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高島先生の意図

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「はい、はい……。では麻浦先輩。宜しくお願いします」

 僕が我に返るまで、それほど時間が掛からなかったのは、不幸中の幸いと言ったところか。
 僕はあの後、すぐに救急車を呼んだ。
 ホタカ先生も一緒に……、とも一瞬思ったが、恐らく彼女のは心因性のものだ。
 そう判断し、僕は彼女を負ぶり、相談室まで戻ってきた。
 まぁ実のところ、彼女の今の精神状態で高島先生と向き合わせるのは気乗りしなかった、という方が理由としては大きいが。

 ただでさえ、生活感に欠ける部屋だ。
 毛布などといった気の利いた物は期待できないと思っていたが、案の定見当たらない。
 もうじき夏が始まるとは言え、年頃の女性を粗野なソファーに野ざらしにしていることに抵抗がないでもないが、これが現状出来る最大限の介抱なのだと、自分自身に言い聞かせる。

「うん。分かったよ。安堂寺先生によろしくね」
「はい。では……」

 麻浦先輩には、高島先生の付き添いをお願いした。
 こうして、思いの外早くが起こってしまったことが偶然かはさておき、結局麻浦先輩に頼ることになってしまった。
 そして、その事実をどこか冷静に捉えている自分がいる。
 予想をしていた、と言えば語弊はあるが、それでも心の準備が無意識的に出来ていてしまったのかもしれない。
 その辺りは自分のことなのに、よく分からない。

 それは、今こうして電話越しに話している、彼にも言えることなのかもしれない。
 相槌などを聞いていても、どこか俯瞰的に受け止めているような印象を、会話の節々から感じる。
 元々、電話番号を渡してきたのは、麻浦先輩自身だ。
 それこそオカルトというか、第六感というか……。
 彼の中のが働いた結果、なのかもしれない。

 しかし、こうしていると、頭がぐちゃぐちゃとしてくる。
 高島先生の容態。
 今後、ホタカ先生はどうなってしまうのか。
 考えたところで、答えに辿り着かないであろう疑問をループさせながら、僕は彼女の目覚めを向かいのソファーに座り、待っていた。

「うーん……」

 相談室へやって来て、30分程で彼女は目覚める。
 彼女は上半身を起こすなり、僕に対して開幕早々ぎょっとした視線を浴びせ、辺りを見渡す。
 一頻り、現状把握を終えると、何を言うでもなくソファーに腰を下ろしたまま俯く。

「病院には、麻浦先輩に行ってもらいました。ホタカ先生は大丈夫だと思ったので、ココで……」

 ダメ押しとばかりに、僕はここまでの経緯を雑に説明する。

「……そっか。ごめん。ありがとう」

 それだけ言うと、彼女はまた黙り込む。
 麻浦先輩には逐一報告をお願いしたが、現状何も連絡はない。
 情報が限られている今、僕がこの場で話せることなど、ほとんどない。

「……高島先生が、何で飛び降りたか。僕、何となくですが分かる気がします」

 僕がそう切り出すと、ホタカ先生は勢いよく視線を僕に向けてくる。

「そ……」

 彼女が、その先の言葉を求めることはなかった。
 そこからしばらく、僕たちの間に手持ち無沙汰な時間が流れる。

 その時、突如として、目が覚めるような機械音が相談室内に鳴り響いた。
 僕はスマホの画面を確認すると、息を整え、ゆっくりと『応答』にタッチした。

「もしもし」

「燈輝くん。高島先生さ……」
 
 その後の彼の話を、僕はまともに聞くことが出来なかった。
 いや……。むしろ、聞かずとも分かると言うべきか。
 もしくは、初めから分かっていたと言うべきか。
 いずれにしても、冷酷なまでに現実を受け止めている自分自身に、つくづく嫌気が差す。
 
「そう、ですか……。分かりました。ホタカ先生にも、伝えておきます。ありがとうございました」

「うん。よろしくね。えっと……、燈輝くん」

「はい?」

「上手く言えないんだけどさ……。キミ一人が背負えるものなんて、たかが知れてるからね?」

「……ソレ、アナタが言いますか?」

「ふ。そうだね」

「心配に及ばずとも、端から背負うつもりなんてありませんから」

「そっか。それなら良かったよ。じゃあ……、またね」

「はい。では」

 僕はそう言って、ゆっくりと電話を切った。
 
「……何だって?」

 ホタカ先生は眉尻を下げ、聞いてくる。

「高島先生、亡くなったそうです……」

 僕がそう告げると、ホタカ先生は再び脱力する。
 すると、両手で顔を覆い、ひくひくと肩を揺らしながら、泣き始めた。
 彼女のすすり泣きは、やがて嗚咽に変わり、相談室内を静かにこだまする。
 そんな彼女を、僕はただただ見つめることしかできなかった。

「……ごめん」

 彼女は一頻り泣くと、僕に謝罪をする。

「いえ」

 そう言った切り、僕は次の言葉が出てこない。
 心の置きどころがない、とでも言うのか。
 あるいは感情が迷子、なのか。
 こうして、分かりやすく泣きじゃくる彼女の方が、幾分正常なのかもしれない。

 元々、少なからず予感していたわけだ。
 であるなら、僕は何故防ごうとしなかったのか。
 そもそも、防ぐことが出来たのか。
 更に言うなら、防ぐことに意味はあったのか。
 もし、そうならという前提すら崩れてくる。
 この、得も言われぬ嫌悪感の正体がそれだとしたら、高島先生に起源を求めること自体お門違いだ。
 いや。それも違う。
 考えるべきは、もっと根本的な問題だ。
 一方的に特大のを押し付けてきた高島先生に対して、僕やホタカ先生はどんな心情を抱けばいいのだろうか。
 終わりのない葛藤が、僕の脳内を支配した。
 
 しかし、そんな中でもただ一つ。
 確信していることがある。
 それは……。

「高島先生は、ホタカ先生に生きていて欲しかったんだと思います」

「そ、そっか……」

 彼女は静かにそう呟く。
 
 薄々は、勘付いている。
 僕は、高島先生のに、物の見事に嵌りつつある。
 もし、これが僕の予想通りなのであれば、高島先生はとんだ食わせものだ。

「ホタカ先生。ココからは僕の戯言です。なので、耳障りでしたら、適当に聞き流すなりしてくれて、構いません」

 ホタカ先生は何を言うでもなく、首を小さく縦に振る。

「その前に確認です。ホタカ先生が欲しかったもの。それは高揚感であり、自分にしか果たせない。ひいては、その先にある生きる理由。これに間違いはありませんね?」

「……そうだね」

「ではココで一つ、仮定の話をしましょう。もし、ホタカ先生がこの先、それらを得られないとすれば、どうするつもりでしたか?」

「それは……」

 わざわざ、聞くまでもない。
 高島先生は結果として、彼女を引き止めたわけだ。
 自分自身の命を引き換えにして。
 更には、その先の彼女の人生も見据えていたのだろう。

 ……しかし、それは飽くまで向こうの理屈だ。
 今の彼女を見る限り、明らかに動揺の方が強い。
 受け止める側がこの調子では、高島先生のが真の意味で伝わることはないだろう。 
 それを納得させるためには、相応のが必要だ。

「……もし、高島先生の意図が僕の予想通りだとしたら、僕は彼のことを心底、軽蔑します。ですが現状、それを証明する術はありません。そんな状況で何かを決めるのはフェアじゃない。兎に角、今日のところは帰りましょう」

 僕がそう言うと、ホタカ先生は黙って頷いた。
 そんな彼女の姿は、これまで見た中で一番小さく見えた。
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