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痛みを知ったその先で③

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「い、いきなりなんですか……」

 教室の中央の教壇を隔て、真っ直ぐな目で話す麻浦先輩を前に、僕は必死に言葉を絞り出す。
 それにしても、彼の意図が全く理解できない。

「あれ? ピンと来ないかな? 流れ的に分かってくれると思ったんだけど」

 当の本人は『心外』とでも言いたそうに、僕を見つめてくる。
 どうでもいいがこのやり口、彼女に通じるものがある。
 まさに男版、安堂寺 帆空と言ったところか。

「まぁそうだね。確かにいきなりだったか。まだキミに話してないこと、沢山あるしね」
「……分かってるなら話は早いです」

 僕がそう言うと、麻浦先輩はフゥと息を吐き、静かに微笑む。
 すると、ゆっくりと教壇から離れ、教室の窓側に向けて歩き出す。
 窓のヘリに手を置き、夜の帳を見渡すその姿はどこか悲哀のようなものを感じる。
 部分的に点灯されたLED電灯の光を浴び、さながら舞台役者のようにも見えてしまう。

「あのさ、燈輝くん。こういう論争、よく聞かない? いじめはされる側にも問題があるのか、ないのか、みたいな」

 敢えて、なのか。
 しかし、その質問を投げかけてくる真意は、概ね理解できてしまった。
 これから、本当の意味でのが始まる。
 僕は、そんな邪推をしてしまった。

「えっと……」
「あぁ、ごめんごめん! 、じゃなくてさ。単純な意味で、だよ! キミはどう思うかな?」

 やはりこの人には僕の心のぐらつきなど、手に取るように分かってしまうようだ。

「……いじめを受ける側にも、原因があると思います」

 自分で言っていて、分からなくなる。
 これは僕の本心なのだろうか。
 はたまた、麻浦先輩に対して要らぬ忖度が働いたか。
 いずれにせよ、大凡らしくない僕の回答は、目の前の人間を困惑させるには十分だったようだ。

「……何か言わせちゃったみたい、かな?」

 麻浦先輩は苦笑いで言う。
 
「別に……。実際そう思う部分はあります。特にココ最近は」
「そっか。ごめんね。キミへの当てつけってわけじゃないんだ。ただ俺たちもこのままじゃ終われない……、いや。終わらせちゃいけなかったから」
「……ウチの親、ですか?」

 僕が恐る恐る問いかけると、麻浦先輩は無言で頷き、遠い目を浮かべる。

「言っちゃえばさ。これはにとっての通過儀礼みたいなものだったんだよ。キミや風霞ちゃんにとっては、はた迷惑な話だけどね」

 小声でそう漏らした後、彼はゆっくりと話し始める。

 麻浦先輩の父親が独立し、事務所を設立する以前。
 彼が都内のとある社労士事務所に勤めていた頃、に巻き込まれたことが、そもそもの始まりだった。

 ある日、彼の後輩の社労士が事務所の金を横領し、行方を晦ましてしまう。
 もちろん、彼は無関係だった。
 しかし、元々その社労士の教育係だったこともあり、監督不行届を指摘される。
 それだけなら、まだ良かった。
 話は次第にエスカレートしていき、あろうことか共犯まで疑われてしまう。
 彼は必死に弁明するも、気付いた頃には顧客にまで、その疑いの目は広まってしまっていた。
 後の警察の捜査によって、潔白は証明されたようだが、それは彼が事務所を辞めた後だった。
 そういった経緯もあってか、独立して間もない頃は営業活動に相当に苦労したらしい。

 そんな彼を救ったのは、当時ゼネコンの事務職として勤めていた麻浦先輩の母親だった。
 当時、彼女の会社では長年担当していた顧問社労士が引退を表明しており、引き継ぎを探していたらしい。
 比較的規模の大きい上場企業ということもあり、仮にこれを射止めることができれば、事務所としての信用は格段に上がる。
 だからこそ、彼女はこの機に会社を引き合わせた。
 彼女の尽力もあり、彼は見事、顧問社労士の座を勝ち取ることに成功する。

「何か……、大変だったんですね。色々と」

 『悪徳社労士』などといった先入観のせいか。
 事前情報とのギャップに、思わず月並みな感想が漏れ出てしまう。
 僕は自分自身の世間知らずと、語彙力の乏しさを呪った。
 
「……まぁ社労士に限らず、士業が営業に苦労するのは当たり前の話だって。そうでも思わないと、やっていられないでしょ」

 苦々しい表情でそう語る彼を直視できず、僕は思わず視線を逸してしまう。
 言外に伝わってくる圧力に、耐え切れる気がしなかった。

「ごめん、話を進めるね。母さんが勤めていたその会社なんだけどさ。実は、反社会勢力のフロント企業なんじゃないかって、噂が立ったんだ」

「はっ!? ソレ……、本当なんですか?」

「もちろん、そんな事実はない。そもそも上場企業だしね。外部監査だってあるし、その辺りのコンプライアンスはしっかりしていたはずだ。だから、父さんたちもそれを主張すればいいだけだった。ただね。ちょっと時期が悪かったんだよ……」

 麻浦先輩がそう話すのは、同時期に起きた一つの事件が背景にあるらしい。

 当時、とある採石業者が都内の砂利採取場での事業に向けて、出資者を募っていた。
 新興企業で実績に乏しく、出資者集めは難航していたが、幸いにも一社の投資会社が手を挙げた。
 交渉は順調に進み、いよいよ契約締結一歩手前まで来たところで、ある問題が発生する。 
 なんと事業予定地となる採取場の採石権を、業者が所持していなかったというのだ。
 何でも権利移転にかかる委任状と登記簿を偽造していたようで、提出された書類に違和感を持った投資会社側が自治体に確認したところ、発覚したらしい。
 投資会社は、すぐに刑事告訴へ動く。
 程なくして、採石業者の代表は逮捕される。
 その後の供述の中で、反社会勢力との繋がりも明らかになった。

 そして肝心なのは、ここからだ。
 検察は捜査の過程で、の存在に辿り着く。
 代表の供述によると、資金の横流し先となるはずだった関連企業のようで、実態のないペーパーカンパニーだった。
 一見すると、典型的なマネーロンダリングの手口のように思えるが、問題はその社名にある。
 なんと、彼の母親が勤めていた企業と全く同じ社名だったのだ。
 明確な悪意については否定していたらしいが、そんなことは問題ではない。
 登記簿上、同じ業種だったことも祟り、彼女の会社は思わぬ風評被害を被ることになる。
 当然、麻浦先輩の父親も無傷ではいられず、『反社お墨付きの社労士』などと業界で揶揄されるようになり、しばらくは営業活動すらままならなかったようだ。
 これら全ての発端は、そのペーパーカンパニーの存在をが先んじて報道してしまったことだと、麻浦先輩は話す。

「なるほど。要するに、検察からそのリークを受けたのは……」

 麻浦先輩は黙って頷いた。

「そ。キミのおとうさんだ」
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