35 / 67
理想
しおりを挟む
「うぅっ……」
父親が会議室を出た瞬間、石橋はその場で膝をつき、泣き崩れる。
「イシバシッ!!」
新井は石橋に駆け寄り、背中を擦り始めた。
『ありがとう』と蚊の鳴くような声で、石橋は応える。
「ごめん、新井さん。もう大丈夫、だから……」
一頻り泣き、落ち着くと、石橋は新井の手を払い除ける。
新井は小さく『そう……』と呟き、石橋から離れた。
そのまま石橋はゆっくりと立ち上がると、俺たちに軽く会釈をし、ふらふらと会議室を後にする。
田沼さんは、そんな彼の姿を他人事のように色のない顔で見つめていた。
「……本当に、これで良かったと思いますか?」
「はい」
「即答、なんですね……」
俺は、フリ姉や石橋に構い過ぎた。
それは事実なのだろう。
俺たちの役目は、ただの誘導であり、きっかけ作りに過ぎない。
彼女は、自分の役割を粛々とこなしただけなのだ。
飽くまで今のところは、だが……。
「石橋取締役は、きちんと石橋さんを拒絶しました。これは彼にとって『石橋家からの解放』と同義、と思いませんか? もう既に事態はここまで拗れていたのです。それこそ、石橋さんが生まれるよりも前から……。であれば、この辺りが落としどころとしては最適でしょう」
「……他人事だと思って、適当に言ってたりします?」
「納得、いきませんか?」
彼女はそう言って、俺の顔を覗き込む。
「荻原さん。あなたが解せないと感じている点を当てて差し上げましょう」
言い淀む俺を見透かしたかのように、彼女は先手を打ってくる。
「また、ですか……。好きですね、それ」
「『ショック療法にしても、行き過ぎだ。ものには限度がある』、ですか?」
呆れながら皮肉を溢す俺に構わず、彼女は心境を見抜いて見せる。
「……よくお分かりで」
「でしょう。何年、荻原さんを見てきたと思ってるんですか」
「何年って……。意味分からないこと言わないで下さい。年単位であなたに見張られてたらと思うと、背筋が凍ります」
俺がそう応えると、お得意のねっとりとした視線でマジマジと俺の顔を見つめてくる。
その、これまでとはまた違った種類のプレッシャーに負け、俺は視線を逸らしてしまう。
「荻原さん。率直にお聞きします。この仕事について、どうお思いですか?」
妙に改まった様子で、彼女は聞いてくる。
「また、ざっくりとした質問ですね……。どう、と言われても……」
意図が読めない……。
だが、真顔で穴が開くほどにこちらを凝視してくるあたり、俺の答え如何で今後が左右する、ということだけは何となく理解できた。
「では今一度、おさらい致しましょう。荻原さん。我が社の存在意義は何ですか?」
答えに窮する俺に、彼女はさらに質問を被せてくる。
「……世の中の不幸のバランスを取ること、です」
「はい。ではまず、石橋さんの依頼を例に取ってみましょう。今回、偶々複数の依頼が同時期に重なりましたが、図らずも我々が意図していた結果をもたらしました。ここまではよろしいですね?」
「……まぁ色々と疑問はありますが、方向性としてはそうですね」
「まさに華麗なる一族たる石橋家に、ある程度まで落ちぶれてもらう。そうすることで世のバランスは是正され、末端の人間が明日への活力を取り戻す。この一点において、我々の社会的意義は果たされたと言っていいでしょう。ですが、これでは根本的な解決にはならない……」
「そんなの……、今更じゃないですか? 第一、上の人間にとっては解決されたら困るんでしょ?」
「はい、その通り。末端でごちゃごちゃと足の引っ張り合いをしている限りは、彼らが矢面に立つことはありませんから。そこで荻原さんにお聞きします。そもそも根本的な問題とは何ですか?」
「根本的な問題、ですか……。それこそ格差、とかじゃないですかね? それも固定化された。まぁ石橋の件は少し特殊ですが……」
「ご名答。石橋さんの一件にしても、背後にある歪な支配構造に元凶があると言えます。階層の違いがあるとは言え、彼らも追われていたのです。一度沈んでしまえば、二度と浮上出来ないという恐怖から……。荻原さんにとっては受け入れ難いかもしれませんが、彼らもまた弱者なのです」
「弱者、ですか……」
「はい」
当然と言えば、当然かもしれない。
金や権力に捻じ曲げられた正当性は、末端の人間の抗う気力すら奪ってくる。
事実、俺とお袋は戦うことを諦めた。
他ならぬ、自由と尊厳を犠牲にして。
石橋の父親にしろ爺さんにしろ、自分たちより長いものに巻かれるしかなかったのだろう。
そんな彼らのことを『持つ者』などと……、言えるはずがない。
