feu et qu'elle s'en est mis plein les poches.(……銃産業のために、トーキョーアタックを起こして銃社会化、それで懐を膨らませて嗤っている連中……)」
「旭鷲会の思想に染まった議員にとって、その真実は何よりもトップシークレット。バレれば自分の政治家生命どころか、自身の命そのものも終わるほどの……」
日本人高校生2人は、呟くように続けた。そして流雫が
「Ils veulent donc le cacher, même en contrôlant l'information.(だから、情報統制をしてまで隠したい……)」
と言うと、アルスは
「Il n'y a sûrement pas d'autre raison d'aller aussi loin.(確かに、それ以外にここまでやる理由が無いな……)」
と答える。それと同時に澪は
「……一度、父に話してみる?」
と、流雫に問う。彼は頷き、
「……そうしないと、僕たちじゃどうしようも……」
と答えた。
……開けようとしたブラックボックスは、パンドラの箱じゃない。希望が残っているとは思わない。だから、希望を探して掴むしかない。
臨海署は目と鼻の先、しかし澪の父は非番だった。だから3人は警察署に顔を出さず、そのまま新宿まで行って別れることにした。日本語と英語を使い分けながら
「流雫、またね」
「Earth, See you.(アルスも、また)」
と言い、手を上げた少女と微笑む流雫を、鋼鉄製のドアが仕切る。列車が動き出すのを見届けた澪は1人、ベンチに座る。
……トーキョーアタックが終わっていない現実を突き付けられた。流雫が泣いたのは、当然のことだった。美桜や大町……だけじゃない。不法入国とは知りながらも、祖国よりは安寧を享受できると夢見て流れ着いた日本で、テロ犯として捨て駒にされた難民も、誰も救われていない。
宗教難民に近い過去を抱えているが故に、自分に銃口を向けた連中すら不憫に思える流雫。彼が抱える悲しみや苦しみに、もっと触れたい……最愛の少年が、何時だって立ち上がれるように。
澪は誰に対してでもなく頷くと、立ち上がった。
ペンションでは、宿泊客が共用リビングから消えた後、レンヌからの来客のために細やかなパーティーが開かれた。鐘釣夫妻も、母アスタナの影響で、フランス語は簡単な会話ぐらいなら話せるから、流雫の通訳の出番は少ない。
それが終わると、2人は流雫の部屋へ行く。これから当分、ベッドを使わず床で寝ることになるが、別に構わない。
一通り部屋を見回したアルスは、机の上のミニカーに目が止まる。毎年ル・マンで見掛けるレーシングカーを模している。
「Cette.(これ……)」
と声を出した少年の隣に、部屋の主は近寄る。
「Ouais. Mon premier cadeau de Noël d'aussi loin que je me souvienne. Ça me rappelle la France quand je pense qu'il a couru toute la nuit dans la ville natale de ma mère.(うん。……物心ついて初めてのクリスマスプレゼント。母さんの故郷で、これが夜通し走り回ってる……そう思うと、フランスを思い出すんだ)」
「Je me promenais sur la place de la Bastille ce jour-là, serrant cette voiture dans mes bras.(あの日も、この車を握り締めて、バスティーユ広場を歩いてて、それで……)」
と言葉を途切れさせた流雫が、何を思い出しているのか、アルスには判る。
「Pour me souvenir de cette époque, et pour me rappeler que mes racines sont en France. Je l'ai donc laissé exposé sur mon bureau. Pour que je puisse toujours le voir.(……あの時のことを忘れないためにも、そして、僕のルーツがフランスなのを忘れないためにも。だから、机の上に飾ったまま。何時でも目が届くようにと)」
そう言った流雫の表情は穏やかだったが、それが余計にアルスに後ろめたさをもたらす。フランス人の少年が、無意識に眉間を皺を寄せたことに気付いた流雫は言った。
「Ça ne te concerne pas. La famille Pluviôse était contre Noël de Enfel, n'est-ce pas ? Pensez-vous avoir eu raison de laisser cela diminuer leur statut au sein de l'Ordre ?(……アルスが気にすることじゃない。プリュヴィオーズ家は、ノエル・ド・アンフェルに反対だったんだろ?それで教団内での地位が落ちたのも、アルスは正しかったと思ってる?)」
