上 下
18 / 54

婆ちゃんの痛み③

しおりを挟む
「恥かかせやがって……」

 父さんが怒気を孕んだ声で呟く。
 今の今まで泣いていたのに、また随分と切り替えが早い。
 覚悟はしていたが、案の定これで終わりとはいかなかった。
 父さんたちは、先の僕の態度を良しとしていないようだ。

「ああいう場ではなっ! 父さんたちみたいにしていればいいんだよっ! 余計なことしやがって! お前がオカシなこと口走ったせいで、父さんたちがどう思われるか分かってんのか!?」

 やはり、僕の見立てに狂いはなかった。
 父さんたちにとって『婆ちゃんの死』より、重要なものがあるらしい。
 僕たちを病院に派遣してまで、を装っていただけのことはある。

「燈輝っ! 前々からヘンな子だとは思ってたけど、公衆の面前でこんな恥を晒して……。長男としての自覚はあるの!?」

 ヘンな子、とはまた随分な言い草だ。
 百歩譲って僕がヘンな子だとして、その人格が突然変異か何かで憑依したとでも言いたいのだろうか?
 まぁ、そう言いたい気持ちも分かる。
 という自覚がないのであれば。

「あぁもう! ていうかどうすんのさっ!? 流石にもう少しと思ってたから、準備してなかったわよっ! 葬式っていくらかかんのさ!?」
「知るかっ! つーか、それぐらい用意しとけよっ! これだから女は!」
「何よそれっ! アンタの稼ぎがもっとあれば、私だってのんびり専業主婦してるわよっ!」
「お父さんもお母さんもやめてよ……。お婆ちゃん、死んじゃったんだよ?」
「チクショー……。なんだって会社がこんな大変な時に……」
 
 今、僕の前に広がっている光景について、どんな感想を持てばいいのかは分からない。
 というより、そんなものは端から問題の本質ではない。
 事実として、もっと大切なことがある。

「父さん。婆ちゃん、最期に応えたよね? 幸せだったって」

 僕は婆ちゃんを見下ろしながら、父さんに語りかける。

「はぁ!? それがなんだってんだよ!?」
「父さんたちが、どう思ってるのかは知らない。でも僕にはどうしても、婆ちゃんが僕たちに気を遣ってるようには見えなかったんだ」

 僕がそう言うと、父さんは露骨に黙り込む。

 そうだ。
 きっと、父さん自身も薄々は勘付いていたんだ。
 日々の仕事に追われている内に、それ以外の感覚が少しずつ麻痺していったのだろう。
 そして、会社が不祥事を起こしたことで、その疑心暗鬼が最高潮に達した。
 それは母さんも同じなんだと思う。

 僕だけじゃない。
 皆、臭いものに蓋をするように、目を背けていただけなんだ。
 『当たり前』が、少しずつずれ込んでいく違和感を。
 何かの犠牲の上に成り立つ変化を。
 ずっと変わらなかった婆ちゃんが、その死を通して教えてくれた気がする。

「婆ちゃんさ。この個室に来る前は、まだ割と元気で同じ病室の人と話してたりしてたんだ。その時にさ。偶々聞いたんだよね」

 父さんは、何も言わずに俯いている。
 それでも僕は言うべきだ。
 今の父さんにとって、一番残酷な言葉を。

「ウチの息子は、母親思いの自慢の息子だって」
「っ!?」

 僕の言葉を聞いた瞬間、父さんは愕然とした表情になる。

「父さん。一つ、聞きたいことがあるんだけど」
「……何だ?」
「なんで今の仕事に就いたの?」
「それは……」

 父さんはベッドに横たわる婆ちゃんに目を移す。
 その後、何かを思い起こすかのように上を向く。

「燈輝は爺ちゃんのこと、どれくらい知ってるんだ?」
「……いや。ほとんど知らない」

 当然だ。
 爺ちゃんは、父さんが高校生の頃に亡くなっている。
 もちろん、存在自体は認識している。
 昔は、婆ちゃんからよく話を聞かされていたものだ。
 とは言え、それも物心がつくかつかないか、微妙な年頃だ。
 話の内容なんて、ロクに覚えていない。
 僕が小学校に入学した頃を境に、婆ちゃんはすっかり爺ちゃんの話をしなくなった。
 まぁその頃から、病気がちだったこともあるのかもしれないが。

 ただ一つだけ。はっきりと分かっていることがある。
 それは爺ちゃんの死因は、自殺だったということだ。

「そうだったな。そう言えば燈輝と風霞には何も話してなかったな。爺ちゃんがなんでなっちまったか……」

 そこから父さんは、爺ちゃんの過去について語り始めた。
しおりを挟む

処理中です...