「お上の意向に沿って運営している以上、我々が出来ることには限界があります。『鑑定』にしろ『提供』にしろ、言ってしまえば厳格な枠組みの中で執り行われる、一種の儀礼のようなもの。結局……、私たちのやっていることなど、御為ごかしでしかないのです」
「……身も蓋もないですね。それに……、それの何が悪いんですか? 自分で言ってたじゃないですか。政府とは利害が一致しているって。金儲けが目的だって言ってませんでした? ていうか……、あなたもその厳格な枠組みとやらを作った一人でしょ? まぁ政府の監修の元、っていう大前提があるとは思いますけど」
俺がどこか試すように聞くと、彼女は口惜しそうに顔を俯かせる。
「おっしゃる通り、ですね……。でも、私には力が足りなかった。だからただただ彼らを追認するしかなかった……」
彼女の事情など知るところではない。
だが、その意味深な物言いに、俺は言い知れない疚しさに襲われた。
「ですが……、だからこそ、本質を理解する人間が主導権を握り、根っこからひっくり返す必要があるのです。私は荻原さんに依頼を通して、今一度思い知って欲しかった……。あなた自身の不自由さを。だから私は、あなたを招き入れた」
「……チ、チサさんっ! ソレ、どういう意味ですか!?」
彼女の唐突な言葉に、新井は分かりやすく狼狽する。
俺は俺で、出会った時とはまた違う、彼女の醸し出す不穏な雰囲気に飲まれそうになり、平静を装うことで一杯一杯だった。
「さっきから良く分からないことを延々と……。仰々しいにも程があるでしょうが……。結局、あなたは俺にどうして欲しいんですか?」
「では結論を申し上げましょう。荻原さんには一つ、提案をしたいと思っています」
彼女はそう言って、小さく咳を払う。
「荻原さん。私とともに、本物の『理想』を実現しませんか?」
父親が会議室を出た瞬間、石橋はその場で膝をつき、泣き崩れる。
「イシバシッ!!」
新井は石橋に駆け寄り、背中を擦り始めた。
『ありがとう』と蚊の鳴くような声で、石橋は応える。
「ごめん、新井さん。もう大丈夫、だから……」
一頻り泣き、落ち着くと、石橋は新井の手を払い除ける。
新井は小さく『そう……』と呟き、石橋から離れた。
そのまま石橋はゆっくりと立ち上がると、俺たちに軽く会釈をし、ふらふらと会議室を後にする。
田沼さんは、そんな彼の姿を他人事のように色のない顔で見つめていた。
「……本当に、これで良かったと思いますか?」
「はい」
「即答、なんですね……」
俺は、フリ姉や石橋に構い過ぎた。
それは事実なのだろう。
俺たちの役目は、ただの誘導であり、きっかけ作りに過ぎない。
彼女は、自分の役割を粛々とこなしただけなのだ。
飽くまで今のところは、だが……。
「石橋取締役は、きちんと石橋さんを拒絶しました。これは彼にとって『石橋家からの解放』と同義、と思いませんか? もう既に事態はここまで拗れていたのです。それこそ、石橋さんが生まれるよりも前から……。であれば、この辺りが落としどころとしては最適でしょう」
「……他人事だと思って、適当に言ってたりします?」
「納得、いきませんか?」
彼女はそう言って、俺の顔を覗き込む。
「荻原さん。あなたが解せないと感じている点を当てて差し上げましょう」
言い淀む俺を見透かしたかのように、彼女は先手を打ってくる。
「また、ですか……。好きですね、それ」
「『ショック療法にしても、行き過ぎだ。ものには限度がある』、ですか?」
呆れながら皮肉を溢す俺に構わず、彼女は心境を見抜いて見せる。
「……よくお分かりで」
「でしょう。何年、荻原さんを見てきたと思ってるんですか」
「何年って……。意味分からないこと言わないで下さい。年単位であなたに見張られてたらと思うと、背筋が凍ります」
俺がそう応えると、お得意のねっとりとした視線でマジマジと俺の顔を見つめてくる。
その、これまでとはまた違った種類のプレッシャーに負け、俺は視線を逸らしてしまう。
「荻原さん。率直にお聞きします。この仕事について、どうお思いですか?」
妙に改まった様子で、彼女は聞いてくる。
「また、ざっくりとした質問ですね……。どう、と言われても……」
意図が読めない……。
だが、真顔で穴が開くほどにこちらを凝視してくるあたり、俺の答え如何で今後が左右する、ということだけは何となく理解できた。
「では今一度、おさらい致しましょう。荻原さん。我が社の存在意義は何ですか?」
答えに窮する俺に、彼女はさらに質問を被せてくる。
「……世の中の不幸のバランスを取ること、です」