「Comment le savez-vous ?(……何故そのことを知ってる?)」
「C'est dans ce livre. Je l'ai trouvé à la librairie De Gaulle.(その本に書かれてる。ド・ゴールの書店で見つけた)」
と流雫が答えながら、机に置かれた本を指すと、アルスは苦笑を浮かべた。日本で入手できないからだが、空港で偶然見つけたにせよ持っていることに驚きだ。
「Je sais que j'avais raison. Sinon, je ne vous proposerais pas de vous aider.(正しかったと思ってる。そうでなきゃ、お前に力を貸す、など言わん)」
そう言ったアルスは口角を上げる。その表情を見つめる流雫は、話を切り出した。
「Qu'est-ce qui vous amène au Japon ? Pourquoi, de tous les endroits, Kawaduki ?(……どうして日本に?よりによって、河月に?)」
……アルスが通う学校のプログラムとして、河月創成高校に短期留学するのは決まっていた。誰が行くか、となった時に、アルスが名乗りを上げた。日本に興味が有るからと云うのが理由だったが、アリシアは多少呆れていたらしい。
そして、ホームステイ先を決めることになった時に紹介されたトラベルエージェントが、アスタナ・クラージュだった。その名字に、目の前の淑女がルナの母親だと思ったアルスは、ルナの話題を出した。
それがきっかけで、ルナが住んでいると云うペンション、ユノディエールに世話になることが決まった。
「C'est ainsi.(……そう云うワケだ)」
とアルスは言った。
通っている学校に、そう云う留学生の受け入れプログラムが有ること自体、流雫は初めて知った。しかし、日本に興味が有るからと云う理由……アルスの場合、それは或る意味では間違いだと思っている。
「Vous vous intéressez à l'Église de Kyokushu au Japon, n'est-ce pas ?(……興味が有るのは、正しくは日本の旭鷲教会……?)」
その言葉に、アルスは眉間に皺を寄せつつも
「C'est exact.(当たりだ)」
と答える。
「Parce que je suis personnellement curieux de savoir ce qu'ils font.(連中が何を企んでいるのか、個人的に気になるからな)」
その言葉に
「Quelle que soit la raison, je vous souhaite la bienvenue. C'est un plaisir de vous revoir.(……理由が何にせよ、僕はアルスを歓迎するよ。また会えたんだから)」
と返したシルバーヘアの少年は、笑った。
連休が終わり、学校が再開した。それは同時に、アルスが流雫と同じ学校に通い始めたことを意味する。
流雫から借りたネイビーの制服は、殊の外似合っていた。そして今になって、太陽騎士団のスーツに似ていることを流雫は思い出した。河月創成高校との関連性は無く、教会も偶然隣に建っているだけだが、偶然は時には怖ろしいものだ、と流雫は思った。
英語での簡単な挨拶が終わると、通訳係だった流雫の席にフランス人が座り、そして流雫はその1つ後ろの席に座った。
……主を失ってもうすぐ2年。流雫は、一時的にとは云え、その席に座ることに抵抗が有った。ただ、他の人が座るぐらいなら……と思い、座ることにした。その躊躇いに、アルスは不可解な表情を浮かべる。しかし、特に気にしないことにした。
昼休み、フランスからの短期留学生に話し掛けようとする生徒は、流雫以外誰もいなかった。8ヶ月後には大学受験を控えている、留学生と話す暇など無い……と云うのも有るが、他にも理由は有った。
「Earth, allons sur le toit. Il ne devrait y avoir personne.(アルス、屋上……行こうか。誰もいないハズだから)」
と、流雫は誘った。
薄曇りの空の下、男子高生2人だけしか、この学校の屋上にはいない。
「C'est inconfortable.(……居心地、悪いな)」
と、アルスは切り出した。
「Peut-être parce que tu es avec moi.(多分、僕といるからだよ)」
とだけ微笑んでみる流雫。大凡場違いなのは判っているが。
「Parce que je suis marginalisé.(……僕が、煙たがられてるからね)」
と、流雫は遠い目をして言った。それ自体は周知の事実だが、この学校でフランス語を話せるのが流雫とアルスだけと云うのは、好都合だった。
……僕といるから、アルスはとばっちりを受けている。それが事実だ。
「Vous n'avez rien fait de mal, mais vous êtes une honte.(アルスは何も悪くないのに、とばっちりだよ)」
「Qu'avez-vous fait ?(……お前、何をした?)」
その問いに、流雫は軽く溜め息をついて答えた。
