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婆ちゃんの痛み⑤

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 僕は言葉に詰まってしまった。
 というより、あまりの情報量に思考が追いつかなくなる。 
 そんな僕を見て、母さんはより一層気まずそうにする。

「急に言われても困るわよね。本当に私たち、今まで何も話してこなかった……」
「そんなの……、今更だって」
「そ、そうよねっ! ごめんなさい……」
「あぁ、もう分かったからっ! 早く続き、話してよ!」
「わ、分かったわ! 母さんね。燈輝たちには言ってなかったけど、5つ下に妹が居たの……」

 母さんの妹。まぁ要するに、僕のおばさんに当たる人物だ。
 その人は先の事件に巻き込まれ、不幸にも命を落とした一人だった。
 事件当初、捜査の中で爺ちゃんの名前が浮かび上がると、母さんたちは警察の証言を信じ、世論と同じように厳しい目を向けていた。
 しかし捜査が進み、爺ちゃんの疑いが晴れると、世論は一斉に手のひらを返す。
 すると今度は、マスコミや警察に対して猛烈なバッシングが向かう。
 だがそれも一時的で、真犯人が逮捕されると爺ちゃんの冤罪被害のことなど、あっという間に風化されていった。

 そして、その後。
 警察を通じて、爺ちゃんの自殺を知らされることになる。
 母さんは、愕然とした。
 妹の被害の裏で、別の不幸を被った人間がいる。
 しかも、その家族には自分と同年代の少年もいる。
 そう思うと、得も言われぬ罪悪感が拭えなかった。

 しかし大学入学後に、転機が訪れる。
 なんと、友人に誘われて入ったゼミで、偶然にも父さんと出会ったらしい。

「そうだった、んだね……」
「そ。なかなか運命的でしょ?」

 そう話す母さんは、いつになく少し得意げだった。
 確かに、質が悪いほどに運命的だ。
 だがそれなら、父さんたちに負い目を感じるのも理解できる。
 でも……。
 どこか独善的で、上から目線に見えなくもない。
 ともすれば、父さんたちの気持ちを踏みにじっているような、そんな感覚だ。
 ……いや、考え過ぎ、か。
 これまでの境遇のせいか。
 穿った見方をしてしまうのは僕の良くないクセなのだろう。

「だからね。この機会に少しでも罪滅ぼししようって思ったの。ね」
「最初は?」

 僕が聞くと、母さんは少し顔を紅潮させる。

「だってそうでしょ? 流石に罪滅ぼしってだけで結婚までしないわよ」

 野暮なことを聞いてしまった。
 案の定、父さんも顔を伏せている。
 そんな父さんを見て、母さんは困ったように笑う。
 聞いているこちらまで、恥ずかしくなる。
 両親の馴れ初めほど、聞いていてむず痒い話もそうそうない。

「だからね。お母さん、お父さんが進む世界を隣りで見たいって思ったの。純粋にね。まぁ家族には大反対されたんだけど」

 今日、初めて。母さんの実家のことを聞いた。
 道理で、母さんの方の婆ちゃんたちには会ったことがないわけだ。
 恐らく、勘当同然で父さんに付いていったこともあって、実家と縁が切れてしまったのだろう。
 それにしても、今までこれほど重要なことを聞いていなかったとは、俄には信じ難い。

「だから、父さんと一緒の会社に……」

 母さんは黙って頷いた。

「でもね。マスコミの仕事って、想像していたよりもずっと大変だった。それこそ泊まり込みになることだってザラだし……。とてもじゃないけど罪滅ぼしだとか興味本位だとか、薄っぺらい感情論でやっていけるような仕事じゃなかった」

 父さんや母さんの働きぶりを見れば分かる。
 そんなことは、てっきり二人の間では織り込み済みだと思っていた。

「それにお金のこともあるでしょ? 地方紙で、お給料もそこまで……、って感じだしね。だから、どんどん最初の目的なんて忘れていった。挙げ句の果てに、『この人たちさえいなければ……』なんて逆恨みもした。自分で決めたことなのに、ホントどうしようもないわよね」

