上 下
59 / 67

対抗

しおりを挟む
「え? 待って。じゃあ、オギワラのお母さんって……」

 『お互いの立場がある』
 分かり合えない相手と対峙した時、なぁなぁでその場を収めるための金言だ。
 だが言葉を換えれば、目の前の停滞を甘んじて受け入れ、付かず離れずの関係を維持するための大義名分とも言える。
 そしてその言葉の裏では、何人もの人間が泣き寝入りを余儀なくされている。

 しかし、だからと言って『対立』が何かを生むかと言えば、必ずしもそうとは言えない。
 俺と、宇沢さん。
 まだ現段階では邪推に過ぎないが、二人の利害が一致しなければ、必然的に『救えない命』が出てきてしまう。
  
 俺はこの先、どうすればいいのだろうか。
 見当もつかない。
 ただ一つ言えることは、俺は事態を少し甘く見過ぎていたようだ。
 それだけは揺らぎようのない事実なのだろう。

「あぁ……。単純に偶然が重なったってだけで、お袋の癌が再発したってのも事実だし、余命2ヶ月ってのもマジなんだろうな。まぁつっても、奴らがこうして取り返しがつかなくなるまで、隠していたことに間違いはないが」

「そ、そっか……。あ、あのさ! そういう場合も、『マイナス提供』でどうにかなったりするの、かな?」

 恐る恐る問いかけてくる新井を前に、俺は何も応えることが出来なかった。
 
「……結論から申し上げます。無論、その場合も正式な登録手続きを経た鑑定士、もしくはそれに相当する管理者が手を下せば、は可能です」

「理論上は、ね……」

 俺がぼそりとそう溢すと、宇沢さんは顔を逸らす。
 新井の視線は、そんな俺と宇沢さんの顔の間を、目まぐるしいほどの勢いで往復する。

「まぁそうだな……。身も蓋もない言い方をすれば、お袋はヤツらに人質に取られている、という解釈でいいんすかね?」

「ひ、人質?」

 俺が宇沢さんに問いかけると、新井は疑心暗鬼も最高潮といった様子で、首を傾げる。

「はい。恐らくこの先、荻原さんが政府に対して協力する姿勢を見せれば、を通して『マイナス提供』が実行され、お母様の病気は寛解されるはず。なおその場合、政府は名目上、『AGH』の延長線での出来事であると処理するでしょうから、彼女が実行者であることに変わりありません」

「つまり、これまでの仕打ちと田沼さんの犠牲を受け入れ、政府に完全屈服するならば……、という理解であってますか?」

「……そう捉えていただいて、問題ありません」

「……でもその場合、お袋の疑いは永遠に解けないし、刑期もそのまま。俺も含めて、親子共々一生底辺で這いつくばることが決定的になる、と」

 俺はそう言うが、宇沢さんは何も応えなかった。
 その沈黙の意味するものは、わざわざ聞くまでもなく分かる。

「……まぁ要するに、だ! 田沼さんは、俺がこの先どう打って出るか様子を見ているんだ。いや……。というより、俺に決定権そのものを禅譲した、といった方が正しいか。幸い、この場には宇沢さんがいる。場合によっては、ココで鑑定士登録を済ませる、なんて力業も可能なはずだ。俺が田沼さんのスペアっつったのは、そういう意味だ」

「そ、そうなんだ。でもそれってさ」

 新井が言いかけたところで、宇沢さんは諦めるように深く息を吐いた。

「……荻原さんのおっしゃる通りです。スペアと言うと、少し語弊があるかもしれませんが、彼女は間違いなく、荻原さんに手綱を預けている。その先に待ち受ける、一切のリスクをその身に受ける覚悟で」

 宇沢さんはそう言って、力なく俺と新井から視線を背けた。
 そんな彼を見て、再び彼女の言葉が脳裏を掠める。

『一つ! 最大幸福社会を実現するための第一歩は、それを担う『為政者』が幸福を手にすること!』

 何が、『選択』だ……。
 こんなものが、『選択』であってたまるか。
 これまであたかも、『為政者』かの如く振る舞っておいて、土壇場でバトンタッチなど都合が良過ぎるだろう。
 それに何より、最大幸福社会の実現などと、他人に偉そうに講釈を垂れておきながら、自分をその頭数に入れないなど、エゴイスティックにもほどがある。

「一つ。事実関係を申し上げますと、荻原さんがどちらの計画に加担するにせよ、お母様の命を助けることは出来るでしょう。そして、たとえ荻原さんが彼女に協力する道を選んだとしても、『AGH』の実行者の名義は彼女になっていますから、あなたやお母様に何か不都合が生じることもありません」

「わざわざ言われなくても分かりますよ……」

「はい。ですから僕としても、このままのうのうと彼女の思惑通りにさせるわけにはいきません。僕は僕で、第三の道に進むつもりです」

 俺の邪推を決定付けるような一言を、宇沢さんは言い放った。
 やはり、か。
 俺はこれから、この国の行く末を左右するほどの『選択』を強いられる。
 そんな予感が、脳裏を駆け巡った。