「J'ai laissé mon ancien amant pour mort.(かつての恋人を、見殺しにした」
「Savent-ils ce que signifie être laissé pour mort ? C'est un cas de force majeure.(見殺しの意味、連中は知ってるのか?それは不可抗力と云うんだ)」
アルスは、流雫から一通り話を聞いて、苛立ち混じりに言った。通学初日から、イヤな話を聞いた……。そして、今日から流雫が座る席が、かつての恋人の席であることを知り、だから先刻座るのを躊躇ったのかと判った。そして、その少女が今の恋人と同じ名前であることを同時に知る。
「Je ne suis pas ostracisé parce que je suis avec toi. C'est parce que je ne suis pas japonaise, n'est-ce pas ? Et tu n'as pas l'air japonais non plus. Parce que tu as le sang de mon pays dans les veines.(……お前といるから避けられる、じゃない。俺が日本人じゃないから、だろ?そしてお前も、見た目日本人らしくない。俺の国の血が混ざっているからな)」
と言ったアルスから、目を逸らす流雫。……半分は当たっていた。美桜以外誰も近寄ってこなかった、そもそもの理由でもある。
「Il serait plus naturel de dire que nous sommes un duo français.(フランス人コンビだと言った方が、自然かもね)」
「Ils se méfient de tout ce qui leur est étranger. C'est compréhensible, mais la réalité est loin d'être celle-là, malgré la promotion de la diversité et de l'inclusion.(自分たちにとって異質なものには警戒する。判らなくもないが、ダイバーシティ&インクルージョンを唱えながら、現実はそれとは遠い」
とアルスは言い、空を仰ぐ。
……みんな違って、みんないい。そう云う言葉が日本には有る、と何処かで聞いた。ダイバーシティ&インクルージョンの本質はそうだが、同時に過度な同調圧力も根深い。それから少しでも外れれば、奇人変人だとして叩かれ、時には社会的抹殺の対象にも成り得る。
社会や相手への同調のために、喜んで個性を殺す。そう云う……量産型の人間を好むのが日本でもある。無論、それが必要な時も有る。全てはTPO次第なのだが、全てを一括りで要求してくるから問題なのだ。
「Cela n'a pas vraiment d'importance, car l'objectif initial est autre.(……まあ、本来の目的は別だから、それはどうでもいいいがな)」
と言ったアルスは、表情を緩めた。
レンヌに帰った時に、日本がどうだったか話をすることにはなるが、その話題には困るだろうが、それはそれだ。
ふと、フランス語で話していた2人の耳にチャイムの音が聞こえる。流雫は立ち上がり、アルスに言った。
「Le cours est sur le point de commencer. Allons-y.(授業だ。行こう)」
夜、互いにスマートフォンと睨めっこする2人。それぞれ、自分の恋人にメッセージを送っていた。特にアルスは、初めての登校で感じたことをアリシアに送る。とは云え、7時間の時差。今頃赤毛の少女は授業中だ。
「Oh.(はあ……)」
と、アルスは溜め息をつく。メッセージを送って、3分後のことだった。
「Dès que j'ai accédé à l'internet japonais, le site a commencé à me bloquer à ce sujet.(……日本のネットにアクセスした瞬間、あの件に関してはサイトに弾かれるようになりやがった)」
「Even via VPN?(VPNを通しても?)」
「Non.(ダメだ)」
と、アルスは流雫に答える。
「Est-il conçu pour ne pas accepter les VPN ?(そもそも、VPNを受け付けない仕様か?)」
「Alors, pour l'instant.(じゃあ、今のところは……)」
「Seule Alicia est disponible.(アリシアしか、入手できない)」
そう言ったアルスは、日本での情報統制が異様なものだと思った。まさか、ここまでとは。完全に予想外だ。
「C'est plus difficile que je ne l'imaginais.(……厄介だな……想像以上に)」
フランス人の口から出た言葉に、流雫は
「J'ai donc voulu m'appuyer sur vous.(……だから、僕はアルスを頼りたかった)」
と言って隣に座る。
