上 下
29 / 44

トラウマの正体⑦

しおりを挟む
「近江さん! どうして急にそんなこと言うんですか!?」

 経理部長の葬儀が終わり、数日後。
 突然の訃報に皆初めこそ戸惑いを見せていたが、社内はすっかり日常を取り戻していた。
 当然だ。どんなに人が悲しみに暮れようとも、物や金は動き続けている。
 人間は残酷なまでに立ち直りが早い生き物だ。
 そして今。外回りの帰りの喫茶店で、俺は彼女にある話を切り出している。

「この前のスタートアップに共同出資した会社で、新しくキャピタリストを募集しているらしい。話だけでも聞いてみたらどうだ?」

 唐突にもほどがある。だが、現状一刻の猶予もない。
 仮にも社会人として初めて出来た後輩だ。ただ一言『辞めろ』というよりも、先輩として少しでも先の道を示してやるのが俺の責任だろう。
 彼女のキャリアに傷をつけ、今後の人生を台無しにするわけにはいかない。

「……私、何か近江さんに失礼なことしちゃいましたか?」
「違う。そういう訳じゃない」
「近江さん、最近変ですよ? 何かあったんですか?」

 本来、彼女は知るべきだ。こんな勝手な提案をしている以上、詳細を話さないのはルール違反だろう。
 しかし……。本当はこの数日何度も言おうとした。
 だが喉元まで出かかったところで、彼女が話したあの時の言葉がそれを拒む。
 明確な意志を持って入社し、恩返しをしたいとまで言っていた会社にある意味で裏切られていたことが分かれば、彼女はどうなってしまう?
 半ばくじ引きで就職先を決めたような俺では、想像もし得ない。
 一方で、不器用ながらも彼女のビジネスパーソンとしてのタフネスさも間近で見てきた。
 相反する二つの要素が鬩ぎ合い、いつまでも具体的なアクションを取れずにいた。

「…………」
「話して、くれないんですね」

 深々と溜息をついた後、彼女はこう続ける。

「分かりました。では一つ条件があります」
「……何だ?」
「近江さんも一緒にその会社に入社して下さい」

 彼女の意外な言葉に、二の句を詰まらせる。
 果たして、俺に許されるのだろうか。元凶はどうあれ、沈みゆく船に止めを刺したのは紛れもなく俺自身だ。
 ……いや、違う。そういう意味じゃない。
 俺はあることに気づいてしまった。
 俺の表情を見て、飛鳥は察したようだ。

「近江さん、気づきましたか?」
「そうだよな。すまん」
「いえ。何があったかは分かりませんが、私だけ悪者にしないで下さい。私たちは一蓮托生じゃないですか!」

 社員は飛鳥だけではない。
 確かに彼女にだけ伝えるのは、フェアではなかった。
 それに彼女に退社を促したところで、いつかはメディアを通じて事実を知ってしまうだろう。悪戯に罪悪感を植え付けるだけかもしれない。
 参ったな……。近頃、全く自分を制御出来ていない。

「この話はここで終わりです! さぁ、帰って日報をまとめましょう!」
「あぁ、そうだな」

 席を立ち、会計へ向かおうとすると、飛鳥が急に動きを止める。
 すると、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「もし……、もしもですよ。近江さんが『自分のせいで私に何か不都合が起きるかもしれない』と考えているのであれば、それは違うと思います」

「…………」

「近江さんはいつも周りを見てくれています。今、近江さんが悩んでいるのも、私たちのことを考えてくれているからこそなんだと思います。だったら近江さんだけでなく、皆でそれを乗り越えていくべきです。だって私たち一緒に働く仲間じゃないですか!」

「……仲間? ふざけんな。お花畑なこと言いやがって。その仲間を利用してたんまり儲けてやろうって輩が、世の中には山ほどいんだよ。仮にも社長目指してんならもっと人を疑え。お前は仕事は出来るが、人が良すぎる。だからあんな嫌がらせを受けるんだろうが」

 しまった、と思ったが一度放った言葉は元に戻ってはくれない。

「っ!? すみません……。私、先に戻ります」

 そう言うと、飛鳥は会計を済ませ、喫茶店を出ていった。

 その後、俺と彼女の間に生まれた不協和音を払拭することは出来ず、時間だけが過ぎていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

お隣の犯罪

原口源太郎
ライト文芸
マンションの隣の部屋から言い争うような声が聞こえてきた。お隣は仲のいい夫婦のようだったが・・・ やがて言い争いはドスンドスンという音に代わり、すぐに静かになった。お隣で一体何があったのだろう。

COVERTー隠れ蓑を探してー

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
潜入捜査官である山崎晶(やまざきあきら)は、船舶代理店の営業として生活をしていた。営業と言いながらも、愛想を振りまく事が苦手で、未だエス(情報提供者)の数が少なかった。  ある日、ボスからエスになれそうな女性がいると合コンを秘密裏にセッティングされた。山口夏恋(やまぐちかれん)という女性はよいエスに育つだろうとボスに言われる。彼女をエスにするかはゆっくりと考えればいい。そう思っていた矢先に事件は起きた。    潜入先の会社が手配したコンテナ船の荷物から大量の武器が発見された。追い打ちをかけるように、合コンで知り合った山口夏恋が何者かに連れ去られてしまう。 『もしかしたら、事件は全て繋がっているんじゃないのか!』  山崎は真の身分を隠したまま、事件を解決することができるのか。そして、山口夏恋を無事に救出することはできるのか。偽りで固めた生活に、後ろめたさを抱えながら捜索に疾走する若手潜入捜査官のお話です。 ※全てフィクションです。 ※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

一攫百均殺人事件

紫 李鳥
ミステリー
求人誌を捲っていると、条件に適った一件の募集が目に留まった。

事故物件ガール

まさみ
ライト文芸
「他殺・自殺・その他。ご利用の際は該当事故物件のグレード表をご覧ください、報酬額は応相談」 巻波 南(まきなみ・みなみ)27歳、職業はフリーター兼事故物件クリーナー。 事故物件には二人目以降告知義務が発生しない。 その盲点を突き、様々な事件や事故が起きて入居者が埋まらない部屋に引っ越しては履歴を浄めてきた彼女が、新しく足を踏み入れたのは女性の幽霊がでるアパート。 当初ベランダで事故死したと思われた前の住人の幽霊は、南の夢枕に立って『コロサレタ』と告げる。 犯人はアパートの中にいる―……? 南はバイト先のコンビニの常連である、男子高校生の黛 隼人(まゆずみ・はやと)と組み、前の住人・ヒカリの死の真相を調べ始めるのだが…… 恋愛/ТL/NL/年の差/高校生(17)×フリーター(27) スラップスティックヒューマンコメディ、オカルト風味。 イラスト:がちゃ@お絵描き(@gcp358)様

re-move

hana4
ライト文芸
 薄暗くしてある個室は、壁紙や床、リクライニングソファーまで、全てブラウンに統一してある。  スイート・マジョラムをブレンドしたアロマが燻り、ほんのりと甘い香りに 極小さい音量で流れるヒーリング音楽、滞在しているだけで寝てしまいそうな空間。  リクライニングソファーに横たわる彼に、至極丁寧にタオルが掛けられた。  一つ大きく深呼吸をしてから、タオル越しの額に両手を重ね じんわりと自分の体温を伝える。ゆったりとしたリズムにのせて、彼の感触を指先で捉える……  すると、お互いの体温は融け合いはじめ、呼吸までもが重なり──  やがてその波は徐々に緩急を失くしてゆき、穏やかで抑揚のない寝息へとかわった。  目を閉じると、初めて“みる”ストーリーが、走馬燈のように流れ始める…… *  橘(たちばな)あかりはドライヘッドスパサロン『re-move』 で、セラピストとして働いている。  頭を揉み解す事で疲労を回復させながら、お客様を究極の癒しへと誘うドライヘッドスパ。  この仕事が大好きなあかりだったが、彼女には誰にも話していない能力がある。  マッサージを施しているあいだ、彼女には『お客様の過去』が走馬灯のようにみえている。  そして、その人の後悔があまりにも強い場合には……  その『過去』へと、憑依することができた。  その日のお客様は、スタイリッシュなサラリーマン【武田慎吾様】  武田様の『過去』に憑依したあかりは、その日を彼と共にやり直そうとして……  ──疲労と後悔を癒すドライヘッドスパサロン『re-move』 へようこそ。

パワハラ女上司からのラッキースケベが止まらない

セカイ
ライト文芸
新入社員の『俺』草野新一は入社して半年以上の間、上司である椿原麗香からの執拗なパワハラに苦しめられていた。 しかしそんな屈辱的な時間の中で毎回発生するラッキースケベな展開が、パワハラによる苦しみを相殺させている。 高身長でスタイルのいい超美人。おまけにすごく巨乳。性格以外は最高に魅力的な美人上司が、パワハラ中に引き起こす無自覚ラッキースケベの数々。 パワハラはしんどくて嫌だけれど、ムフフが美味しすぎて堪らない。そんな彼の日常の中のとある日の物語。 ※他サイト(小説家になろう・カクヨム・ノベルアッププラス)でも掲載。

Mind Revive Network System 

MONCHER-CAFE
ライト文芸
新社会人をドロップアウトしてフリーターになった『藤乃雅臣』はある日、大学時代の友人『逢沢亮介』から治験バイトの依頼を受ける。 話を聞くと、それは一般的な入院をして薬を投与するような治験ではなくある科学者が開発したというシステムを体験してもらうという特殊なものだった。 半信半疑のまま治験を受けるために病院へ行くが、そこで出会った医師から治験内容とシステムの説明を受け藤乃は驚愕する。 それは心が弱わっている(うつ病)人たちのために開発された『過去を追体験』できるという装置を体験してもらい、仮想現実の世界で自分の過去をやり直す……それが治験の内容だった。 病院の地下にある巨大なマザーコンピューターの前で藤乃はさらに驚きの事実を知る。 システムはネットワークで繋がっていて全国に藤乃と同じように治験を受ける人間がいるという事だった。 そして藤乃は不安の中、システムが創り出した仮想現実の世界に入る。 自分の過去を追体験する中で藤乃は突然システムのトラブルに巻き込まれてしまう。 トラブルの最中、藤乃が辿り着いた場所は『他の治験者』の過去の世界だった。 果たして治験者たちはトラブルから脱して現実世界に戻れるのか? そして過去をやり直した先に何が待ち受けているのか? 精神回帰へのリトライが始まる……。

秘密部 〜人々のひみつ〜

ベアりんぐ
ライト文芸
ただひたすらに過ぎてゆく日常の中で、ある出会いが、ある言葉が、いままで見てきた世界を、変えることがある。ある日一つのミスから生まれた出会いから、変な部活動に入ることになり?………ただ漠然と生きていた高校生、相葉真也の「普通」の日常が変わっていく!!非日常系日常物語、開幕です。 01

処理中です...