田沼 茅冴(たぬま ちさ)が描く実質的最大幸福社会

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劣等⑨

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「サトルくん。何年ぶりだっけ? ウチくるの」

 提供先を伝えた時、電話口の彼女は意外にも冷静で、ただひたすら相槌に終始していた。
 そして、何かを覚悟するように……、いや。
 呆れるかのように、か。
 俺のに『そっか』とだけ呟き、了承してくれた。
 腐っても幼馴染だから、だろうか。
 何となくだが、俺のを察してくれたようだ。
 やはり、彼女の根本の部分は変わっていないのかもしれない。

 飽くまで、会社としての領分は、だ。
 これで彼女が救われるとも思っていないし、ましてや導いてやろうなどといった身の程知らずな自意識は持ち合わせていない。
 彼女の周りの大人と同じように、腫れ物扱いした挙げ句、その行く末に立ち会わないというのは、どうにも寝覚めが悪い。
 単純にそれだけのことだ。
 一時でも、近くにいた者として。
 近い境遇に居る者として。

 そんな俺の心境を知ってか知らずか。
 久方ぶりに訪れた彼女の自宅の前で、フリ姉は俺の顔色を伺うように問いかけてくる。

「……最後に来たのが小学生の頃だから、10年ぶり、くらいか?」
「だ、だよね! でも里津華もお母さんも、見れば分かると思うから安心して!」
「むしろを考えると、立場を明かしたくないくらいなんだけどな」
「サトルくんさ。やっぱり気にしてる?」

 フリ姉は俺の顔を覗き込み、恐る恐る聞いてくる。
 彼女の言葉を完全に否定できないところが悔しいところだ。

「……そりゃ、気にはするだろ」

 俺がそう言うと、フリ姉は少し黙り込んだ後、深く息を吐く。

「……サトルくん。少し勘違いしてるみたいだから、一応言っとくね。里津華にしたいと思って、サトルくんにお願いしたいのは私自身なんだよ? 実際、キミは私のことを止めてくれたよね?」

「復讐って……。だから、これはそういうんじゃ……」

「違うの?」

 そもそも、それは田沼さんが言っていた詭弁のはずだ。
 俺は卑怯にも、いつの間にかその建前に縋っていた。
 そんな俺の葛藤を見透かしたかのように、彼女は困ったような笑みを浮かべる。

「これはさ。私の意志で私がしたこと、なんだよ。間違いなくね。それにさ。まだ本当にが起こるかなんて分かんないじゃん? サトルくん、田沼さんのこと信用してないんでしょ?」

「それは……」

 俺はそれ以上、何も言えなかった。

 思えば、彼女たちはずっとそうだった。
 の後。
 俺を気にかけてくれたのは、フリ姉や里津華だけだった。
 特に彼女は、露骨に距離を取った俺に対して、根気強くコンタクトを取ろうとしてくれていた。
  
 結果として、そういった人格が災いしたのだろう。
 そうして、自ら率先して損な役割を買って出ていたからこそ、彼女は付け込まれた。
 何も言わない。
 何かを発したところで、その声はか細く、封殺されてしまう。

 だからこそ、俺は彼女を否定しなければならなかった。

「……分かってるよ。確かにそうだったな。俺はずっと止めていたな」
「うん、そうだ」

 そう言って、フリ姉は優しく笑った。

「え、嘘……。サ、サトル?」

 ここ数年。すっかり聞くことのなかった懐かしい声が辺りに響いた。

「里津華……」

 彼女が偶然、玄関口から外に出たタイミングで目が合う。

 柔らかい印象のブラウンのボブヘアに、遊ばせる程度に掛けられた自然なパーマ。
 薄橙うすだいだいのカラーシャツは、どこかあどけなさは残っているものの、全体を通して見れば
 素朴な姉とは違い、分かりやすく華やか。
 上手く言葉には出来ないが、周囲の期待に健気に応えようとしている姿勢が身なりからも伝わってくる。
 昔のままだった。
 久々の邂逅にも関わらず、彼女は玄関の前でその大きな目を見開いて沈黙する。

 ……彼女の顔の引き釣り具合を見れば分かる。
 『どの面下げて』と言わんばかりだ。
 当然だろう。
 この数年、ロクに顔を合わせていないわけだ。
 むしろ、顔を覚えていただけ奇跡なのかもしれない。

 『久しぶり』という言葉が、喉元まで出掛かった時だった。
 彼女は俺に先陣を切ることすら許してくれず、勢いよく

「ちょっ!?」

 フリ姉はそんな彼女を目前に、言葉にならない声を上げる。

「……バカ。アレから何にも連絡寄越さないで。心配したんだから……。あと、ごめん。サトルが辛い時に何も出来なくて。お母さんに言われてたんだ。『もう荻原さんの子どもには近づくな』って」