 まるで懺悔だ。聞くに堪えない。
 どこまでも勝手な人だ。
 でも当の本人は、そんな心情を一切隠そうとしていない。
 どこか自嘲気味に笑いながらも、率直に話している。
 そんな母さんを尻目に、父さんはどこか居心地悪そうだった。

「でもあの時……、少しでもお父さんたちの力になりたいって思ったのは本当なの! もちろん、今だって……」

 母さんはこれまでの吐露とは違い、力強く話す。
 どうやら、それが事実であることに疑いの余地はなさそうだ。
 それならば……。
 せめてもの礼儀として、僕も率直な想いを語ることにしよう。

「婆ちゃんはさ。たぶん、そういうことが聞きたかったんじゃないと思うよ」
「……え?」

 母さんは、ぽかんとする。

「婆ちゃん、分かってたんだと思う。父さんも母さんも、ずっと独りよがりしていたこと」
「それは……、どういう意味?」
「上手く言えないんだけどさ。婆ちゃん、ホッとしたんじゃないかな?」
「……何が言いたいんだ?」

 僕の言葉に父さんは露骨に顔色を変え、口を挟んでくる。

 これは僕の憶測に過ぎない。
 婆ちゃんが最期に見せた笑顔。それが意味するもの。
 確かに僕たちの日常は、ずれ込んでいた。
 でもだからと言って、それが全部間違っていたのかと言えばそんなことはない気がする。
 『なるようになった結果』と言ったら乱暴だが、帰結する場所は必ずしも平地だとは限らないのだと思う。

「だからさ……。婆ちゃん、もう忘れて欲しかったんだと思うよ。爺ちゃんのこと」

「っ!?」

 父さんも母さんも、あっけに取られているようだった。

 婆ちゃんが抱えていた痛み。
 それは父さんと母さんが、爺ちゃんの残像に囚われ続けることだ。
 爺ちゃんの無念を晴らすためにマスコミを目指すと告げた時、婆ちゃんは嬉しそうにしていた、父さんは話していた。
 それ自体は、事実だと思う。
 実際、父さんも相当考えた上で、結論を出したのだろうから。
 でも、婆ちゃんはこうも思ったはずだ。
 その選択は、父さん自身の人生を生きたことになるのか、と。
 母さんにしても同じだ。

 事実として、婆ちゃんのその懸念は、ココ数ヶ月の中でしっかりとカタチとなって現れている。
 それが、今のこの無様な現状だ。
 父さんや母さんはおろか、免罪符として送り込まれた僕まで、婆ちゃんのことをどこか疎ましく感じていた始末だ。
 きっと、日々に忙殺されていく内に、初心を忘れていってしまったのだろう。

 結局、父さんも母さんも、そして僕自身も。
 どんなカタチであれ、紛れもなくを生きていたのだ。
 そう思えば、皮肉な話だ。
 
「……何、分かったようなこと言ってんだよ」

 そう言いながらも、父さんはどこか心当たりがあるような様子だ。
 父さんの気持ちは分からないでもない。
 最期の婆ちゃんの顔を見て、どこか道が開けたような感覚はしたが、相変わらず分からない部分も多い。
 どの道、もう何もかもが遅すぎた。
 婆ちゃんが死んだ今、正確な答えを確認する術はない。

「……そうね。確かに燈輝の言う通り、かもしれないわね」

 母さんとしても、そう応えるしかないのだろう。
 どこか煮え切らない態度は、きっと僕の気のせいじゃない。
 実際のところなんて、誰も分からない。
 ただ、一つだけ。
 婆ちゃんとのやり取りを通じて、確信できたことがある。

