上 下
9 / 79

9 羊羹と心が通じたことはありません

しおりを挟む
「早速ですが、神の豆を植えてほしいのです」
 用意された深緑色のローブを身に纏うと、クライブに手を引かれて部屋を出た。

「……ねえ、クライヴ。わざわざ手を繋がなくても、案内してもらえればついていくわよ?」
 眩い美少年と手をつなぐというのは、なかなか心理的に負担がかかる。
「嫌、ですか?」
 悲し気に眉を下げられると、何だかあずきが悪いことを言ったみたいなのでやめてほしい。

「嫌ってわけじゃないけど」
「ならば、このままでお願いします。俺としても、つらいので」
「つらい?」
 よくわからないが、クライヴは困ったように眉を下げるばかりだ。

 ここで揉めていても仕方がないし、嫌ではないのだから、さっさと行った方が早い。
 そう結論を出すと、そのまま回廊を二人で歩く。
 向かった先にあったのは、広い庭だった。
 ……いや、むき出しの土や畝のような物もあるところを見ると、畑だろうか。

「ここが、神の庭です」
 大層な名前のその場所は、奥に大きな木が枝を広げていた。
 庭というよりは畑だが、畑にしては広いし、王宮の中に畑があるというのも何だか不思議なものだ。

 そのまま奥の木の方へと進むと、そこに三つの人影があることに気付く。
 国王は衣装が特徴的だし、クライヴに似た色彩なので顔も覚えている。
 あとの二人は赤褐色のローブを身につけた壮年の男性と、あずきと同年代くらいの少年だ。
 クライヴはようやくあずきの手を放すと、男性達とあずきの間に立った。

「陛下は昨日話をしたからわかりますね? あとの二人は神殿の神官です」
 神殿とはまた、異世界チックなものが登場してきた。
 よくよく見てみれば、昨日この国に来た時にいた聖職者風コスプレの人達だろう。
 コスプレも何も、本当に聖職者だったということか。
 クライヴに紹介されて礼をする二人に、あずきも慌てて頭を下げた。


「豆の聖女よ。今日はこの豆を植えてほしいのだ」
 国王はそう言うと、あずきの手に金色の豆を乗せる。
 それは、あずきが真っ白空間で出した金の豆だった。
「聖女の手で神の庭に植えて手入れをすれば、いずれ神の豆が実るはずだ」

「手入れと言われても。草むしりや水やりくらいしかできませんけど」
 農作物を育てた経験はないのだが、大丈夫だろうか。
 ちょっと心配になって尋ねると、壮年の神官が優しく微笑んだ。

「聖女様が豆のことを気にかけるだけでいいのです。神の豆は、聖女様の心を糧に育ちますから。聖女様が望まぬ限りは枯れることもありません」
「そうなんですか」

 豆が実る前に枯れたら、当然元の世界には戻れないだろう。
 となれば、枯れる心配がないというのはかなりの安心材料である。
 言われるがままに大きな木の根元に豆を蒔き、土をかぶせる。

 まずはこれが最初の一歩だ。
 次は、芽が出るのを待つのだろう。


「これ、どのくらいで芽が出るんですか?」
 豆を育てたことがないので、まったく経過がわからない。
 何ヶ月もかかることはないと思いたいが、何せ普通の豆ではなさそうなので心配だ。

「文献によれば、数日とも数十日とも言われています」
 思ったよりはマシとはいえ、それなりに時間がかかるらしい。
「じゃあ、とりあえずお水でもあげてみようかな」

「いえ。特に水は必要ありません」
 あずきの呟きに、年若い神官が首を振る。
「でも、豆でしょう? 植物には水よ、水。ちょうど井戸もあるみたいだし」
 少し離れた所には、石造りの円筒形のものと、釣瓶と思しきものがある。
 実際に使ったことはないが、テレビなどで見たことがあるので何とかなるだろう。