 里津華は数年分の淀みを吐き出すかのように、彼女は涙ながらにまくし立てる。

「……どうしてお前ら姉妹はそうなんだよ。お前らには関係ねぇだろ」

「あるよっ! だから、リッカ決めたんだ。サトルはリッカが守るって!」

「守るって……。何からだよ?」

「全部。サトルのこと、蔑ろにした奴らから。サトルのこと、守らなかった奴らから」

「俺は……、守る価値のある人間じゃない……」

「それはサトルが決めることじゃないっ!」

 俺の言葉に、里津華は激しい剣幕で反論してくる。

「お父さんが小さい頃に死んじゃって、それからずっと母子家庭で、さ。ただでさえ大変なのに、お母さんまでになっちゃって……。そんなん、辛いに決まってんじゃん。なのに皆して、サトルのこと……」

 里津華は遠慮なく次から次へと、俺が捨てたかった過去をひけらかしてくる。
 こういうところは、本当に相変わらずだ。

「リッカさ……。あれから色々頑張ったんだよ? 良い大学にも入れたし、これから留学だってする。お母さんに言われたから、じゃないよ? リッカ、良い会社に入って、沢山稼ぎたいの。世界中がサトルの敵になったとしても、リッカだけはサトルの味方になってあげられるようにね。だからさ……。もうちょっと待ってて。絶対サトルのこと、迎えにいくから」

「あ、あのさ。里津華……」

 その時、フリ姉は恐る恐る会話に入り込もうとする。

「お姉ちゃんは黙っててっ!」

 遮られた里津華は、不快の色を鮮明にする。

「何!? お姉ちゃん、何か言いたいワケ!? 何か言ったところで、お姉ちゃんなんかに何が出来んのさっ!? どうせ何も出来ないでしょっ!」

「そ、そうだよ。私じゃ、何も出来ない……」

「開き直るつもりっ!? いっつもそうじゃん! お姉ちゃんばっかり!」

「里津華には……、悪いと思ってるよ」

「大体さっ! お姉ちゃん、サトルがリッカたちと距離取ろうとしてたこと、知ってんの!? あの時、サトルのこと助けてあげられたの、お姉ちゃんだけじゃん!」

「知ってるよ……。私でもそれくらい……」

「リッカさ……。あの時、期待してたんだよ? お姉ちゃんが、羽交い締めにしてでもサトルを引き止めてくれること。だって、リッカたちが居なかったらサトル、独りになっちゃうから……」

「それも……、分かってたよ」

「勉強も出来ない。サトルのことも守れない。お姉ちゃん……、何なら出来んのさ? 何にも出来ないなら、せめて口出ししないでよ! これ以上、サトルのこと苦しめないでよっ! こうしてる今だって、サトルに助けてもらおうとしてんじゃないの!?」

「何……、それ」

 フリ姉はそう呟くと、気色を変え、里津華に鋭い視線を向ける。

「ねぇ。里津華は、私が好きで受験失敗したと思ってんの!? 私だって頑張ったんだよ!? お母さんたちの期待に応えたかった! サトルくんのことだって、ちゃんと引き止めたかった……」

「そ、そんなん……、お姉ちゃんが出来なかっただけじゃん!」

「そうだよっ! 私が出来なかっただけだよ! だから今更私が何を言ったとこで全部言い訳。でもね……。私だって辛かったの。何も出来ない自分がすごく惨めだった……。だから、里津華には悪いと思ってるのはホント。お母さんの期待、全部背負わせちゃって、本当にごめんね」

 フリ姉はそう言って、里津華に深々と頭を下げた。

「っ!? 何さ今更……。そんなこと言ったってもう遅いし……。第一、お姉ちゃんに謝られたところで、何にも変わんないし。そういうの分かんないから、ずっと惨めな思いしてきたんでしょ!?」

「そうだよ。だからもうそんな惨めな想いは、今日で終わり。私、決めたの。もう何も言い訳にしないって。上手くいかなくても、ちゃんと自分で決めて、自分でって」

 フリ姉は、真っ直ぐに里津華を見据える。
 そんな普段とはどこか違う姉の姿を見た里津華は、分かりやすく狼狽えている。
 
「……いい加減にしてくれ。二人して、勝手に話進めんな」

 たまらず俺が割り込むと、二人はぎょっとした顔で俺を見つめてくる。

「フリ姉、流石に突っ走り過ぎだ。何なんだよ、二人して。人を物みたいに扱いやがって……。お前ら二人から離れたのは、俺の意志だ。それを他人にどうこう言われる筋合いはねぇっつーの」

「サトルくん……」

「なぁ、里津華。正直に答えてくれ。さっき俺を守るためだとか、何とか言ってたが、アレは本心か?」

「っ!? ほ、本心だよ……」

 俺の質問に、彼女はそう言って目を背けた。
 やはり、か。
 血は争えないというか、流石は姉妹といったところか。
 嘘が苦手なのはフリ姉と同じのようだ。
 その場しのぎで取り繕ったところで、こうして簡単にボロが出る。

「もう一度聞く。か?」

 俺が改めて聞くと、彼女は俯いてしまった。

「……里津華。お前、さっき自分で言ったよな? 『お姉ちゃんばっかり楽して』って。でもお前は知っていた。どう足掻いたところで、母親の束縛から逃れられないことを。だから俺をにして、無理矢理にでも自分を納得させた。違うか?」

だなんてそんな! リッカはただ……」

 里津華は身を乗り出し、反論しようとする。

「まぁ待て! 今日はそういう話がしたいわけじゃねぇんだ。お前さえ、その気ならお前が今縛られてるものから解放してやれるって話だ。まぁ多少の代償は払ってもらうことにはなるが……」

「へ? それってどういう……」
 
「何よ、この馬鹿騒ぎは!」

 すると、その時。
 玄関先から、またしても記憶に久しい声が聞こえてきた。
  
 俺たち3人が視界に入るなり、その細身の体を抱きかかえるように腕組をし、不快感を全身で表現する。
 前下がりのショートボブヘアの合間から覗かせるその鋭い視線は、俺たちをつらぬくかのようだった。
 
「里津華。コレは何? 説明しなさい」

 覚えていないのか。
 もしくは分かった上で、なのか。
 二人の母親は俺には目もくれず、里津華を静かに問い詰める。

「え、えっと、これは……、うーん」

 母親の問いに、里津華はしどろもどろになる。
 そんな彼女を見て、母親は更にボルテージを上げる。

「アンタ、来月から留学でしょ!? 今、何かあったら、向こうの大学にも、ホームステイ先のお宅にも迷惑がかかるのよ! 分かってる!?」

「わ、分かってるよ……」

「芙莉華も、早く家の中に入りなさい。こんなところで騒いでいたら、里津華の評判に関わるわ」

「……フリ姉の評判はどうでもいいんすかね?」

「誰よアンタ?」

 俺がぼやくと、彼女は敵対心を隠そうとせず、睨みつけてくる。

「覚えてませんか? ご無沙汰しています。荻原 訓です」

 俺が名乗ると、二人の母親は取り繕うように薄ら寒い笑みを浮かべた。

「……あら、訓くん。久しぶりね。お母さんはお元気かしら?」

「……えぇ。おかげ様で。と言っても、最近は中々忙しくて会えていませんが」

「それは残念ね。、親孝行してあげるのよ? お互い、唯一の身内なんだからね」

 彼女は、これみよがしに俺を煽り立ててくる。
 我ながら、随分と耐性がついたものだ。
 この程度の悪態、今まで吐いて捨てるほど言われてきた。
 しかし向こうがそのスタンスなら、むしろ好都合だ。
 遠慮なく、彼女にをぶつけることが出来る。

「今日はおばさんに言わなくてはいけないことがあります」

「……何かしら?」

「本日、あなたの娘さんに、が訪れます」

 俺がそう投げかけると、彼女は目を見開き、しばらくの間言葉を詰まらせる。

「アハハハ! 久しぶりにやって来て、何を言い出すのかと思ったら。おかしな子ね」

「えぇそうですね。自分でも相当おかしなことを言ってる自覚はあります。でもまぁ、事実なんでね」

「……まぁそうね。私も鬼じゃないから、昔のよしみであなたの虚言に少しだけ付き合ってあげるわ。どういう意味か、教えてくれるかしら?」

「どういうも何も、そのままの意味なんですが。あなたの娘さんに不幸が訪れる、ということです。まぁ俺もんで、本人の意志は尊重するつもりですがね。なぁ、里津華?」

「え!?」

 唐突に話を振られ、里津華は目を丸くさせる。

「里津華に聞きたいことがある。今、お前は幸せか?」

 俺がそう聞くと、里津華は再び顔を硬直させ、言葉を詰まらせる。

「難しく考える必要はない。率直に、を聞かせて欲しい」

 すると、里津華は静かにゆっくりと首を横に振る。

「……じゃあ安心だな。なぁ里津華。お前が生半可に優秀なせいで、お前の姉ちゃんはしょうもない劣等感やら何やらで苦しむことになった。それこそ、人生台無しにするレベルでな。この落とし前、どうつけてくれんだ?」

「え……。そ、それはどういう……」

 俺の問いかけに、里津華は再び言葉を詰まらせる。

 論理破綻も甚だしい。
 まさに詭弁だ。
 だが、雁字搦めになっている彼女たちを解放させるためには、これくらいの荒療治でちょうどいい。
 きっと、これは本来の趣旨とは違う。
 それでもここは、世話になった彼女たちののため、この特権を利用させてもらう。

「だからな、里津華。お前には、フリ姉からのを受けてもらうことにした」

「へ?」

 彼女がそう言って、惚けた顔をした時だった。
 突如、無機質な電子音が鳴り響く。

「あ」

 里津華はそう言って、手持ちのスマホに目を落とす。
 彼女は俺たちに軽く目で合図をしながら、電話を取った。

「はい、山片です。えっ!? は、はい、はい、はい……」

 電話を取った直後は酷く驚いた様子だったが、話が進むにつれ、彼女の顔面は青白くなっていった。

「……何だって?」

 俺がそう聞く頃には、既に里津華の顔面は蒼白だった。

「……警察から。近い内に出頭してくれって」

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