 父さんも母さんも、僕も風霞も。
 この行き場の無い後悔を、一生抱えて生きていくしかないのだろう。

 別に、確証に近い何かを得たわけでもない。
 でも僕の勝手な憶測で、何かが解決したかのような空気が生まれてしまう。
 こうなれば、現金なものだ。
 険悪な雰囲気に包まれていた病室も、一気に緊張感を失ってしまった。
 手持ち無沙汰になりかけた頃、父さんはそれを見計らっていたかのように、すぅーと息を吐く。
 そして、僕と風霞に向き直ってくる。

「ところでな。燈輝と風霞に言っておくことがある……」

 父さんが切り出した言葉に、大方察しがついてしまう。
 そうだ。
 僕たちの間には、有耶無耶にしてはいけない問題がある。
 全く……。婆ちゃんの死を利用しないと、こうしてまともに向き合えないとは。
 僕たちの家族関係が如何に薄っぺらいものか、身に染みて思い知らされる。

「……父さんたちの会社、危ないんでしょ?」
「そうか……。知っていたか……」

 父さんはそう言うと、酷く落胆した様子を見せた。

「お父さんっ! そ、その、ごめんなさいっ! 私、お父さんたちが夜中に話してるの聞いちゃって……」

 風霞の告白に、父さんは何も言わずに目を大きく見開く。
 そして少しの沈黙の後、コホンと咳払いをする。

「……まぁ知ってるなら話は早い。そんなワケだから、遠くない内に潰れるかもしれん。事件だ。相当大きく報道されるとは思うが、お前たちは気にするなよ」

 気にするな、と言うのも無茶な相談だ。
 とは言え、こちらは現在進行形で抱えている問題が多過ぎる。
 生憎、父さんたちにだけ構っていられる余裕はない。

「大丈夫だっ! 燈輝と風霞に何かを掛けるようなことはしない。お前たちは勉強に専念しろ!」

 僕のどこか煮え切らない態度を見て何を思ったか、父さんは的外れなフォローを入れてくる。
 苦労とは、また随分と勝手な言い草だ。
 では、のは一体何だったのか。
 
「別に……。それは心配してない。まぁ何かあったら協力はするよ。出来る範囲で」

 僕がそう言うと、父さんは柔らかい笑みを浮かべた。

「そうか。なったな」

 兄貴らしく、か。
 まるで呪いのような言葉だ。
 思えば、僕はずっとそれに囚われてきたわけだ。
 『自意識過剰』と、一言で切って捨てられたらそれまでだが、いつの間にかそれが僕の心を限界まで蝕んでいたのも事実である。
 もちろん、そんなこと。
 父さんは知る由もない。
 だから父さんは、平気でそういうことを言って退けるのだろう。
 
「い、いや、違うっ! 別にヘンな意味で言ったんじゃないからなっ! 悪い……。ホントに駄目な親父だな」

 またしても何かを察した父さんは、平身低頭に謝ってくる。
 そこまでの想像力があるのなら、もう少しだけ早く働かせて欲しかった。

「もういいよ。そういうの……」

 僕の態度に、父さんは更に顔を沈ませる。
 そんな自分の父親の姿を見るに堪えず、僕は背中を向けてしまう。
 この後に及んで親としての矜持を捨てきれていない。
 いや……。捨てきれていないだけマシと見るべきなのか。
 僕には良く分からない。

 いずれにしても、これが僕たちの限界なのだろう。
 身内と言っても、所詮は他人だ。
 父さんも、母さんも、風霞も。
 それぞれが違う人生を歩んでいる。
 血縁関係だけで、何もかも共有できるのであれば、そんなイージーな話はない。

 別に誰かを恨む必要もなければ、恨まれる謂れもない。
 僕たちは、等しく被害者だ。
 ただ……。
 もう少し早くそれに気付いていれば、今とは違う関係を築けたのかもしれない。
 そんなことを思いながら、僕は病室の出口に向かった。
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