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act2
2-10 Disturbing Night
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渋谷の大教会に戻った詩応は、誰と話す気も無かった。
犯人を除く教団関係者で唯一、総司祭の暗殺を目撃した。だが、今はこの教会と隣接する宿舎にいる全員に対して疑心暗鬼になっている。
……姉の手帳に目を通したあの日から、真以外信じられなくなった。そして、あの犯人の言葉が正しければ、今度はアタシが口封じにと殺される。そして、恐らくは部外者の流雫と澪も。
最悪なことに、過去の事件で関東の2人がテロ犯と戦っている様子が動画で盗撮され、投稿サイトにアップロードされている。特定は時間の問題か。特に流雫は、見た目からして目立つから、危険度は高いと思っている。
無論、詩応も動画を見掛けては削除を求めて通報しているが、削除までは至らない。それがボーイッシュな少女にとっては苛立たしい。
今回、詩応に割り当てられた部屋は個室だった。しかし、部屋に入っても事件のことは口に出さなかった。下手に聞かれるとマズい……そう思っていたからだ。
そもそも、詩応が〆切直前で合宿に行くことに決めたのは、姉が遺した手帳に書かれていたことが真実か否か、確かめたかったからだ。陸上を辞めたから時間ができた、は尤もらしい理由に過ぎないのだ。そのことは、真にすら話していない。
ただ、精力的に動きながら聞き耳を立てていたが、それらしい情報は手に入らなかった。やはりトップシークレットなのか……。
そう思っていると、部屋のドアが叩かれる。もう20時だ。
「伏見さん、司祭がお呼びです。講堂へ」
とドア越しに聞こえた女の人の声に、詩応は
「……どう出てくるか……」
と呟く。
この時間に司祭から直々に話……怪しくないワケが無い。詩応は、Wi-Fiに接続していたスマートフォンを少しだけ触ると、ブルートゥースイヤフォンをデニムジャケットのポケットに入れ、部屋を後にした。
講堂は宿舎の1階に位置する。研修の座学で使われるが、長机と椅子だけ。宛ら激励の紙が貼られていない予備校のようだ。
ドアを開けると、そこには髭を長く生やした中年の男がいた。確か、副総司祭の1人だったような……。ネイビーのスーツの着こなしぶりは、貫禄を見せ付けるようだ。
「……先刻の集会にはいなかったから、直接話をすることにした。……私が今日から、太陽騎士団日本支部の総司祭だ」
その言葉に、詩応は定型的な反応を示す。
「……おめでとうございます。……ただ、そう言っていいものか……」
「君も知っているのか。あんなことが起きたから、手放しで喜べないとは思っている。……悲しい事件だった。付き人に殺されるとは……」
そう言った新しい総司祭は一度遠い目をした後、ターコイズ色をした瞳に再度目を向ける。……その奥で、僅かに睨みを利かせているように詩応には見えた。
「……悲しい事件と言えば、君の姉……伏見詩愛。彼女も非常に残念だった。まさか通り魔に殺されるとは……」
その言葉に、詩応は歯を軋ませる。
「太陽騎士団にとっても、敬虔な信者の死は大きな痛手だった。そして残念ながら……君は彼女の死を、正しく受け入れられていない」
その言葉に、微かに睨むような目で司祭を見る少女。何を言いたい?
「事件は過去のこと、時は戻らない。犯人を憎むより自分の分まで強く生きろ……そう彼女も望んでいるハズだ。そのためには更なる功徳を……」
……限界だった。お前に詩愛姉の何が判る!?そう怒鳴りたかった。
「……アネキの死は、通り魔なんかじゃない……。存在が邪魔だと思われたから、殺されたんだ……」
と、あくまで冷静に言葉を被せる詩応。……冷静さを欠かないこと、それは流雫から学んだ。
総司祭は唸り、
「……ならば、殺したのは誰だと思うのかね?」
と問う。詩応は一呼吸だけ置いて、答えた。
「……旭鷲教会、その名前を洩らされては困る連中……。……例えば、この太陽騎士団に成り済ましがいるとすれば……」
ボーイッシュな少女が吐き出す言葉を、総司祭は
「ふん」
と鼻で笑うと
「とんだ妄想を。君は姉の死に囚われているが為に、疑心暗鬼になっているだけだ。それでは彼女も浮かばれんぞ」
と一蹴した。その目は、呆れと不快感に満ちている。
「……更なる功徳を積む。それが姉の死を弔い、君自身も報われ、大人になる唯一の術だ。前を向いて歩き給え」
と続けた総司祭に、詩応は頭を下げなければ目も合わせず、講堂を後にした。
部屋に戻ると、詩応はスマートフォンを手にし、イヤフォンを耳に当てた。
……今の遣り取りが、ボイスレコーダーアプリに記録されている。収穫は無いに等しかったが、しかしあの態度が気になる。
……姉の死に触れるな、と言っているようだった。しかし、その件で先手を打ったのは総司祭の方だ。……合宿名簿を目に通した時から、こうして呼び出して牽制するのは既定路線だった……?
そして、それは同時に昼間の事件に触れさせまいとしているように見えた。触れられては厄介だからか。……ますます疑心暗鬼に陥る。
「っ!!」
詩応はベッドを叩いた。……何が、前を向いて歩き給え、だ……。その言葉は詩応にとって、姉への冒涜でしかなかった。一瞬で怒りが甦る。
……とにかく、明朝に合宿が終わる。もうこの宿舎にいなくていい。その足で臨海署に向かい、夕方の新幹線で帰る。
それに備えて少し早めに寝たいが、しかし眠れるとは思わなかった。不穏な予感は、今日の疲れから来そうだった眠気を駆逐していた。
新宿駅で詩応と別れた流雫と澪の2人が、室堂家に着いたのは19時頃だった。既に父の常願は帰り着いている。
2人は、すぐにルームウェアに着替えた。流雫のそれは、去年のクリスマスに澪がプレゼントしたものでネイビーの地に白と赤のアクセントが入っていて、彼の祖国を彷彿とさせる。
澪の両親は、一人娘の恋人が家に泊まることを歓迎していた。特に母の美雪と、流雫の母アスタナが大学時代に交遊が有ったのも大きい。
ディナータイムが終わり、バスルームで冷えた身体を温めた2人は澪の部屋に入る。確か、今年に入って澪の部屋に入ったのは初めてか。
2人きりの部屋で、澪は床に座ろうとした恋人を強く抱いた。流雫はその勢いに耐えきれず、澪の下敷きになる形でベッドに倒れた。
「澪……!?」
押し倒された形の流雫の胸板に顔を埋める澪の吐息が、嗚咽に変わる。
「流雫……流雫ぁ……っ……!流雫ぁ……!」
最愛の少年の名を、少女は何度も呼び続ける。
2週間……距離を置きたいと思いつつも寂しさだけが募っていたこと、そして楽しみだった今日の再会をあんな形で迎えたこと……。何より、詩応を見ていられなくて、自分の感情を後回しにしたこと……。
その反動が、今になって一度に襲い掛かる。感情は大爆発を起こしていた。
「澪……」
と名を呼んだ流雫は、少女の頭に手を回す。ネイビーのルームウェアの胸元が濡れていくのが判る。
……澪は、恋人の熱に触れていたかった。触れられれば、何時だって安心する。言葉なんて無くても、それだけで生きていることが判るから。それだけはオンラインじゃ、スマートフォン越しじゃ絶対に伝わらないこと。
……あたしには、流雫しかいない。あたしは、流雫がいなきゃ……。その重く痛々しく見られても、一途と呼びたい想いを、澪は確かに抱きしめていた。
スマートフォン用パズルRPGゲーム、ロススタ。ルナと名付けた美少女騎士を使って、一見難しそうなステージを軽々とクリアしていく澪のプレイを、流雫は隣で見ていた。同時に、モバイル回線が未だ使えない以上、Wi-Fiの便利さを痛感する。そして流雫も、今その恩恵を受けていた。
……2時間前、少女は最愛の少年に抱きついて泣いていた。しかし、今は既にその様子が無く、折角の2人きりの夜を楽しもうとしていた。
突如、部屋に響くスマートフォンの通知音。流雫の端末からで、相手はその音からアルスだと判る。……画面の時計は23時を示している。フランスは16時か。
「Earth ?(アルス?)」
流雫は端末を耳に当てる。その名前に、澪は遊んでいたゲームのアプリを閉じた。
「Luna. Je viens d'avoir des nouvelles d'Alicia. Il y a quelques instants, les Blood Brigades ont finalisé leur décision de se dissocier de l'Église de Kyokushu. Suite à l'assassinat du Grand Prêtre de l'Ordre du Soleil à Tokyo dans la journée. Elles ont déjà envoyé la lettre de désaffiliation.(ルナ。……今アリシアから聞いた。先刻、教団が旭鷲教会との絶縁を最終決定した。東京で昼間に起きた、太陽騎士団の総司祭暗殺を受けて。既に絶縁状は送付したらしい)」
「Je savais qu'il s'agissait de l'église de Kyokushu.(やはり、旭鷲教会の……)」
と流雫が言うと、アルスは問うた。
「Après tout ?(やはり?)」
「J'étais au milieu d'une tentative d'assassinat. Je n'ai pas vu le moment de mes propres yeux, mais il se trouve que j'étais dans le même œil que l'auteur de l'attentat.(……遭遇したんだ、暗殺。瞬間をこの目で見たワケではないけど……、偶然実行犯と目が合って)」
と流雫は答える。偶然目が合って……少しだけフェイクを噛ませたが、そうしないと現場にいた理由の説明が面倒だったからだ。
澪は、最愛の少年が何を話しているのか判らなかった。英語なら未だ幾分マシなのだろうが、如何せんフランス語だ。しかし、その声のトーンから、他愛ない話ではないことだけは判る。
……ブルターニュ公園の端、アリシアの隣で目を見開いたアルスは通話相手の日本人に問う。無意識に声に焦りが滲んでいた。
「Tu l'as eu ? Est-ce que ça va ?(遭遇って……、……無事か!?)」
「Je n'ai pas été blessé. L'auteur de l'agression a été arrêté sur le champ. Mais.(怪我はしてないよ。犯人はその場で逮捕され……)」
そこで流雫は言葉を止めた。……逮捕?