「はい。ではまず、石橋さんの依頼を例に取ってみましょう。今回、偶々複数の依頼が同時期に重なりましたが、図らずも我々が意図していた結果をもたらしました。ここまではよろしいですね?」
「……まぁ色々と疑問はありますが、方向性としてはそうですね」
「まさに華麗なる一族たる石橋家に、ある程度まで落ちぶれてもらう。そうすることで世のバランスは是正され、末端の人間が明日への活力を取り戻す。この一点において、我々の社会的意義は果たされたと言っていいでしょう。ですが、これでは根本的な解決にはならない……」
「そんなの……、今更じゃないですか? 第一、上の人間にとっては解決されたら困るんでしょ?」
「はい、その通り。末端でごちゃごちゃと足の引っ張り合いをしている限りは、彼らが矢面に立つことはありませんから。そこで荻原さんにお聞きします。そもそも根本的な問題とは何ですか?」
「根本的な問題、ですか……。それこそ格差、とかじゃないですかね? それも固定化された。まぁ石橋の件は少し特殊ですが……」
「ご名答。石橋さんの一件にしても、背後にある歪な支配構造に元凶があると言えます。階層の違いがあるとは言え、彼らも追われていたのです。一度沈んでしまえば、二度と浮上出来ないという恐怖から……。荻原さんにとっては受け入れ難いかもしれませんが、彼らもまた弱者なのです」
「弱者、ですか……」
「はい」
当然と言えば、当然かもしれない。
金や権力に捻じ曲げられた正当性は、末端の人間の抗う気力すら奪ってくる。
事実、俺とお袋は戦うことを諦めた。
他ならぬ、自由と尊厳を犠牲にして。
石橋の父親にしろ爺さんにしろ、自分たちより長いものに巻かれるしかなかったのだろう。
そんな彼らのことを『持つ者』などと……、言えるはずがない。
「お上の意向に沿って運営している以上、我々が出来ることには限界があります。『鑑定』にしろ『提供』にしろ、言ってしまえば厳格な枠組みの中で執り行われる、一種の儀礼のようなもの。結局……、私たちのやっていることなど、御為ごかしでしかないのです」
「……身も蓋もないですね。それに……、それの何が悪いんですか? 自分で言ってたじゃないですか。政府とは利害が一致しているって。金儲けが目的だって言ってませんでした? ていうか……、あなたもその厳格な枠組みとやらを作った一人でしょ? まぁ政府の監修の元、っていう大前提があるとは思いますけど」
俺がどこか試すように聞くと、彼女は口惜しそうに顔を俯かせる。
「おっしゃる通り、ですね……。でも、私には力が足りなかった。だからただただ彼らを追認するしかなかった……」
彼女の事情など知るところではない。
だが、その意味深な物言いに、俺は言い知れない疚しさに襲われた。
「ですが……、だからこそ、本質を理解する人間が主導権を握り、根っこからひっくり返す必要があるのです。私は荻原さんに依頼を通して、今一度思い知って欲しかった……。あなた自身の不自由さを。だから私は、あなたを招き入れた」
「……チ、チサさんっ! ソレ、どういう意味ですか!?」
彼女の唐突な言葉に、新井は分かりやすく狼狽する。
俺は俺で、出会った時とはまた違う、彼女の醸し出す不穏な雰囲気に飲まれそうになり、平静を装うことで一杯一杯だった。
「さっきから良く分からないことを延々と……。仰々しいにも程があるでしょうが……。結局、あなたは俺にどうして欲しいんですか?」
「では結論を申し上げましょう。荻原さんには一つ、提案をしたいと思っています」
彼女はそう言って、小さく咳を払う。
「荻原さん。私とともに、本物の『理想』を実現しませんか?」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
男女比の狂った世界で愛を振りまく
キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。
その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。
直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。
生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。
デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。
本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる