田沼 茅冴(たぬま ちさ)が描く実質的最大幸福社会

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怠慢⑩

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「オギワラ。昨日はありがとね……」

 翌日。
 世間では、相銀の強制捜査の話題で持ち切りだった。
 腐っても地銀トップの不祥事ともなれば、メディアが食いつかない理由はない。
 この先の展開も、大凡想像がつく。
 石橋の父親は政府との繋がりを仄めかしていたが、あちらはあちらで『極めて遺憾』などと、お得意の傍観者しぐさを決め込み、問答無用で彼を切り捨てるのだろう。
 場合によっては、野党議員や官僚絡みの新しいネタをリークし、一連の事件の真相を煙に巻くよう、マスコミに働きかける。
 そうして、批判の目が飛び火しないよう、事態の収拾を図るのだろう。
  
 しかし気になるのは、今後の石橋の父親だ。
 彼は去り際に『いつか真実を話す』などと話していたが、そこからどう事態が転がっていくのかは、今のところ未知数である。
 果たして、石橋の父親はお袋の一件とどう関わっていたのだろうか……。
 
 そんな一企業の薄暗い裏事情など、自分の人生には塵ほどの意味も為さないとでも言うかのように、スペイン語クラスの連中は今日もだ。
 『クソムカつく配信者が炎上してメシウマ』だの、『昨日マチアプで会った女が界隈で有名な地雷だったけど、可愛いから結局ヤッた』だの、皆それぞれ生産性のない話に花を咲かせていた。
 かと思えば、まるで熟練の検察官かの如く、事件の全容の推論をしたり顔でほざき倒す『意識高い系中二病』も混在していて、教室の空気はカオスそのものである。

 もはや、耳に入ってくる情報だけで疲弊してしまう。
 俺は教室に着くなりイヤホンを耳に差し込み、早々に仮眠の体勢に入る。
 だが隣の席に座る新井は、ソレを許してはくれなかった。
 どこかこそばゆそうな、それでいて胸のつかえが取れたような清爽な笑顔を見る限り、昨夜は久方ぶりに親子で胸襟を開いた会話が出来たのだろう。

「……何がだよ?」
「ほら! お母さんのこととか、お金のこととか、さ」
「あぁ。別に気にすんなって。実際に何かするのは神取さんだ。第一、未だ何も解決してねぇしな」
「そういうことじゃなくて! アンタが居なかったら、色々と気付けなかっただろうし……」
「……そんなん偶然の産物だろ、全部。実際、俺はあの強烈な母親の猛攻に、必死にカウンターしてただけだしな」
「そうだとしてもさ。結果的にアタシもお母さんも、ちょっと救われたんだからさ。……つーか、お礼ぐらい素直に受け取りなさいよ!」

 彼女は不服そうに頬を膨らませ、憤慨してみせる。

「……そうかよ。まぁでも、結果的に会っておいて良かったとは思ってるよ。二人目の父親の話とかも、聞いてなかったしな」
「あぁ、アレね……。やっぱ、アンタの抱えてるものの重さとか色々考えちゃったらさ。アタシばっかそういうこと愚痴るのもどうかなって思っちゃって……。別に隠してたとかじゃないよ!」

 新井はバツが悪そうに、慌てて弁明に走る。
 
「……そんなん、わざわざ言うもんでもないだろ。俺だって他人のトラウマ、ムリクリほじくり返す趣味もねぇしな」
「なんか、アンタっていっつもそんな感じだよね! まぁいいや。でさ! これからどうすんの? 『鑑定』は大丈夫そ?」
「……まぁ、あとって感じだな」
「あぁ、そっか。あの担当のホスト、だよね……」

 昨日、俺は帰り際に新井の母親から、彼女の担当ホストについて聞いた。
 源氏名は、嗣武シン
 まぁそれだけ聞いたところで、特段どうというわけでもないのだが、問題は彼が在籍する店にあった。なんせ……。 

「こんなこと言うのも、何だけどさ。アタシたちはもうかなって……」
「はぁ?」
「だ、だってさ! オギワラのおかげで、だいぶ道筋ついたっていうかさ! ぶっちゃけ、後はアタシたちの問題だし……」
「……悪いが、こちらサイドが大丈夫じゃねぇんだわ」
「そっか……。だよね。いやっ! アタシは別に全然構わないんだけどさ!」

 ホストクラブ『Farbenフェルベン』。
 その名前は、随分と前に神取さんから聞いたことがある。
 何でも神取さん曰く、お袋が巻き込まれた事件の真犯人人物が在籍していた店のようだ。
 と言っても、それは彼と取引のあった探偵が、別件の素行調査で掴んだ情報の切れ端から、偶然浮かび上がったというだけで、再審請求に足りる十分な証拠があったわけではなく、当時は話半分で聞いていた。
 それは神取さんとて、同じだろう。
 しかしココにきて、何の巡り合わせか再びその名を聞いたことで、妙な現実味を帯びてきているように感じてしまう。
 それこそ、いつか田沼さんに指摘されたように、長年燻っている怨恨のようなものが体中から込み上がってくるような感覚さえある。

 恐らく、は加害者の息子である俺が首を突っ込むのは、それなりに危険を伴うはずだ。
 新井も、それを危惧しているのだろう。
    さしもの新井と言えど、命そのものが絡めば慎重になる、か。
 
「ハヤトさんに言ってさ……。そっちに任せる、とかじゃダメなの?」
「ダメ、だな」
「そっか……。だよね。じゃあしょうがない、か」
「……第一、田沼さんには最後までやれって言われてんだ。勝手に投げ出したら、それこそ何されるか分からん。お前の母親にもデカイ口叩いちまったしな」
「ま、まぁ別にアタシたちのことは気にしなくてイイんだけどさ……」

 新井は、どうにも腑に落ちていない様子だった。
 彼女には悪いが、やはり多少のリスクを冒してでも、俺自身の手で真相に辿り着きたい。
 そういう意味では、俺の中で既に覚悟が据わっているのかもしれない。
 それにしても、まさかこういったカタチで新井の依頼を利用することになるとは思わなかった。

「そういえばさ。チサさんの方は大丈夫なのかな?」
「……まぁ政府から何かしらの報復があってもおかしくはないだろうな」
「だよね……」
「つっても、最初に喧嘩ふっかけたのはあの人だしな。流石に全くの丸腰、ってことはねーんじゃねぇの? 知らんけど」

 実際、あの人が何を考えてるのかは本当に謎だ。
 どうして、そこまで俺の身にこだわるのか。
 結局、彼女と政府との因縁とは何なのか。
 色々と間が悪く聞き損ねた部分はあるが、不穏なことだらけだ。

「……それにしても、世の中うまくいかねぇよな。本来、がお困りの今こそ、ウチの会社は書き入れ時なのによ」
「確かに! 何かもう色々と、グシャグシャっていうか何ていうか……。あはは」

 俺が冗談半分に口にした話に、新井は苦笑する。
 彼女も彼女で、この言い知れない不気味さとやらに怯えているのだろう。
 無論、それは俺とて同じだ。
 
「とりあえず、だ! 早速だが、今日にでも当たってみようと思う」
「へ? 当たるって? 具体的に何すんの?」

「まぁ簡単に言うとだな。のは、お前の母親一人じゃねぇってことだ」

 俺がそう言うと、新井は大きく首を傾げる。
 その最中、神戸がいつもの不快な笑みを引っ提げて教壇の前に現れ、俺と新井の作戦会議は終わりを告げた。
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