神の豆を育てる聖女は王子に豆ごと溺愛される

西根羽南

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73 契約、完了です

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 「お、多いですね」
 確かに、普段は片手に乗るくらいだが、今は両手から溢れる量のあんこが出てきた。
 少し引き気味のクライヴを見る限り、やはり手づかみあんこには抵抗があるようだが、別にこれをそのまま食べさせないので安心してほしい。

 とはいえ、あんこは重い。
 どこかに置けないかと見回していると、あんこが淡く光り始めそのまま消えてしまった。
 何が起こったのかわからずに首を傾げていると、いつの間にかあずきのそばに羊羹男ヨウカンマンの姿があった。


「――うわ、びっくりした」
 あずきが思わず叫んで一歩下がると、羊羹男ヨウカンマンは頭部の羊羹をぷるりと震わせる。

「神の豆の莢を、見せろ」
「そう言われても、莢なんて持ってない……あれ?」

 確かにさっきまで何も持っていなかったはずなのに、いつの間にかあずきの手には人の頭ほどの大きさの莢があった。
 羊羹男ヨウカンマンは莢に触れると、もう一度ぷるりと頭部の羊羹を揺らす。

「うん。いい豆を育てたな」
 そう言って撫でると莢が開いて光り、銀の豆粒があずきの手のひらに残った。

「神の豆は実った。あとは契約者が豆を食べれば、すべて完了する。国の天候は安定するだろう。あずきも、元の世界に戻してやる」

 ――ついに、この時が来た。
 あずきはうなずくと、銀の豆粒をクライヴに差し出した。
 だが、契約者である金髪の美少年は、何故か動かずにじっとあずきを見ている。


「……いりません」
「え?」
 何を言われたのかわからず、あずきは首を傾げた。

「アズキを、帰せません」
 クライヴはそう言うが、まったく意味が分からない。
 もしかして、豆魔法が愉快すぎて後世に資料を残したいのだろうか。
 混乱するあずきに、羊羹男ヨウカンマンが腰に手を当ててこちらを見た。

「どうするつもりだ?」
「どうするも何も。契約でしょう? 食べて」
「嫌です」
 まるで駄々っ子のようなクライヴの態度に、あずきは少しばかり苛立つ。

「国のためなんでしょう? 今まで頑張ってきたじゃない」
「頑張ったのは、アズキです」
「なら、食べてよ」
「嫌です」

 埒のあかない問答に、あずきはため息をこぼす。
 こんなに話の通じない人だっただろうか。
 何にしても、豆を食べない理由がわからないので、聞くしかない。

「何で?」
「言ったでしょう。アズキを帰したくないです」
「この国は豆が大好きで、豆がないと困るのは私でもわかるわ。王子のあなたが、それを守らなくてどうするの」

 ようやくあずきのお守りから解放されるというのに、一体何故ぐずぐずしているのだろう。
 もしかして、こんな時まで聖女を大切にしているという演技をしているのか。
 何にしても、神の豆を食べることはこの国……いや、世界にとって大切なことのはずだ。


「……確か、ここにずっといると消えるのよね?」
「よく憶えていたな」
 ずっと大人しく成り行きを見守っていた羊羹男ヨウカンマンが、感心したようにうなずく。

「まあ、かなりの祝福を授けたあずきは大丈夫だろうが。それでも、長時間は良くないな」
 ではやはり、契約時に来た空間と同じなのだろう。

「このままだとクライヴは消えて、豆王国は天候悪化よ」
「……リスト王国です」
 苦虫を噛みつぶしたような表情から察するに、国がどうなってもいいというわけではないようだ。
 だったらさっさと食べればいいのに、何故時間をかけるのだろう。

「私が育てた豆、無駄にしないで」
 豆の聖女の努力を盾にすると返す言葉がないらしく、クライヴは押し黙った。


「――よし、わかった。手のかかる王子様ね」
「アズキ?」

 あずきはその場に腰を下ろすと、手招きをする。
 不思議そうにしながらも近寄ってきたクライヴに、ぽんぽんと自身の太腿を叩いてみせた。
 意図を理解したらしいクライヴの頬が、心なしか赤みを帯びている。

「ア、アズキ?」
「いいから、ここに頭!」
 もう一度太腿を叩くと、暫しの逡巡の後にあずきの指示に従って膝に頭を乗せ、横になった。

 こんなに至近距離でクライヴを見下ろすのは、初めてだ。
 自然と伸びた手が、柔らかい金の髪を何度も撫でる。

 ああ、綺麗な瞳だ。
 好きだなあ。
 溢れる気持ちに、いつの間にか口元が綻んだ。

「アズキ?」
 クライヴの声で現実に引き戻されたあずきは、美しい豆青とうせいの瞳を見つめる。
「クライヴ」
「はい――むぐ!」

 返事をしたクライヴの口に銀の豆を放り込むと、鼻をつまみ、口を押さえ、体重をかけてあずきの手をどかせないようにする。
 正面から腕力勝負をしたら負けるのだろうが、今は体勢からしてあずきが有利だ。

 クライヴは多少もがいたものの、暫くしてごくりと喉が動く。
 飲みこんだことを確認すると、鼻と口を抑えていた手を放す。
 クライヴは何度か咳き込みながら立ち上がると、少し涙が浮かんだ瞳をあずきに向けた。

「何をするんですか。豆で死にますよ」
「クライヴが訳のわからないことを言うからよ」
 あずきは立ち上がると、ドレスを叩いて埃を落とす。
 この真っ白空間に埃があるのかはわからないが、なんとなく座ってそのままというのは落ち着かない。


「……羊羹男ヨウカンマン。これで契約通りでしょう? 元の世界に返して」
 腕を組んだ状態でこちらを見ていた羊羹男ヨウカンマンは、羊羹を震わせながらうなずく。
「ふむ。確かに、契約完了だ。……では」
 その声に合わせるように、あずきとクライヴの体が光に包まれ始める。

「アズキ! 待ってください!」

 慌てた様子のクライヴが手を伸ばすが、あずきに触れることなく空を切る。
 既に二人共、体が半ば透けていた。
 自身の手を見、あずきを見て瞠目するクライヴに、あずきはにこりと微笑んだ。

「今までありがとう、クライヴ。もう、苦手な私に構う必要もないよ。好きな人と、幸せになってね。――さようなら」
「――アズキ!」

 周囲の光が強まり、その中に完全に飲まれて視界が真っ白になると、同時に意識が遠のいていった。
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