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灯理の痛み④

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「風霞の兄貴さ。殊寧たちの父親の仕事、知ってる?」
「……いや、知らない」
「なんかね……。マスコミ系の会社の経理だったらしいの」
「へっ!? それって……」

 灯理の話に、風霞は驚愕してみせる。
 それを見た灯理は無言で頷く。

「そ。風霞たちの親と同じ会社」
「ちょっと待ってくれ! て、ことは……」

 僕は思わずその場で身を乗り出してしまう。
 そんな僕を見て、灯理は更に表情を曇らせる。

「だから、たぶん……、もうすぐ捕まっちゃう。殊寧たちも、そのこと……」

 そういうことか。
 世間は狭いというか、何と言うか……。
 あまりの事態の拗れ具合に、僕は思わず溜息が漏れ出てしまう。
 
「……でもな。そんな状況で、どうして今更児童ポルノなんだ? こう言っちゃなんだけど、小岩たちにしてみたらそんな場合じゃないだろ」

 僕がそう聞くと、灯理は小さく息を漏らし、少し呆れたような仕草を見せる。
 
「そもそもなんだけどさ。会社が不正してたこと、何でバレたと思う?」
「そりゃあ、生半可な粉飾なんてすぐにバレるだろ? 税務署の職員は優秀って聞くし」
「確かにそれもそうなんだけどさ……。でももし、そのことを知ってる人間が外部にもいるとしたら?」

 灯理のその言葉に、僕はようやく合点がいった。

「麻浦先輩の父親、か……」

 灯理は黙って頷いた。 

「麻浦の父親って社労士じゃん? なんかそれで、会社の労務管理任されてたみたいでさ。殊寧の父親に指示してた役員と、普段からやり取りがあったみたいなの。だから裏帳簿のことも、そこから漏れたんじゃないかって……」

 灯理の口から飛び出てくる情報の数々に、頭が錯乱しそうになる。
 もはや、状況を把握するだけで手一杯だ。
 
「それで、その役員がさ……。他にも悪いことしてたみたいでね」
「それが児童ポルノ、てことか……」

 僕の問いかけに小さく頷いた灯理の顔には、隠しきれないほどの嫌悪感が滲み出ていた。

「なんかソイツ、個人的にも事業してたみたいでさ。そっちで結構な借金抱えてたんだって。だから、それで知り合いに誘われて小遣い稼ぎに……、って具合にのめり込んでいったらしいよ」

 なるほど。話が繋がった。
 欠けていたパズルのピースが一つずつ埋まっていく感覚だ。

「殊寧の父親もさ……。粉飾にも関わっちゃたし、引き返せないところまで来てたんだと思う。その役員、人事権も持ってるみたいだしね。だから、同調しちゃったんだよ。それでも自分の子ども巻き込むなんて、どうかしてるし……。そりゃだろうけどさ」

 灯理は溜息まじりに、そう話す。
 彼女の話をまとめると、父さんたちの会社の労務管理を請け負っていた麻浦先輩の父親が、その直接的な窓口だった役員と共謀して公金詐取なり、児童ポルノの斡旋なりを行っていた、ということになる。
 役員の側近だった小岩の父親、更には自分の子どもたちをも巻き込んで……。

 しかし、仮にそうだとしても、まだまだ不明な点はある。
 児童ポルノの犯人と麻浦先輩の父親はお互いの秘密を握り合って、協力関係を築いていたはずだ。
 主犯の一人がその役員なら、何故麻浦先輩の父親は脱税の事実をリークしたのだろうか。
 秘密を握られている以上、リスクしかない。
 それだけじゃない。
 何よりも、これら一連の悪事と灯理との関連性が不明だ。
 小岩が灯理の存在を隠していた理由と関係があるのか?
 考えれば考えるほど、僕たちは引き返せないほどの深みに嵌っていることを実感する。
 
「ごめん。急に色々話しちゃって……。話、ついてこれてるかな?」

 灯理は、僕と風霞を交互に見渡し、問いかけてくる。
 正直な話、かなり堪えてはいる。
 しかし、納得のいく話だ。
 相談室の存在を僕に知らせてきたのは他でもない、小岩自身だ。
 俗な言い方をすれば、これは小岩が周到に仕組んだ巧妙なマッチポンプと言っていい。

