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解放

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「あ、あのね。サトル……」

 俺自身、あの母親のスタンスに少なからず共感する部分はあるし、同情もしてしまう。
 彼女もまた、この殺伐とした社会の被害者なのだろう。
 だからこそ、なのかもしれない。
 俺は彼女のような存在を許したくないと思ってしまった。

 ……まぁこの際、あの母親の思いなんぞはどうでもいい。
 今更知ったところで、何がどうなるわけでもない。
 結果が全てだ。
 人生の多感な時期に二人が払った代償は、どう転んだところで取り戻せるものではない。
 これは、あの母親自身が背負うべきなのだ。
 覚悟を持って、里津華を解放したフリ姉のように。

 いずれにせよ、こうなった以上もはや後の祭りだ。
 彼女たちの間に生じた軋轢は、そう簡単に修復出来るものではないだろう。
 関係を再構築するもしないも、フリ姉たち次第だ。

 全てを終え、意気消沈した母親は、静かに自宅へと引き返していく。
 その背中は、心なしか一回り小さく見えた。
 そんな中、里津華はノソノソと俺に近付いてきて、随分と改まった様子で話しかけてくる。

「ん? どした? 弁護士には後で俺から連絡しておくから、お前は心配しなくていいぞ」

「ち、ちがくてさっ! リッカさ。確かにサトルを利用してたのかもしれない。サトルのこと、守ってあげられる自信もまだない……」

「……だから言ってんだろ。お前に守られる謂れはねぇっての」

「そういうことじゃなくてさ! ずっとサトルの味方で居たいっていうのはホントなの! だってリッカ、ずっとサトルのこと……、サトルのことっ!」



「荻原さん」



 その時だった。
 田沼さんが掛け声とともに、ブロック塀の陰からにょきっと顔を出す。
 あまりの気味の悪さから、の二人は分かりやすく動揺する。
 里津華に至っては、得体のしれないものに向ける目で彼女を見ていた。
 当の本人は、そんな彼女に構う素振りすら見せず、恐怖の色を滲ませる里津華に、ズケズケと遠慮なく近付く。

「これはこれは。山片 里津華さん。お初にお目に掛かります。株式会社他人の不幸は蜜の味、代表取締役の田沼 茅冴と申します。いつもがお世話になっております。」

 里津華の前で右手を差し出し、彼女はいつもの調子で名乗る。
 そんな彼女に対して、里津華は『ど、どうも』と辿々しく応える。

「ちょっ! サトル! 何なん、この人!? 何でリッカの名前知ってんの!? そんでもって何!? あのフザケた社名! つーか『弊社の従業員』って何なん!? どゆこと!?」

 里津華は俺の頭を強引に引き寄せ、興奮気味に耳打ちをしてくる。

「……とりあえず落ち着け。詳しく話せば長くなる。まぁ早い話、この人は俺の上司だ」
「はぁ? マジで? 何かめっちゃヤバそうな人じゃん……」
「まぁ……、否定はしない」

「んんっ!!」

 俺たちを遮るかのように、田沼さんはこれみよがしに咳払いをしてみせる。

「そ・れ・で! 荻原さん。私に何か言うことは、ありませんか?」

 田沼さんは『してやったり』といった顔で、俺に何かを催促する。

「……分かってますよ。すみませんでした。わざわざ現場まで付いてきてもらった上に、して」

 俺は深々と、頭を下げた。

 これには経緯がある。
 ポイントを書き換えた後は、速やかに『提供』されるのが通例だ。
 しかし計画上、どうしても里津華の返答を聞く必要があった。
 そこで田沼さんに近くに潜伏してもらい、俺のをお願いすることにした。
 会社のトップに、わざわざノートPCまで持参させて、事に及んでもらったことについては多少の心苦しさはある。
 だが、これは新井には頼めない。
 彼女はアシスタントであり、鑑定士としての登録を済ませていない。
 途中の選考までは携わることが出来ても、最終決定や『提供』までは関わることが出来ないらしい。
 何ともまぁ回りくどいが、これが正式な手続きである以上、従う他ない。
 いずれにしても、これは完全に俺のワガママだ。
 
 それでも結果として、これで良かったとは思う。
 もし、俺があの場ですぐに書き換えてしまえば、里津華の意志を聞く暇もないし、きっとこうして母親と向き合うこともないまま、有耶無耶になっていただろう。