「第三の道って……。ウザワさんは政府には従わないつもり、なんですか?」

 新井は、心配そうに問いかける。

「えぇ。『FAD』であれ『AGH』であれ、彼女が形代になると決まっている以上、田沼 茅冴の身の安全は保証されません。であれば彼女を救うためにも、僕は僕で別の道を模索するまでです」

「……具体的に聞かせてもらってもいいですか」

「まず第一に。USBの使用権限を制限するため、ポイントのビッグデータにサイバー攻撃を仕掛け、システムの一部凍結を行います。これによりポイント回りに関して、政府の干渉を防ぎます」

 俺の催促に、宇沢さんは静かに淡々と話し始めた。

「そして、その間に一部警察・自衛隊と連携して、官邸及び各省庁、主要メディアを占拠。全ての統治機構が麻痺したところで、マスコミを通じて全国民に『FAD』の全容を暴露し、彼らの非人道性を喧伝します。なお、この時点でシステムの使用権者は、事実上我々だけですので、改竄による妨害のリスクはありません。また、計画自体が明確に国連憲章に反しているので、米国をはじめとする各国から政権への外圧も期待できます」

 大凡、昨日今日で思いついたようには思えない。
 何一つ詰まることなく滔々と話すその姿を見るに、彼も彼で虎視眈々と機を窺っていたのだろう。

「肝心なのはここからです。その後、一連の混乱に乗じて、検察から彼女の身柄を奪い返します。そして、各メディアを通して、彼女を『政府の私情によって切り捨てられた悲運の厚労官僚』に仕立てあげ、世論を煽る。民意の後押しを得た上でビッグデータ及びUSBを破壊し、『不幸の再分配』という概念そのものをこの世から抹消します」

 馬鹿げている。
 率直に、そう思ってしまった。
 聞けば聞くほど、彼女のことをどうこう言えるレベルではない、途方もない陰謀に感じてしまう。
 実行可能性についても、大いに疑問だ。
 だが……、それ以前に俺には、確認すべき事項がある。

「一つ、聞きたいことがあります」

「……なんでしょうか」

 宇沢さんはそう言いながらも、俺がこれから投げかける質問をどこか悟っているかのような雰囲気だった。

「その場合……、お袋はどうなるんですか」

「システムそのものを物理的に破壊する以上、『マイナス提供』の実行は難しいかと……」

 宇沢さんとしても、不本意。
 そんなことは、目の前で疚しげに顔を伏せる彼の姿を見れば、一目瞭然だ。
 しかしだからこそ、堪えるものがある。

 また、か……。
 この期に及んで、俺たちは切り捨てられようとしているのか。
 分かっている。
 このままお袋の命を救ったところで、次に犠牲になるのは田沼さんだ。
 それを良しとする考えは、俺には微塵もない。
 だがそれでも、邪で卑屈な恨み言が頭にちらついてしまう。
 命の重さ、価値の違い。
 事あるごとにそれを突きつけられ、抑圧されてきた俺たちは、誰の目から見ても疎ましく後ろめたい存在なのだろうか。
 全ては、親父が撒いた種、因果応報、なのか。

「……無理を承知で申しますが、ご理解下さい。『不幸の再分配』を否定する立場でそれを扇動する以上、僕が制度のを許すわけにはいきません。それに……。仮りに実行するとして、事実上の犠牲者となる実行者には誰を選ぶおつもりですか?」

 言葉を失う俺に、先読みするかのように聞いてくる。
 
「……平然とよくそんなことが言えますね。平身低頭謝ってきたと思ったら、舌の根も乾かぬ内にこれですか? さっきのは、一体何だったんすかね!?」

「弁明の余地もないですね……。許して欲しいとも思いません。ですが、これは被害を最小限に抑制しつつ、現状の歪な支配体制を覆すための最善の策。今後将来に渡って、荻原さんのような方が現れないようにするためでもあるんです」

「また、ですか……。お袋はまた、一時の『正当性』とやらを担保するための生贄になるんですか……」

「荻原さんには、本当に申し開きようがありません……。しかしそれでも、です。僕はやらなければならない。これしか、彼女を救う道はないんです……。僕が選ばなければ、一体誰が彼女を選ぶというんですかっ!?」

 宇沢さんは激しい剣幕でそう言うと、突き刺すような視線を向けてくる。
 彼が発する、その場に縛り付けるかのような圧に、俺は思わず釘付けになってしまう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黒蜜先生のヤバい秘密

月狂 紫乃/月狂 四郎
ライト文芸
 高校生の須藤語(すとう かたる)がいるクラスで、新任の教師が担当に就いた。新しい担任の名前は黒蜜凛(くろみつ りん)。アイドル並みの美貌を持つ彼女は、あっという間にクラスの人気者となる。  須藤はそんな黒蜜先生に小説を書いていることがバレてしまう。リアルの世界でファン第1号となった黒蜜先生。須藤は先生でありファンでもある彼女と、小説を介して良い関係を築きつつあった。  だが、その裏側で黒蜜先生の人気をよく思わない女子たちが、陰湿な嫌がらせをやりはじめる。解決策を模索する過程で、須藤は黒蜜先生のヤバい過去を知ることになる……。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

体育座りでスカートを汚してしまったあの日々

yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

バーチャル女子高生

廣瀬純一
大衆娯楽
バーチャルの世界で女子高生になるサラリーマンの話

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...