「……話を聞いてると、小岩も首謀者側、って感じだな」

 灯理はバツが悪そうに頷く。

「……どんな理由であれ、風霞が売られたのは事実だからね。そう思うのは無理ないと思う。まぁあたしは、殊寧の兄貴のこと、どうこう言える立場じゃないけどね。てか、むしろそのみたいなもんだし」

 あの時感じた違和感は、やはり間違っていなかった。
 確かに小岩とは、比較的よく話すとは思う。
 でも、所詮はその程度だ。
 特別に仲が良いか、と聞かれれば素直に頷きにくい。
 実際、僕は小岩のことを良くは知らない。
 それは小岩にしても、同じだろう。

 それにしても、不思議と何の感傷も湧いて来ない。
 多少なりとも、関わり合いのあった人物であったはずなのに。
 いや、むしろ仮にもだったから、か?
 小岩なりに事情があったから、か?
 ……いや。そんなことは本来関係ないはずだ。
 そもそも、怒りは期待とのギャップから生じるものだろう。
 なら、僕は能登に何かを期待していた、のか?
 だとしたら、何に?
 それはない。
 こうして怒りに支配されるでもなく、頭の中でアレコレと屁理屈を捏ねる余裕があるのだから。
 馬鹿馬鹿しい。
 もう、自分が分からない。
 
 別に気持ちを押し殺してるわけじゃない。
 『あぁ、やっぱりか』
 それが等身大の感想だ。
 結局、僕はまだまだ人を信用出来ない。
 いや……。他人に対して、期待をするのが怖いんだと思う。

 しかしよくもまぁ、あれだけ平然と作り話が出来たものだ。
 一時は、僕やホタカ先生の前で泣きながら、自首するとまで言っていたというのに。
 大人しいヤツだと侮っていたが、とんでもない食わせ者だったようだ。

 そんなことを考えていた折、ふと横に目をやると、テーブルに顔を伏せ、打ち震えるホタカ先生の姿が見える。
 僕には分かる。これは前兆だ。
 だから、恐らく。そろそろ……。

「トーキくんっっっ!!!!!!」

 ホタカ先生は、バンッと店中に響き渡るほどの音を立ててテーブルを叩くと、勢いよく立ち上がる。
 そのおかげで、僕たちは完全に衆目の的になってしまう。

「あのー、お客様。他のお客様もいらっしゃいますので……」
「す、すみませんっ!」

 テーブル席の近くを通りがかった店員に注意される。
 僕が謝ると、店員は苦笑しながら、イソイソとその場を離れていった。
 余程、忙しいのか、もしくは関わり合いになりたくないのかは不明だ。

「フッフッフッ! どうだね? トーキくん。お姉さんの意図、何となく汲んでくれたかね?」
 
 当の彼女は、そんな公共の道徳など一切預かり知らぬとばかりに、勝ち誇ったような笑みを浮かべて、ワケの分からないことを宣う。
 彼女のこの様子を見る限り、罪悪感など一切感じていないのは明白だ。
 
「……やっぱり小岩が完全なクロだって、最初から分かってたんですか?」

 僕がそう問いかけると、ホタカ先生は鼻を蠢かして応える。

「言ったじゃーん! キミが感覚を取り戻すまで、が私のカウンセリングだって。だからトーキくんには深みにハマってもらったんだよ!」

 得意げにそう語るホタカ先生を見て、僕は一人納得する。
 あの日、僕と小岩の会話に割って入って、話を逸らしてきた理由がコレか……。

「あれ? 怒ってる? トーキくん、怒ってる!?」

 ホタカ先生は心底嬉しそうに目を細め、聞いてくる。

「……ここぞとばかりに煽りますね。その手には乗りませんよ」
「ちぇー。つまんないなー。でもどう? 今の気持ちは? 友達に一度ばかりか、二度も嘘を吐かれていたことを知って!」

 彼女は僕の顔を覗き込み、これでもかというほど煽り散らかしてくる。
 その表情たるや、まさに悪の化身だ。
 ただ……、これは言ってみればホタカ先生流のテストだろう。
 彼女は試している。
 僕が彼女の意図に気付いて、どう振る舞うかを。
 だから、このまま挑発に乗ってはいけない。

「そりゃあ、いい気分はしませんよ。でも、まぁ……。その程度、ですかね。違うのは動機だけで、やられたことは同じですから」

 僕がそう言うと、ホタカ先生は溢れんばかりの笑みを浮かべる。

「そっかそっか! まぁ、まずは最後まで話を聞いてみようよ! どうして、アカリちゃんがになるのか。この部分が全てを物語ってると思わない!?」

 ホタカ先生はそう言うと、灯理に期待を込めたような視線を送る。
 その気配を感じた灯理は、気まずそうに視線を外して話す。

「うん……。ホタカ先生の言う通り。殊寧の兄貴がそうせざるを得ない原因はあたし、だから」
「……どういうことだよ」
「風霞には言ったけどさ。あたしのの父親の方に一人姉貴が居てさ。凄い恨まれてるんよ。
「それは聞いたよ。……にしてもとか、随分と他人行儀なんだな」

 恐らく、問題の本質とは直接的には関係ない。
 でも何故か気になり、聞いてしまった。

「そりゃね。むしろ、今更馴れ馴れしくてもアッチが迷惑っしょ。姉妹っつっても所詮は他人だしね。つーか、実際恨まれてるわけだし」

 遠い目でそう話す灯理に、何故か少しだけシンパシーを感じてしまった。
 不倫をした母親に付いていった、というではない。
 僕では想像もし得ない確執というか……、そんなものがあるのだろう。

「でさ。その人が麻浦と繋がっててさ。アッチはアッチでしようとしてたらしいんだ。あたしを陥れるために、ね……」
「……それは分かった。でも、それが小岩の件とどう繋がるんだ?」

 僕が灯理にそう聞くと、『やれやれ』という呆れ声とともに、ホタカ先生は大きく息を吐いた。

「しっかたないなぁ~! ここに来て鈍チンが極まったトーキくんに、お姉さんが特別に、ヒントを差し上げましょう! 私は言いました。『全ては繋がっている』のだと」
「いや、だからそれは……」
「要するにね。キミがいじめられた原因は、元を辿ればキミのお父さんたちにあるってことだよ。まぁ言っちゃえば、因果応報ってヤツ、かな」

 ホタカ先生のに、僕はしばらくの間言葉を発することを忘れてしまう。

「あの……。意味が良くわからないんですが……」
「もうっ! キミともあろう人がまーだピンと来ないかな~! キミのお父さんたちの会社は、何の会社!?」
「何のって、そりゃあ地方紙の……、あ」
「やーっと、分かったぁ~!?」

 ピンときた僕の顔をまじまじと見つめながら、ホタカ先生は言う。
 本当に回りくどい人だ。
 でも、おかげでホタカ先生の言う、因果応報の意味が分かった。

「……要するに、自分たちがやられたようなことをにしてしまった、ってことですかね? ホタカ先生の言い分だと」

 僕の回答に、ホタカ先生は満面の笑みで頷く。

「御名答っ! そ・し・てぇ~、この場合のとはぁ~?」
「麻浦先輩の父親……ですね」

 僕が応えると、ホタカ先生は満足そうにグーサインを作る。
 そんな僕と彼女のやり取りを見届けた後、灯理は静かに話し出す。

「あたしは詳しいことは知らない。でも、麻浦たちが風霞のお父さんたちを凄い恨んでるってことは確か……、だと思う。風霞の兄貴への仕打ちも、それ自体が目的ってわけじゃなくて、プロセス? ってーの? そんな感じだと思うから」

 ここまでの灯理の話を聞いて、事件の大枠というか、推移が少しだけ掴めた気がした。
 端から僕の件など、通過点でしかなかったのだろう。
 彼らの目的はもっと……。

「……ソレだけなら、小岩の件が説明つかない。長々と語ってくれたのはいい。でも、いい加減そこを話してもらわないとな」

 僕の問いかけに、灯理は息を呑む。

「……まぁ要するにさ。麻浦に脅されたのは殊寧の兄貴じゃなくて、あたしなんよ」

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