「Tokyo Attack n'est pas encore terminé. Je veux qu'elle se termine. J'aimerais penser que non seulement Mio mais aussi toutes les victimes seront sauvées.(トーキョーアタックは、未だ終わっていない。終わってほしいし、終わらせたい。そうすれば、美桜だけじゃない。犠牲になった全ての人が……救われると思いたい)」
少しだけ悲しげな表情を浮かべた流雫にアルスは、しかしだからこいつは、テロに屈しないのか……と思った。
勝手に悲しみやプレッシャーを抱える癖は感心しないが、同時にそれが流雫の原動力。空回りさえ起こさなければ、旭鷲教会にとって誰よりも手強い。アルス自身、敵に回すことだけは避けたい……と思った。尤も、それは流雫が裏切らない限り、有り得ない話だが。
「C'est ce que j'aime chez vous, même si vous êtes dangereux.(……お前のそう云うとこ、危なっかしいが……俺は好きだな)」
と言ったアルスに、流雫はふと微笑んでみせた。
願わくば、この平和が今日で、明日で終わらないように……。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
意識転移鏡像 ~ 歪む時間、崩壊する自我 ~
葉羽
ミステリー
「時間」を操り、人間の「意識」を弄ぶ、前代未聞の猟奇事件が発生。古びた洋館を改造した私設研究所で、昏睡状態の患者たちが次々と不審死を遂げる。死因は病死や事故死とされたが、その裏には恐るべき実験が隠されていた。被害者たちは、鏡像体と呼ばれる自身の複製へと意識を転移させられ、時間逆行による老化と若返りを繰り返していたのだ。歪む時間軸、変質する記憶、そして崩壊していく自我。天才高校生・神藤葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、この難解な謎に挑む。しかし、彼らの前に立ちはだかるのは、想像を絶する恐怖と真実への迷宮だった。果たして葉羽は、禁断の実験の真相を暴き、被害者たちの魂を救うことができるのか?そして、事件の背後に潜む驚愕のどんでん返しとは?究極の本格推理ミステリーが今、幕を開ける。
RoomNunmber「000」
誠奈
ミステリー
ある日突然届いた一通のメール。
そこには、報酬を与える代わりに、ある人物を誘拐するよう書かれていて……
丁度金に困っていた翔真は、訝しみつつも依頼を受け入れ、幼馴染の智樹を誘い、実行に移す……が、そこである事件に巻き込まれてしまう。
二人は密室となった部屋から出ることは出来るのだろうか?
※この作品は、以前別サイトにて公開していた物を、作者名及び、登場人物の名称等加筆修正を加えた上で公開しております。
※BL要素かなり薄いですが、匂わせ程度にはありますのでご注意を。
クロスロードの迷宮
山瀬滝吉
ミステリー
東京の繁華街、渋谷のど真ん中にある雑居ビル「クロスロードビル」で発見された不可解な密室殺人。被害者は地元の名士である建築家・三浦祐一郎。生前の彼には「クロスロード計画」という謎めいたプロジェクトに関わる黒い噂があった。事件の捜査を担当するのは、冷静沈着な刑事・氷室拓真と、退職した元敏腕刑事で今は私立探偵を営む秋月瑠奈。二人はそれぞれの過去と向き合いながら、複雑に絡み合った証言や証拠、さらには被害者が遺した暗号を解読していく。
絡み合う人間関係、欺瞞の中に隠された真実、そして第二の事件が起きた時、二人は重大な事実に直面する。それは密室の謎以上に恐ろしい、過去の因縁と、彼ら自身の選択を問う罠だった。真実が明らかになった時、浮かび上がるのは一人の人間の究極の絶望と執念。果たして、彼らはこの迷宮から抜け出せるのか?
荒れ地に花を
グタネコ
ミステリー
東京で人が、突然、ミイラになる事件が起きる。刑事が事件を追うが、真相にたどりつけない。
一方、女性科学者が地球の砂漠化を防ぐために、遺伝子操作で乾燥に強い植物を作り出すのだが……。
サイコパスハンター零
戸影絵麻
ミステリー
新米刑事の笹原杏里は、とある地方警察署に勤める新米刑事。童顔とミスマッチな迫力あるボディがトレードマーク。その肢体と、持って生まれたある特異体質を見込まれ、囮捜査に駆り出された杏里は、危機一髪のところを不思議な少女に救われる。無数の目玉をデザインした衣を身にまとった美少女は、黒野零と名乗り、やがて杏里と行動を共にするようになる。そんなとき、杏里の所属する照和署の管内で、若い女性を切り刻む猟奇殺人事件が発生。犯人は防犯カメラに映った”顔のない男”。やがて事件は奇怪な連続殺人へと発展し…。
密室、人体消失、首狩り殺人、連続猟奇殺人。杏里と零の前に立ちふさがる数々の謎。その謎をすべて解き終えた時、ふたりの目の前に現れた強大な敵とは…?
驚天動地の怪奇ミステリ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる