彼と彼女の365日

如月ゆう

文字の大きさ
上 下
210 / 284
October

10月16日(水) 満員電車

しおりを挟む
 人の蔓延る電車の中。
 最近は吹く風にも冷たさが増し、ようやく秋を感じ始めてきたというのに、乗員の熱気でまるで夏場のようだ。

 いつもなら朝補習があるため、もっと早い――混雑の少ない時間に登校できていたのだけど、後期が始まったばかりの今ではそれは叶わない。

 ……訂正、嘘ついた。
 早起きさえすれば解消できる問題ではある。

 ただ、怠惰な俺たちがわざわざ睡眠時間を削るようなことはしないってだけで……。

 さて、そんな状況下の俺たちではあるものの、運良くドアのすぐ横に付いた手すりと座席の壁との隙間を陣取ることに成功。
 その空間へとかなたを押し込めば、向かい合うように――背中で押し寄せる人の圧を受け止めるようにして俺は立っていた。

「はぁー……ホント、満員電車は嫌いだ」

 ため息とともに零れる愚痴。
 それは列車の走行音にかき消されるくらい小さなものだったが、流石に真正面からは聞こえたらしい。

 目の前の彼女は小首を傾げる。

「暑苦しい、から……?」

「まぁ、それもあるけどさ……一番は、手の置き場に困るからだな」

 そう答える俺は現在、かなたが背もたれとして利用している壁に手を付いていた。

「…………手?」

「そう、手。最近は痴漢の冤罪も多くなってきたし、置く位置に気を付けてないと危なすぎて怖い」

 もちろん、最近の捜査技術も進歩しており、手に服の繊維片が付着しているかどうかで証明できたりもするらしいが、それも万能ではない。

 もし、痴漢するするつもりがなくても、電車の揺れなどで手がぶつかってしまえば即アウトだ。
 逮捕、求刑、お先真っ暗。

 だからこそ、誰にも触れないように、手の位置には注意しなければならないのである。
 少なくとも自分の胸よりは高く、できれば頭の上――つり革に両手で掴まるように。

 ただでさえ辛い空間なのに、そこまで気を遣わなければいけないのは身体的にも、精神的にも、かなりのストレス。

 故に、俺は満員電車が嫌いだ。

「そうでなくても、身体を擦りつける痴漢やら、匂いを嗅ぐ痴漢なんかも出てきてくれやがったおかげで、もう女性の近くにいることさえが恐怖だっつーの。肩や背中が触れるだけで通報されるんじゃないかって、毎回死ぬ思いだわ。……福岡にも、女性専用車両が追加されればいいのにな」

 俺の数少ない、切なる願いであった。

 もう怯えたくない。安心して生きていたい。
 通報という名の、一発で男を社会的に貶める自己申告への恐怖から……。

「……というか、何なら男性専用車両の方を作って欲しいわ。多分、みんな冤罪を恐れて供用車両から逃げてくると思うし……。それに『供用車両にいるなんて、私たちに何かする気なんだわ。通報しましょう』って女性層が現れて、自然と車両が二極化するはずだから」

 一応言っておくと、別にバカにしているわけではない。
 ただ、フェミニストなんていう人らがネットに跋扈しているところを見るに、そういう考え方は必ずと言っていいほど生まれるだろう――というだけ。

 もちろん、それが行き過ぎた一部の考えだということも理解しているうえでの発言だ。

「まぁ、そんなわけで――というか、何で朝からこんな話してるのか分からないけど……満員電車は嫌いだから、苦渋の選択だけど朝補習が早く再開してほしいな、って話だ」

 言いたいことを言い切ったおかげか、多少なりともスッキリした。
 しかし、変な話を延々と聞かせてしまい、かなたには申し訳ないことしたと思う。どうか許してほしい。

「…………そらは、その車両ができたらそっちで登校するの?」

 そう思って謝罪をしたのだけど、返ってきたのはそんな言葉。
 てっきり、「……気にしないでいい」などと言われると思っていたんだけどな。

「いや、まぁ……そうなると思うぞ」

 質問の意図が読めないながらも、俺は答えた。
 何せ、待ち望んでいたものなのだ。使わない理由がない。

「…………その手の置き場所だけど、私にいい考えがある」

 かと思えば、今度は別の話に移る。
 コイツの今の心情が分からん……が、それはそれとして――。

「マジで? どうすればいい?」

 気になったので、尋ねてみた。

「……私に抱きつけばいい」

「……………………は?」

 敢えて、もう一度言おう。
 コイツの心情が分からん。

「そら風に言うのなら、『知らない人に触って冤罪を受けるくらいなら、知ってる人に了承をもらって触っておけ』ということ」

「いや、それはどうなんだよ……」

「いいから、やってみそ」

 有無を言わさぬ瞳が俺を貫く。
 幼馴染だからこそ知っていることだが、これは逃げられないやつだ。

「……取り敢えず、『やってみそ』は古いと思うぞ」

 なので、苦し紛れに悪態をつきつつ、観念した俺は自身の両手をその細い身体に回した。

「……………………」
「……………………」

 ……うん、暑い。そして熱い。
 当たり前の感想が、脳内に生まれる。

 おまけに、列車の揺れに足腰だけで対応しなければならず、不安定だ。
 ぶっちゃけ、無意味な行為。

 そう思い、回した手を外そうとすれば――何故か抜けない。

「……かなたさん? 背中を壁に押し付けて、俺の手を固定しないでもらえます?」

「……断る」

 むしろ、外そうとコチラが躍起になるほど体重をかけて固定してくるため、挟まれて単純に痛い。

「えー……マジでこのまま行く気なの?」

「……あと二駅の我慢」

 確認してみても、どうやら彼女に引く気はないらしい。
 諦めてため息を吐いた俺は、くだらない話をした罰だ――と、自分にそう言い聞かせて最寄り駅までの数分間を耐えるのであった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

FRIENDS

緒方宗谷
青春
身体障がい者の女子高生 成瀬菜緒が、命を燃やし、一生懸命に生きて、青春を手にするまでの物語。 書籍化を目指しています。(出版申請の制度を利用して) 初版の印税は全て、障がい者を支援するNPO法人に寄付します。 スコアも廃止にならない限り最終話公開日までの分を寄付しますので、 ぜひお気に入り登録をして読んでください。 90万文字を超える長編なので、気長にお付き合いください。 よろしくお願いします。 ※この物語はフィクションです。 実在の人物、団体、イベント、地域などとは一切関係ありません。

笑わない風紀委員長

馬酔木ビシア
BL
風紀委員長の龍神は、容姿端麗で才色兼備だが周囲からは『笑わない風紀委員長』と呼ばれているほど表情の変化が少ない。 が、それは風紀委員として真面目に職務に当たらねばという強い使命感のもと表情含め笑うことが少ないだけであった。 そんなある日、時期外れの転校生がやってきて次々に人気者を手玉に取った事で学園内を混乱に陥れる。 仕事が多くなった龍神が学園内を奔走する内に 彼の表情に接する者が増え始め── ※作者は知識なし・文才なしの一般人ですのでご了承ください。何言っちゃってんのこいつ状態になる可能性大。 ※この作品は私が単純にクールでちょっと可愛い男子が書きたかっただけの自己満作品ですので読む際はその点をご了承ください。 ※文や誤字脱字へのご指摘はウエルカムです!アンチコメントと荒らしだけはやめて頂きたく……。 ※オチ未定。いつかアンケートで決めようかな、なんて思っております。見切り発車ですすみません……。

とあるプリンスの七転八起 〜唯一の皇位継承者は試練を乗り越え、幸せを掴む〜

田吾作
青春
 21世紀「礼和」の日本。皇室に残された次世代の皇位継承資格者は当代の天皇から血縁の遠い傍系宮家の「王」唯一人。  彼はマスコミやネットの逆風にさらされながらも、仲間や家族と力を合わせ、次々と立ちはだかる試練に立ち向かっていく。その中で一人の女性と想いを通わせていく。やがて訪れる最大の試練。そして迫られる重大な決断。  公と私の間で彼は何を思うのか?  ※この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは関係ありません。  しかし、現実からインスパイアを受けることはあります。  Nolaノベルでも掲載しています。

空は遠く

chatetlune
BL
素直になれないひねくれ者同士、力と佑人のこじらせ同級生ラブ♥ 高校では問題児扱いされている力と成績優秀だが過去のトラウマに縛られて殻をかぶってしまった佑人を中心に、切れ者だがあたりのいい坂本や落ちこぼれの東山や啓太らが加わり、積み重ねていく17歳の日々。すれ違いから遠のいていく距離。それでもやっぱり惹かれていく。

晩夏光、忘却の日々

佐々森りろ
青春
【青春×ボカロPカップ】エントリー作品  夕空が、夜を連れて来るのが早くなった。  耳を塞ぎたくなるほどにうるさかった蝉の鳴く聲が、今はもう、しない。  夏休み直前、彼氏に別れを告げられた杉崎涼風は交通事故に遭う。  目が覚めると、学校の図書室に閉じ込められていた。  自分が生きているのか死んでいるのかも分からずにいると、クラスメイトの西澤大空が涼風の存在に気がついてくれた。  話をするうちにどうせ死んでいるならと、涼風は今まで誰にも見せてこなかった本音を吐き出す。  大空が涼風の事故のことを知ると、涼風は消えてしまった。  次に病院で目が覚めた涼風は、大空との図書室でのことを全く覚えていなかった……  孤独な涼風と諦めない大空の不思議で優しい、晩夏光に忘れた夏を取り戻す青春ラブストーリー☆*:.。.

処理中です...