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醜悪①
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「オギワラくん、だよね? ちょっといいかな?」
フリ姉の一件から、一ヶ月ほど経った。
それからというもの、俺たちに新しい案件はない。
この間、事務所に顔を出したのも一度切りだが、その一日すら何をしたわけでもなかった。
強いて言うならば、ただただソファーに座り、一方的にまくし立てる新井に対して、相槌をしていた記憶しかない。
絶賛、ダブルワーク中の俺の邪魔立てはしないと約束してくれてはいたが、逆にこちらが心配になるほど何の音沙汰もない。
しかし、そんな俺の懸念を嘲笑うかのように、つい昨日、初の給与明細が配布される。
時間外手当、深夜手当の他、提供先選定に要した3日の内、2日は休日勤務扱いになっており、報酬にしっかりと上乗せされていた。
これだけブラックバイト云々で騒がれつくした昨今、この程度の法令遵守を有り難がるのは癪だが、素直にホッとした。
だが、『特別手当』なる項目が視界に入り、事情は変わる。
そこには通常の日給の2日分ほどの額が記載されており、田沼さんに確認したところ、『荻原さんが良い裁定を下したから』と、何とも曖昧な答えが返ってくる。
入社の際、『日給5万円以上保証。そこから先は荻原さん次第』とは言っていたが、ここへ来てやっとその意味が分かった。
実質稼働日数は5日ほどだが、最終的な額面としては一般的な新卒の初任給の2.5倍ほどで、思わずその場で小さくガッツポーズしてしまった、という話は完全なるオフレコだ。
これが闇バイト……、もとい補助金ビジネスの恐ろしさといったところか。
政府案件の賑々しさというものを目の当たりにし、嬉しさの反面、正体不明のやるせなさを感じてしまった。
そんな中、いつものようにスペイン語の講義が始まるまでの間、教室の隅で仮眠を取っていると、突如見覚えのない男から肩を叩かれ、その邪魔をされる。
「えっと……」
「あ、ごめんね。初めまして。経営学部の石橋 珠羽です。学年はキミと同じ2年生だから、全然タメ口で大丈夫だよ。よろしくね」
寝ぼけ眼の俺を気遣いつつも、彼は先回りしてその名を名乗る。
そうしてニコリと浮かべてきた模造品のような白々しい笑みを、俺はどこか気味悪く感じてしまった。
「お、おう。よろしく」
何をよろしくすればいいのかも釈然としないまま、俺は相手の調子に合わせ挨拶する。
石橋 珠羽。
名前だけは、確かに覚えている。
というより、そう簡単に忘れられるはずもない。
彼は危うく、俺の初めての提供先になりかけたのだ。
しかし、こうして見ると呆れるほどの模範生ぶりだ。
センターパートのマッシュベースヘアというヤツ、か?
緩めのスパイラルパーマと、アッシュ系のナチュラルなカラーリングも施されていて、その爽やかな雰囲気を助長している。
服装はと言えば、ボーダーシャツに七分袖ジャケット、テーパードパンツと、シンプルながらもトレンドを選ばないまとまり具合で、どうにも隙がない。
それに加えて、目鼻立ちもくっきりとしているともなれば、世の量産型女子大生たちは放っておかないのだろう。
まぁ要するに俗な言い方をするならば、こちらが不快になるレベルでのイケメンだ。
「えっと……、何かな?」
「いや、悪い! 何でもない」
「そっか。それなら良かったよ!」
石橋のあまりの完成度の高さに謎の感動を覚え、俺は無言でまじまじと彼を見つめてしまっていた。
そんな俺に対して、石橋は何事もなかったかのように笑いかける。
「……んで、何でココにいるんだ? クラス違うよな?」
「うん、そうなんだけど今日はキミにお願いがあって、ね……」
俺の問いかけに、石橋は何故かバツが悪そうに視線を逸らす。
「荻原くん……。俺に田沼さんを紹介してくれないかな?」
「……は? 今、田沼さんって言ったか!? つーか今更だけど、何で俺の名前知ってんの!?」
彼の口から飛び出した言葉に、俺は分かりやすく取り乱す。
俺のあまりの前のめりぶりに、石橋自身も少し動揺している様子だ。
「ちょ!? 落ち着いて! キミ、駅前の居酒屋でバイトしてるでしょ?」
「あ、あぁ。そうだが……」
「俺も時々飲み会で使わせてもらってるんだけどさ。少なくともウチの学部じゃ結構、有名になってるよ? 何か死んだ目で『はい、よろこんでー』って言う店員がいるって」
「そ、そうなのか?」
「うん」
「そ、そうか。すまん……。バイトの掛け持ちしてて、意識が朦朧としてる瞬間があったのかもしれん。が! 決して、やる気がなかったわけじゃないからな! だから頼む! 店にクレームは入れないでくれっ! 俺の雇用に関わる……」
「はは! そんなことしないよ!」
俺が必死に弁明すると、石橋は困ったように笑って応える。
それにしても驚いた。
完全に新井と同じパターンだったようだ。
そもそもの店選びに失敗してしまったのか。
時給に釣られて応募したものの、こういった面倒ゴトがあるとは予想だにしなかった。
「……それでなんだけどさ。その、田沼さん? だよね? キミが働いてる会社の社長さん。その人に会わせて欲しいんだ」
「まぁ会わせる分には構わんが。お前、まさか……」
俺が問いかけると、石橋は黙って頷いた。
「うん。依頼がしたい……」
フリ姉の一件から、一ヶ月ほど経った。
それからというもの、俺たちに新しい案件はない。
この間、事務所に顔を出したのも一度切りだが、その一日すら何をしたわけでもなかった。
強いて言うならば、ただただソファーに座り、一方的にまくし立てる新井に対して、相槌をしていた記憶しかない。
絶賛、ダブルワーク中の俺の邪魔立てはしないと約束してくれてはいたが、逆にこちらが心配になるほど何の音沙汰もない。
しかし、そんな俺の懸念を嘲笑うかのように、つい昨日、初の給与明細が配布される。
時間外手当、深夜手当の他、提供先選定に要した3日の内、2日は休日勤務扱いになっており、報酬にしっかりと上乗せされていた。
これだけブラックバイト云々で騒がれつくした昨今、この程度の法令遵守を有り難がるのは癪だが、素直にホッとした。
だが、『特別手当』なる項目が視界に入り、事情は変わる。
そこには通常の日給の2日分ほどの額が記載されており、田沼さんに確認したところ、『荻原さんが良い裁定を下したから』と、何とも曖昧な答えが返ってくる。
入社の際、『日給5万円以上保証。そこから先は荻原さん次第』とは言っていたが、ここへ来てやっとその意味が分かった。
実質稼働日数は5日ほどだが、最終的な額面としては一般的な新卒の初任給の2.5倍ほどで、思わずその場で小さくガッツポーズしてしまった、という話は完全なるオフレコだ。
これが闇バイト……、もとい補助金ビジネスの恐ろしさといったところか。
政府案件の賑々しさというものを目の当たりにし、嬉しさの反面、正体不明のやるせなさを感じてしまった。
そんな中、いつものようにスペイン語の講義が始まるまでの間、教室の隅で仮眠を取っていると、突如見覚えのない男から肩を叩かれ、その邪魔をされる。
「えっと……」
「あ、ごめんね。初めまして。経営学部の石橋 珠羽です。学年はキミと同じ2年生だから、全然タメ口で大丈夫だよ。よろしくね」
寝ぼけ眼の俺を気遣いつつも、彼は先回りしてその名を名乗る。
そうしてニコリと浮かべてきた模造品のような白々しい笑みを、俺はどこか気味悪く感じてしまった。
「お、おう。よろしく」
何をよろしくすればいいのかも釈然としないまま、俺は相手の調子に合わせ挨拶する。
石橋 珠羽。
名前だけは、確かに覚えている。
というより、そう簡単に忘れられるはずもない。
彼は危うく、俺の初めての提供先になりかけたのだ。
しかし、こうして見ると呆れるほどの模範生ぶりだ。
センターパートのマッシュベースヘアというヤツ、か?
緩めのスパイラルパーマと、アッシュ系のナチュラルなカラーリングも施されていて、その爽やかな雰囲気を助長している。
服装はと言えば、ボーダーシャツに七分袖ジャケット、テーパードパンツと、シンプルながらもトレンドを選ばないまとまり具合で、どうにも隙がない。
それに加えて、目鼻立ちもくっきりとしているともなれば、世の量産型女子大生たちは放っておかないのだろう。
まぁ要するに俗な言い方をするならば、こちらが不快になるレベルでのイケメンだ。
「えっと……、何かな?」
「いや、悪い! 何でもない」
「そっか。それなら良かったよ!」
石橋のあまりの完成度の高さに謎の感動を覚え、俺は無言でまじまじと彼を見つめてしまっていた。
そんな俺に対して、石橋は何事もなかったかのように笑いかける。
「……んで、何でココにいるんだ? クラス違うよな?」
「うん、そうなんだけど今日はキミにお願いがあって、ね……」
俺の問いかけに、石橋は何故かバツが悪そうに視線を逸らす。
「荻原くん……。俺に田沼さんを紹介してくれないかな?」
「……は? 今、田沼さんって言ったか!? つーか今更だけど、何で俺の名前知ってんの!?」
彼の口から飛び出した言葉に、俺は分かりやすく取り乱す。
俺のあまりの前のめりぶりに、石橋自身も少し動揺している様子だ。
「ちょ!? 落ち着いて! キミ、駅前の居酒屋でバイトしてるでしょ?」
「あ、あぁ。そうだが……」
「俺も時々飲み会で使わせてもらってるんだけどさ。少なくともウチの学部じゃ結構、有名になってるよ? 何か死んだ目で『はい、よろこんでー』って言う店員がいるって」
「そ、そうなのか?」
「うん」
「そ、そうか。すまん……。バイトの掛け持ちしてて、意識が朦朧としてる瞬間があったのかもしれん。が! 決して、やる気がなかったわけじゃないからな! だから頼む! 店にクレームは入れないでくれっ! 俺の雇用に関わる……」
「はは! そんなことしないよ!」
俺が必死に弁明すると、石橋は困ったように笑って応える。
それにしても驚いた。
完全に新井と同じパターンだったようだ。
そもそもの店選びに失敗してしまったのか。
時給に釣られて応募したものの、こういった面倒ゴトがあるとは予想だにしなかった。
「……それでなんだけどさ。その、田沼さん? だよね? キミが働いてる会社の社長さん。その人に会わせて欲しいんだ」
「まぁ会わせる分には構わんが。お前、まさか……」
俺が問いかけると、石橋は黙って頷いた。
「うん。依頼がしたい……」
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