「荻原さん。そこは『あ・り・が・と・う』ですよ! まぁ別にそれはいいんです。社長である以上、従業員の心の安定は必須事項ですからね」

「心の安定って……。また随分と大げさですね。俺は別にそんな……」

「おや? そうですか? 貴重な理解者のお二人が、ああいった現状にさらされていることが分かった以上、放っておけないのでは? 荻原さんのことですからね」

「……俺のことなんだと思ってるんすか」

「私の後継者です」

 田沼さんは真顔で、恐ろしいことを言って退ける。
 冗談めいた雰囲気だが、その実本当に思っていそうだから質が悪い。

 そんな彼女が発するただならぬ空気感から何かを察したのか、里津華は俺たちからそろりそろりと離れていき、フリ姉に近付く。
 二人は、どこかよそよそしさもあるが、ココ数年の空白を埋めるかのように話し出した。

「……先ほどは随分と込み入った話になりそうでしたね」

 姉妹に生暖かい視線を送りつつ、田沼さんは聞いてくる。

「何のコトっすかね……」

「惚けちゃってコノコノー! 私や新井さんという者がありながら、この浮気者がっ!」

「アンタらと、いつ、どうなったんだよ……。でも、まぁそっすね。昔からなんすよ、アイツ。流石にこれだけ時間が経てば少しは変わるとは思ってたんですけどね……」

「ありゃま。やっぱり分かった上で躱していたんですね。それはそれは……。本当に酷い人だ。あなたという人は」

「……そりゃあ流石に分かるでしょ。アレだけあからさまなこと言われりゃ」

 俺の返答に、彼女はこれ以上踏み込むでもなく、ただ困ったように微笑んだ。

「いやー、それにしても発想があったとは、お見それしました。やはり私の目に狂いはなかったようです。改めて、荻原さん。、です!」

「いや、だから何なんすか、その謎の掛け声は……」

「ご自身については全てを諦めたようなことを仰るのに、山片さんに対しては随分と未来志向的な提案をされるのですね~。荻原さんから話を聞いた時はびっくりしましたよ!」

 田沼さんはそう言って、ねっとりとした視線で俺を見る。

「……そりゃあ価値観なんて人それぞれですからね。フリ姉はああ言ってましたけど、自分でもよく分からんような曖昧な幸せのためだけに、人を陥れることを良しとするような人とは、どうしても思えなかったんですよ。だったら、そのスタンスに従う他ないでしょ。大事な大事なですからね」

「ほぅ。大切な幼馴染を金づる呼ばわりとは……」

「あ・な・たに、合わせたつもりなんですがっ! 分かりませんかね!? 俺のこの涙ぐましいほどのホスピタリティーを!」

「ふふ。流石ですね。でもまぁ、結果オーライ、といったところでしょうか? 我が社としても、依頼者である山片さんの本意を達成できたようですしね」

「……とは言っても二人の母親にとっては、極まりないでしょうね。可愛い可愛い愛娘たちに、ある意味で裏切られたんですから」

「まぁ見れば、そういう言い方も出来ますね。結果として、山片さん姉妹の不幸が、親御さんに振り分けられたカタチになるんですから」

「……それでも俺としては、バランスが取れているとは思えないんですけどね。今回に限って言えば、所詮はコップの中の争いです。弱者が弱者を潰す構図に変わりはない。まぁお上にとっちゃ、都合が良い限りなのかもしれませんが」

「まぁまぁ、そう言わずに! それこそ、依頼者は相対的どころか、絶対的な幸福を手に入れる足掛かりになったと言えませんか?」

「また詭弁を……。そんなん、本人に聞いてみないと分からんでしょうが」

「それもそうですね。ではご本人に……。山片さーん!」

 すると田沼さんは、向かいで里津華と話すフリ姉に呼びかける。

「さて、山片さん。今回のご依頼については以上となりますが、満足していただけましたか?」

 田沼さんがそう聞くと、フリ姉は押黙る。
 しばらく考え込むような素振りを見せた後、フゥと深く息を吐く。
 
「……はいっ! 良い『不幸』でした!」

 フリ姉は、涙でくしゃくしゃになった笑顔で言い切る。
 そんな彼女の姿を見た田沼さんは、予定通りとでも言うかのように、気味の悪い笑顔を浮かべていた。
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