「あれは、ここで王妃が豆を育てる時に使用しているものです」
 クライヴの説明に、あずきは首を傾げた。
「やっぱり、水を使うんじゃない」

「いえ、王妃が作るのは普通の豆です。聖女の契約の豆は魔法の豆ですので、普通の手入れをしなくても問題ありません」
「でも、普通の豆も植えられていないわよ」

 見渡してみても、ひたすらに土が見えているだけだ。
 まともな植物と言えば、草花と大きな木くらいで、作物が植えられている様子はない。
 あとは、何匹かの猫が幸せそうに昼寝をしている。


「それは、天候不良と豆の不作のせいです。この神の庭ですら、豆を作るのが難しくなってきました」
「……ねえ。豆以外を植えようよ」
 至極まっとうな指摘してみると、苦渋の表情のクライヴはゆっくりと首を振った。

「豆は神の遣わした神聖な食べ物、猫もまた神の使いです。蔑ろにするわけにはいきません」
「じゃあ、豆以外は普通に育っているの?」
「いえ。天候不良ですので」
「……晴れているわよ」

 見上げれば、雲一つない青空とさんさんと陽光を振りまく太陽……太陽のようなものが浮かんでいる。
 土を見る限り長雨だったという感じでもないし、草花は普通に生えているのだから、そこまで深刻ではない気がするのだが。

「いえ、その天候もありますが。神よりもたらされる恩恵のことも、天候と呼ぶのです」
「……よくわからないけど。つまり、羊羹男ヨウカンマンがご機嫌斜めということ?」
 思いついたことを言っただけなのだが、途端に周囲がざわめいた。


「な、何?」
「神の名を知る者は、ごく限られています。また、それを口にすることが許される者も限られています」
「あ、そうなの? ごめんなさい」

 あずきからすれば羊羹男ヨウカンマンは幼児にとってのカリスマであって、神ではない。
 だが、この国にとって重要な存在だと言うのならば、あずきが名前を呼ぶのは不愉快だっただろう。
 あんこを食べない人間にアンパンを語ってほしくない、という感じなのだと推察した。

「国王、王子、神官長と神官。ここにいる者は、皆知っていますから。問題ありません」
 では、壮年の男性が神官長で、少年は神官ということか。
 この場に呼ばれるくらいなのだから、それなりに位の高い神官なのだろう。

 そしてこの二人もまた、なかなかの容姿だ。
 さすがは豆とイケメンの王国である。
 とくに少年神官の方は同じ金髪のせいか、すこしクライヴに似ている気さえする。
 日本人には金髪の外国人の見分けは難しいというのを痛感するが、何にしても美少年であることには間違いない。


「ええと。神様は一人……いえ、神様だから一柱かな。それだけってことでしょう? 一神教というやつね」
 多神も多神、八百万の神に仏まで何でもござれの日本人にはよくわからないが、あの羊羹男ヨウカンマンでも神ならば尊い存在なのだろう。

「いえ。他の神もおりますが、主神は尊き豆の神、羊羹男ヨウカンマン様でございます」
 容姿の整った壮年男性が真剣な顔で『豆の神』とか『羊羹男ヨウカンマン』とか言わないでほしい。
 油断すると、笑い出しそうである。

「他の神、ねえ。この流れだと、芋羊羹男イモヨウカンマンとか栗羊羹男クリヨウカンマンとか?」
 幼少期に見た番組を思い出して羊羹男ヨウカンマンの仲間達を挙げてみると、皆の顔色がさっと変わった。

「――何故、ご存知なのですか!」
 少年神官の突然の大声に、あずきは思わずびくりと肩を震わせる。
「やはり、聖女様は神々と深く通じているのですね」

「羊羹と心が通じたことはありません。幼少期にテレビで……いえ、何でもないです」
 神官長は感慨深げに頷いているが、何だかおかしな勘違いをしている気がする。
 だがテレビの話を説明するのも面倒くさいし、この雰囲気では結局同じことのような気がする。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。

梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。 ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。 え?イザックの婚約者って私でした。よね…? 二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。 ええ、バッキバキに。 もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

処理中です...