「Les arrestations sont si rares.(……逮捕なんて珍しい……)」
と、思わず呟く。
……そう、名古屋では全員自爆しているし、河月では味方に射殺されているか心中で焼死している。ただ、今日新宿で戦った犯人は、揃って警察に逮捕されている。
「Qu'est-ce que vous dites ?(どう云う意味だ?)」
そう問うたアルスに、流雫は答えた。
「Jusqu'à présent, tous les coupables sont morts sur place. Je suis sûr que c'était pour qu'ils se taisent. Et pourtant, personne n'est mort aujourd'hui. Et pourtant, personne n'est mort aujourd'hui, malgré l'inévitable mention de l'implication de l'Église de Kyokushu dans l'interrogatoire.(今まで……犯人は全員その場で死んでる。口封じのためだとは思うけど……。なのに、今日は誰も死んでない。……取調で、旭鷲教会の関与についての話は避けられないのに……)」
「Ils pensent pouvoir la contourner ?(……躱せると思ってるのか……)」
そう言ったアルスに、流雫は
「Peut-être.(多分……)」
と答えるのが精一杯だった。
「Et.(……それと)」
と言ったブロンドヘアの少年は、一瞥した恋人が頷くのを待った後で続けた。
「Vous souvenez-vous de l'attentat contre l'église de Rennes ? C'était apparemment exactement ce que vous pensiez.(……レンヌの教会爆破が有ったろ?あれは……どうやらお前が読んだ通りのようだ)」
「Il n'en est pas question.(……まさか)」
流雫は眉間に皺を寄せる。……それはつまり。
「Oui, l'Église de Kyokushu l'a probablement fait.(ああ、旭鷲教会の仕業……その可能性が高い)」
「Mais pourquoi commettre des crimes en France ?(でも、フランスで起こす理由が……)」
と流雫は言葉を被せる。
……そう、日本国内の活動に特化しているハズの旭鷲教会が、何故フランスでテロを起こしたのか。
アルスは一度、流雫の疑問を一蹴した。しかし、それが取り消されている。……不穏なことこの上無い。
「Je n'en sais rien. Mais il est certain que l'affaire Rennes-Tokyo a déclenché l'isolation.(それは判らん。だが、それと東京の件が、絶縁の引き金になったことは間違い無い)」
そう言ったアルスは、
「Luna.(……ルナ)」
とシルバーヘアの少年の名を呼び、釘を刺した。
「Méfiez-vous d'eux, car maintenant que les Blood Brigades sont hors d'état de nuire, qui sait comment ils vont réagir.(……連中には気を付けろ。血の旅団の柵が外れた以上、どう出るか判らないからな)」
「Merci. Mais quoi qu'il arrive, je ne mourrai pas. Pour le bien d'Earth et de Mio.(……サンキュ。……だけど、どうなっても……僕は死なない。アルスのためにも……澪のためにも)」
と流雫が返すと、アルスはレンヌで聞いた名前を思い出す。
「Mio, votre déesse ?(ミオ……お前の女神だっけか)」
「Si j'étais Tenebraire, Mio serait Soleilidor.(うん。……僕がテネイベールなら、澪はソレイエドールかな)」
そう言って流雫は笑った。アルスもそれにつられて笑うが、すぐに真顔に戻る。
「D'un point de vue scriptural, Tenebraire connaît une fin spectaculaire. Mais vous devez vivre. C'est une promesse.(……経典上、テネイベールは壮絶な最期を遂げる。……だが、お前は絶対生きろ。約束だ)」
その言葉は、これから日本で起きることを予見しているかのようだった。
「Oui. Merci, Earth.(うん。サンキュ、アルス)」
と流雫が再度返すと、フランス人の少年は
「Je vous en enverrai d'autres si j'en ai. Au revoir.(また何か有れば送る、じゃあ)」
と言い、通話を切った。
「Tenebraire ?(……テネイベール?)」
と、アリシアは問う。アルスは答える。
「Oui, parce qu'il lui ressemble, dit Luna en parlant d'elle-même. Et pour les membres de l'Église de Kyokushu, Tenebraire est un traître, ce qui le rend extrêmement désagréable. C'est parfait pour les provoquer.(ああ。見た目が似てるからな。ルナは自分自身をそう言ってる。……旭鷲教会の連中にとっては、テネイベールは裏切り者だから不愉快極まりない。ただ、それで挑発するには最適だ)」
そう言った恋人に、赤毛の少女は
「Je ne suis pas impressionné. Utiliser le nom de la fille de notre déesse à des fins de provocation.(……感心はしないわね、アタシたちの女神の娘の名を……挑発目的で使うなんて)」
と苦言を呈した。
「Bien sûr, Luna le sait.(無論、それはルナも判ってるだろうがな)」
と流雫をフォローしたアルスは、続けた。
「Mais avec son apparence, il n'est pas étonnant qu'elles soient sur lui. Pas étonnant qu'ils soient sur lui, même s'il ne leur dit rien.(……だが、あの見た目だ。……あいつから言わなくても、連中からは目を付けられていても不思議じゃない)」
「Luna lui-même, un concept traître.(ルナ自身、裏切り者の概念……)」
そう言ったアリシアに、アルスは頷く。
「Ce n'est pas seulement un concept. Il y a une vidéo de lui en train de se battre. C'est un téléchargement non autorisé d'une vidéo d'espionnage.(概念だけじゃない。あいつが戦ってる動画が上がってる。盗撮の無断アップロードだが)」
と言って、アルスは動画アプリを開き、ブックマークに登録したうちの2本を再生した。
……渋谷で、自由自在に動き回っては犯人に立ち向かう様子。そして河月の教会で、1人中に入っていった少女と飛び出してくる様子……。
「Bien qu'il s'agisse d'une rencontre accidentelle, il a dû se battre contre l'agresseur. Au Japon, ils sont autorisés à porter une arme à cette fin.(……偶然遭遇したとは云え、犯人と戦わざるを得ない。日本では、そのために銃の携行が認められてる)」
と説明した恋人に、眉間に皺を寄せたアリシアは問う。
「Il ne s'enfuira pas ?(逃げないの?)」
「Ce n'est pas que je ne veux pas m'enfuir, c'est que je ne peux pas. Je dois donc me battre pour m'échapper. Je dois donc me battre pour m'échapper. C'est ce que dit Luna.(逃げないんじゃない、逃げられないんだ。だから逃げるために戦うしかない……ルナはそう言ってる)」
と答えたアルスに、アリシアは言った。
「Pourquoi les armes à feu sont-elles autorisées au Japon ?(そもそも、どうして日本で銃が……)」
……偶然落ちていた銃に触れただけで逮捕される。それほどに、世界一銃に厳しかった日本が、何故一転して銃社会になったのか。その疑問も浮かぶ。
ただ、それは時代の流れ……で済ませることにした。それとこれとは全くの別物だ、日本人ではなく日本に住んでもいないヴァンデミエール家の長女にとっては無関係な話だ。
「Parce que les temps ont changé, je suppose.(時代が変わったから、だろうな)」
とだけ答えたアルスも、それは少しだけ引っ掛かっていた。だが、今話すべき中身ではない。
「Allons-y.(……行くか)」
と言ったアルスの隣で、アリシアは普段の表情に戻る。
……ルナに力を貸すのはアルスの役目。しかし、気付けばアリシアも首を突っ込んでいた。彼女自身、思うことが有ってのことだ。ただ、ルナは知らなくて構わない……。
その恋人の隣で、アルスは今の日本で起きていること、そしてこれから起き得ることが、自分たちの想像を超えているのではないか、と云う不安を表情に滲ませていた。
「……澪、昼間……僕が言ったこと、覚えてる?」
そう問うた恋人に、澪は
「……血の旅団が、旭鷲教会と決別したい……?」
と答える。帰国したばかりの少年の第一声だった。
「うん。……フランスでは以前から噂にはなってたらしいけど、それが現実になった」
「今の……その話だったの?」
と澪は問う。
「うん。詳しくは明日話すことになるだろうけど、それがどう転ぶか……」
と答えた流雫は、深く溜め息をつく。……覚悟はできている。いや、するしかない。
それと同時に、澪のスマートフォンが通知音を立てた。
「詩応さん……?」
そう呟いた澪は、詩応からのメッセージに目を通す。
「……新しい司祭と話した時の音声」
と云うテキストの下に、共有された音声データのURLが貼られていた。澪はすぐにダウンロードし、再生ボタンを押す。
……短くも生々しい会話。少し聞こえにくい箇所も有るが、大体クリアに録音されている。
「……総司祭に相応しい風格なんてものは無いの……?」
と澪は呟いたが、流雫もその隣で頷いていた。
「聞けば聞くほど……苛立ってくるわ……」
と打ち返した澪は、しかしふと思い立った。澪は流雫にそのことを問うと、彼は賛成した。
「詩応さん、明日の合宿は何時まででしたっけ?」
と問う澪。教会で解散した後に臨海署に向かうことは聞いていたが、時間までは知らなかった。
「8時半かな」
その返事が届くと、澪はすぐに打ち返す。
「明日、流雫と迎えに行きますよ」
……澪は、総司祭の言葉に不安を感じていた。詩応の姉は渋谷で殺された前日、旭鷲教会のことを耳にした。その口封じだとすると、詩応は最悪殺される。
被害妄想が激しい……それで済めばよいが、残念ながらそうはならないだろう。1人にしないこと、それだけでも十分抑止力にはなる。そう判断してのことだった。
詩応からの返答を待って、そう決まった。だが、一つだけ問題が有った。……流雫の存在。
澪のヘアスタイルはダークブラウンのセミロングだから、あまり目立たない。フロントに手を入れるだけで十分だった。
しかし、流雫はシルバーの時点で目立つし、そもそもオッドアイが特徴的だ。ヘアスタイルをいじったとしても、目の色だけは……。しかし、カラーコンタクトレンズなんてものも持ち合わせていない。
せめて服で隠すしかない、と思った澪は、ふと机の上のロススタのグッズを目にした。
……一度、ノリで秋葉原のハロウィンイベントで、流雫に最推しの美少女騎士のコスプレをさせたことが有る。それがスタッフも感嘆するほど似合っていた。
……そのテが有った。澪は思わず微笑む。遊びではないことは判っているが。
犯人を除く教団関係者で唯一、総司祭の暗殺を目撃した。だが、今はこの教会と隣接する宿舎にいる全員に対して疑心暗鬼になっている。
……姉の手帳に目を通したあの日から、真以外信じられなくなった。そして、あの犯人の言葉が正しければ、今度はアタシが口封じにと殺される。そして、恐らくは部外者の流雫と澪も。
最悪なことに、過去の事件で関東の2人がテロ犯と戦っている様子が動画で盗撮され、投稿サイトにアップロードされている。特定は時間の問題か。特に流雫は、見た目からして目立つから、危険度は高いと思っている。
無論、詩応も動画を見掛けては削除を求めて通報しているが、削除までは至らない。それがボーイッシュな少女にとっては苛立たしい。
今回、詩応に割り当てられた部屋は個室だった。しかし、部屋に入っても事件のことは口に出さなかった。下手に聞かれるとマズい……そう思っていたからだ。
そもそも、詩応が〆切直前で合宿に行くことに決めたのは、姉が遺した手帳に書かれていたことが真実か否か、確かめたかったからだ。陸上を辞めたから時間ができた、は尤もらしい理由に過ぎないのだ。そのことは、真にすら話していない。
ただ、精力的に動きながら聞き耳を立てていたが、それらしい情報は手に入らなかった。やはりトップシークレットなのか……。
そう思っていると、部屋のドアが叩かれる。もう20時だ。
「伏見さん、司祭がお呼びです。講堂へ」
とドア越しに聞こえた女の人の声に、詩応は
「……どう出てくるか……」
と呟く。
この時間に司祭から直々に話……怪しくないワケが無い。詩応は、Wi-Fiに接続していたスマートフォンを少しだけ触ると、ブルートゥースイヤフォンをデニムジャケットのポケットに入れ、部屋を後にした。
講堂は宿舎の1階に位置する。研修の座学で使われるが、長机と椅子だけ。宛ら激励の紙が貼られていない予備校のようだ。
ドアを開けると、そこには髭を長く生やした中年の男がいた。確か、副総司祭の1人だったような……。ネイビーのスーツの着こなしぶりは、貫禄を見せ付けるようだ。
「……先刻の集会にはいなかったから、直接話をすることにした。……私が今日から、太陽騎士団日本支部の総司祭だ」
その言葉に、詩応は定型的な反応を示す。
「……おめでとうございます。……ただ、そう言っていいものか……」
「君も知っているのか。あんなことが起きたから、手放しで喜べないとは思っている。……悲しい事件だった。付き人に殺されるとは……」
そう言った新しい総司祭は一度遠い目をした後、ターコイズ色をした瞳に再度目を向ける。……その奥で、僅かに睨みを利かせているように詩応には見えた。
「……悲しい事件と言えば、君の姉……伏見詩愛。彼女も非常に残念だった。まさか通り魔に殺されるとは……」
その言葉に、詩応は歯を軋ませる。
「太陽騎士団にとっても、敬虔な信者の死は大きな痛手だった。そして残念ながら……君は彼女の死を、正しく受け入れられていない」
その言葉に、微かに睨むような目で司祭を見る少女。何を言いたい?
「事件は過去のこと、時は戻らない。犯人を憎むより自分の分まで強く生きろ……そう彼女も望んでいるハズだ。そのためには更なる功徳を……」
……限界だった。お前に詩愛姉の何が判る!?そう怒鳴りたかった。
「……アネキの死は、通り魔なんかじゃない……。存在が邪魔だと思われたから、殺されたんだ……」
と、あくまで冷静に言葉を被せる詩応。……冷静さを欠かないこと、それは流雫から学んだ。
総司祭は唸り、
「……ならば、殺したのは誰だと思うのかね?」
と問う。詩応は一呼吸だけ置いて、答えた。
「……旭鷲教会、その名前を洩らされては困る連中……。……例えば、この太陽騎士団に成り済ましがいるとすれば……」
ボーイッシュな少女が吐き出す言葉を、総司祭は
「ふん」
と鼻で笑うと
「とんだ妄想を。君は姉の死に囚われているが為に、疑心暗鬼になっているだけだ。それでは彼女も浮かばれんぞ」
と一蹴した。その目は、呆れと不快感に満ちている。
「……更なる功徳を積む。それが姉の死を弔い、君自身も報われ、大人になる唯一の術だ。前を向いて歩き給え」
と続けた総司祭に、詩応は頭を下げなければ目も合わせず、講堂を後にした。
部屋に戻ると、詩応はスマートフォンを手にし、イヤフォンを耳に当てた。
……今の遣り取りが、ボイスレコーダーアプリに記録されている。収穫は無いに等しかったが、しかしあの態度が気になる。
……姉の死に触れるな、と言っているようだった。しかし、その件で先手を打ったのは総司祭の方だ。……合宿名簿を目に通した時から、こうして呼び出して牽制するのは既定路線だった……?
そして、それは同時に昼間の事件に触れさせまいとしているように見えた。触れられては厄介だからか。……ますます疑心暗鬼に陥る。
「っ!!」
詩応はベッドを叩いた。……何が、前を向いて歩き給え、だ……。その言葉は詩応にとって、姉への冒涜でしかなかった。一瞬で怒りが甦る。
……とにかく、明朝に合宿が終わる。もうこの宿舎にいなくていい。その足で臨海署に向かい、夕方の新幹線で帰る。
それに備えて少し早めに寝たいが、しかし眠れるとは思わなかった。不穏な予感は、今日の疲れから来そうだった眠気を駆逐していた。
新宿駅で詩応と別れた流雫と澪の2人が、室堂家に着いたのは19時頃だった。既に父の常願は帰り着いている。
2人は、すぐにルームウェアに着替えた。流雫のそれは、去年のクリスマスに澪がプレゼントしたものでネイビーの地に白と赤のアクセントが入っていて、彼の祖国を彷彿とさせる。
澪の両親は、一人娘の恋人が家に泊まることを歓迎していた。特に母の美雪と、流雫の母アスタナが大学時代に交遊が有ったのも大きい。
ディナータイムが終わり、バスルームで冷えた身体を温めた2人は澪の部屋に入る。確か、今年に入って澪の部屋に入ったのは初めてか。
2人きりの部屋で、澪は床に座ろうとした恋人を強く抱いた。流雫はその勢いに耐えきれず、澪の下敷きになる形でベッドに倒れた。
「澪……!?」
押し倒された形の流雫の胸板に顔を埋める澪の吐息が、嗚咽に変わる。
「流雫……流雫ぁ……っ……!流雫ぁ……!」
最愛の少年の名を、少女は何度も呼び続ける。
2週間……距離を置きたいと思いつつも寂しさだけが募っていたこと、そして楽しみだった今日の再会をあんな形で迎えたこと……。何より、詩応を見ていられなくて、自分の感情を後回しにしたこと……。
その反動が、今になって一度に襲い掛かる。感情は大爆発を起こしていた。
「澪……」
と名を呼んだ流雫は、少女の頭に手を回す。ネイビーのルームウェアの胸元が濡れていくのが判る。
……澪は、恋人の熱に触れていたかった。触れられれば、何時だって安心する。言葉なんて無くても、それだけで生きていることが判るから。それだけはオンラインじゃ、スマートフォン越しじゃ絶対に伝わらないこと。
……あたしには、流雫しかいない。あたしは、流雫がいなきゃ……。その重く痛々しく見られても、一途と呼びたい想いを、澪は確かに抱きしめていた。
スマートフォン用パズルRPGゲーム、ロススタ。ルナと名付けた美少女騎士を使って、一見難しそうなステージを軽々とクリアしていく澪のプレイを、流雫は隣で見ていた。同時に、モバイル回線が未だ使えない以上、Wi-Fiの便利さを痛感する。そして流雫も、今その恩恵を受けていた。
……2時間前、少女は最愛の少年に抱きついて泣いていた。しかし、今は既にその様子が無く、折角の2人きりの夜を楽しもうとしていた。
突如、部屋に響くスマートフォンの通知音。流雫の端末からで、相手はその音からアルスだと判る。……画面の時計は23時を示している。フランスは16時か。
「Earth ?(アルス?)」
流雫は端末を耳に当てる。その名前に、澪は遊んでいたゲームのアプリを閉じた。
「Luna. Je viens d'avoir des nouvelles d'Alicia. Il y a quelques instants, les Blood Brigades ont finalisé leur décision de se dissocier de l'Église de Kyokushu. Suite à l'assassinat du Grand Prêtre de l'Ordre du Soleil à Tokyo dans la journée. Elles ont déjà envoyé la lettre de désaffiliation.(ルナ。……今アリシアから聞いた。先刻、教団が旭鷲教会との絶縁を最終決定した。東京で昼間に起きた、太陽騎士団の総司祭暗殺を受けて。既に絶縁状は送付したらしい)」
「Je savais qu'il s'agissait de l'église de Kyokushu.(やはり、旭鷲教会の……)」
と流雫が言うと、アルスは問うた。
「Après tout ?(やはり?)」
「J'étais au milieu d'une tentative d'assassinat. Je n'ai pas vu le moment de mes propres yeux, mais il se trouve que j'étais dans le même œil que l'auteur de l'attentat.(……遭遇したんだ、暗殺。瞬間をこの目で見たワケではないけど……、偶然実行犯と目が合って)」
と流雫は答える。偶然目が合って……少しだけフェイクを噛ませたが、そうしないと現場にいた理由の説明が面倒だったからだ。
澪は、最愛の少年が何を話しているのか判らなかった。英語なら未だ幾分マシなのだろうが、如何せんフランス語だ。しかし、その声のトーンから、他愛ない話ではないことだけは判る。
……ブルターニュ公園の端、アリシアの隣で目を見開いたアルスは通話相手の日本人に問う。無意識に声に焦りが滲んでいた。
「Tu l'as eu ? Est-ce que ça va ?(遭遇って……、……無事か!?)」
「Je n'ai pas été blessé. L'auteur de l'agression a été arrêté sur le champ. Mais.(怪我はしてないよ。犯人はその場で逮捕され……)」
そこで流雫は言葉を止めた。……逮捕?
「Les arrestations sont si rares.(……逮捕なんて珍しい……)」
と、思わず呟く。
……そう、名古屋では全員自爆しているし、河月では味方に射殺されているか心中で焼死している。ただ、今日新宿で戦った犯人は、揃って警察に逮捕されている。
「Qu'est-ce que vous dites ?(どう云う意味だ?)」
そう問うたアルスに、流雫は答えた。
「Jusqu'à présent, tous les coupables sont morts sur place. Je suis sûr que c'était pour qu'ils se taisent. Et pourtant, personne n'est mort aujourd'hui. Et pourtant, personne n'est mort aujourd'hui, malgré l'inévitable mention de l'implication de l'Église de Kyokushu dans l'interrogatoire.(今まで……犯人は全員その場で死んでる。口封じのためだとは思うけど……。なのに、今日は誰も死んでない。……取調で、旭鷲教会の関与についての話は避けられないのに……)」
「Ils pensent pouvoir la contourner ?(……躱せると思ってるのか……)」
そう言ったアルスに、流雫は
「Peut-être.(多分……)」
と答えるのが精一杯だった。
「Et.(……それと)」
と言ったブロンドヘアの少年は、一瞥した恋人が頷くのを待った後で続けた。
「Vous souvenez-vous de l'attentat contre l'église de Rennes ? C'était apparemment exactement ce que vous pensiez.(……レンヌの教会爆破が有ったろ?あれは……どうやらお前が読んだ通りのようだ)」
「Il n'en est pas question.(……まさか)」
流雫は眉間に皺を寄せる。……それはつまり。
「Oui, l'Église de Kyokushu l'a probablement fait.(ああ、旭鷲教会の仕業……その可能性が高い)」
「Mais pourquoi commettre des crimes en France ?(でも、フランスで起こす理由が……)」
と流雫は言葉を被せる。
……そう、日本国内の活動に特化しているハズの旭鷲教会が、何故フランスでテロを起こしたのか。
アルスは一度、流雫の疑問を一蹴した。しかし、それが取り消されている。……不穏なことこの上無い。
「Je n'en sais rien. Mais il est certain que l'affaire Rennes-Tokyo a déclenché l'isolation.(それは判らん。だが、それと東京の件が、絶縁の引き金になったことは間違い無い)」
そう言ったアルスは、
「Luna.(……ルナ)」
とシルバーヘアの少年の名を呼び、釘を刺した。
「Méfiez-vous d'eux, car maintenant que les Blood Brigades sont hors d'état de nuire, qui sait comment ils vont réagir.(……連中には気を付けろ。血の旅団の柵が外れた以上、どう出るか判らないからな)」
「Merci. Mais quoi qu'il arrive, je ne mourrai pas. Pour le bien d'Earth et de Mio.(……サンキュ。……だけど、どうなっても……僕は死なない。アルスのためにも……澪のためにも)」
と流雫が返すと、アルスはレンヌで聞いた名前を思い出す。
「Mio, votre déesse ?(ミオ……お前の女神だっけか)」
「Si j'étais Tenebraire, Mio serait Soleilidor.(うん。……僕がテネイベールなら、澪はソレイエドールかな)」
そう言って流雫は笑った。アルスもそれにつられて笑うが、すぐに真顔に戻る。
「D'un point de vue scriptural, Tenebraire connaît une fin spectaculaire. Mais vous devez vivre. C'est une promesse.(……経典上、テネイベールは壮絶な最期を遂げる。……だが、お前は絶対生きろ。約束だ)」
その言葉は、これから日本で起きることを予見しているかのようだった。
「Oui. Merci, Earth.(うん。サンキュ、アルス)」
と流雫が再度返すと、フランス人の少年は
「Je vous en enverrai d'autres si j'en ai. Au revoir.(また何か有れば送る、じゃあ)」
と言い、通話を切った。
「Tenebraire ?(……テネイベール?)」
と、アリシアは問う。アルスは答える。
「Oui, parce qu'il lui ressemble, dit Luna en parlant d'elle-même. Et pour les membres de l'Église de Kyokushu, Tenebraire est un traître, ce qui le rend extrêmement désagréable. C'est parfait pour les provoquer.(ああ。見た目が似てるからな。ルナは自分自身をそう言ってる。……旭鷲教会の連中にとっては、テネイベールは裏切り者だから不愉快極まりない。ただ、それで挑発するには最適だ)」
そう言った恋人に、赤毛の少女は
「Je ne suis pas impressionné. Utiliser le nom de la fille de notre déesse à des fins de provocation.(……感心はしないわね、アタシたちの女神の娘の名を……挑発目的で使うなんて)」
と苦言を呈した。
「Bien sûr, Luna le sait.(無論、それはルナも判ってるだろうがな)」
と流雫をフォローしたアルスは、続けた。
「Mais avec son apparence, il n'est pas étonnant qu'elles soient sur lui. Pas étonnant qu'ils soient sur lui, même s'il ne leur dit rien.(……だが、あの見た目だ。……あいつから言わなくても、連中からは目を付けられていても不思議じゃない)」
「Luna lui-même, un concept traître.(ルナ自身、裏切り者の概念……)」
そう言ったアリシアに、アルスは頷く。
「Ce n'est pas seulement un concept. Il y a une vidéo de lui en train de se battre. C'est un téléchargement non autorisé d'une vidéo d'espionnage.(概念だけじゃない。あいつが戦ってる動画が上がってる。盗撮の無断アップロードだが)」
と言って、アルスは動画アプリを開き、ブックマークに登録したうちの2本を再生した。
……渋谷で、自由自在に動き回っては犯人に立ち向かう様子。そして河月の教会で、1人中に入っていった少女と飛び出してくる様子……。
「Bien qu'il s'agisse d'une rencontre accidentelle, il a dû se battre contre l'agresseur. Au Japon, ils sont autorisés à porter une arme à cette fin.(……偶然遭遇したとは云え、犯人と戦わざるを得ない。日本では、そのために銃の携行が認められてる)」
と説明した恋人に、眉間に皺を寄せたアリシアは問う。
「Il ne s'enfuira pas ?(逃げないの?)」
「Ce n'est pas que je ne veux pas m'enfuir, c'est que je ne peux pas. Je dois donc me battre pour m'échapper. Je dois donc me battre pour m'échapper. C'est ce que dit Luna.(逃げないんじゃない、逃げられないんだ。だから逃げるために戦うしかない……ルナはそう言ってる)」
と答えたアルスに、アリシアは言った。
「Pourquoi les armes à feu sont-elles autorisées au Japon ?(そもそも、どうして日本で銃が……)」
……偶然落ちていた銃に触れただけで逮捕される。それほどに、世界一銃に厳しかった日本が、何故一転して銃社会になったのか。その疑問も浮かぶ。
ただ、それは時代の流れ……で済ませることにした。それとこれとは全くの別物だ、日本人ではなく日本に住んでもいないヴァンデミエール家の長女にとっては無関係な話だ。
「Parce que les temps ont changé, je suppose.(時代が変わったから、だろうな)」
とだけ答えたアルスも、それは少しだけ引っ掛かっていた。だが、今話すべき中身ではない。
「Allons-y.(……行くか)」
と言ったアルスの隣で、アリシアは普段の表情に戻る。
……ルナに力を貸すのはアルスの役目。しかし、気付けばアリシアも首を突っ込んでいた。彼女自身、思うことが有ってのことだ。ただ、ルナは知らなくて構わない……。
その恋人の隣で、アルスは今の日本で起きていること、そしてこれから起き得ることが、自分たちの想像を超えているのではないか、と云う不安を表情に滲ませていた。
「……澪、昼間……僕が言ったこと、覚えてる?」
そう問うた恋人に、澪は
「……血の旅団が、旭鷲教会と決別したい……?」
と答える。帰国したばかりの少年の第一声だった。
「うん。……フランスでは以前から噂にはなってたらしいけど、それが現実になった」
「今の……その話だったの?」
と澪は問う。
「うん。詳しくは明日話すことになるだろうけど、それがどう転ぶか……」
と答えた流雫は、深く溜め息をつく。……覚悟はできている。いや、するしかない。
それと同時に、澪のスマートフォンが通知音を立てた。
「詩応さん……?」
そう呟いた澪は、詩応からのメッセージに目を通す。
「……新しい司祭と話した時の音声」
と云うテキストの下に、共有された音声データのURLが貼られていた。澪はすぐにダウンロードし、再生ボタンを押す。
……短くも生々しい会話。少し聞こえにくい箇所も有るが、大体クリアに録音されている。
「……総司祭に相応しい風格なんてものは無いの……?」
と澪は呟いたが、流雫もその隣で頷いていた。
「聞けば聞くほど……苛立ってくるわ……」
と打ち返した澪は、しかしふと思い立った。澪は流雫にそのことを問うと、彼は賛成した。
「詩応さん、明日の合宿は何時まででしたっけ?」
と問う澪。教会で解散した後に臨海署に向かうことは聞いていたが、時間までは知らなかった。
「8時半かな」
その返事が届くと、澪はすぐに打ち返す。
「明日、流雫と迎えに行きますよ」
……澪は、総司祭の言葉に不安を感じていた。詩応の姉は渋谷で殺された前日、旭鷲教会のことを耳にした。その口封じだとすると、詩応は最悪殺される。
被害妄想が激しい……それで済めばよいが、残念ながらそうはならないだろう。1人にしないこと、それだけでも十分抑止力にはなる。そう判断してのことだった。
詩応からの返答を待って、そう決まった。だが、一つだけ問題が有った。……流雫の存在。
澪のヘアスタイルはダークブラウンのセミロングだから、あまり目立たない。フロントに手を入れるだけで十分だった。
しかし、流雫はシルバーの時点で目立つし、そもそもオッドアイが特徴的だ。ヘアスタイルをいじったとしても、目の色だけは……。しかし、カラーコンタクトレンズなんてものも持ち合わせていない。
せめて服で隠すしかない、と思った澪は、ふと机の上のロススタのグッズを目にした。
……一度、ノリで秋葉原のハロウィンイベントで、流雫に最推しの美少女騎士のコスプレをさせたことが有る。それがスタッフも感嘆するほど似合っていた。
……そのテが有った。澪は思わず微笑む。遊びではないことは判っているが。
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